俳優の斎藤 工が、監督業を始めた経緯や、ユニークな撮影スタイルについて語った。
斎藤が登場したのは、4月26日(日)放送のJ-WAVE『ACROSS THE SKY』(ナビゲーター:小川紗良)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」。ピアニスト・角野隼斗が、音楽を通じたさまざまな“出会い”をもとに、楽曲とトークをお届けするコーナーだ。
この日の放送は5/3(日)28時ごろまで、radikoのタイムフリー機能で楽しめる。
【関連記事】>斎藤 工の俳優人生を変えた父の言葉とは? 角野隼斗がJ-WAVEで初対談
今回はまず角野が、斎藤に監督業のはじまりについて訊いた。
角野:監督の仕事を始められたのはいつごろですか?
斎藤:20代の最後だったので、29歳ぐらいのときです。企画で「映像を撮ってみないか」という話があって。ただ、僕は20代のころは俳優の仕事が全然なくて、いわゆる下積みという時代だったんですね。
そのような状況のなかで、唯一レギュラーのように続いていた仕事が、映画を紹介する役割だったと振り返る。
斎藤:『映画秘宝』(秘宝新社)という映画雑誌で、戦前のニッチな映画について連載を書いていたんです。それを見てくれた人がいて、「映画番組をやらないか」と声をかけてくれて。それで13年くらい続く映画紹介番組につながりました。俳優業というよりは、「映画が好き」ということで仕事をいただいていた時期がけっこう長かったですね。でも、それがすぐ監督につながるわけではなかったんです。
転機が訪れたのは、福山雅治のラジオ番組へのゲスト出演だったという。
斎藤:面識もなかったんですけど、2014年ごろにゲストに呼んでくださって。そこで、ラジオの本番中に「君は映画を撮ったほうがいい」と仰ったんですよ。さらに「僕、出資するよ」とまで言ってくださって。ちょうど福山さんは『そして父になる』で是枝監督とカンヌに行かれて、これからの日本の映像に関わる人たちを応援しなきゃと思われたみたいで、そう言ってくださったんです。当時、なぜか温めていた企画が3つほどあったので、しっかりと形にしてプレゼンをさせていただきました。
角野:すごい。
斎藤:実際に出資してくださって、僕は初めて長編映画を撮ることになりました。その作品のお母さん役が神野三鈴さんだったんですが、そこで初めて出会うんです。
角野:最高の出会いですね。
斎藤:そうですね。偶然のようでいて、すべてが糸でつながっているような感覚がありました。角野さんに今年こうして出会えたことも、この番組に呼んでいただいたことも、すべて決まっていたことのように感じていて、すごくドラマチックだなと思います。
角野:どこまでが俳優で、どこまでが監督の役割なのか、僕はあまりわからなくて。そういうことは考えていらっしゃるんですか?
斎藤:このあいだのアカデミー賞なんかもそうなんですけど、ハリウッドの映画というか、インディーズも含めて、今は大半が主演の方がプロデューサーも兼任されているんですよね。企画の段階から主演の方やメインキャストが関わってることがけっこう多いんですよ。
角野:それは最近の流れなんですか?
斎藤:特に最近はそうですね。日本でも俳優さんが企画して、それがコンテンツになったりします。そういう流れで、俳優さんが監督になるケースもかなり増えてきたなという感じがします。実際、監督を経験して思ったのは、企画から完成までを1から10だとすると、俳優って7くらいから参加するんですよね。完成を10とすると、俳優はけっこう終盤で決まる。「こんなに後半だったんだ、僕ら俳優が関わるのは」と思ったのが、最初に監督をしたときの印象でした。
角野:なるほど。そこまでの、見えない仕事がすごくたくさんあったという感じなんですね。
斎藤:2025年にわかったんですけど、僕はニューヨークに本当に憧れがあって。なんか、みんな主人公みたいな顔して歩いてるじゃないですか(笑)。
角野:まぁ、そうですね(笑)。
斎藤:今までニューヨークに行っても1週間くらいの滞在だったんですけど、そこで生活すると、みんなが主人公のなかで、「自分は?」ということを常に問われる気がするんです。当たり前に「自分は何者か」という自分のルーツと向き合わされるというか。ニューヨークにおける日本人ミュージシャンとして、ニューヨークだからこそさらに進化した部分って、ご自身で感じたりしますか?
