音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」
「生と死のあいだに食がある」、元『dancyu』編集長・植野広生が初エッセイで綴る“家族と食の原点”

「生と死のあいだに食がある」、元『dancyu』編集長・植野広生が初エッセイで綴る“家族と食の原点”

食の雑誌『dancyu』の元編集長で文筆家の植野広生が、本棚に残したいお気に入りの書籍を紹介し、初のエッセイ本『父の棺に焼きそばを』(小学館)について語った。

植野が登場したのは、8月9日(日)放送のJ-WAVE『ACROSS THE SKY』(ナビゲーター:祷キララ〈代演〉)の「DAIWA HOUSE MY BOOKSHELF」。本棚からゲストのクリエイティヴを探るコーナーだ。

この日の『ACROSS THE SKY』はお休みの小川紗良に代わり、祷キララがナビゲーターを担当。「DAIWA HOUSE MY BOOKSHELF」は事前収録のため、小川紗良のナビゲートでお届けした。

読み継がれていく本の役割

植野広生は1962年生まれ、栃木県出身。大学卒業後、新聞社などを経て、2001年にプレジデント社へ入社。『dancyu』では、2017年から2023年まで編集長を務める。2024年に独立し、現在は文筆家、食のアドバイザー、プロデューサーなど、幅広く活動している。

「DAIWA HOUSE MY BOOKSHELF」では、ゲストの本棚の写真を見ながらトークを展開する。植野はまず、「残しておきたい本は100冊ぐらいまで」と決めている理由を語る。

植野:実は、しばらく前から本の整理をしていまして。知り合いに、山梨のあちこちに小さな図書館を作って、そこに本を置いて地元の子どもたちや地域の人たちに読んでもらいたいと考えている方がいるんです。なので、自分も段ボール箱に本を詰めて送ったりしたんですよ。

小川:そこに行ったら、もともとあった本を読めるかもしれないんですね。

植野:僕は今63歳で、これまで読んできた本を手元に置いておきたいという気持ちもあるんですけど、「100冊ぐらいでいいかな」と思い始めてきて。

小川:自分にとって必要な本だけ、ということですか?

植野:そうなんですよ。それ以上は置いておいても、本に申し訳ないというか。たぶん、読み返さないものもけっこうあるわけですよ。だったら自分のところに置いておくよりも、そういう図書館とか人の目に触れるところに渡したほうが、本にとっていいんじゃないかなっていうのを思い始めています。

小川:受け継いでいくというのも本の魅力ですよね。

植野:僕はもともと雑誌の編集者でもあったので、本ってやっぱり読まれないと意味がないというか、読み継がれないと意味がないと思っています。

何度読んでも心を揺さぶる歌集

植野は「最近読んだなかで本棚に残したいと思った本」として、小坂井大輔の歌集『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房)を挙げ、「ここ10年ほどでもっとも衝撃的な本です」と紹介する。

植野:短歌というか、自由短歌みたいな感じなんです。読んでいる人が想像できるような場面のなかで、気づかなかったことに気づかされるだけではなく、その先の妄想まで広げてくれる。面白くて、言葉の選び方もすごいんですよ。

植野は『平和園に帰ろうよ』について、爽やかな読後感のある作品ではないと語る。むしろ悶々としたものが残り、心が洗われるというよりも、心の中を大波でかき回されたような不思議な感覚になるという。だからこそ、本棚に置いておきたくなる1冊であり、読み返すたびに心が大波にさらわれるような感覚を味わえる、不思議な魅力を持った本だと説明した。

植野:しかも小坂井さんは、名古屋で「平和園」という町中華をやっているんですよ。あまりにもこの本を読んで衝撃的だったので、実際にお店へ行って食べてきました。

小川:すごいですね! それもセットで、気になる方はぜひ読んでみてください。

父母の記憶からたどる「食」の原点

7月22日、植野は初のエッセイ『父の棺に焼きそばを』(小学館)を発売した。父母との思い出から、自身の食の原点を振り返るほか、おいしい食べ方やレシピ、好きな店など、食にまつわる思いも綴っている。

小川:お父様が焼きそば屋さんをされていたんですよね?

