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BONNIE PINK、レニー・クラヴィッツのライブに熱狂していたら…スガ シカオも驚愕の思い出話

BONNIE PINK、レニー・クラヴィッツのライブに熱狂していたら…スガ シカオも驚愕の思い出話

BONNIE PINKとスガ シカオがスウェディッシュポップの思い出や、新曲『Wonderland feat. BONNIE PINK』について語り合った。また、BONNIE PINKが学生時代にレニー・クラヴィッツのライブを見たあと、本人から楽屋に招待されたという驚きのエピソードを明かした。

ふたりがトークしたのは、J-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:スガ シカオ)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。放送は11月7日(日)。

自分の声の「おいしいところ」を知ったきっかけ

1995年にデビューしたBONNIE PINK。彼女のデビュー直後から友だちから紹介されて楽曲を聴いていたというスガは、その後もJ-WAVEの番組でセッションするなどして交流を深めてきた。

この日、BONNIE PINKは「1990年代のスウェーデンにフレッシュな空気を吸いにいく!」をテーマに選んだ。デビューした後の1990年代後半は頻繁にスウェーデンに行っていたという。

スガ:スウェディッシュポップめちゃくちゃ流行ってたよね~。
BONNIE PINK:昨今は強烈なブームがあるかなと思うくらい、あの頃はみんなこぞって聴いていましたよね。
スガ:今でいうK-POPみたいな感じかな。
BONNIE PINK:そうかもしれないですね。S-POPだったんですね、きっと。
スガ:ちょっと独特な感じがあるよね。
BONNIE PINK:日本人の琴線に触れるコードがあったり、通ずるものがあるんですよね。そんなことをスウェーデン人とも話していました。それでカーディガンズも手掛けたスウェーデンのプロデューサーのトーレ・ヨハンソンさんにお願いして仕事をしていました。

スウェーデン発の音楽が世界的に注目を集めるきっかけになったのはABBA。1975年に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974」に出場し、『恋のウォータールー』で優勝したことを皮切りに、『ダンシング・クイーン』『チキチータ』など数々の世界的ヒットを連発。90年代にはロクセット、エイス・オブ・ベイス、カーディガンズなどが大活躍した。ストックホルムのスタジオで活動していたプロデューサーのマックス・マーティンはバックストリート・ボーイズやブリトニー・スピアーズなどの代表曲で脚光を浴び、24作品がBillboard Hot 100で全米第1位を獲得。さらに2010年代にはアヴィーチーがEDMブームを牽引する形で次々とヒット曲を放った。

BONNIE PINKは1997年リリースのアルバム『Heaven's Kitchen』でカーディガンズも手掛けてきた音楽プロデューサーのトーレ・ヨハンソンをプロデューサーとして迎えた。

スガ:日本でもボニーちゃん以外にもけっこういろいろな人をやっているんだね。
BONNIE PINK:原田知世さんとかカジヒデキくんとかね。
スガ:でもその頃、まだ日本のアーティストなんてトーレはやっていなかったよね?
BONNIE PINK:そうですね。私はわりと洋楽をどっぷり聴いて育っちゃっていたので、興味のあるプロデューサーが外国の人ばかりだったんですよね。そこでトーレにお願いしたら「おいで」と軽い感じでした。
スガ:えっ!
BONNIE PINK:「おいでおいで。スタジオもあるし」みたいな(笑)。わりとウェルカミングで行っちゃいました。

