吉井和哉がJ-WAVEで9月18日(土)、楽曲制作の裏側や新曲『みらいのうた』への思いを語った。
吉井が登場したのは、J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。9月のマンスリープレゼンターはKREVAが担当している。吉井は8月に新曲『みらいのうた』を配信リリースした。
ふたりのトークは、動画でも楽しめる。
KREVA:そのフェスが吉井さんとの初対面だと思ってたんですけど、実はその前に香川のフェスで会ってるんですよね。でも最初にがっつり話したのは2006年でしたよね。
吉井:2000年の初めにTHE YELLOW MONKEYが活動休止になって、その後ソロ活動を始めたんですけどずっといろいろくすぶっていたんですよね。でもようやく2006年にそろそろ本腰を入れて活動しなきゃいけないと思ったとき、共通の知り合いから「KREVAさんと合うと思うよ」って何気なく言われたんですね。それで調べてみたら顔もカッコいいし。
KREVA:あはは(笑)。
吉井:ヒップホップの人だからあんまり接点がなかったんですけど、そういう人とコラボレーションできたら面白いかなって思って。そしたらKREVAくんは優しくしてくれて。
KREVA:その頃に吉井さんと対談したときに、俺もグループやってたから「ソロになった身としてグループを活動休止にしてるのはいいと思いますか?」って訊いたんですよね。
吉井:同じ闇を持つからね(笑)。
KREVA:瞬間で「解散したほうがいいと思う」って言ったんですよ。あんまりそういう方っていなかったし、めんどくさいから適当に答えてる感じではないなってすごく思ったんですね。それで信用できる人だなって思ったことを覚えています。
その後、吉井のライブのオープニングにKREVAが映像で出演したり、THE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバムにKREVAが参加したりと、ふたりは親交を深めていく。吉井は「俺にとってKREVAは大黒様みたいな存在」と表現した。
吉井:自分が調子いいと必ず現れる人なの。今年個人的にいろんなやりがいのある仕事もあってちょっときてるなって思ってたんだけど、そしたらKREVAに会えた。
KREVA:うれしいな。
吉井:THE YELLOW MONKEYのトリビュートでも手伝ってもらったけど、あの『楽園』はよかったな。ぶっちゃけ結構締切ギリギリに上がってきたのよ。「あとKREVAさん待ちです」って。忙しいから無理ないよって言いながらどんな感じなんだろうなって待ってたら、全然違う『楽園』が登場して「これで一気にそろった」と思った。
KREVA:よかった。違うものにするぞって気持ちは強かったと思います。そのあと吉井さんが、どこかで『楽園』についてお話されたときに、カバーしたものは原曲とメロディーラインが違うのに、「今の自分だったらそうするかもしれない」と言ってくれてたんです。その表現がすごいなって。俺は「ふざけんじゃねえ(笑)」ってタイプだから、俺もそういうことを言える人間になりたいなと思いました。それが俺が思う吉井さんらしさですね。
吉井:みんながみんなそうは言わないよ。KREVAだからそう言うわけで。
吉井:自分はギターしか弾けないけどコードをあんまり知らないから大体手癖で全部済ませちゃうんですよ。でもそうするといつも同じ曲になっちゃうからメロディーだけをボイスメモで録音しますそこからギターでコード進行をつける。でも僕はロック畑だったからエレキギターをひずませてリフを作って、そのリフでどんどん曲を構築していって、そのあとに言葉をのせながら煮詰めていくっていうスタイルだったけど、2000年くらいに古きよきロックが1回終わった感じがしたんですよ。
KREVA:スタイルとしてのロックですよね。
吉井:それこそヒップホップとかストリートカルチャーとかが盛んになって、いろんなジャンルの音楽が日本に現れてきたから「ロックはどうなんだろう」って思っちゃったのが、THE YELLOW MONKEYの休止にもつながるんだけど。そこから約20年ずっと右往左往しつつやったけど、先週くらいに「俺、やっぱりロックでいいや」ってなったの(笑)。
KREVA:すごいな。
吉井:だから変な話、ジェームス・ブラウンもずっとコード進行が一緒だし俺も一緒でいいかと思って。それで新曲の『みらいのうた』は黄金の吉井コード進行で出来上がった。
