
サックス奏者の馬場智章さんが、ジャズに目覚めたきっかけや幼馴染の有名ドラマ―とのエピソード、さらには現在の日本のジャズシーンに思うことなどについて語った。
馬場さんは1992年、北海道札幌市生まれの33歳。幼少期よりサックスをはじめ、米国ボストンのバークリー音楽大学卒業後、ニューヨークを拠点として活動し、帰国後には2023年公開のアニメーション映画『BLUE GIANT』で主人公のサックス演奏を担当。現在の日本のジャズシーンを牽引するプレイヤーの一人だ。
馬場さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
馬場:僕は子どもの頃、ジュニア大会へ出場するなど水泳に熱心に取り組んでいました。そのため音楽には縁がなかったのですが、ある日、母方の伯父が参加するアマチュアジャズのビッグバンドのコンサートに誘われたんです。僕は水泳の大会が終わった後に連れて行かれ、本当に疲れていたので「たぶん寝るだろうな」とあまり期待していませんでした。ところが、当時ジャズが物珍しかったこともあって、すごく新鮮に映り「やりたい!」となりました。それが6歳のときでしたね。
ジャズに魅了された幼い頃の馬場さんは、札幌市内近郊の小中学生を対象とした札幌ジュニアジャズスクールに通い始める。同スクールでは、トロンボーンからスタートし、アルトサックスを経て、小学五年生時にマイケル・ブレッカーへの憧れから現在の使用楽器であるテナーサックスを演奏するようになったという。
馬場:僕の思い出には常に石若駿が登場します。もともと音楽に詳しくなかった僕のジャズのインフォメーションは、すべて彼から来ているんです。高校生のときなどは東京にいる駿を頼って遊びに行き、ディスクユニオンの新宿ジャズ館を訪れて、今やジャズ界の大スターとなったピアニスト、ロバート・グラスパーの1stアルバムを探したり、「最近これ見つけたんだよね」「今この人が超カッコよくて」などと話して盛り上がったりしたことを覚えています。だから僕の実家には、ディスクユニオンで買ったCDがたくさんあるんですよ。
Introは主にジャムセッションをする場所です。誰かがライブをするというよりは、ドラムやベース、ピアノなどの演奏者がホストメンバーを務め、そこにプロ・アマ問わず様々な人が集まって即席バンドを組んで演奏していくんです。初めて行ったのは、高校生の夏休み期間中だったかと思います。そのときも駿が「東京でライブをやろうよ」と誘ってくれて、そこで初めて東京のミュージシャンと出会いました。ジャズのシーンは、ロックバンドのようにずっと固定のメンバーで演奏するのではなく、現場ごとにメンバーが入れ替わり、セッションライブを行うことが多い。そんな中で、演奏の機会を得るには色んな人に覚えてもらわなければいけません。Introはまさに自分を知ってもらうための場所だったので、演奏に行くときは「よっしゃやってやるぞ!」と気合を入れてましたね。
馬場:バークリーでは、映画音楽を作曲する学科やCMのジングルを作る学科、ゲームの効果音を手掛ける学科など、様々な学科がありました。各学科に在籍する作曲家は、演奏学科にいる人たちに自分の曲を演奏してもらうよう依頼をするわけです。そのため学校内でも、「あいつ、なかなかつかまらないんだよね」と言われるような売れっ子がいるという。とてつもない競争社会が既に学校の中で始まっているみたいで、それがすごく面白かったですね。また、バークリーへ行ってよかったと思うのは、今でも一緒に演奏する友だちが世界中にできたことです。僕が最近手掛けたメジャー・デビュー作となるアルバム『ELECTRIC RIDER』でドラマーを務めたJK Kimは、大学の同期で、キーボードやシンセサイザーを担当してくれたBIGYUKIも大学の先輩です。卒業してもう10年ほどになりますが、いまだにバークリーの縁が様々な形で繋がっているんですよね。
バークリー大学卒業後は、ニューヨークへ。ジャズの本場で奮闘する中、思いがけないオファーが舞い込むこととなる。
馬場:ニューヨークのミュージシャンは皆、何かに特化していました。誰にも負けない武器や得意分野があるというか。その一方で、バンドに参加したときは、何でもかんでも自分のスタイルに当てはめるのではなく、文脈をしっかりと汲み取った上で演奏したりもする。そういったこと含め、ニューヨークでの日々は学びの連続でした。ちょうどニューヨークに移り住んですぐのとき、「報道ステーション」(テレビ朝日系)のテーマ曲をニューヨーク在住の若手日本人ジャズメン5人で「J-Squad」というバンドを結成して演奏するというオファーをいただきました。皆さんに知られている番組だったので、以前は冠婚葬祭で親族に会うとちょっと肩身が狭かったんですけど、「ちゃんとした活動をしていたんだ」と両親や親せきの見る目が変わり、ようやく胸を張れるなと思いましたね(笑)。
