トランポリンの西岡隆成選手が、初の五輪となった2024年パリオリンピックで味わった大きな挫折と、2028年ロサンゼルスオリンピックに向けた思いなどについて語った。
西岡選手は2003年11月1日、大阪府生まれ。全日本選手権では2020年から2022年にかけて3連覇、2021年に初出場したワールドカップでは難度点世界記録を樹立した、日本のトランポリン競技における第一人者だ。
西岡選手が登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
西岡:母からは、家で飛び跳ねたり、暴れたり、走りまわったりと体力が有り余っているような子どもだったと聞いています。僕は2歳でマット運動を始め、小学1年生でトランポリンに移行しましたが、親としては面倒を見切れないから、地域のスポーツクラブに預けて体力を消耗させる…という意図があったのかもしれません(笑)。
有り余るエネルギーをトランポリンにぶつけた幼少期の西岡選手だが、最初の頃は同じ年齢の子どもたちと比べ、突出して秀でていたわけではなかったという。しかし、高校生になって身体の成長が安定してくると、その才能は瞬く間に開花する。
西岡:高校2年生のときに全日本選手権で最年少優勝をし、そこから高校3年生、大学1年生と3連覇をしました。また、高校3年時には世界選手権で銀メダルを獲得するとともに、難度点の世界記録を樹立することができました。世界大会に臨むにあたり設定した目標は、難度点のワールドレコード樹立と海外に自分を知ってもらうこと。それは達成できたわけですが、2位入賞に関しては「ラッキー」ぐらいにしか思っていなかったです。自分の演技が特別うまかったわけでもないですし、他の選手が本領を発揮できなかったことも重なって転がり込んできた結果だと思っているので。意気込み過ぎなかったことで、いい結果が得られたのかもしれません。
西岡:トランポリン競技は、体幹と脚の筋力が重要とされているんです。そのため、跳躍した際に身体がブレないよう、重りを持った状態でスクワットをするなど体幹を鍛えるトレーニングをしています。また、連続して10本の技を繰り出すトランポリン競技ではかなりの体力を要するので、酸素濃度を富士山と同レベルに設定した低酸素室でランニングをし、体力増強にも努めていて。さらに、ジャンプしてボックスに乗ったり、接地でブレないようにボックスから降りたりするジャンプトレーニングなども行っています。
その後も各大会で好成績を収め続けた西岡選手は、初めて五輪行きの切符を獲得する。迎えた2024年の夏。パリの地でまず待ち受けていたのは選手村での生活だった。
西岡:僕は選手村で7日間過ごし、8日目に競技を行いました。なので一週間は環境に馴染んだり、楽しんだりする期間があったんです。選手村の部屋はランダムに割り振られ、競技が終わった人から抜けて次の競技を控える人が新たに入ってくるというシステムで、僕は体操の団体メンバー5人と同室でした。体操男子団体が金メダルを獲得して帰ってきたときは部屋でみんなしてワーワー騒いだことを覚えています。
西岡:正直、全然覚えてないんですよ。もう嫌過ぎて。おそらく自分の中で、なかったことのように捉えているのかもしれません。当日の記憶がほとんど飛んでいるんです。そんなわけでパリオリンピックでの演技の映像はそれまで見ることができませんでしたが、最近になって、トランポリンナショナルのサポートとして過去大会の動画を全てまとめたアプリを見る機会があって。そこで自分の演技を初めて視聴し、その日は一日中ずっとイライラしました。もう気味が悪くて。それくらい拒絶反応が出たんですよね。あの日は悔しかったですし、疲労感さえ覚えずに終わったので。ほんとに「今まで何をしてきたんだろう?」みたいな。サポートしてくださった方たちに結果で恩返しができなかったという不甲斐なさがすごいありましたね。
西岡:とりあえずガッツリ休みました。パリ五輪後の1か月間、家から出ずに好きなことをして過ごしていました。そこから「ちょっとずつやるか」という気持ちが芽生えて。少しずつ練習を再開し、福岡・青森・長野を回った体操協会の演技会への参加を経て、12月の大会で競技に復帰しました。
失意のパリ五輪から1年半。西岡選手は再び前を向き、次なる大舞台に向けて研鑽を積んでいる。そんな彼にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何か。尋ねると、こんな答えが返ってきた。
西岡:3年後のロサンゼルスオリンピックでは、パリで果たせなかった日本人初のメダル獲得を目指します。さらにその先は、自分のクラブを持ち、小さい子どもたちにトランポリンの楽しさを五輪でメダルを取った第一人者として日本中に広めていきたいとも考えています。日本人選手は外国の選手と比べてジャンプの高さが足りていません。体幹がブレていると素直に力が下に伝わらないので、体幹や足の筋肉を鍛えて跳躍点を稼げるようにし、3年後の好結果に繋げていきたいです。
(構成=小島浩平)
西岡選手は2003年11月1日、大阪府生まれ。全日本選手権では2020年から2022年にかけて3連覇、2021年に初出場したワールドカップでは難度点世界記録を樹立した、日本のトランポリン競技における第一人者だ。
西岡選手が登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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2歳で体操、小1でトランポリンを開始
「BMW M135 xDrive」は六本木ヒルズを出発。車中の西岡選手は活動拠点を東京に置き、2028年のロサンゼルスオリンピックに向けて、味の素ナショナルトレーニングセンターで朝から晩まで練習漬けの日々を送っている。そんな日本トランポリン界・期待の星は、どのような経緯でこの競技を始めたのか。西岡:母からは、家で飛び跳ねたり、暴れたり、走りまわったりと体力が有り余っているような子どもだったと聞いています。僕は2歳でマット運動を始め、小学1年生でトランポリンに移行しましたが、親としては面倒を見切れないから、地域のスポーツクラブに預けて体力を消耗させる…という意図があったのかもしれません(笑)。
有り余るエネルギーをトランポリンにぶつけた幼少期の西岡選手だが、最初の頃は同じ年齢の子どもたちと比べ、突出して秀でていたわけではなかったという。しかし、高校生になって身体の成長が安定してくると、その才能は瞬く間に開花する。
西岡:高校2年生のときに全日本選手権で最年少優勝をし、そこから高校3年生、大学1年生と3連覇をしました。また、高校3年時には世界選手権で銀メダルを獲得するとともに、難度点の世界記録を樹立することができました。世界大会に臨むにあたり設定した目標は、難度点のワールドレコード樹立と海外に自分を知ってもらうこと。それは達成できたわけですが、2位入賞に関しては「ラッキー」ぐらいにしか思っていなかったです。自分の演技が特別うまかったわけでもないですし、他の選手が本領を発揮できなかったことも重なって転がり込んできた結果だと思っているので。意気込み過ぎなかったことで、いい結果が得られたのかもしれません。

