真心ブラザーズのYO-KINGと桜井秀俊がJ-WAVEで、真心ブラザーズの結成の思い出について語り合った。
ふたりが登場したのは、J-WAVE発の一大音楽祭「ギタージャンボリー」と連動した番組『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』。毎年、両国国技館にて開催している「ギタージャンボリー」の出演者がマンスリーでナビゲーターを務める番組で、2月は真心ブラザーズが担当。
桜井:定価の7割でザ・ビートルズのボックスセットとかを買ってきて、夕飯どきにそれを母がかけてて。僕はそれを触るのが好きだったかな。
YO-KING:わかる、わかる。
桜井:ビートルズの最初のほうって『プリーズ・プリーズ・ミー』とかキャッチーな曲がたくさんあるからそれを聴いて遊んでたって感じで。
YO-KING:実際に聴いてたの?
桜井:そうそう。でも『サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)』とかになってくるとちょっとドロドロしてきて怖いかなって思って、結局初期のやつばっかりを小学生の頃は聴いてたかな。
そんな桜井がギターと出会ったのは中学3年生の頃だった。
桜井:当時、担任だった30歳くらいの音楽の先生で。中学3年の音楽の授業って受験科目でもないからあんまり教科書とか使わなくて。鍵盤を印刷したプリントをみんなに配って先生が「ド・ミ・ソを押さえてみろ」って言って。実際に先生がそれをピアノで弾いて、次にミを半音下げてそれを弾くと音が暗くなるから「これがマイナーだ」って言って、みんな「おおー」となってね。
YO-KING:そうだよね。
桜井:それでメジャーとマイナーを弾きわけて「ポップミュージックにはこういうものがあって」みたいな説明をして。それで音楽室にどういうわけかドラムセットとエレキギターとエレキベースとアンプとかがあったわけ。
YO-KING:すごいね!
桜井:最初は「好きな楽器を触れ」と言われて最初の半年は遊んでるだけだったけど、そこからそれぞれ楽器を買って班を作って、最後にみんなで発表会をやることになったの。それをクラスでやって、卒業式の間近に体育館に全校生徒を集めてクラス代表のバンドで演奏して。それが高校受験の間の本当に楽しいひとときだった。
YO-KING:音楽とか美術の先生って独特な人が多かったよね。
桜井:多かった。まさにRCサクセションの『ぼくの好きな先生』みたいな先生だった。その音楽の先生の授業があったおかげで、高校に入ったらギターをやって友だちとバンドをやることになったんだよね。
桜井:サークルの部室でThe ピーズの最新のデモテープを聴かせてもらって、そのThe ピーズのギターが超カッコよくて。アビさん(安孫子義一)ですよ。
YO-KING:はいはい。
桜井:そこから、アビさんの背中を追うようになったわけ。
音楽サークルの1学年先輩にはYO-KINGもいたが、そのときはお互いが別々のバンドを組んでいたという。
桜井:YO-KINGは大学3年のときサークルの代表をして、次の年に俺が代表になったんですよね。そのときにとある民放局から「1989年4月からテレビのバラエティ番組で勝ち抜きフォーク合戦というコーナーを始める」と連絡がきたんですね。当時はフォークをやっている人はほとんどいなかったけど、フォークをやっている人たちを勝ち抜き形式で戦わせるコーナーだからそちらのサークルに面白い人がいませんか、とサークルの代表の俺が電話を受けて。YO-KING先輩が吉田拓郎さんをはじめとするフォークに通じていることを知っていたので、俺は全然詳しくないけどYO-KING先輩と組んだら面白いかなって思って、「すごいのがいます」と答えたんですね。
YO-KING:なるほど。
桜井:それからオークションに行って、それが通ってその番組の第一回目から出場したら10週連続勝ち抜いちゃって、グランドチャンピオンになってしまって。なっちゃったら番組もほっとけなくなって、レコード会社の人に連絡して「こいつらで一枚シングルを出させてくれ」とお願いして『うみ』という曲が出たんです。で、ざっくり言うと今に至るという(笑)。
YO-KING:あはは(笑)。
YO-KINGは勝ち抜きフォーク合戦のエピソードを紹介。音楽サークルの部室にあったぼろぼろのアコースティックギターで出たこともあったと明かす。
YO-KING:ぼろぼろのアコギだから弦が一本なかったりするんだよね(笑)。
桜井:そのまま出て、審査員にツッコまれるのを待ってたりね。
YO-KING:弦がさびてるから押さえたら指が痛くて、今なら「弦変えろや」って思うけど。