KREVAは「バンドとソロでの楽曲制作に違いは?」と吉井に質問すると、「バンドの場合はある意味でスポーツのチームプレイと似たところがある」とたとえた。
吉井:必ずしも全員が同じ力量で並んでるとうまくいかないときもあるので。バレーボールとかサッカーと一緒で必ず打ちにいくやつがいて、そいつが打てるようにアシストするやつがいる。そういうのがうまくいってるときが、バンドがうまくいくときだと思うけど、それが崩れていく瞬間があるじゃん。「いやいや、こいついなくてもたまには俺が打っちゃってもいいんじゃない」とか。そうなるとバンドは陰りを帯びてくる気がする。ボイスメモもない頃はスタジオに入って、僕が作った曲に関しては「イントロはこうだ」とギタリストに説明して「Aメロはこういう感じです」って言って進めていってた。
KREVA:なるほど。そういうラフスケッチは吉井さんが作って、そのコード進行も決まってるんですか。
吉井:全部決まってる。
KREVA:みんなで「ここはこのコードのほうがいいんじゃない?」とかもあったんですか。
吉井:俺はそういうのはあんまり言うことを聞かなかった(笑)。
KREVA:とはいえ、どんなものが出てくるかっていうのはみなさんからもらっていく感じですよね。
吉井:そうですね。もちろん個々のプレイで成り立ってる華やかな楽曲のアレンジがあるなかでの話なんですけどね。信頼してるからこそ。
吉井は、29歳から31歳の頃は気がつくと曲ができていた、と当時を振り返る。
吉井:そのときは勝手にできてたからね。
KREVA:具体的にTHE YELLOW MONKEYの曲で、これは勝手にできてたってのはありますか?
吉井:バンドが売れ出した『JAM』、『SPARK』、『楽園』、『LOVE LOVE SHOW』『BURN』、『球根』、これは起きたらできてた。
吉井:すごくいいやつがあるんじゃないかと、過去のボイスメモを振り返るんだけど。僕は2013年にロンドンでThe Rolling Stonesの結成50周年ライブを観てたときに、「俺やっぱりTHE YELLOW MONKEYをやりたいわ」って思ってなって、七夕にメンバーみんなに「僕ともう1回バンドをやってください」って一斉メールしたの。そこから「もちろん」って返信があってちょっとホッとしたのもあったんだけど、実は『みらいのうた』はそのわりと直後に片鱗があった。俺、間違えた情報をファンクラブで言っちゃったんだけど、2015年にもっと昔の日本のパンクみたいな曲調とすごく簡単なメロディーで、メロコアみたいな、そういう感じで作ってたんだよね(笑)。
KREVA:へえ。
吉井:それで去年あらためてちょっとスローにした弾き語りが(ボイスメモに)入っていて、こいつちょっと俺に何か言いたがってると思った。
KREVA:呼んでいるメロディーというか。
吉井:そう。だけどあまりにもメロディーが今の時代には大きすぎるというか。ようはゆったりしていて、変な話、校歌みたいだったの。今ってとにかく何回転調するかとかどれだけブレスが少ないかとかあるなかで、でもやっぱり自分が今の時代に出すべき曲はこれかもしれないと思って。プレゼンしたらスタッフの方も「これはいい曲になるんじゃない」ってなりましたね。
KREVAは『みらいのうた』を聴き、吉井の歌詞について「諦めじゃないんだけど何かを受け入れている」感じがするという。
吉井:父親が今年で亡くなって50年だったの。僕は幼少の頃に父を亡くしていて、簡単に言うとそれがきっかけでロックを始めてるので、自分にとっては重大事項だったんですよ。人って50年でゼロになってさらに別の天国に行くみたいな話があるらしくて、父親はもっと遠いところに行ったかもしれないし、もっと近くにいるかもしれない。あとは、本当につらい思いをしている人がいるでしょ。その人のことはわからないけど、自分がもしつらかったらどうなるだろうとかいろいろ考えてできた歌でもあって。今の新型コロナの時代になぞらえて聴いてくれる方もいますけど、そうじゃない、違うつらい思いをしている方もいるから。
番組ではほかにも、吉井がソロとバンドのライブの違いや、最近の音楽のインプット方法などを語った。
吉井和哉の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『WOW MUSIC』はJ-WAVEで土曜24時-25時。また、『MUSIC FUN !』のYouTubeページには、同番組のトーク動画のほか、ミュージシャンやプロデューサーによる音楽の話が数多く配信されている。
・『MUSIC FUN !』のYouTubeページ