選手村では体操男子メンバーと相部屋
2021年にアゼルバイジャンで開催された世界選手権にて、3回転宙返り7回の大技により難度18.9点の世界記録を樹立。この快挙により西岡選手は一躍パリ五輪の有望選手としてスポットライトが当たるようになり、より一層トレーニングに注力していったという。西岡:トランポリン競技は、体幹と脚の筋力が重要とされているんです。そのため、跳躍した際に身体がブレないよう、重りを持った状態でスクワットをするなど体幹を鍛えるトレーニングをしています。また、連続して10本の技を繰り出すトランポリン競技ではかなりの体力を要するので、酸素濃度を富士山と同レベルに設定した低酸素室でランニングをし、体力増強にも努めていて。さらに、ジャンプしてボックスに乗ったり、接地でブレないようにボックスから降りたりするジャンプトレーニングなども行っています。
その後も各大会で好成績を収め続けた西岡選手は、初めて五輪行きの切符を獲得する。迎えた2024年の夏。パリの地でまず待ち受けていたのは選手村での生活だった。
西岡:僕は選手村で7日間過ごし、8日目に競技を行いました。なので一週間は環境に馴染んだり、楽しんだりする期間があったんです。選手村の部屋はランダムに割り振られ、競技が終わった人から抜けて次の競技を控える人が新たに入ってくるというシステムで、僕は体操の団体メンバー5人と同室でした。体操男子団体が金メダルを獲得して帰ってきたときは部屋でみんなしてワーワー騒いだことを覚えています。

パリ五輪での演技の映像は「見ることができなかった」
オリンピックのトランポリン競技では予選に16名が出場し、2回の演技でベストスコアを競い、上位8名が決勝に進出する。同競技における日本人選手初のメダルが期待されていた西岡選手だったが、1回目の演技でまさかのミス。逆転の望みをかけて2回目の跳躍に臨んだものの、バランスを崩して枠からはみ出してしまう。結局、得点を伸ばせないまま最下位で予選敗退。憧れ続けた夢舞台での痛恨事は、容易に受け止められるものではなかったようだ。西岡:正直、全然覚えてないんですよ。もう嫌過ぎて。おそらく自分の中で、なかったことのように捉えているのかもしれません。当日の記憶がほとんど飛んでいるんです。そんなわけでパリオリンピックでの演技の映像はそれまで見ることができませんでしたが、最近になって、トランポリンナショナルのサポートとして過去大会の動画を全てまとめたアプリを見る機会があって。そこで自分の演技を初めて視聴し、その日は一日中ずっとイライラしました。もう気味が悪くて。それくらい拒絶反応が出たんですよね。あの日は悔しかったですし、疲労感さえ覚えずに終わったので。ほんとに「今まで何をしてきたんだろう?」みたいな。サポートしてくださった方たちに結果で恩返しができなかったという不甲斐なさがすごいありましたね。

28年ロス五輪で再び目指す日本人初のメダル
当時20歳の若きアスリートが初めて味わった大きな挫折。この出来事を西岡選手はどのように乗り越え、立ち直ったのだろうか?西岡:とりあえずガッツリ休みました。パリ五輪後の1か月間、家から出ずに好きなことをして過ごしていました。そこから「ちょっとずつやるか」という気持ちが芽生えて。少しずつ練習を再開し、福岡・青森・長野を回った体操協会の演技会への参加を経て、12月の大会で競技に復帰しました。
失意のパリ五輪から1年半。西岡選手は再び前を向き、次なる大舞台に向けて研鑽を積んでいる。そんな彼にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何か。尋ねると、こんな答えが返ってきた。
西岡:3年後のロサンゼルスオリンピックでは、パリで果たせなかった日本人初のメダル獲得を目指します。さらにその先は、自分のクラブを持ち、小さい子どもたちにトランポリンの楽しさを五輪でメダルを取った第一人者として日本中に広めていきたいとも考えています。日本人選手は外国の選手と比べてジャンプの高さが足りていません。体幹がブレていると素直に力が下に伝わらないので、体幹や足の筋肉を鍛えて跳躍点を稼げるようにし、3年後の好結果に繋げていきたいです。
(構成=小島浩平)
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