俳優の斎藤 工が、角野隼斗と対談。これまでのキャリアを振り返り、角野との共演エピソードを語った。
斎藤が登場したのは、4月19日(日)放送のJ-WAVE『ACROSS THE SKY』(ナビゲーター:小川紗良)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」。ピアニスト・角野隼斗が、音楽を通じたさまざまな“出会い”をもとに、楽曲とトークをお届けするコーナーだ。
角野:お忙しいなか、ありがとうございます。
斎藤:とんでもないです! 2拠点で活動されているので、日本でお会いできてラッキーという感じがします。
角野:最近、何度かお会いしてますよね。
斎藤:そうですね。今年に入ってからエルメスのショーだったり、ジャズピアニストの小曽根 真さんの奥様・神野三鈴さんの誕生日パーティーなどでご一緒して。お名前は以前から小曽根さんに伺っていて、ご活躍も存じていました。
角野:こちらこそです。いろんな場所でお見かけしますし、エルメスはランウェイのショーだったんですけども、斎藤さんのような方と僕も歩かなきゃいけないのかと思いました(笑)。
斎藤:めちゃくちゃ似合っていらっしゃいましたよ! 僕は終盤で歩いたんですけど、角野さんが颯爽と歩かれている姿を見て勇気をもらいました。でも、あのランウェイは長かったですよね。150メートルくらいあって(笑)。
角野:それを往復でしたよね。リハーサルも2回くらいやったので、合計1キロくらい歩きました。
斎藤:けっこう運動になってましたね(笑)。正直、少し我に返る瞬間がありました。今までもファッションショーに出たことはあるんですが、あそこまで長いのは初めてで。普通は高揚感のままUターンして戻れるんですけど、150メートルあると途中で冷静になるというか、ファッションショーでは味わえない何かを味わえましたね。どうでしたか?
角野:僕はあれが初めての経験だったので「こういうものなんだ」と受け入れる感じでしたね。我に返る余裕もなく、「どうすればいいんだろう」と思いながら歩いてました。
斎藤:めちゃくちゃ素敵でした。
角野:ありがとうございます。斎藤さんも言うまでもなく、素敵でした。
斎藤:実は、僕の両親が音楽関係の仕事をしていて、家にはテレビがなかったんです。その代わり、常にレコードが流れている環境で育ちました。そのなかに小曽根さんのアルバムも家にあって、自然と音楽に囲まれていましたね。クラシックも含めていろんな音楽を聴いていました。
角野:どんな音楽を聴かれていましたか?
斎藤:ベースはジャズだったのかなという気がします。中学から公立に転校するまでは、シュタイナー学校に通っていました。自然教育や感性教育を重視する学校で、国語や算数といった授業があるわけじゃなくて、公園で落ち葉を使って数を数えたり、1日の出来事を文字ではなく水彩で日記にしたりするんです。色も既存のものではなく、自分で混ぜて作る。そういうことを当たり前にしていた幼少期でした。角野さんの音の出会いは、ご両親の影響によるものが大きいですか?
角野:大きいですね。母親がピアノの先生だったので家にグランドピアノがあって、遊び感覚で弾き始めて、気づいたら続けていました。
斎藤:お母様としては、同じピアノの道に進んでほしいという思いもあったんですか?
角野:いや……僕は算数や数学も好きだったので、両親ともにそっちも伸ばしてあげたいという気持ちはあったと思います。
斎藤:ピアノだけじゃなく?