角野:自分がユニークであると思う部分をより尖らせる、というマインドにはなった気がしますね。それは社会の動き方の違いでもあるんですけども。特にアメリカのなかでもニューヨークって、本当に世界中の人が集まっているし、もともと移民でできた国でもありますから。やっぱりアイデンティティをより考えるようになるし、自分が今まで交わってこなかったような人たちと出会う可能性も高くなる。そういうなかで自分の表現方法や感性が磨かれた、という感覚はあります。
斎藤:そっかあ。僕もそういう夢を今まで何度も見たことはあるんです。ただ、そこに踏み込めるかと言ったら、なかなか現実的じゃないところもあって。決断に至らない理由を探してしまったり、「日本にいても積み上げられるものはあるんじゃないか」と思ったり。半分は言い訳なんですけど。
角野:いや、間違いなくあります。
斎藤:それが何なのか、角野さんに相談したいというか、どういうことを意識して日本で過ごしていけばいいのか、ということでもあるんです。たとえば、ニューヨークからの目線で見たときに「これは日本でしか培えない部分だ」というものってありますか?
角野:日本を離れてみて、より日本とか東京という街を客観的に、相対的に見るようになったのかなと思います。「こんなに魅力的な場所だったんだ」と再認識することは最近よくあって。別にアメリカに行ったからといって、アメリカにアジャストしなければならないわけじゃないんですよね。もちろん言語の壁とか、そういう問題はありますけども。どちらかといえば、自分が生まれ育ってきたルーツやアイデンティティをポジティブに捉えて、それを全力で表現するほうが、受け取り手にとっても面白いものになると思うんです。だから、自分のルーツをポジティブに捉えるようになったかもしれないですね。
斎藤:映像に対して楽曲を作られたりすることもあると思うんですが、映画音楽って今後、可能性としてあったりするんですか? たとえば、「サントラを全部やります」といった。
角野:全然あります!
斎藤:たぶん、多くの監督さんたちが今のひと言をキャッチしたと思います。僕も含めてですけども。
角野:映画音楽はやりたいです。この30代の目標でもありますね。
斎藤:そうですか。僕は自分の現場で唯一、自分らしい演出として、音楽をかけながら撮影するんですよ。その場で本来かかるであろう音楽を、実際に本編で使うかどうかは別として流していて。本番だけは流さないんですが、テストやリハーサルでは何度も流してます。
角野:最終的なアウトプットの雰囲気を把握しながら演じてもらうんですね。
斎藤:役者さんたちはもちろんですけど、舞台みたいに感動的なシーンで感動的な曲が流れると、自然とのれるじゃないですか。それだけじゃなくてスタッフのみなさんも、今、自分たちが切り取っている作品全体のバイオリズムみたいなものを、音楽で共有できるんじゃないかと思ってやっているんです。そうすると編集のときにすごくハマるんですよ。
角野:そうなんですね。
斎藤:みんながリズムでつながってる感じがして。照明部、録音部、美術部、すべての部署が、音楽を軸に作品を作っていく。僕のなかでは、それがすごく正解だなと思ってます。
角野:面白いです。
斎藤:だから、そういう無茶なオーダーをしてくる監督もいると思うんですけども(笑)。でも、僕もいつか角野さんと、そうやって同じ方向に向かってクリエイションするという夢が、今日新たにできました。
角野:ぜひ、よろしくお願いします。
斎藤 工の最新情報は公式サイトまで。
『ACROSS THE SKY』のコーナー「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」では、角野隼斗が音楽を通したさまざまな“出会い”をもとに選曲と語りをお届けする。オンエアは毎週日曜11時30分ごろから。
斎藤が登場したのは、4月26日(日)放送のJ-WAVE『ACROSS THE SKY』(ナビゲーター:小川紗良)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」。ピアニスト・角野隼斗が、音楽を通じたさまざまな“出会い”をもとに、楽曲とトークをお届けするコーナーだ。
この日の放送は5/3(日)28時ごろまで、radikoのタイムフリー機能で楽しめる。
人生を大きく変えた福山雅治の言葉
前週に引き続き、斎藤 工がゲストとして登場。前回、4月19日(日)の放送時には、芝居とクラシック音楽の共通点や、お互いの幼少期に影響を受けたものなどについて語り合った。【関連記事】>斎藤 工の俳優人生を変えた父の言葉とは? 角野隼斗がJ-WAVEで初対談
今回はまず角野が、斎藤に監督業のはじまりについて訊いた。
角野:監督の仕事を始められたのはいつごろですか?
