藤原ヒロシが、雑誌編集時代を振り返り、自身の想いなどを語った。
藤原が登場したのは、9月4日(金)放送のJ-WAVE『START LINE』(ナビゲーター:haru. & miya〈代演〉)の「AWESOME COLORS」。自分らしく輝くゲストのストーリーを掘り下げるコーナーだ。
7月から、お休み中の長谷川ミラに代わり、J-WAVE『START LINE』のナビゲーターを務めてきた『HIGH(er)magazine』編集部のharu.とmiya。この日の放送が、ふたりがナビゲーターを務める最終回となった。
また、J-WAVE『BLUE IN GREEN』内のコーナー「JUN THE CULTURE」(毎週土曜 13:30-13:50)のナビゲーターを務める。コーナー冒頭、ナビゲーターのmiyaは、haru.と藤原は交流があると話す。
haru.:交流があるんです。
藤原:ギターを教えました
haru.:そうなんです。ギターを教えていただいて、ボサノヴァユニットを組みました(笑)。
藤原:ライブやらないと(笑)。
haru.:(笑)。こっそりオフィスでも練習したんですよ。
miya:だからギターがあったんだ!
藤原:上達しましたか?
haru.:もうちょっと練習が必要ですね。
haru.と藤原の交流には、haru.のパートナーが関係しているという。
haru.:私のパートナーのTaiTanが、(藤原)ヒロシさんとポッドキャスト番組をやっていて。
miya:上出遼平さんと、3人でやっていらっしゃる『BAD PHARMACY』というポッドキャストですね。
藤原:そうです。
miya:その番組をきっかけに、よくみんなでごはんに行かれたりしているという話を聞いています。
藤原:あのふたり(TaiTan、上出遼平)には本当に感謝しているんですよ。
haru.・miya:へぇ〜!
藤原:年齢が全然違うけれど、彼らのおかげで『BAD PHARMACY』でいろいろな話ができて、面白い情報を吸収したりできるので。
miya:3人の会話がすごく好きで、私も聴いてます。言っていることがそれぞれバラバラで……。
haru.:バラバラなのがいいですよね。
藤原:全員がお互いに対して興味がなくて、僕もあまり興味がないので、それがいいなと思います(笑)。
haru.とmiyaは東京・神保町の古本屋で、雑誌『CUTiE』のバックナンバーを買い込んで来たという。藤原は1980年代末から1990年代中期にかけて、同誌で「HFA(Hiroshi Fujiwara Adjustment)」という連載を担当していた。
miya:ページがすごくかわいくて、楽しく読みました。
haru.:ファッションやカルチャー、音楽など、ヒロシさんがいろいろなものを紹介されている企画ですよね。そこにご友人の方たちがたくさん出られていますが、これは「友人たちと盛り上げる」みたいな意図はあったんですか?
藤原:あまりなかったんですが、「僕らが面白いと思っているものを共有したい」という思いはあったと思います。
haru.:私は大人になってからヒロシさんのことを知ったので、ヒロシさんはおひとりでトレンディな人というイメージが強かったんです。でも知っていくほど、雑誌みたいな人で、そこにいろいろな人が出入りしているような感じだと思いました。
藤原:そうですね。18歳くらいから雑誌やメディアに関わる仕事ができるようになって、僕自身、編集みたいなものがすごく好きなんですね。だから、音楽にしても洋服にしてもイチから自分で作り上げるのではなく、人のものを使ったり意見を聞いたりして編集していくような作り方だなと、今わかった感じですが、その源流がこういう雑誌の連載とかにあると思います。
haru.:クリエイターって、ゼロからイチを作るほうがいいとされていたりするじゃないですか。
miya:私もそう思っちゃうし、私はゼロ→イチがあまり得意じゃないというか。
藤原:僕もですよ。
haru.:私もだなと思いました。そこに対して、「ゼロ→イチをやらなきゃいけないのかな」と思っていた時代もありましたか?
藤原:あまりなかったかもしれないですね。DJやリミックスが出てきたときでしたし、そもそもDJは人の曲をかけて自分の空気感を作るという、まさに編集なので、そっちのほうが楽しいし、面白いし、かっこいいなと思っていました。
haru.:『CUTiE』の連載をやられていたころの雑誌の盛り上がり方やカルチャーの感じは、どういう雰囲気でしたか?