角野:そうですね。結局、紆余曲折を経てピアニストになりましたけど。
斎藤は角野に「数学とピアノって、どこか近いものがあるように感じるんですが、共通点はありますか?」と質問する。
角野:共通点はありますね。数学者のシルベスターが「音楽は感性の数学であり、数学は理性の音楽である」といったようなことを言っていて、まさにそのとおりだと思います。音楽には数学的な要素が確実にあって、数学的な思考が必要になる場面も多いです。ただ、研究者から音楽家にシフトするなかで、マインドは変わりました。研究は客観性がすべてですが、音楽は主観的な表現をする責任も伴ってくるというか。そのバランスをどう取るかは、よく考えてきましたね。
斎藤:お話を聞いていて、芝居とも通じるものがあると感じました。
角野:本当にそう思います。クラシック音楽は再現芸術で、作曲家の作品を演奏するという点で、俳優の仕事とも共通点があると思うんです。人物を表現するという意味では、その人物になることが目的でありつつ、自分というフィルターを通して表現する。その感覚について、どう考えていらっしゃるのか訊いてみたかったです。
斎藤:角野さんがおっしゃっていたこととすごく似ていて、客観と主観のふちを歩いている感覚が常にあります。舞台表現では客席側に自分の目線を常にもっておくといったことが定説としてあって、映像では逆に監督に委ねて、カメラの存在を忘れることが求められます。ただ、「スタート」「カット」という合図は聞こえているので、役に没入しながらも、どこかで客観性を保っているんですよね。その矛盾した感覚が常にあって、不思議だなと思います。今のお話を聞いて、角野さんの表現時の心情や視線と僕が演じているときの感覚は、どこか近いものがあると感じました。
斎藤:小学1年生で『マルコムX』に出会ったり、かなりイレギュラーな体験をしていました。スクリーンを通していろんな時代や文化に触れることが習慣になり、映画というフィルターを通じて興味が広がっていった人生でしたね。
角野:小学生時代からすごく濃い人生を過ごされていますね。
斎藤:今思えば、ありとあらゆる情報が入ってこない、いわば統制された環境だったんですよね。だからこそ、出会うものとの関係を少しプラトニックなものにしていった感覚があります。角野家ではピアノやクラシック以外の音楽、たとえば流行歌とかテレビとはどういう距離感だったんですか?
角野:テレビは観てました。ただ、夕食中は観ないというルールがあって、長時間観ることはなかったですね。でも、音楽番組で流行りのポップスを知ることはありましたね。父があるとき、レコードレンタルショップに連れて行ってくれて、「これを聴いてみたらいい」と父の好きな昔の音楽を勧めてくれたんです。X JAPANとか、Van Halenとか、U2とか。クラシックは母、それ以外は父から、という感じでした。
斎藤:最初にX JAPANを聴いたときはどうでした?
角野:そのあとハマっていきましたね。それでドラムも叩いてみたくなって、中学のころに始めました。とはいえ、本物のドラムがすぐに叩けるわけではないので、ゲームセンターにあるドラムの音ゲーで練習したりしてました(笑)。
斎藤:へええ、そうなんですね。音楽遍歴はご両親のハイブリッドなわけですね。
斎藤は俳優という仕事を選ぶにあたり、自身のなかにまず映画に携わりたいという思いがあったという。父がプロデューサーだったことから、撮影現場に足を運ぶ機会も多く、カメラの前に立つ出演者だけでなく、その手前で働く職人たちの姿を間近で見ていたと振り返る。
斎藤:エンドロールで、出演者以外のスタッフの名前がずらっと並ぶじゃないですか。そこに父の名前や、お世話になったエンジニアの方の名前が出てくるのを見て、すごく憧れて。「どこでもいいから自分の名前が載る仕事に就きたい」と、小学校低学年のころには思ってました。今でも本来は作る側に軸足があるんですが、高校卒業のタイミングで映画の専門学校に行こうとも考えていて、願書も出していました。ただ、そのとき父に「お前は現場に早く出たほうがいい。机の上で学ぶより、まず現場が先だ」と言われて。それで、なぜか“表側”から入ることになったんです。当時はいきなり俳優事務所に入るルートもよくわからなかったので、モデル事務所に入って、そこから俳優へという流れでした。大沢たかおさんや反町隆史さんのような例もありましたしね。そこから2000年ごろに俳優として初めて仕事をした、という流れです。