馬場:『BLUE GIANT』の映画制作にあたっては、情報をなるべく外に出さないようにしていたみたいです。だから僕は、誰がドラム担当なのか全く知らず、リハーサル時の初顔合わせで「おお、駿だ!」となりました。スタッフさんから「お二人は面識があるんですか?」と聞かれ、「いや、面識があるどころか、9歳の頃からずっと一緒で……」と説明して。監督やディレクターの方たちでさえ僕と駿の関係性を知らなかったから、その話を聞いて「ええ!?」「いいもん見っけた!」みたいな(笑)。「リアル『BLUE GIANT』じゃないですか!」と喜んでいました。僕らとしても感慨深かったですね。僕はアメリカへ渡り、駿は日本のシーンを選んだ。その2人が、こういった大きな作品で共演できるようになったことが本当にうれしかったです。
馬場:僕らの世代が様々なシーンで活躍するようになり、すごく面白くなってきていますが、同時に課題もあると思います。歴史を見れば、ジャズは日本人にとって新しい文化であり、まだたくさんのお客さんが来るような状況にはなっていません。実は今、ジャズクラブには外国のお客さんが多いんですよ。「日本のジャズはすごく面白い」と評判なのですが、なぜか日本人のリスナーには伝わっていない。なので、ポップスと同じ規模感になってほしいとまでは言いませんが、日本国内でもジャズシーンへの熱量が上がって欲しいとは思いますね。
馬場さんを乗せた「BMW X2 xDrive20i M Sport」は最後の目的地である、南青山のジャズクラブ「ブルーノート東京」に到着。ジャズミュージシャンにとっての聖地とも言えるこの場所で、最後に自身にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
馬場:ブルーノート東京は僕含めたジャズミュージシャンにとって憧れのジャズクラブです。そこで昨年初めて自分の名前を冠した公演を開催しました。2日間の公演にはたくさんのお客様に足を運んでいただき、達成感や感動を味わうことができました。ミュージシャンをやっていると大変ですし、辛いこともたくさんあります。でも、ここでやめてしまったら見えない景色もあると思うと、もうちょっと頑張ろうと活力がわいてくるんです。とにかく僕が今思うのは、本当に人との縁に恵まれているということです。ミュージシャンの方だけではなく、裏方の仕事に従事されている方含め、出会うべくして出会えた方がたくさんいます。その方々への感謝の気持ちを常に持ち、これからも活動していきたいです。
(構成=小島浩平)
馬場さんは1992年、北海道札幌市生まれの33歳。幼少期よりサックスをはじめ、米国ボストンのバークリー音楽大学卒業後、ニューヨークを拠点として活動し、帰国後には2023年公開のアニメーション映画『BLUE GIANT』で主人公のサックス演奏を担当。現在の日本のジャズシーンを牽引するプレイヤーの一人だ。
馬場さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
ジャズに目覚めたのは6歳のとき
「BMW X2 xDrive20i M Sport」は六本木ヒルズを出発。その車中で馬場さんは、ジャズと初めて出合った幼少期の思い出を語り始めた。
ジャズに魅了された幼い頃の馬場さんは、札幌市内近郊の小中学生を対象とした札幌ジュニアジャズスクールに通い始める。同スクールでは、トロンボーンからスタートし、アルトサックスを経て、小学五年生時にマイケル・ブレッカーへの憧れから現在の使用楽器であるテナーサックスを演奏するようになったという。
ドラマーの石若駿と過ごした青春の日々
また、このジャズスクールで出会ったのが、長じてからともに音楽シーンで活躍するドラマーの石若駿さんだった。2人が初めて顔を合わせたのは9歳のとき。中学卒業後は石若さんが東京芸大の付属高校、馬場さんが地元の高校へ進学し、それぞれの道を進みながらも、音楽を通した交流は途切れることがなかったそうだ。馬場さんを乗せた「BMW X2 xDrive20i M Sport」は、そんな石若さんとの青春の思い出が詰まったディスクユニオン新宿ジャズ館と、高田馬場のジャズクラブ「Jazz Spot Intro」を巡っていく。
Introは主にジャムセッションをする場所です。誰かがライブをするというよりは、ドラムやベース、ピアノなどの演奏者がホストメンバーを務め、そこにプロ・アマ問わず様々な人が集まって即席バンドを組んで演奏していくんです。初めて行ったのは、高校生の夏休み期間中だったかと思います。そのときも駿が「東京でライブをやろうよ」と誘ってくれて、そこで初めて東京のミュージシャンと出会いました。ジャズのシーンは、ロックバンドのようにずっと固定のメンバーで演奏するのではなく、現場ごとにメンバーが入れ替わり、セッションライブを行うことが多い。そんな中で、演奏の機会を得るには色んな人に覚えてもらわなければいけません。Introはまさに自分を知ってもらうための場所だったので、演奏に行くときは「よっしゃやってやるぞ!」と気合を入れてましたね。
ニューヨーク在住時に「報道ステーション」のテーマ曲を担当