藤原:いい意味で、かなり敵対していた感じがします。『JJ』と『anan』は読者も全然違うし、たぶんお互いが敬遠していて、仲よくなれないようなタイプの人たち。メンズ雑誌でも、たとえばアイビーをずっといく『MEN'S CLUB』があったり、ポップカルチャーを出してくる『POPEYE』があったりと、けっこうそれぞれが自分勝手なことをやっていた感じがします。
haru.:ヒロシさんは『MEN'S NON-NO』でも連載をやられていましたよね?
藤原:『MEN'S NON-NO』の連載は1995年からですね。そのときも、敵地に乗り込む感じでやっていたんですよ。
藤原:自分が面白いと思ったものを紹介していくページだったので、しかもそれを好きだったり共感したりしてくれる人たちが少人数でも集まっているので、小さくても熱があるんですよね。今、『HIGH(er)magazine』をやっていても、みんなで集まって夜遅くまで作業をしたりするのは面白くないですか?
haru.:面白いです。
藤原:そういうのが僕はすごく楽しかったんです。『CUTiE』などは自分がメインでやっていたけど、1980年代前半のころも、夜中まで編集部にいることがすごく楽しかったですね。
藤原はさまざまな雑誌の編集に関わってきて、現在も「編集が好き」だと話す。『CUTiE』で連載をしていた当時と現在のメディアを比べ、今、感じていることを語った。
藤原:メディアのよさは「一方通行だったこと」だと思います。今、SNSで知らない人のコメントがあって、自分も意見してという、両方向のものはコミュニティではあるけどメディアではないかなと思っていて。メディアはあくまで一方通行のほうが楽だし、楽しいかなと思います。
haru.:先ほども仰っていたように、雑誌は「自分たちは今すごく楽しんでいる」みたいな、その瞬間が凝縮してできている気がします。それを届けるのは、情報を届けているというより、熱量や物事への向き合い方、態度みたいなものにいろいろな人が共感して「自分もそこに行ったら楽しいんじゃないか」と(思わせることで)、それを常にみんなヒロシさんに感じ続けているのかなと思います。
藤原:だから、「自分が楽しんでいる」というのを表現できるのがいちばんいいですよね。「これが流行っているから出す」とか「儲かりそうだから出す」とかじゃなくて、純粋に自分が好きなものをみんなで共有できるのがいちばんいいかと思います。
haru.:ちなみに、ヒロシさんのように何十年経っても、いまだに最先端で走り続けている方たちの持っている感覚みたいなものは、当時から感じていましたか?
藤原:いや、感じてないですね(笑)。でも1990年代以降、2000年くらいでガラっと変わったのはすごく感じました。
haru.・miya:えぇ~!?
藤原:いいとか悪いとかではなく、起業家ブームになっていちばんのトレンドがお金になったのを強く感じました。起業家の方と仕事をするようになって打ち合わせをしていても、お金を儲けるために何かを作る。僕らのときはバブルだったのか景気がよかったのか、お金のことをあまり心配しなくてよかったんですよね。
haru.:ヒロシさんも、好きなことをやっていたら仕事になっていた感じですか?
藤原:そうですね。たぶんお金もそんなにいらなかったんですよ。お金がないときは、外に出たら年上の人がおごってくれたり(笑)。
haru.:そのあいだ、変な人は寄ってこなかったですか(笑)?
藤原:寄ってこなかったですけど、「この商品を紹介してください」といったタイアップのオファーはありました。でも、僕は一切やらなかった。それでみんなの信頼が深まったのかもしれませんね。
藤原:「HFA」の連載のまとめなのですが、だいたいまとめると過去の写真集みたいになってしまうというか、全部のアーカイブを出しますよね。今回はアーカイブの写真とかはあまり出ていなくて、当時の話を友だちの編集者が取材して書いてくれたり、当時の人を取材して思い出したりしながら作りました。
miya:今いちばん読みたいです。『HIGH(er)magazine』ももうすぐ最新号が出ますが、その取材先で『CUTiE』のこともいろいろとお伺いしました。編集といっても、当時はIllustratorを使うのではなく切り貼りしてデザインしていたというお話も聞いていたので、ヒロシさんのお話で点と点がつながっていくような感覚になりましたし、当時のお話が載っているのはドキドキワクワクです!
haru.:めちゃくちゃ楽しみです!
