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森山直太朗、『さくら(独唱)』ヒット後に覚えた“自分以上の自分”という感覚

森山直太朗、『さくら(独唱)』ヒット後に覚えた“自分以上の自分”という感覚

森山直太朗がJ-WAVEで、ギターを始めたきっかけや音楽の道へ進んだ経緯、デビューまでの道のりを語った。

森山が登場したのは、J-WAVE発の一大音楽祭「ギタージャンボリー」と連動した番組『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』。毎年、両国国技館にて開催している「ギタージャンボリー」の出演者がマンスリーでナビゲーターを務める番組で、3月は森山が担当。ここでは3月12日(土)のオンエアをテキストで紹介する。

練習を繰り返した、ザ・ビートルズ『ブラックバード』

幼い頃の森山は、家族の影響でさまざまな音楽を聴いていたと当時を振り返る。

森山:母親がフォークソングとかジャズを聴いてたり、おじいちゃんがビッグバンドを聴いてたり、父親は歌謡曲、姉はパンク、いろんなものを聴いてましたね。僕自身はフォークソングが好きで、友部正人さんやソロの玉置浩二さん、とにかくいろんなものをごちゃ混ぜに聴いていた思い出があります。当時は特に母親が今の僕と同じような仕事をしていたので、好きなことを仕事にすることの面白さと、それを生業として続けていくことに対する難しさは、その背中を見ながら「これは抜き差しならないな」って思っていたので、僕はできるだけ普通に働いてっていうとあれなんですけど、そう思っていました。

小学生からサッカーに勤しんでいた森山。当時はJリーグが開幕するくらいの頃で、「あわよくばプロ選手に」と思っていたという。

森山:小学生から大学までサッカーをして、たまに音楽をやるわけなんですけど、ギターを弾いてめちゃくちゃ面白いと思ったことがあって。当時ファンハウス(現・BMG JAPAN)の新田(和長)が夜な夜な家に来ていて、「直太朗、お前ギターを弾いているみたいだけど、ザ・ビートルズの『ブラックバード』って知ってるか?」って言われたんです、当時、僕はその曲が収録されたホワイトアルバム(『ザ・ビートルズ』)も知らなかったから、新田社長がギターで弾いて見せてくれて。「やってることは難しいんだけど考え方はすごくシンプルなんだよ。これできたらモテるぞ」って言われて、しこたま練習したことを覚えています。

その体験から森山は少しずつ友部正人や玉置浩二などの楽曲の弾き語りを始め、オリジナル曲も制作していった。

未来への期待と不安が曲になっていった

学生時代は部活動を中心に生活していた森山だが、あるとき「これじゃあ芽が出ないかもな」と感じたという。

森山:大学2年生のある日に、もう楽しいだけじゃダメなんだなって思って。付属の学校にいたから外の世界も見てみないとっていう危機感があったのか、たちまち部活を退部して、そのあとは劇場でバイトをしたりしました。チケットのもぎりとかをやってたんですよ。音楽と同じくらい演劇も大好きだったので、そういうのを観ながら、少しずつ先の見えない未来に対しての期待とただならない不安が曲になっていくんですよね。当時『レスター』って曲を作って。

森山直太朗 - レスター / にっぽん百歌【焚き火】

森山:暗いよね(笑)。でもそれがよかったんだよね。暗くなりたかったっていうか。どこかで自分もある意味、保証された敷かれたレールを歩いているような気がしたから。でもどこにも保証がないんだなって思ってたし、人生はこれからのほうが長いんだってどこかでわかってたから、自分ひとりでこういうしみったれた歌を部屋で歌っていたものを、ちょっと外に出てみようって思って吉祥寺の公園とかでポツリ歌ってみたりとか。当時、サッカー部のひとつ下の後輩で、曲を作っていた御徒町(凧)が図々しいやつで、「ここで歌ってみようぜ」っていろんなところに連れ回すんですよ。あいつに閉じこもっていた殻から出してもらった思い出があります。いろんな社会勉強になって。度胸試しじゃないけど。

『さくら(独唱)』ヒット後は

森山は2001年3月に「直太朗」名義でインディーズレーベルよりミニアルバム『直太朗』を発表。2002年10月に「森山直太朗」名義のミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でデビューを果たした。そして2003年にリリースした2枚目のシングル『さくら(独唱)』が大ヒットを記録する。

森山:当時の僕は口には出さないけど、いろんな人に聴いてもらいたいし自分も認識してほしいし、そういう気持ちが若かりし頃の心の中にあったと思うんです。だからこの曲がいろんな人に知ってもらえたことは本当にうれしかったし、やっぱり間違ってなかったんだっていうひとつの答え合わせみたいなものができたと同時に、そのあとのことをまったく考えてなかったんですよ(笑)。母親も同じようなことをやってたから、母親みたいに長く続けていけたらいいなってぼんやりとは思っていたけど、そのプロセスとかビジョンはまったくなくて。

『さくら(独唱)』をきっかけに、よくも悪くもいろんな人に認知してもらえた森山は、「自分以上の自分を身にまとってその後の4、5年の活動が続いた」と打ち明ける。

森山:当時の自分を思い出すと、そうするより他なかったよなって。どんどん自分じゃない自分みたいな、音楽自身も部屋でささやいて歌っていたものが、筋肉質になっていったというか、目に見えないものを力で蹴散らしていくんだっていう、若さゆえの表現や活動が続いていったんじゃないかなって思います。

今年デビュー20周年を迎える森山は「人間で言ったら二十歳ということで、20年もやっているんだけど、音楽人としてはようやく自立できる年齢になってきたのかなってひしひしと感じています」と心境を語った。

そんな森山は3月16日(水)に20周年オリジナルアルバム『素晴らしい世界』をリリース。

森山:これは、今日駆け足で話してきたような自分の足取りと、たった今の自分の思いみたいなものが切り取られている、そんな作品なんですね。表題曲になっている『素晴らしい世界』や『さくら(独唱)』のオリジナルをカバーした『さくら(二〇一九)』、『花』をセルフカバーしたり、とにかく足跡の中で作った曲を一堂に会しています。

ギタージャンボリーはすごく貴重なイベント

番組後半では、森山が先日出演した豪華アーティストによるギター弾き語りイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」への思いを語る場面もあった。

森山直太朗が弾き語りライブ【「ギタージャンボリー2022」フォトレポート】

森山:こういうイベントって続いてほしいですね。弾き語りをするミュージシャンも、このイベントがなくなると寂しくなるというか。出演した竹内アンナちゃんも「絶対にまた出たいです」って言ってたし。弾き語りってやっぱりシンプルに自己評価ができるし、あるいはさっきも話したけど部屋でひとりで弾いているときのレベルだから。どうしても舞台に立つとスポットを浴びて大きい声が出ちゃうから(笑)。ギタージャンボリーはギター1本でいつも部屋にいるような感覚でできるから、これだけ華やかな舞台なんだけど、そういう世界観が舞台上にあるって実はすごく貴重なイベントだと思っています。

6月からは20周年オリジナルアルバム『素晴らしい世界』をひっさげた全国100本ツアー「森山直太朗 20thアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』」がスタートする。

森山直太朗の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。

『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』はさまざまなゲストを迎えて、お互いの音楽人生の系譜を辿りながら、時には生演奏を交えつつ展開する貴重なトーク&ライブセッションを放送。ラジオの中の追加公演=エクストラを発信していく。放送はJ-WAVEで土曜16時から。

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番組情報
TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA
毎週土曜
16:00-16:54