桜井:でもその感じが、審査員長をしていただいてた、かまやつひろしさんにすごく面白がられて、いろいろえこひいきとかアドバイスをたくさんいただいて、デビュー後もちょくちょくいろんな番組でお世話になって刺激をいただきましたね。
YO-KING:審査員長がかまやつひろしさんだったってことも、またツイてるよね。
YO-KING:無理やり曲を作ったりしてね。
桜井:「そもそもフォーク好きだっけ?」とかいろんなことがあって、遊び尽くしたって感じがあったよね。
YO-KING:たしかに。
桜井:そんななか、YO-KINGさんがヒップホップとかオルタナティブロックとか、めちゃくちゃはじけた当時の最新の音楽が好きになって、曲を作るスタイルが全く変わってきて、その変化が僕はすごく面白かったの。このYO-KINGさんの変わり方をなんとか音楽のトラックにできないかなと。いろいろやって1995年に『KING OF ROCK』っていう結構ゴリゴリのオルタナティブロックのアルバムができて、それがまわりのバンド仲間には好評でちょっと風向きが変わってきて、こっちも「新しい遊びを見つけた」って感じでそっちの方に行って、またエンジンがまわり始めたみたいな。
『KING OF ROCK』で手応えをつかんだものの、真心ブラザーズが次にリリースしたシングルはポップソングの『サマーヌード』だった。
桜井:その攻め方こそがロックだ、みたいな思いもあったんだけど、そこで作った『サマーヌード』が今でも真心ブラザーズの活動のひとつの大きな柱になるんだよね。
YO-KING:『KING OF ROCK』でゴリゴリのやつをやってからの『サマーヌード』だったから面白くて。『KING OF ROCK』がなくてそのまま『サマーヌード』だと微妙だったよね。それで『サマーヌード』はそこそこ話題にはなったんだけどそんなに売れもせず、その2年後に出した『ENDLESS SUMMER NUDE』がちょっと売れたと。
桜井:このイベントには過去2回出させていただいてます。2019年と2020年。
【2020年の写真】真心ブラザーズ、両国国技館で“どか~ん”と楽しく
YO-KING:やっぱり両国国技館っていう場所がインパクトありますよね。
桜井:やっぱりね。普段、人生をかけて戦っているお相撲さんたちの場所と360度で楽しんでるお客さんの培った気みたいなものがあるよなって。
YO-KING:それはあるよね。演者としては弾き語りのライブだからね。中央にステージがあるから音出しが難しいかなと思いきや、普通にやりやすいんだよね。
桜井:独特の深いエコーがあって。
YO-KING:そうね。
桜井:2019年は我々が幹事という役を仰せつかったよね。
YO-KING:コロナ前にね。
【2019年の写真】真心ブラザーズ、30年の絆が光る息の合ったパフォーマンス!
桜井:楽しい打ち上げを仕切らせてもらったりね。そのときに冗談で「行司のカッコをやらせてください」って言ったら本当に用意してくれてね。
YO-KING:カッコよかった。まさかその後、あんなことになるとはな。
桜井:どんなこと!?
YO-KING:あはは(笑)。
桜井:今年も楽しみですね。
「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」の詳細は公式サイトまで。
真心ブラザーズの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』はさまざまなゲストを迎えて、お互いの音楽人生の系譜を辿りながら、時には生演奏を交えつつ展開する貴重なトーク&ライブセッションを放送。ラジオの中の追加公演=エクストラを発信していく。放送はJ-WAVEで土曜16時から。
ふたりが登場したのは、J-WAVE発の一大音楽祭「ギタージャンボリー」と連動した番組『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』。毎年、両国国技館にて開催している「ギタージャンボリー」の出演者がマンスリーでナビゲーターを務める番組で、2月は真心ブラザーズが担当。
音楽の授業で楽しさを教わった
まずは、桜井の音楽遍歴とギターをはじめるきっかけについて。桜井が幼い頃、母がレコード会社でアルバイトをしており、そこでよくレコードを買ってきたのだという。桜井:定価の7割でザ・ビートルズのボックスセットとかを買ってきて、夕飯どきにそれを母がかけてて。僕はそれを触るのが好きだったかな。
YO-KING:わかる、わかる。
桜井:ビートルズの最初のほうって『プリーズ・プリーズ・ミー』とかキャッチーな曲がたくさんあるからそれを聴いて遊んでたって感じで。
YO-KING:実際に聴いてたの?