斎藤:20代の最後だったので、29歳ぐらいのときです。企画で「映像を撮ってみないか」という話があって。ただ、僕は20代のころは俳優の仕事が全然なくて、いわゆる下積みという時代だったんですね。
そのような状況のなかで、唯一レギュラーのように続いていた仕事が、映画を紹介する役割だったと振り返る。
斎藤:『映画秘宝』(秘宝新社)という映画雑誌で、戦前のニッチな映画について連載を書いていたんです。それを見てくれた人がいて、「映画番組をやらないか」と声をかけてくれて。それで13年くらい続く映画紹介番組につながりました。俳優業というよりは、「映画が好き」ということで仕事をいただいていた時期がけっこう長かったですね。でも、それがすぐ監督につながるわけではなかったんです。
転機が訪れたのは、福山雅治のラジオ番組へのゲスト出演だったという。
斎藤:面識もなかったんですけど、2014年ごろにゲストに呼んでくださって。そこで、ラジオの本番中に「君は映画を撮ったほうがいい」と仰ったんですよ。さらに「僕、出資するよ」とまで言ってくださって。ちょうど福山さんは『そして父になる』で是枝監督とカンヌに行かれて、これからの日本の映像に関わる人たちを応援しなきゃと思われたみたいで、そう言ってくださったんです。当時、なぜか温めていた企画が3つほどあったので、しっかりと形にしてプレゼンをさせていただきました。
角野:すごい。
斎藤:実際に出資してくださって、僕は初めて長編映画を撮ることになりました。その作品のお母さん役が神野三鈴さんだったんですが、そこで初めて出会うんです。
映画『blank13』予告編【2018.2.3公開】
斎藤:そうですね。偶然のようでいて、すべてが糸でつながっているような感覚がありました。角野さんに今年こうして出会えたことも、この番組に呼んでいただいたことも、すべて決まっていたことのように感じていて、すごくドラマチックだなと思います。
はじめて監督業を経験した印象は?
前回の放送で、斎藤は「俳優として役を演じるときはカメラのことを気にしない」と話していた。角野は「監督と俳優、両方をやるのはものすごく大変なことのように感じるのですが、いかがですか?」と問いかける。角野:どこまでが俳優で、どこまでが監督の役割なのか、僕はあまりわからなくて。そういうことは考えていらっしゃるんですか?
斎藤:このあいだのアカデミー賞なんかもそうなんですけど、ハリウッドの映画というか、インディーズも含めて、今は大半が主演の方がプロデューサーも兼任されているんですよね。企画の段階から主演の方やメインキャストが関わってることがけっこう多いんですよ。
角野:それは最近の流れなんですか?
斎藤:特に最近はそうですね。日本でも俳優さんが企画して、それがコンテンツになったりします。そういう流れで、俳優さんが監督になるケースもかなり増えてきたなという感じがします。実際、監督を経験して思ったのは、企画から完成までを1から10だとすると、俳優って7くらいから参加するんですよね。完成を10とすると、俳優はけっこう終盤で決まる。「こんなに後半だったんだ、僕ら俳優が関わるのは」と思ったのが、最初に監督をしたときの印象でした。
角野:なるほど。そこまでの、見えない仕事がすごくたくさんあったという感じなんですね。
角野がニューヨークの活動で意識していることは?