藤原:さっきも言ったように『anan』はすごくおしゃれで、『JJ』はある意味、コンサバでちょっと男の人に寄りかかるような女性像だったりもするなかで、『CUTiE』はいい意味でダサいというか、雑多だったんです。いろいろなものがあってOKで、めちゃくちゃロックな格好をしている人もいれば、上から下までVivienne Westwoodの人もいるし、雑多感のエネルギーがすごくあったと思うんですよね。
haru.:読者の人が大集合した表紙の号がありましたが、みなさんがそれぞれのファッションをしていて、パンクっぽい子もいればすごくかわいい感じの服装の人もいたり、こんなにみんなをまとめ上げていたんだと思いました。
藤原:『JJ』や『anan』で相手にされない変わった人たちの集合体というか、マイノリティ同士の集合体だったんだと思うんですよ。そこがエネルギーの源だった気がしますね。
haru.は、『HIGH(er)magazine』の最新号では「ロールモデル」をテーマにしていると話す。そのテーマに合わせて、藤原にも先輩のような存在はいたのかを尋ねる。
藤原:先輩という意識があったかどうかわからないですけど、僕は18歳から業界に出入りしていたので、全員先輩で。たぶん、すごく生意気な子どもだったと思いますが、それでもよくしてもらっていましたね。
haru.:ヒロシさんの活動に直接影響を与えた人はいましたか?
藤原:ガッツリ影響というのは実際なかったかもしれない。「この人からこういう影響を受けた」というのはあったと思います。
haru.:どのようなプログラムなのでしょうか?
藤原:まさにフェイクの大学というか、講義をするようなものです。第1期は僕ひとりと准教授の人たちと作り上げていたのですが、僕は自分がやってきたものにそんなに興味がないので、質問されたら答えられるんですけど自分から話すことはまずないんです。それよりも自分が「面白い」と思っていることをみんなで共有するという、まさに(『CUTiE』連載)当時と同じようなことなのですが、それをちょっと授業っぽくやっているような感じですね。
haru.:『CUTiE』の「HFA」と、内容はそんなに大きく変わらないということですね。
藤原:はい。そのなかで、ファッションだけではなくて、もうちょっと面白いいろいろな話をしようと思っています。
haru.:それをやるのは、下の世代に何かを残したり、バトンタッチしたい意識があったりするからですか?
藤原:あまりそういう意識はないんですよね。生徒も全員が若いわけではなくて、この前は17歳から50歳くらいまで、若い高校生や大学生もいれば、僕と同世代くらいの人もいました。
haru.:では、下の世代とかはあまり意識せずに?
藤原:全然、意識していないですね。
haru.:並走するみたいな感じですか。
藤原:うん。下の人たち、若い子たちとごはんを食べていても「うれしい」とか言われるけど、それよりも「僕みたいな60歳を過ぎている人が、こんな若い人の話をタダで聴けるなんて、こっちのほうが感謝です」という感じです。
「FRAGMENT UNIVERSITY」は開講に先駆け、9月18日(金)にオープンキャンパスを開催する。詳細は公式サイトまで。
藤原ヒロシの最新情報はInstagram公式アカウント(@fujiwarahiroshi)まで。
9月11日からのJ-WAVE『START LINE』は、お休み中の長谷川ミラに代わって、モデルの平松里菜がナビゲート。オンエアは、毎週金曜16時30分から。
藤原が登場したのは、9月4日(金)放送のJ-WAVE『START LINE』(ナビゲーター:haru. & miya〈代演〉)の「AWESOME COLORS」。自分らしく輝くゲストのストーリーを掘り下げるコーナーだ。
7月から、お休み中の長谷川ミラに代わり、J-WAVE『START LINE』のナビゲーターを務めてきた『HIGH(er)magazine』編集部のharu.とmiya。この日の放送が、ふたりがナビゲーターを務める最終回となった。
編集は楽しく、面白くてかっこいい
藤原ヒロシは、1980年代からクラブDJとしての活動をスタートし、1985年には高木 完とのヒップホップユニット、タイニー・パンクスを結成。日本のヒップホップ黎明期に活躍し、1990年代からは音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーとして活動の幅を広げ、さまざまなミュージシャンとの演奏活動を継続的に行っている。また、J-WAVE『BLUE IN GREEN』内のコーナー「JUN THE CULTURE」(毎週土曜 13:30-13:50)のナビゲーターを務める。コーナー冒頭、ナビゲーターのmiyaは、haru.と藤原は交流があると話す。
haru.:交流があるんです。
藤原:ギターを教えました
haru.:そうなんです。ギターを教えていただいて、ボサノヴァユニットを組みました(笑)。
藤原:ライブやらないと(笑)。
haru.:(笑)。こっそりオフィスでも練習したんですよ。
miya:だからギターがあったんだ!