桜井:そうそう。でも『サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)』とかになってくるとちょっとドロドロしてきて怖いかなって思って、結局初期のやつばっかりを小学生の頃は聴いてたかな。
そんな桜井がギターと出会ったのは中学3年生の頃だった。
桜井:当時、担任だった30歳くらいの音楽の先生で。中学3年の音楽の授業って受験科目でもないからあんまり教科書とか使わなくて。鍵盤を印刷したプリントをみんなに配って先生が「ド・ミ・ソを押さえてみろ」って言って。実際に先生がそれをピアノで弾いて、次にミを半音下げてそれを弾くと音が暗くなるから「これがマイナーだ」って言って、みんな「おおー」となってね。
YO-KING:そうだよね。
桜井:それでメジャーとマイナーを弾きわけて「ポップミュージックにはこういうものがあって」みたいな説明をして。それで音楽室にどういうわけかドラムセットとエレキギターとエレキベースとアンプとかがあったわけ。
YO-KING:すごいね!
桜井:最初は「好きな楽器を触れ」と言われて最初の半年は遊んでるだけだったけど、そこからそれぞれ楽器を買って班を作って、最後にみんなで発表会をやることになったの。それをクラスでやって、卒業式の間近に体育館に全校生徒を集めてクラス代表のバンドで演奏して。それが高校受験の間の本当に楽しいひとときだった。
YO-KING:音楽とか美術の先生って独特な人が多かったよね。
桜井:多かった。まさにRCサクセションの『ぼくの好きな先生』みたいな先生だった。その音楽の先生の授業があったおかげで、高校に入ったらギターをやって友だちとバンドをやることになったんだよね。
真心ブラザーズの結成は「勝ち抜きフォーク合戦」がきっかけ
その後、桜井は大学に入学。当時はバンドブームだった。桜井は「そのとき憧れていた先輩の同級生に大木(知之)さんがいて、大木さんの双子の兄の温之さんがThe ピーズというパンクバンドを始めたことを耳にした」と話す。桜井:サークルの部室でThe ピーズの最新のデモテープを聴かせてもらって、そのThe ピーズのギターが超カッコよくて。アビさん(安孫子義一)ですよ。
YO-KING:はいはい。
桜井:そこから、アビさんの背中を追うようになったわけ。
音楽サークルの1学年先輩にはYO-KINGもいたが、そのときはお互いが別々のバンドを組んでいたという。
桜井:YO-KINGは大学3年のときサークルの代表をして、次の年に俺が代表になったんですよね。そのときにとある民放局から「1989年4月からテレビのバラエティ番組で勝ち抜きフォーク合戦というコーナーを始める」と連絡がきたんですね。当時はフォークをやっている人はほとんどいなかったけど、フォークをやっている人たちを勝ち抜き形式で戦わせるコーナーだからそちらのサークルに面白い人がいませんか、とサークルの代表の俺が電話を受けて。YO-KING先輩が吉田拓郎さんをはじめとするフォークに通じていることを知っていたので、俺は全然詳しくないけどYO-KING先輩と組んだら面白いかなって思って、「すごいのがいます」と答えたんですね。
YO-KING:なるほど。
桜井:それからオークションに行って、それが通ってその番組の第一回目から出場したら10週連続勝ち抜いちゃって、グランドチャンピオンになってしまって。なっちゃったら番組もほっとけなくなって、レコード会社の人に連絡して「こいつらで一枚シングルを出させてくれ」とお願いして『うみ』という曲が出たんです。で、ざっくり言うと今に至るという(笑)。
YO-KING:あはは(笑)。
YO-KINGは勝ち抜きフォーク合戦のエピソードを紹介。音楽サークルの部室にあったぼろぼろのアコースティックギターで出たこともあったと明かす。
YO-KING:ぼろぼろのアコギだから弦が一本なかったりするんだよね(笑)。
桜井:そのまま出て、審査員にツッコまれるのを待ってたりね。
YO-KING:弦がさびてるから押さえたら指が痛くて、今なら「弦変えろや」って思うけど。
桜井:でもその感じが、審査員長をしていただいてた、かまやつひろしさんにすごく面白がられて、いろいろえこひいきとかアドバイスをたくさんいただいて、デビュー後もちょくちょくいろんな番組でお世話になって刺激をいただきましたね。
YO-KING:審査員長がかまやつひろしさんだったってことも、またツイてるよね。
「そもそもフォーク好きだっけ?」バンドの方向転換
