J-WAVEで放送中の番組『MAKE MY DAY』(ナビゲーター:前田智子)のワンコーナー「Sansan MEET THE INNOVATION!」。10月20日(日)のオンエアでは、アッサムティーが誕生した背景を紹介した。
今や紅茶と言えばインド原産のものが主流だが、この背景にアッサムティーが深く関わっている。アッサムティーは、世界で最も飲まれていると言われている紅茶だ。
■中国産の紅茶に変わる茶葉としてイギリスへ
19世紀初頭、イギリスでは紅茶の消費が拡大していた。茶葉のほとんどが中国より輸入されていたが、紅茶の需要拡大に伴って貿易摩擦が起こり、中国以外の輸入先が求められていた。スコットランド出身の冒険家であるロバート・ブルースは、新たな紅茶の輸入先として、当時、実質的にイギリスの植民地となっていたインドに注目した。
インド東部のアッサム州。そこから川を隔てた、当時ビルマ領だった小さな村にジュンポー族という民族がおり、首長はビーサ・ガムという名の男だった。1823年、新しい茶葉を探していたロバート・ブルースはビーサ・ガムを訪ねた。ビーサ・ガムは快く地域原産の茶葉をロバートに渡した。ロバート・ブルースはこのお茶に大いなる可能性を感じた。
しかし、イギリスに帰国後、ロバート・ブルースは病に倒れてしまう。病床で、弟のチャールズ・アレクサンダー・ブルースにビーサ・ガムからもらった茶葉について「中国産の紅茶に変わる茶葉を見つけたんだ」と話した。
1824年、ロバート・ブルースが他界。チャールズ・アレクサンダー・ブルースは兄の意思を継いでビーサ・ガムのもとに赴き、茶樹と茶の種を手に入れて、アッサム州で栽培を開始した。
当時のイギリスでは、紅茶といえば東アジア、特に中国だけで栽培されている作物という考えが主流だった。インドのアッサム州で栽培された紅茶は、中国産に比べてはるかにコクが強く、異なる味と香りを持っていた。紅茶にミルクを入れるイギリス人の飲み方にはインド産のほうが合っていると考えたチャールズ・アレクサンダー・ブルースは、イギリス本国にインド産の茶葉を売り込むことを決意。チャールズ・アレクサンダー・ブルースの監督下で作られたインド産の茶葉は、1838年にロンドンに送られ、翌年、初めてオークションにかけられた。
ロンドンの紅茶の専門家の多くが、新しいインド産の茶葉を高く評価。この茶葉が、インドのアッサム州が産地だったことから「アッサムティー」と名付けられた。その後、イギリスの領地および文化の影響が広がるにつれ、世界中でアッサムティーをはじめとしたインド産の紅茶を飲む習慣が広がっていった。
インド産の茶葉の可能性を信じ、アッサムティーをイギリスに持ち込んだロバート・ブルースとチャールズ・アレクサンダー・ブルース。この兄弟にインド産の茶葉を快く渡したジュンポー族の首長、ビーサ・ガム。3人の出会いによって紅茶のスタンダードとなったアッサムティーは、現在も世界中で愛され続け、インドのアッサム州は世界最大の紅茶の産地となっている。
アッサムティーは、イギリスの植民地であるインドで栽培されていたため、安定供給も可能だった。その結果、イギリスでは上流階級だけではなく、各階級に紅茶文化が広く普及した。日本にも明治時代に伝わり、人気の飲み物となった。
『MAKE MY DAY』のワンコーナー「Sansan MEET THE INNOVATION!」では、世界を変えたイノベーションを生み出した「出会い」のストーリーを紹介している。放送は毎週日曜の8時30分頃から。お楽しみに!
【番組情報】
番組名:『MAKE MY DAY』
放送日時:毎週日曜 6時-9時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/makemyday/
今や紅茶と言えばインド原産のものが主流だが、この背景にアッサムティーが深く関わっている。アッサムティーは、世界で最も飲まれていると言われている紅茶だ。
■中国産の紅茶に変わる茶葉としてイギリスへ
19世紀初頭、イギリスでは紅茶の消費が拡大していた。茶葉のほとんどが中国より輸入されていたが、紅茶の需要拡大に伴って貿易摩擦が起こり、中国以外の輸入先が求められていた。スコットランド出身の冒険家であるロバート・ブルースは、新たな紅茶の輸入先として、当時、実質的にイギリスの植民地となっていたインドに注目した。
インド東部のアッサム州。そこから川を隔てた、当時ビルマ領だった小さな村にジュンポー族という民族がおり、首長はビーサ・ガムという名の男だった。1823年、新しい茶葉を探していたロバート・ブルースはビーサ・ガムを訪ねた。ビーサ・ガムは快く地域原産の茶葉をロバートに渡した。ロバート・ブルースはこのお茶に大いなる可能性を感じた。
しかし、イギリスに帰国後、ロバート・ブルースは病に倒れてしまう。病床で、弟のチャールズ・アレクサンダー・ブルースにビーサ・ガムからもらった茶葉について「中国産の紅茶に変わる茶葉を見つけたんだ」と話した。
1824年、ロバート・ブルースが他界。チャールズ・アレクサンダー・ブルースは兄の意思を継いでビーサ・ガムのもとに赴き、茶樹と茶の種を手に入れて、アッサム州で栽培を開始した。
当時のイギリスでは、紅茶といえば東アジア、特に中国だけで栽培されている作物という考えが主流だった。インドのアッサム州で栽培された紅茶は、中国産に比べてはるかにコクが強く、異なる味と香りを持っていた。紅茶にミルクを入れるイギリス人の飲み方にはインド産のほうが合っていると考えたチャールズ・アレクサンダー・ブルースは、イギリス本国にインド産の茶葉を売り込むことを決意。チャールズ・アレクサンダー・ブルースの監督下で作られたインド産の茶葉は、1838年にロンドンに送られ、翌年、初めてオークションにかけられた。
ロンドンの紅茶の専門家の多くが、新しいインド産の茶葉を高く評価。この茶葉が、インドのアッサム州が産地だったことから「アッサムティー」と名付けられた。その後、イギリスの領地および文化の影響が広がるにつれ、世界中でアッサムティーをはじめとしたインド産の紅茶を飲む習慣が広がっていった。
インド産の茶葉の可能性を信じ、アッサムティーをイギリスに持ち込んだロバート・ブルースとチャールズ・アレクサンダー・ブルース。この兄弟にインド産の茶葉を快く渡したジュンポー族の首長、ビーサ・ガム。3人の出会いによって紅茶のスタンダードとなったアッサムティーは、現在も世界中で愛され続け、インドのアッサム州は世界最大の紅茶の産地となっている。
アッサムティーは、イギリスの植民地であるインドで栽培されていたため、安定供給も可能だった。その結果、イギリスでは上流階級だけではなく、各階級に紅茶文化が広く普及した。日本にも明治時代に伝わり、人気の飲み物となった。
『MAKE MY DAY』のワンコーナー「Sansan MEET THE INNOVATION!」では、世界を変えたイノベーションを生み出した「出会い」のストーリーを紹介している。放送は毎週日曜の8時30分頃から。お楽しみに!
【番組情報】
番組名:『MAKE MY DAY』
放送日時:毎週日曜 6時-9時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/makemyday/
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