藤原:上達しましたか?
haru.:もうちょっと練習が必要ですね。
haru.と藤原の交流には、haru.のパートナーが関係しているという。
haru.:私のパートナーのTaiTanが、(藤原)ヒロシさんとポッドキャスト番組をやっていて。
miya:上出遼平さんと、3人でやっていらっしゃる『BAD PHARMACY』というポッドキャストですね。
藤原:そうです。
miya:その番組をきっかけに、よくみんなでごはんに行かれたりしているという話を聞いています。
藤原:あのふたり(TaiTan、上出遼平)には本当に感謝しているんですよ。
haru.・miya:へぇ〜!
藤原:年齢が全然違うけれど、彼らのおかげで『BAD PHARMACY』でいろいろな話ができて、面白い情報を吸収したりできるので。
miya:3人の会話がすごく好きで、私も聴いてます。言っていることがそれぞれバラバラで……。
haru.:バラバラなのがいいですよね。
藤原:全員がお互いに対して興味がなくて、僕もあまり興味がないので、それがいいなと思います(笑)。
haru.とmiyaは東京・神保町の古本屋で、雑誌『CUTiE』のバックナンバーを買い込んで来たという。藤原は1980年代末から1990年代中期にかけて、同誌で「HFA(Hiroshi Fujiwara Adjustment)」という連載を担当していた。
miya:ページがすごくかわいくて、楽しく読みました。
haru.:ファッションやカルチャー、音楽など、ヒロシさんがいろいろなものを紹介されている企画ですよね。そこにご友人の方たちがたくさん出られていますが、これは「友人たちと盛り上げる」みたいな意図はあったんですか?
藤原:あまりなかったんですが、「僕らが面白いと思っているものを共有したい」という思いはあったと思います。
haru.:私は大人になってからヒロシさんのことを知ったので、ヒロシさんはおひとりでトレンディな人というイメージが強かったんです。でも知っていくほど、雑誌みたいな人で、そこにいろいろな人が出入りしているような感じだと思いました。
藤原:そうですね。18歳くらいから雑誌やメディアに関わる仕事ができるようになって、僕自身、編集みたいなものがすごく好きなんですね。だから、音楽にしても洋服にしてもイチから自分で作り上げるのではなく、人のものを使ったり意見を聞いたりして編集していくような作り方だなと、今わかった感じですが、その源流がこういう雑誌の連載とかにあると思います。
haru.:クリエイターって、ゼロからイチを作るほうがいいとされていたりするじゃないですか。
miya:私もそう思っちゃうし、私はゼロ→イチがあまり得意じゃないというか。
藤原:僕もですよ。
haru.:私もだなと思いました。そこに対して、「ゼロ→イチをやらなきゃいけないのかな」と思っていた時代もありましたか?
藤原:あまりなかったかもしれないですね。DJやリミックスが出てきたときでしたし、そもそもDJは人の曲をかけて自分の空気感を作るという、まさに編集なので、そっちのほうが楽しいし、面白いし、かっこいいなと思っていました。
haru.:『CUTiE』の連載をやられていたころの雑誌の盛り上がり方やカルチャーの感じは、どういう雰囲気でしたか?