スウェーデンでは1ヶ月以上の長期滞在でウェコーディングをしていたと語るBONNIE PINK。トーレの家に住み込んだこともあったという。

BONNIE PINK:「自分の声のおいしいところはどこ?」と私がまったくわかっていなかったことを全部教えていただけました。
スガ:本当のプロデューサーだね!
BONNIE PINK:そうですね。カーディガンズのボーカルのニーナもあまり声を張り上げるタイプじゃないんですけど、「ニーナは座って歌入れしているからボニーもやってみたら?」って言われました。私は踏ん張ることしか知らなかったので、座って歌うと抑揚をつけて自分の声の知らない魅力が出てくる気がして「レコーディングってこんなに小さな声で歌っていいんですか?」と目から鱗でした。
スガ:カラオケじゃないんだから大きな声で歌わなきゃいけないわけじゃないもんね。
BONNIE PINK:スウェーデンはすごく自然が豊かでなんです(出身地の)京都から東京に出てすぐにスウェーデンに行ったんですけど、上京したときに喘息になっていたのがスウェーデンに行ったらスコーンと治ったんですよね。フレッシュな空気をテーマに入れたのもその理由で、清々しい思い出とスウェーデンの音楽が全部結びつくんですよね。

Night Tempoからオファーを受けて初コラボ!

友だちからバンドのボーカルとして誘われていた大学生当時、女性ボーカリストを集めたコンピレーションアルバムを作ろうとしていた音楽プロデューサーのS-KENから見いだされたBONNIE PINK。あれよあれよという間にそのアルバム作りに加わることになったという。

BONNIE PINK:もとのバンドは参加しただけで消えた感じでした。それまで私、作曲もしたことなかったんです。ミュージシャンも目指してなかったし。
スガ:え~! すごいね。
BONNIE PINK:「自分でも書いてみたら?」って言われて書いてみたら「いいじゃん」って言われたんですよ。
スガ:「いいじゃん」って(笑)。
BONNIE PINK:言ってくださったんですよ(笑)。それで「デビューアルバム作れるんじゃない?」となって。
スガ:え~! 本当!? 珍しいパターンのデビューだね。
BONNIE PINK:ないですよね。

そんなBONNIE PINKは11月3日にニューシングル『Wonderland feat. BONNIE PINK』の配信がスタートした。韓国出身のDJ/プロデューサー、Night Tempo(ナイト・テンポ)との初コラボ曲で、Night Tempo初のメジャー・オリジナル・アルバム『Ladies In The City』に収録されている。
スガ:これは、なんで!?
BONNIE PINK:Night Tempoさんが日本でアルバムをリリースされるということで、その制作に参加してもらいたいとオファーをくださいました。「曲は作ったので歌詞をつけて歌ってほしい」と。
スガ:そっか。彼は歌詞つけないもんね。
BONNIE PINK:そうですね。韓国の方なのでZOOMとかでつないで、一部始終をライブ配信のように見える状態にして歌入れしました。
スガ:もう成り立ちから超イマドキだね!
BONNIE PINK:そうなんですよ! まあNight Tempoさんがイマドキですからね。
スガ:扱っているジャンルが昭和なだけで、あいつ自体は若いもんね。どんな奴なの? 俺もつながってはいるんだけど、仕事をしているわけじゃないんだよね。2、3回メールでやり取りしただけで。
BONNIE PINK:日本に住んだこともあるとおっしゃっていたので、びっくりするくらい日本語も流暢でした。韓国語ができなくても、日本語で話し合いました。歌詞のテーマも「こういうイメージで」と日本語で言ってくれました。

BONNIE PINKはどんな音楽を聴いてきた?

番組後半ではBONNIE PINKの音楽遍歴を振り返った。子どもの頃はピンク・レディーの歌マネをしていたというBONNIE PINK。音楽に目覚めたきっかけは兄が聴いていた影響で小学生の頃に聴くようになったビートルズだ。