植野:そうなんです。2024年、父が亡くなりまして。もともと父は新聞記者だったんですけど、新聞記者を辞めて、家業の焼きそば屋を継いだんです。最終的には母とふたり暮らしになったので、父と母の思い出を振り返りながら、それが僕の食の原点だったんだということにあらためて気づかされました。そして、食というのが本当に生と死をつなぐ重要なものなんだということも思い返したので、それをエッセイにしてみました。

植野によると、父親は若いころから大酒飲みで、母親にもたくさん苦労をかけていたという。そんな父親は、常々「人は生まれることは決められないが、死に方は自分で決められる」と話していたそう。

植野:最後は自宅で東向きに、畳の上で死にたいと言っていたんです。しかも、「できれば桜のころに死にたい」と。ほぼ、そのとおりになりました。胃がんで亡くなったんですが、亡くなる直前まで89歳とは思えないくらい、普通に酒も飲んでいたんです。それが、生まれて初めて受けた胃カメラの検査でがんが見つかって、がんセンターに行くことになりました。父も覚悟を決めていたのか、「私の残りの人生は、あと半年ぐらいですか、1年ぐらいですか?」と訊いたら、お医者さんから「あと2、3週間です」と言われたんです。

小川:急ですよね。

植野:突然「あと2、3週間しか生きられない」という宣告を受けた父が、その後どうしたのか。ちょっとシビアな目で見てしまう部分もあるんですけど、「やれないことはもう諦める。やれることをやる」と言って。最後は本当に飲み込むのがつらいからと、「もう断食する。食べない。水しか飲まない」と言って、1週間後に亡くなったんです。子どもから見ても、武士のような潔さがありました。一方で、新聞記者を辞めて焼きそば屋になったことについて、父自身にもいろいろと忸怩(じくじ)たるものがあったんだと思います。覚悟を決めきれなかった部分のようなものも、言動の端々から感じられました。僕はずっと食の話をベースに仕事をしてきて、「生きる」ということ、「死ぬ」ということ、そしてそのあいだにある「食」というものを、現実の出来事としてすごく考えさせられたんですね。

小川:その後のお母様の介護についても書かれていますよね。今、同じように介護をされている方も多いと思うので、参考になるところや励まされる部分も多いのかなと思いました。

植野:そうですね。母親はリウマチがあって、若いころから手足が不自由だったりして。最後は、父母ふたり暮らしで、末期がんの父親がリウマチの母親の食事を作るという、老老介護の最先端みたいな状況だったんです。でも、母は父に頼って生きてきたので、父が亡くなって残された母がひとり暮らしをすることはできない。そこで施設に入ってもらったんですが、やっぱり父を思って生きている部分と、現実的に父がいない世界で生きていくという、その変化みたいなものがあるんですよね。僕は自宅でずっと介護していたわけではないですが、手足が不自由なひとりの老人がどうなるのかということも含めて、本当に介護問題、老後問題の現実を突きつけられました。母親はまだ施設にいるので現在進行形ではありますが、そんなことも後半では書かせてもらいました。

小川:介護の話もそうですし、すべての章に食に関する話や料理の話が出てきますので、ぜひみなさん読んでみてください。

植野広生の最新情報はX公式アカウント(@uenokousei1962)まで。

『ACROSS THE SKY』のコーナー「DAIWA HOUSE MY BOOKSHELF」では、本棚からゲストのクリエイティブを探る。オンエアは10時5分ごろから。

この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。

  • 新規登録簡単30
  • J-meアカウントでログイン
  • メールアドレスでログイン
番組情報
ACROSS THE SKY
毎週日曜
9:00-12:00