藤原:いい意味で、かなり敵対していた感じがします。『JJ』と『anan』は読者も全然違うし、たぶんお互いが敬遠していて、仲よくなれないようなタイプの人たち。メンズ雑誌でも、たとえばアイビーをずっといく『MEN'S CLUB』があったり、ポップカルチャーを出してくる『POPEYE』があったりと、けっこうそれぞれが自分勝手なことをやっていた感じがします。
haru.:ヒロシさんは『MEN'S NON-NO』でも連載をやられていましたよね?
藤原:『MEN'S NON-NO』の連載は1995年からですね。そのときも、敵地に乗り込む感じでやっていたんですよ。
メディアのよさは「一方通行であること」
haru.:ヒロシさんとお話をしたり関わったりしていくなかで、純粋に「楽しい」とか「心が動く」みたいなことを大切にされていて、それを選んで、紹介されているのかなと思いました。藤原:自分が面白いと思ったものを紹介していくページだったので、しかもそれを好きだったり共感したりしてくれる人たちが少人数でも集まっているので、小さくても熱があるんですよね。今、『HIGH(er)magazine』をやっていても、みんなで集まって夜遅くまで作業をしたりするのは面白くないですか?
haru.:面白いです。
藤原:そういうのが僕はすごく楽しかったんです。『CUTiE』などは自分がメインでやっていたけど、1980年代前半のころも、夜中まで編集部にいることがすごく楽しかったですね。
藤原はさまざまな雑誌の編集に関わってきて、現在も「編集が好き」だと話す。『CUTiE』で連載をしていた当時と現在のメディアを比べ、今、感じていることを語った。
藤原:メディアのよさは「一方通行だったこと」だと思います。今、SNSで知らない人のコメントがあって、自分も意見してという、両方向のものはコミュニティではあるけどメディアではないかなと思っていて。メディアはあくまで一方通行のほうが楽だし、楽しいかなと思います。
haru.:先ほども仰っていたように、雑誌は「自分たちは今すごく楽しんでいる」みたいな、その瞬間が凝縮してできている気がします。それを届けるのは、情報を届けているというより、熱量や物事への向き合い方、態度みたいなものにいろいろな人が共感して「自分もそこに行ったら楽しいんじゃないか」と(思わせることで)、それを常にみんなヒロシさんに感じ続けているのかなと思います。
藤原:だから、「自分が楽しんでいる」というのを表現できるのがいちばんいいですよね。「これが流行っているから出す」とか「儲かりそうだから出す」とかじゃなくて、純粋に自分が好きなものをみんなで共有できるのがいちばんいいかと思います。
haru.:ちなみに、ヒロシさんのように何十年経っても、いまだに最先端で走り続けている方たちの持っている感覚みたいなものは、当時から感じていましたか?
藤原:いや、感じてないですね(笑)。でも1990年代以降、2000年くらいでガラっと変わったのはすごく感じました。
haru.・miya:えぇ~!?
藤原:いいとか悪いとかではなく、起業家ブームになっていちばんのトレンドがお金になったのを強く感じました。起業家の方と仕事をするようになって打ち合わせをしていても、お金を儲けるために何かを作る。僕らのときはバブルだったのか景気がよかったのか、お金のことをあまり心配しなくてよかったんですよね。
haru.:ヒロシさんも、好きなことをやっていたら仕事になっていた感じですか?
藤原:そうですね。たぶんお金もそんなにいらなかったんですよ。お金がないときは、外に出たら年上の人がおごってくれたり(笑)。
haru.:そのあいだ、変な人は寄ってこなかったですか(笑)?