BONNIE PINK:兄のカセットテープを拝借してカセットプレイヤーでかけて聴いていましたね。「日本の音楽と違うな」と子どもながらに感じていました。
スガ:小学生で聴いていたんだね! 学園祭で『ロング・トール・サリー』を歌ったこともあるんだってね。
BONNIE PINK:いや、『キャント・バイ・ミー・ラヴ』です(笑)。けっこうな進学校だったので、みんな勉強できる子は楽しかったけど私はあまり楽しくなかったな。
スガ:俺も進学校に間違えて行っちゃって、そういう人は進学校に行くと欲しかった思い出がないというのはあるよね。そして次にハマったのがジェームス・テイラー。
BONNIE PINK:大学生の頃ですね。
スガ:小学生でビートルズ、大学生でジェームス・テイラーって!
BONNIE PINK:小学生の頃はビートルズとプリンスにハマったんですよ。
スガ:おいおいおいおい(笑)。
BONNIE PINK:中学はハードロックが流行っていたので、エアロ・スミスとかミスター・ビッグとか聴いていたのでロックの素養もあるんですよ。でも高校くらいからダンスにハマってジャネット・ジャクソンとかにブラックミュージックに傾倒して、大学生になるとジェームス・テイラーとか、ジョニ・ミッチェル、リッキー・リー・ジョーンズみたいなシンガーソングライターの方々をたくさん聴いていました。
スガ:優等生だな~! 絵に描いたような「BONNIE PINKはこういう音楽を聴いてきただろうな」のまんまな感じ。
BONNIE PINK:そうですか(笑)。自分はクリエイターになると思っていなかったんですが、いい音楽にずっと触れていたいと常に思っていたのでレンタルCD屋で借りまくっていました。それが唯一の趣味。映画も好きだったのでサントラが入口で知ったアーティストとかもいましたね。グっとくる音楽を漁って聴いていた中にジェームス・テイラーもいました。
スガ:ジェームス・テイラーはアコギの名手としても有名ですからね。
BONNIE PINK:私なんかギターちょっとしか弾かないのに、ギター上手な人が好きなんですよ。

レニー・クラヴィッツのライブで大騒ぎしていたら…

大学生の頃にはレニー・クラヴィッツと握手したこともあるBONNIE PINK。大阪の厚生年金会館へライブを観に行った際に、2階の後ろのほうの席で思いっきり踊って見ていたらスタッフから声をかけられたそうだ。

BONNIE PINK:「レニーが楽屋で呼んでいるよ」って。
スガ:それはヤバいやつじゃないの!?
BONNIE PINK:そのときにボーイフレンドと一緒に見ていたので楽屋に行きました。
スガ:楽屋の後ろのほうまでレニーが見ていたってこと?
BONNIE PINK:見ていたんですかね。私もレニーと目が合った気がしました。
スガ:いや、合わねえよ(笑)。厚生年金会館そんなに狭くないって!
BONNIE PINK:ファンなんで「目が合った」と思いたいじゃないですか(笑)。それで楽屋に行ったらシャワーを浴びてさっぱりしたレニーが「ハーイ」って来てくれて、いろいろお話しました。バンドメンバーも紹介してくれてパンフレットにサインしてもらって、レニーのいとこにオレンジジュースを注いでもらったりして(笑)。音楽活動もしていない普通の大学生だったのでだいぶ刺激的でした。
スガ:俺も今度厚生年金会館でやってみようかな!
BONNIE PINK:楽屋で話を訊いたら、その日レニーは調子が悪かったらしいんです。それで「君はすごく頑張ってくれていたから励まされたよ」と言ってくださいました。
スガ:格好いい! それでデビューしてから会わなかったの?
BONNIE PINK:一昨年レニーが来日したときに会いました! でも彼はまったく覚えていてくれなかった。当時の写真を見せたら「そんなことあったの」みたいな(笑)。でも会ったことによって、「自分がもしミュージシャンになったらまた会えるかもしれないな」とふわっと思ったんですよ。今思えばあれも一つのきっかけになりましたね。

その楽屋にいたバンドメンバーとニューヨークでレコーディングした曲がBONNIE PINKの『Take Me In』。BONNIE PINKの不思議な音楽遍歴や大物プロデューサー、大物ミュージシャンとの巡り合わせにスガも終始驚きぱなっしだった。

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2021年11月14日28時59分まで

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番組情報
Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
毎週日曜
21:00-21:54