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奥田民生、720万のギターを値切って…デビューの経緯など音楽人生を振り返る

奥田民生、720万のギターを値切って…デビューの経緯など音楽人生を振り返る

奥田民生がJ-WAVEで11月6日(土)、自身の音楽のルーツや弾き語りの魅力について語った。

奥田が登場したのは、J-WAVE発の一大音楽祭「ギタージャンボリー」と連動した番組『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』。毎年、両国国技館にて開催している「ギタージャンボリー」の出演者がマンスリーでナビゲーターを務める番組で、11月は奥田の担当だ。土曜16時からのオンエア。

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歌うのが好きな子どもだった

奥田は1987年、ユニコーンでメジャーデビュー。バンドは1993年に一度解散し、奥田は1994年に『愛のために』でソロ活動を開始。その後、2009年にユニコーンを再結成して、2015年には自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」を設立した。現在はユニコーンのニューアルバム『ツイス島&シャウ島』を引っ提げてツアー中。11月24日(水)の日本武道館公演がファイナルとなる。

そんな奥田が、まず音楽やギターとの出会いについて語った。

奥田:子どものころから歌うのは好きでした。小学校のころに同じ小学校出身の西城秀樹さんとか、あとはジュリー、沢田研二さんとかがテレビで歌ってるのを観て「かっこいいな」と思ってた感じで。それで10歳ぐらいのときにギターを始めました。まだ同級生でギターを弾いている人もそんなにいなかったので、1人でやってたんです。雑誌の『明星』や『平凡』の付録に、そのとき流行っている曲たちがギターのコード譜つきで載っていて。それを見ながら、知っている曲があったらギターのコードを覚えて歌ったりするのが趣味でした。

親戚の誘いで宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドのライブを観て、奥田は「生演奏はいい、素敵だな」と興味がわいたそうだ。さらに親戚の家に置いてあったギターを使いながらザ・ベンチャーズなどの曲を教わる。その後、10歳でアコースティックギターを買ってもらい、コードを覚えるために知っている曲を片っ端から練習していったという。

奥田:中学生になったら、わりとギターを弾いている人も周りにいたのでバンドをやってみようと。練習スタジオを借りて、どこかに出るというわけじゃないけど練習してみよう、みたいなことを始めるわけです。その辺でアコギじゃなくてエレキギターがいいなと、4万円のストラトのコピーモデルを買いました。バンドでコピーしていたのはKISSとか、できないけどディープ・パープルとかをやってたんじゃなかろうかと思います。エレキギターを持ったぐらいからは、やっぱりエレキギターの音がよく聴こえる音楽を好んで聴くようになりました。Charさんはもういたので、もちろん聴いてました。やっぱりツェッペリンだのパープルだの、そういうちょっとハードロック的なやつを聴きだしましたね。

デビューはとんとん拍子「気が付いたら忙しくなってた」

高校卒業後は専門学校に進んだが、中退してアルバイトをしながらバンド活動をする道を選んだ奥田。所属していたバンドが解散したときに川西幸一と手島いさむから誘いを受けたものの、一度は断ったのだそうだ。しかし進めようとしていたバンドの計画がとん挫したため、2回目の誘いを受けてユニコーンに加入。曲を録音してデモテープを送ると、話はとんとん拍子に進んでいったという。

奥田:その後、ソニーの人が来て「じゃあ東京に来なさい」と言われ、それで「へいへい」と上京して、レコーディングしつつ、東京近郊のわりと小さいライブハウスで修行、対バン。ユニコーンなんて誰も知らないですから、デビュー前ですし。ちょっと人気があるバンドと一緒にやらせてもらう、前座みたいな。そういうのを1年ぐらいしてデビューして……今に至る(笑)。なんか気が付いたら忙しくなってた。東京に出てきてパチンコをずっとしていたのは最初の1年ぐらいなんですよね。パチンコしてたらほかのメンバーから「打ち合わせするから帰ってこい」と。そういう「東京って暇だな」と思っていたのは、1年もない。半年くらいかな。曲もたくさん作らないといけなかったし、練習したりレコーディングしたりしているうちに、ライブの本数がボンボン増えていって、忙しいままで。気づいたらデビューしてライブハウスから渋谷公会堂とか日本武道館になって。順調といえば順調ですよね。本人たちはただ目の前のことをやるしかなかったんで、あんまり計画とか目標もなかったものですから。いまでもそうなのかと思ったりしますけどね。