斎藤は、4月26日(日)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」にも引き続き登場。
【関連記事】斎藤 工「音楽をかけながら撮影するんですよ」角野隼斗と映画音楽を語る
斎藤 工の最新情報は公式サイトまで。
『ACROSS THE SKY』のワンコーナー「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」では、角野隼斗が音楽を通したさまざまな“出会い”をもとに選曲と語りをお届けする。オンエアは11時30分ごろから。
斎藤が登場したのは、4月19日(日)放送のJ-WAVE『ACROSS THE SKY』(ナビゲーター:小川紗良)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」。ピアニスト・角野隼斗が、音楽を通じたさまざまな“出会い”をもとに、楽曲とトークをお届けするコーナーだ。
エルメスのファッションショーで共演
斎藤 工は1981年生まれ、東京都出身。高校時代からモデルとして活動し、パリ・コレクションにも出演した。2001年、映画『時の香り〜リメンバー・ミー〜』で俳優デビューを果たす。以降、ドラマや映画をはじめ、雑誌やCMなど多方面で活躍している。角野:お忙しいなか、ありがとうございます。
斎藤:とんでもないです! 2拠点で活動されているので、日本でお会いできてラッキーという感じがします。
角野:最近、何度かお会いしてますよね。
斎藤:そうですね。今年に入ってからエルメスのショーだったり、ジャズピアニストの小曽根 真さんの奥様・神野三鈴さんの誕生日パーティーなどでご一緒して。お名前は以前から小曽根さんに伺っていて、ご活躍も存じていました。
角野:こちらこそです。いろんな場所でお見かけしますし、エルメスはランウェイのショーだったんですけども、斎藤さんのような方と僕も歩かなきゃいけないのかと思いました(笑)。
斎藤:めちゃくちゃ似合っていらっしゃいましたよ! 僕は終盤で歩いたんですけど、角野さんが颯爽と歩かれている姿を見て勇気をもらいました。でも、あのランウェイは長かったですよね。150メートルくらいあって(笑)。
角野:それを往復でしたよね。リハーサルも2回くらいやったので、合計1キロくらい歩きました。
斎藤:けっこう運動になってましたね(笑)。正直、少し我に返る瞬間がありました。今までもファッションショーに出たことはあるんですが、あそこまで長いのは初めてで。普通は高揚感のままUターンして戻れるんですけど、150メートルあると途中で冷静になるというか、ファッションショーでは味わえない何かを味わえましたね。どうでしたか?
角野:僕はあれが初めての経験だったので「こういうものなんだ」と受け入れる感じでしたね。我に返る余裕もなく、「どうすればいいんだろう」と思いながら歩いてました。
斎藤:めちゃくちゃ素敵でした。
角野:ありがとうございます。斎藤さんも言うまでもなく、素敵でした。
演技とクラシック演奏の共通点を考える
斎藤は俳優としての活動に加え、監督としても作品づくりに携わっている。その縁で神野三鈴と出会い、さらに小曽根ともつながりを得たと話す。なお、小曽根のアルバムにおけるスチール撮影も担当しているという。斎藤:実は、僕の両親が音楽関係の仕事をしていて、家にはテレビがなかったんです。その代わり、常にレコードが流れている環境で育ちました。そのなかに小曽根さんのアルバムも家にあって、自然と音楽に囲まれていましたね。クラシックも含めていろんな音楽を聴いていました。
角野:どんな音楽を聴かれていましたか?
斎藤:ベースはジャズだったのかなという気がします。中学から公立に転校するまでは、シュタイナー学校に通っていました。自然教育や感性教育を重視する学校で、国語や算数といった授業があるわけじゃなくて、公園で落ち葉を使って数を数えたり、1日の出来事を文字ではなく水彩で日記にしたりするんです。色も既存のものではなく、自分で混ぜて作る。そういうことを当たり前にしていた幼少期でした。角野さんの音の出会いは、ご両親の影響によるものが大きいですか?
角野:大きいですね。母親がピアノの先生だったので家にグランドピアノがあって、遊び感覚で弾き始めて、気づいたら続けていました。
斎藤:お母様としては、同じピアノの道に進んでほしいという思いもあったんですか?
角野:いや……僕は算数や数学も好きだったので、両親ともにそっちも伸ばしてあげたいという気持ちはあったと思います。
斎藤:ピアノだけじゃなく?