藤原:寄ってこなかったですけど、「この商品を紹介してください」といったタイアップのオファーはありました。でも、僕は一切やらなかった。それでみんなの信頼が深まったのかもしれませんね。
『CUTiE』のエネルギーの源は“雑多感”
『CUTiE』で藤原が連載していた「HFA」をまとめた書籍『ザ・シーズン・オブ・HFA』が10月7日(水)に発売される。藤原:「HFA」の連載のまとめなのですが、だいたいまとめると過去の写真集みたいになってしまうというか、全部のアーカイブを出しますよね。今回はアーカイブの写真とかはあまり出ていなくて、当時の話を友だちの編集者が取材して書いてくれたり、当時の人を取材して思い出したりしながら作りました。
miya:今いちばん読みたいです。『HIGH(er)magazine』ももうすぐ最新号が出ますが、その取材先で『CUTiE』のこともいろいろとお伺いしました。編集といっても、当時はIllustratorを使うのではなく切り貼りしてデザインしていたというお話も聞いていたので、ヒロシさんのお話で点と点がつながっていくような感覚になりましたし、当時のお話が載っているのはドキドキワクワクです!
haru.:めちゃくちゃ楽しみです!
藤原:さっきも言ったように『anan』はすごくおしゃれで、『JJ』はある意味、コンサバでちょっと男の人に寄りかかるような女性像だったりもするなかで、『CUTiE』はいい意味でダサいというか、雑多だったんです。いろいろなものがあってOKで、めちゃくちゃロックな格好をしている人もいれば、上から下までVivienne Westwoodの人もいるし、雑多感のエネルギーがすごくあったと思うんですよね。
haru.:読者の人が大集合した表紙の号がありましたが、みなさんがそれぞれのファッションをしていて、パンクっぽい子もいればすごくかわいい感じの服装の人もいたり、こんなにみんなをまとめ上げていたんだと思いました。
藤原:『JJ』や『anan』で相手にされない変わった人たちの集合体というか、マイノリティ同士の集合体だったんだと思うんですよ。そこがエネルギーの源だった気がしますね。
haru.は、『HIGH(er)magazine』の最新号では「ロールモデル」をテーマにしていると話す。そのテーマに合わせて、藤原にも先輩のような存在はいたのかを尋ねる。
藤原:先輩という意識があったかどうかわからないですけど、僕は18歳から業界に出入りしていたので、全員先輩で。たぶん、すごく生意気な子どもだったと思いますが、それでもよくしてもらっていましたね。
haru.:ヒロシさんの活動に直接影響を与えた人はいましたか?
藤原:ガッツリ影響というのは実際なかったかもしれない。「この人からこういう影響を受けた」というのはあったと思います。
架空の大学プログラムの第2期が11月に開講
藤原は11月より、架空の大学プログラム「FRAGMENT UNIVERSITY」第2期を開講する。2023年以来、3年ぶりとなる今期のテーマは「一般教養(非一般教養)」だという。haru.:どのようなプログラムなのでしょうか?
藤原:まさにフェイクの大学というか、講義をするようなものです。第1期は僕ひとりと准教授の人たちと作り上げていたのですが、僕は自分がやってきたものにそんなに興味がないので、質問されたら答えられるんですけど自分から話すことはまずないんです。それよりも自分が「面白い」と思っていることをみんなで共有するという、まさに(『CUTiE』連載)当時と同じようなことなのですが、それをちょっと授業っぽくやっているような感じですね。
haru.:『CUTiE』の「HFA」と、内容はそんなに大きく変わらないということですね。
藤原:はい。そのなかで、ファッションだけではなくて、もうちょっと面白いいろいろな話をしようと思っています。
haru.:それをやるのは、下の世代に何かを残したり、バトンタッチしたい意識があったりするからですか?
藤原:あまりそういう意識はないんですよね。生徒も全員が若いわけではなくて、この前は17歳から50歳くらいまで、若い高校生や大学生もいれば、僕と同世代くらいの人もいました。
haru.:では、下の世代とかはあまり意識せずに?
藤原:全然、意識していないですね。
haru.:並走するみたいな感じですか。
藤原:うん。下の人たち、若い子たちとごはんを食べていても「うれしい」とか言われるけど、それよりも「僕みたいな60歳を過ぎている人が、こんな若い人の話をタダで聴けるなんて、こっちのほうが感謝です」という感じです。

藤原ヒロシの最新情報はInstagram公式アカウント(@fujiwarahiroshi)まで。
9月11日からのJ-WAVE『START LINE』は、お休み中の長谷川ミラに代わって、モデルの平松里菜がナビゲート。オンエアは、毎週金曜16時30分から。
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