https://www.youtube.com/c/musicfun_jp
吉井が登場したのは、J-WAVE(81.3FM)×「MUSIC FUN !」連動企画である、深夜の音楽座談プログラム『WOW MUSIC』。9月のマンスリープレゼンターはKREVAが担当している。吉井は8月に新曲『みらいのうた』を配信リリースした。
ふたりのトークは、動画でも楽しめる。
KREVA「解散したほうがいいと思うって言われた」
まずはふたりの出会いの話から。2006年にスピッツが主催する音楽フェスに出演したKREVAと吉井は、スピッツの草野マサムネを介して出会い、多くの言葉を交わしたという。KREVA:そのフェスが吉井さんとの初対面だと思ってたんですけど、実はその前に香川のフェスで会ってるんですよね。でも最初にがっつり話したのは2006年でしたよね。
吉井:2000年の初めにTHE YELLOW MONKEYが活動休止になって、その後ソロ活動を始めたんですけどずっといろいろくすぶっていたんですよね。でもようやく2006年にそろそろ本腰を入れて活動しなきゃいけないと思ったとき、共通の知り合いから「KREVAさんと合うと思うよ」って何気なく言われたんですね。それで調べてみたら顔もカッコいいし。
KREVA:あはは(笑)。
吉井:ヒップホップの人だからあんまり接点がなかったんですけど、そういう人とコラボレーションできたら面白いかなって思って。そしたらKREVAくんは優しくしてくれて。
KREVA:その頃に吉井さんと対談したときに、俺もグループやってたから「ソロになった身としてグループを活動休止にしてるのはいいと思いますか?」って訊いたんですよね。
吉井:同じ闇を持つからね(笑)。
KREVA:瞬間で「解散したほうがいいと思う」って言ったんですよ。あんまりそういう方っていなかったし、めんどくさいから適当に答えてる感じではないなってすごく思ったんですね。それで信用できる人だなって思ったことを覚えています。
その後、吉井のライブのオープニングにKREVAが映像で出演したり、THE YELLOW MONKEYのトリビュートアルバムにKREVAが参加したりと、ふたりは親交を深めていく。吉井は「俺にとってKREVAは大黒様みたいな存在」と表現した。
吉井:自分が調子いいと必ず現れる人なの。今年個人的にいろんなやりがいのある仕事もあってちょっときてるなって思ってたんだけど、そしたらKREVAに会えた。
KREVA:うれしいな。
吉井:THE YELLOW MONKEYのトリビュートでも手伝ってもらったけど、あの『楽園』はよかったな。ぶっちゃけ結構締切ギリギリに上がってきたのよ。「あとKREVAさん待ちです」って。忙しいから無理ないよって言いながらどんな感じなんだろうなって待ってたら、全然違う『楽園』が登場して「これで一気にそろった」と思った。
KREVA:よかった。違うものにするぞって気持ちは強かったと思います。そのあと吉井さんが、どこかで『楽園』についてお話されたときに、カバーしたものは原曲とメロディーラインが違うのに、「今の自分だったらそうするかもしれない」と言ってくれてたんです。その表現がすごいなって。俺は「ふざけんじゃねえ(笑)」ってタイプだから、俺もそういうことを言える人間になりたいなと思いました。それが俺が思う吉井さんらしさですね。
吉井:みんながみんなそうは言わないよ。KREVAだからそう言うわけで。
「俺、やっぱりロックでいいや」と思った
続いて楽曲制作の話に。最近、吉井はスマホのボイスメモに思いついたメロディーをアカペラで録音して制作を始めるという。吉井:自分はギターしか弾けないけどコードをあんまり知らないから大体手癖で全部済ませちゃうんですよ。でもそうするといつも同じ曲になっちゃうからメロディーだけをボイスメモで録音しますそこからギターでコード進行をつける。でも僕はロック畑だったからエレキギターをひずませてリフを作って、そのリフでどんどん曲を構築していって、そのあとに言葉をのせながら煮詰めていくっていうスタイルだったけど、2000年くらいに古きよきロックが1回終わった感じがしたんですよ。
KREVA:スタイルとしてのロックですよね。
吉井:それこそヒップホップとかストリートカルチャーとかが盛んになって、いろんなジャンルの音楽が日本に現れてきたから「ロックはどうなんだろう」って思っちゃったのが、THE YELLOW MONKEYの休止にもつながるんだけど。そこから約20年ずっと右往左往しつつやったけど、先週くらいに「俺、やっぱりロックでいいや」ってなったの(笑)。