続いて斎藤は、角野が拠点としているニューヨークに強い憧れを抱いていると語る。斎藤:2025年にわかったんですけど、僕はニューヨークに本当に憧れがあって。なんか、みんな主人公みたいな顔して歩いてるじゃないですか(笑)。
角野:まぁ、そうですね(笑)。
斎藤:今までニューヨークに行っても1週間くらいの滞在だったんですけど、そこで生活すると、みんなが主人公のなかで、「自分は?」ということを常に問われる気がするんです。当たり前に「自分は何者か」という自分のルーツと向き合わされるというか。ニューヨークにおける日本人ミュージシャンとして、ニューヨークだからこそさらに進化した部分って、ご自身で感じたりしますか?
角野:自分がユニークであると思う部分をより尖らせる、というマインドにはなった気がしますね。それは社会の動き方の違いでもあるんですけども。特にアメリカのなかでもニューヨークって、本当に世界中の人が集まっているし、もともと移民でできた国でもありますから。やっぱりアイデンティティをより考えるようになるし、自分が今まで交わってこなかったような人たちと出会う可能性も高くなる。そういうなかで自分の表現方法や感性が磨かれた、という感覚はあります。
斎藤:そっかあ。僕もそういう夢を今まで何度も見たことはあるんです。ただ、そこに踏み込めるかと言ったら、なかなか現実的じゃないところもあって。決断に至らない理由を探してしまったり、「日本にいても積み上げられるものはあるんじゃないか」と思ったり。半分は言い訳なんですけど。
角野:いや、間違いなくあります。
斎藤:それが何なのか、角野さんに相談したいというか、どういうことを意識して日本で過ごしていけばいいのか、ということでもあるんです。たとえば、ニューヨークからの目線で見たときに「これは日本でしか培えない部分だ」というものってありますか?
角野:日本を離れてみて、より日本とか東京という街を客観的に、相対的に見るようになったのかなと思います。「こんなに魅力的な場所だったんだ」と再認識することは最近よくあって。別にアメリカに行ったからといって、アメリカにアジャストしなければならないわけじゃないんですよね。もちろん言語の壁とか、そういう問題はありますけども。どちらかといえば、自分が生まれ育ってきたルーツやアイデンティティをポジティブに捉えて、それを全力で表現するほうが、受け取り手にとっても面白いものになると思うんです。だから、自分のルーツをポジティブに捉えるようになったかもしれないですね。
撮影現場ではシーンにあった音楽を流す
最後に斎藤は、角野に「これからの活動で、映画音楽を作る可能性はありますか」と尋ねる。斎藤:映像に対して楽曲を作られたりすることもあると思うんですが、映画音楽って今後、可能性としてあったりするんですか? たとえば、「サントラを全部やります」といった。
角野:全然あります!
斎藤:たぶん、多くの監督さんたちが今のひと言をキャッチしたと思います。僕も含めてですけども。
角野:映画音楽はやりたいです。この30代の目標でもありますね。
斎藤:そうですか。僕は自分の現場で唯一、自分らしい演出として、音楽をかけながら撮影するんですよ。その場で本来かかるであろう音楽を、実際に本編で使うかどうかは別として流していて。本番だけは流さないんですが、テストやリハーサルでは何度も流してます。
角野:最終的なアウトプットの雰囲気を把握しながら演じてもらうんですね。
斎藤:役者さんたちはもちろんですけど、舞台みたいに感動的なシーンで感動的な曲が流れると、自然とのれるじゃないですか。それだけじゃなくてスタッフのみなさんも、今、自分たちが切り取っている作品全体のバイオリズムみたいなものを、音楽で共有できるんじゃないかと思ってやっているんです。そうすると編集のときにすごくハマるんですよ。
角野:そうなんですね。
斎藤:みんながリズムでつながってる感じがして。照明部、録音部、美術部、すべての部署が、音楽を軸に作品を作っていく。僕のなかでは、それがすごく正解だなと思ってます。
角野:面白いです。
斎藤:だから、そういう無茶なオーダーをしてくる監督もいると思うんですけども(笑)。でも、僕もいつか角野さんと、そうやって同じ方向に向かってクリエイションするという夢が、今日新たにできました。
角野:ぜひ、よろしくお願いします。
斎藤 工の最新情報は公式サイトまで。
『ACROSS THE SKY』のコーナー「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」では、角野隼斗が音楽を通したさまざまな“出会い”をもとに選曲と語りをお届けする。オンエアは毎週日曜11時30分ごろから。
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