メンバーが車を購入しはじめたが、奥田は…

ユニコーン初期は「ハンドマイクじゃないとボーカリストじゃない」という風潮があり、ギターを持たなかった奥田だが、のちに方針が変わり、ギターを購入。そして「もしお金が貯まったらジミー・ペイジが使っていたレスポールがほしい」と目標を持つようになったという。

奥田:それは58年、59年、60年の3年間ぐらいで作られたレスポール・スタンダードっていうやつで、いまでもエレキギター界の最高峰の値段なんです。ユニコーンのみんなが車を買い出したころ、僕はバイクにしてそのレスポールを買おうと。俺の持っているレスポールが当時、壁にかかっていたときの値札が720万円。その年代のレスポールが何本か店にあったので、ビビりながら弾きくらべをしたら720万のほうが音がよかった。しかも見た目もそんなにビカビカじゃない、いい感じのやられ方をしていたので「これだな」と。それで値切って450万円でそのギターを買ったんです。

弾き語りとバンドとの違い

奥田が、アコースティックギター1本で弾き語りをするようになったきっかけを明かした。

奥田:バンドをやりたかったので、弾き語りをやろうとみじんも思わないでユニコーンに入ってデビューして、そのあいだも弾き語りをやろうなんて全然考えてなかったんですよね。バンドだけやっていたらいいし、それで忙しかったしね。ソロになってからですね。たとえば結婚式に呼ばれて「なんか歌ってくださいよ」と言われる職業だったりもしますし、そういうときにアコギでジャジャジャンってできないのもなんだろうと。緊張するんですよ、すごく。だからそういうのも慣れないとなあと。結婚式慣れのために弾き語りをやるようになったんです。結婚式のためです。

その後、奥田は弾き語りツアー「ひとり股旅」を実施。徐々にその規模は大きくなり、弾き語りをする奥田のイメージが定着していった。

奥田:いつの間にかソロの弾き語りのイメージがすごくついたんじゃなかろうかと思うんですよね。ただまあ、本人的にはバンドのほうがしっくりきているので、いつも1人でやるのは恥ずかしいし寂しいなと思いながらやってる。緊張するからちょっとお酒も飲んだりなんかしてね。でも弾き語りのよさといいますか、自分しかいないわけですから、ギターと歌だけでドーンみたいなのがわかりやすいじゃないですか。バンドより音数が少ないのもあってね。そういうところで、観ている人への届き方が、弾き語りは直接くる感じ。邪魔者がないというか、そういうよさはありますよね。

また、奥田は弾き語りのメリットとして「身の軽さ」も挙げた。

奥田:その場で「今日はこっちじゃなくてこっちの曲のほうがいいな」とか「あれ忘れてたけどやってみよう」って1人だからできるじゃないですか。バンドじゃリハーサルが必要ですけど、1人だと思い出すだけ、そういう身の軽さも弾き語りのいいところです。「ギタージャンボリー」もそうですけど、そういうフェスとかイベントに出るときに、普通は「今日この曲やります」ってセットリストを出しますけど、僕は曲を書かずに「何分までに終わらせます」という感じ。ただ「今日この曲やっていただけませんか?」というリクエストにはもちろんお応えしたい。でも基本的には、その現場を用意している段階で「今日はこんな感じでこの曲やってみっかな」とか「今日はあっちでトータス(松本)も準備してるから、一瞬だけウルフルズ歌おうかな」とか、そんなことを直前まで思いながら、白紙のセットリストをスタッフに提出して「ちゃんと時間内に終わります」って言ってやってます。直前に決めて大喜利的な要素を持っていたいなと、そんな感じでやっております。

『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』はさまざまなゲストを迎えて、お互いの音楽人生の系譜を辿りながら、時には生演奏を交えつつ展開する貴重なトーク&ライブセッションを放送。ラジオの中の追加公演=エクストラを発信していく。放送はJ-WAVEで土曜16時から。

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2021年11月13日28時59分まで

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番組情報
TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA
毎週土曜
16:00-16:54