あれよあれよという間に始まった真心ブラザーズだが、3、4年でやることがなくなり、立ち行かなくなってしまった。YO-KING:無理やり曲を作ったりしてね。
桜井:「そもそもフォーク好きだっけ?」とかいろんなことがあって、遊び尽くしたって感じがあったよね。
YO-KING:たしかに。
桜井:そんななか、YO-KINGさんがヒップホップとかオルタナティブロックとか、めちゃくちゃはじけた当時の最新の音楽が好きになって、曲を作るスタイルが全く変わってきて、その変化が僕はすごく面白かったの。このYO-KINGさんの変わり方をなんとか音楽のトラックにできないかなと。いろいろやって1995年に『KING OF ROCK』っていう結構ゴリゴリのオルタナティブロックのアルバムができて、それがまわりのバンド仲間には好評でちょっと風向きが変わってきて、こっちも「新しい遊びを見つけた」って感じでそっちの方に行って、またエンジンがまわり始めたみたいな。
『KING OF ROCK』で手応えをつかんだものの、真心ブラザーズが次にリリースしたシングルはポップソングの『サマーヌード』だった。
桜井:その攻め方こそがロックだ、みたいな思いもあったんだけど、そこで作った『サマーヌード』が今でも真心ブラザーズの活動のひとつの大きな柱になるんだよね。
YO-KING:『KING OF ROCK』でゴリゴリのやつをやってからの『サマーヌード』だったから面白くて。『KING OF ROCK』がなくてそのまま『サマーヌード』だと微妙だったよね。それで『サマーヌード』はそこそこ話題にはなったんだけどそんなに売れもせず、その2年後に出した『ENDLESS SUMMER NUDE』がちょっと売れたと。
両国国技館は独特の気がある場所
真心ブラザーズは、2022年3月5日(土)、6日(日)に東京・両国国技館にて豪華アーティストがギター弾き語りで共演するライブイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」に出演。真心ブラザーズの出演は3月5日。桜井:このイベントには過去2回出させていただいてます。2019年と2020年。
【2020年の写真】真心ブラザーズ、両国国技館で“どか~ん”と楽しく
YO-KING:やっぱり両国国技館っていう場所がインパクトありますよね。
桜井:やっぱりね。普段、人生をかけて戦っているお相撲さんたちの場所と360度で楽しんでるお客さんの培った気みたいなものがあるよなって。
YO-KING:それはあるよね。演者としては弾き語りのライブだからね。中央にステージがあるから音出しが難しいかなと思いきや、普通にやりやすいんだよね。
桜井:独特の深いエコーがあって。
YO-KING:そうね。
桜井:2019年は我々が幹事という役を仰せつかったよね。
YO-KING:コロナ前にね。
【2019年の写真】真心ブラザーズ、30年の絆が光る息の合ったパフォーマンス!
桜井:楽しい打ち上げを仕切らせてもらったりね。そのときに冗談で「行司のカッコをやらせてください」って言ったら本当に用意してくれてね。
YO-KING:カッコよかった。まさかその後、あんなことになるとはな。
桜井:どんなこと!?
YO-KING:あはは(笑)。
桜井:今年も楽しみですね。
「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2022 supported by 奥村組」の詳細は公式サイトまで。
真心ブラザーズの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。
『TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA』はさまざまなゲストを迎えて、お互いの音楽人生の系譜を辿りながら、時には生演奏を交えつつ展開する貴重なトーク&ライブセッションを放送。ラジオの中の追加公演=エクストラを発信していく。放送はJ-WAVEで土曜16時から。
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2022年2月12日28時59分まで
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番組情報
- TOKYO GUITAR JAMBOREE EXTRA
-
毎週土曜16:00-16:54
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真心ブラザーズ(2月マンスリーナビゲーター)