馬場さんは2005年、バークリー音楽大学タイアップの北海道グルーブキャンプを受講し、最年少でバークリーアワード賞を受賞。15歳のとき、バークリー音楽大学サマープログラムに参加するためにボストンに渡った。2011年にはバークリー音楽大学に入学。同大学では、名門音大ならではの刺激的な体験が彼を待ち受けていた。馬場:バークリーでは、映画音楽を作曲する学科やCMのジングルを作る学科、ゲームの効果音を手掛ける学科など、様々な学科がありました。各学科に在籍する作曲家は、演奏学科にいる人たちに自分の曲を演奏してもらうよう依頼をするわけです。そのため学校内でも、「あいつ、なかなかつかまらないんだよね」と言われるような売れっ子がいるという。とてつもない競争社会が既に学校の中で始まっているみたいで、それがすごく面白かったですね。また、バークリーへ行ってよかったと思うのは、今でも一緒に演奏する友だちが世界中にできたことです。僕が最近手掛けたメジャー・デビュー作となるアルバム『ELECTRIC RIDER』でドラマーを務めたJK Kimは、大学の同期で、キーボードやシンセサイザーを担当してくれたBIGYUKIも大学の先輩です。卒業してもう10年ほどになりますが、いまだにバークリーの縁が様々な形で繋がっているんですよね。
バークリー大学卒業後は、ニューヨークへ。ジャズの本場で奮闘する中、思いがけないオファーが舞い込むこととなる。
馬場:ニューヨークのミュージシャンは皆、何かに特化していました。誰にも負けない武器や得意分野があるというか。その一方で、バンドに参加したときは、何でもかんでも自分のスタイルに当てはめるのではなく、文脈をしっかりと汲み取った上で演奏したりもする。そういったこと含め、ニューヨークでの日々は学びの連続でした。ちょうどニューヨークに移り住んですぐのとき、「報道ステーション」(テレビ朝日系)のテーマ曲をニューヨーク在住の若手日本人ジャズメン5人で「J-Squad」というバンドを結成して演奏するというオファーをいただきました。皆さんに知られている番組だったので、以前は冠婚葬祭で親族に会うとちょっと肩身が狭かったんですけど、「ちゃんとした活動をしていたんだ」と両親や親せきの見る目が変わり、ようやく胸を張れるなと思いましたね(笑)。

『BLUE GIANT』のリハで親友と再会
2023年に公開されたアニメーション映画『BLUE GIANT』。シリーズ累計1100万部突破した漫画家・石塚真一さんの大人気マンガを原作とする同作は、観客動員数80万人、興行収入12億円を突破する大ヒットとなった。作品の主人公は、ジャズに魅了されテナーサックスを始めた仙台の高校生・宮本大。そのサックスの演奏を担当したのが馬場さんで、ともに夢を目指すバンド仲間・玉田俊二のドラムを担当したのが9歳の頃からの親友・石若駿さんだった。馬場:『BLUE GIANT』の映画制作にあたっては、情報をなるべく外に出さないようにしていたみたいです。だから僕は、誰がドラム担当なのか全く知らず、リハーサル時の初顔合わせで「おお、駿だ!」となりました。スタッフさんから「お二人は面識があるんですか?」と聞かれ、「いや、面識があるどころか、9歳の頃からずっと一緒で……」と説明して。監督やディレクターの方たちでさえ僕と駿の関係性を知らなかったから、その話を聞いて「ええ!?」「いいもん見っけた!」みたいな(笑)。「リアル『BLUE GIANT』じゃないですか!」と喜んでいました。僕らとしても感慨深かったですね。僕はアメリカへ渡り、駿は日本のシーンを選んだ。その2人が、こういった大きな作品で共演できるようになったことが本当にうれしかったです。
現在の日本のジャズシーンに思うこと
ジャズの世界に新たな風を吹き込んでいる馬場さんだが、今の日本のジャズシーンをどのように感じているのだろうか?馬場:僕らの世代が様々なシーンで活躍するようになり、すごく面白くなってきていますが、同時に課題もあると思います。歴史を見れば、ジャズは日本人にとって新しい文化であり、まだたくさんのお客さんが来るような状況にはなっていません。実は今、ジャズクラブには外国のお客さんが多いんですよ。「日本のジャズはすごく面白い」と評判なのですが、なぜか日本人のリスナーには伝わっていない。なので、ポップスと同じ規模感になってほしいとまでは言いませんが、日本国内でもジャズシーンへの熱量が上がって欲しいとは思いますね。

馬場:ブルーノート東京は僕含めたジャズミュージシャンにとって憧れのジャズクラブです。そこで昨年初めて自分の名前を冠した公演を開催しました。2日間の公演にはたくさんのお客様に足を運んでいただき、達成感や感動を味わうことができました。ミュージシャンをやっていると大変ですし、辛いこともたくさんあります。でも、ここでやめてしまったら見えない景色もあると思うと、もうちょっと頑張ろうと活力がわいてくるんです。とにかく僕が今思うのは、本当に人との縁に恵まれているということです。ミュージシャンの方だけではなく、裏方の仕事に従事されている方含め、出会うべくして出会えた方がたくさんいます。その方々への感謝の気持ちを常に持ち、これからも活動していきたいです。

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