角野:そうですね。結局、紆余曲折を経てピアニストになりましたけど。
斎藤は角野に「数学とピアノって、どこか近いものがあるように感じるんですが、共通点はありますか?」と質問する。
角野:共通点はありますね。数学者のシルベスターが「音楽は感性の数学であり、数学は理性の音楽である」といったようなことを言っていて、まさにそのとおりだと思います。音楽には数学的な要素が確実にあって、数学的な思考が必要になる場面も多いです。ただ、研究者から音楽家にシフトするなかで、マインドは変わりました。研究は客観性がすべてですが、音楽は主観的な表現をする責任も伴ってくるというか。そのバランスをどう取るかは、よく考えてきましたね。
斎藤:お話を聞いていて、芝居とも通じるものがあると感じました。
角野:本当にそう思います。クラシック音楽は再現芸術で、作曲家の作品を演奏するという点で、俳優の仕事とも共通点があると思うんです。人物を表現するという意味では、その人物になることが目的でありつつ、自分というフィルターを通して表現する。その感覚について、どう考えていらっしゃるのか訊いてみたかったです。
斎藤:角野さんがおっしゃっていたこととすごく似ていて、客観と主観のふちを歩いている感覚が常にあります。舞台表現では客席側に自分の目線を常にもっておくといったことが定説としてあって、映像では逆に監督に委ねて、カメラの存在を忘れることが求められます。ただ、「スタート」「カット」という合図は聞こえているので、役に没入しながらも、どこかで客観性を保っているんですよね。その矛盾した感覚が常にあって、不思議だなと思います。今のお話を聞いて、角野さんの表現時の心情や視線と僕が演じているときの感覚は、どこか近いものがあると感じました。
人生を大きく変えた父からの言葉
斎藤が映画の世界に興味を持ったきっかけは、父と映画館に通った経験にあるという。父が映像の仕事に携わっていたこともあり、自然と一緒に足を運ぶようになるものの、鑑賞する作品は子ども向けというより、父が観たい作品に付き合うかたちだったと語る。斎藤:小学1年生で『マルコムX』に出会ったり、かなりイレギュラーな体験をしていました。スクリーンを通していろんな時代や文化に触れることが習慣になり、映画というフィルターを通じて興味が広がっていった人生でしたね。
角野:小学生時代からすごく濃い人生を過ごされていますね。
斎藤:今思えば、ありとあらゆる情報が入ってこない、いわば統制された環境だったんですよね。だからこそ、出会うものとの関係を少しプラトニックなものにしていった感覚があります。角野家ではピアノやクラシック以外の音楽、たとえば流行歌とかテレビとはどういう距離感だったんですか?
角野:テレビは観てました。ただ、夕食中は観ないというルールがあって、長時間観ることはなかったですね。でも、音楽番組で流行りのポップスを知ることはありましたね。父があるとき、レコードレンタルショップに連れて行ってくれて、「これを聴いてみたらいい」と父の好きな昔の音楽を勧めてくれたんです。X JAPANとか、Van Halenとか、U2とか。クラシックは母、それ以外は父から、という感じでした。
斎藤:最初にX JAPANを聴いたときはどうでした?
角野:そのあとハマっていきましたね。それでドラムも叩いてみたくなって、中学のころに始めました。とはいえ、本物のドラムがすぐに叩けるわけではないので、ゲームセンターにあるドラムの音ゲーで練習したりしてました(笑)。
斎藤:へええ、そうなんですね。音楽遍歴はご両親のハイブリッドなわけですね。
斎藤は俳優という仕事を選ぶにあたり、自身のなかにまず映画に携わりたいという思いがあったという。父がプロデューサーだったことから、撮影現場に足を運ぶ機会も多く、カメラの前に立つ出演者だけでなく、その手前で働く職人たちの姿を間近で見ていたと振り返る。
斎藤:エンドロールで、出演者以外のスタッフの名前がずらっと並ぶじゃないですか。そこに父の名前や、お世話になったエンジニアの方の名前が出てくるのを見て、すごく憧れて。「どこでもいいから自分の名前が載る仕事に就きたい」と、小学校低学年のころには思ってました。今でも本来は作る側に軸足があるんですが、高校卒業のタイミングで映画の専門学校に行こうとも考えていて、願書も出していました。ただ、そのとき父に「お前は現場に早く出たほうがいい。机の上で学ぶより、まず現場が先だ」と言われて。それで、なぜか“表側”から入ることになったんです。当時はいきなり俳優事務所に入るルートもよくわからなかったので、モデル事務所に入って、そこから俳優へという流れでした。大沢たかおさんや反町隆史さんのような例もありましたしね。そこから2000年ごろに俳優として初めて仕事をした、という流れです。
斎藤は、4月26日(日)の「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」にも引き続き登場。
【関連記事】斎藤 工「音楽をかけながら撮影するんですよ」角野隼斗と映画音楽を語る
斎藤 工の最新情報は公式サイトまで。
『ACROSS THE SKY』のワンコーナー「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」では、角野隼斗が音楽を通したさまざまな“出会い”をもとに選曲と語りをお届けする。オンエアは11時30分ごろから。
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