KREVA:すごいな。
吉井:だから変な話、ジェームス・ブラウンもずっとコード進行が一緒だし俺も一緒でいいかと思って。それで新曲の『みらいのうた』は黄金の吉井コード進行で出来上がった。
KREVAは「バンドとソロでの楽曲制作に違いは?」と吉井に質問すると、「バンドの場合はある意味でスポーツのチームプレイと似たところがある」とたとえた。
吉井:必ずしも全員が同じ力量で並んでるとうまくいかないときもあるので。バレーボールとかサッカーと一緒で必ず打ちにいくやつがいて、そいつが打てるようにアシストするやつがいる。そういうのがうまくいってるときが、バンドがうまくいくときだと思うけど、それが崩れていく瞬間があるじゃん。「いやいや、こいついなくてもたまには俺が打っちゃってもいいんじゃない」とか。そうなるとバンドは陰りを帯びてくる気がする。ボイスメモもない頃はスタジオに入って、僕が作った曲に関しては「イントロはこうだ」とギタリストに説明して「Aメロはこういう感じです」って言って進めていってた。
KREVA:なるほど。そういうラフスケッチは吉井さんが作って、そのコード進行も決まってるんですか。
吉井:全部決まってる。
KREVA:みんなで「ここはこのコードのほうがいいんじゃない?」とかもあったんですか。
吉井:俺はそういうのはあんまり言うことを聞かなかった(笑)。
KREVA:とはいえ、どんなものが出てくるかっていうのはみなさんからもらっていく感じですよね。
吉井:そうですね。もちろん個々のプレイで成り立ってる華やかな楽曲のアレンジがあるなかでの話なんですけどね。信頼してるからこそ。
吉井は、29歳から31歳の頃は気がつくと曲ができていた、と当時を振り返る。
吉井:そのときは勝手にできてたからね。
KREVA:具体的にTHE YELLOW MONKEYの曲で、これは勝手にできてたってのはありますか?
吉井:バンドが売れ出した『JAM』、『SPARK』、『楽園』、『LOVE LOVE SHOW』『BURN』、『球根』、これは起きたらできてた。
今の時代に出すべき曲はこれかもしれない
吉井は8月に新曲『みらいのうた』を配信リリースした。吉井和哉 - みらいのうた
KREVA:へえ。
吉井:それで去年あらためてちょっとスローにした弾き語りが(ボイスメモに)入っていて、こいつちょっと俺に何か言いたがってると思った。
KREVA:呼んでいるメロディーというか。
吉井:そう。だけどあまりにもメロディーが今の時代には大きすぎるというか。ようはゆったりしていて、変な話、校歌みたいだったの。今ってとにかく何回転調するかとかどれだけブレスが少ないかとかあるなかで、でもやっぱり自分が今の時代に出すべき曲はこれかもしれないと思って。プレゼンしたらスタッフの方も「これはいい曲になるんじゃない」ってなりましたね。
KREVAは『みらいのうた』を聴き、吉井の歌詞について「諦めじゃないんだけど何かを受け入れている」感じがするという。
吉井:父親が今年で亡くなって50年だったの。僕は幼少の頃に父を亡くしていて、簡単に言うとそれがきっかけでロックを始めてるので、自分にとっては重大事項だったんですよ。人って50年でゼロになってさらに別の天国に行くみたいな話があるらしくて、父親はもっと遠いところに行ったかもしれないし、もっと近くにいるかもしれない。あとは、本当につらい思いをしている人がいるでしょ。その人のことはわからないけど、自分がもしつらかったらどうなるだろうとかいろいろ考えてできた歌でもあって。今の新型コロナの時代になぞらえて聴いてくれる方もいますけど、そうじゃない、違うつらい思いをしている方もいるから。
番組ではほかにも、吉井がソロとバンドのライブの違いや、最近の音楽のインプット方法などを語った。
吉井和哉の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
『WOW MUSIC』はJ-WAVEで土曜24時-25時。また、『MUSIC FUN !』のYouTubeページには、同番組のトーク動画のほか、ミュージシャンやプロデューサーによる音楽の話が数多く配信されている。
・『MUSIC FUN !』のYouTubeページ
https://www.youtube.com/c/musicfun_jp
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