音楽プロデューサーの島田昌典と、いきものがかり・水野良樹がJ-WAVEで対談。島田がプロデュースの道に進んだきっかけや、aikoやいきものがかりとの制作エピソード、これからのビジョンを語った。
島田が登場したのは、11月8日(土)放送のJ-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』(ナビゲーター:水野良樹)。“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求するプログラムだ。なお、番組はSpotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
水野:最初はこの業界にどうやって入ったんですか?
島田:1960年代後半から70年代、高度成長期で団地に住んでいて。当時、団地に住むってすごくステータスで。両親がピアノを買うこともステータスで、そこから始まってる。小学1年くらいからピアノ教室に行ってって感じで。
水野:ピアノはクラシックをやられていたんですか。
島田:そう。それは小学5年くらいまでかな。いろいろ(親の)転勤とかあって。そこから音楽を始めたって感じですね。
水野:それでいつビートルズに出会うんですか?
島田:たまたま小学4年くらいのときに、近所のお兄ちゃんが「これ、かっこいいよ」とか言ってカセットプレイヤーでかけてくれて。それが『Help!』だったんです。
島田:それにすごく衝撃を受けて、そこからビートルズが頭に入って、中学くらいからいわゆるブリティッシュロックとかを聴きだしたって感じですね。
水野:当時はいまみたいにサブスクがないじゃないですか。どうやって情報を得ていたんですか?
島田:ラジオをエアチェックして、カセットテープに録音して。ラジオが本当に僕の音楽人生を作ってくれました。それを耳コピしたり、バンドスコアを買ったりして、自分の家に友だちを呼んできて音が漏れるから窓を閉めて、中古のドラムを練習したりしてましたね。たまたま、親父がテープレコーダーを持ってて、それがL・Rと別々に録音できたの。友だちと一緒に、片方にドラムとベースを録音して、それを聴きながらギターとか歌をかぶせたりして、それをまたカセットに録音してスピーカーで聴いたときに「うわー!」って感動して。宅録みたいな感じで。それがいまにつながってるよね。
島田:大学は3年くらいまで行って、それはまったく音楽に関係ない理科系の大学で。そこで軽音とか入っていて、音楽をやり過ぎてて留年しちゃったよね(笑)。サラリーマンになるよりはやっぱり音楽をやっていきたいって、何もツテとかもなかったけど大学を辞めて。たまたま、人とのつながりがあって、最初はキャバレーで接客してて、その合間に30分くらいハウスバンドのステージがあったから、そこにピアニストとして入って、勉強して。ジャズとかポピュラー音楽とか。それでお客さんがダンスしてて。
水野:野生味あふれるライブシーンにいて、そこからレコーディング仕事というかミュージシャンとの仕事をしていくってどういう流れなんですか。
島田:いろんなミュージシャンがそこのキャバレーに来て、つながっていって。当時、21、22歳くらいで、あるミュージシャンから紹介してもらって「一緒にバンドをやらないか」と。そのバンドは円 広志さんのバックバンドをするみたいで「やる、やる!」ってなって。そこから、もんたよしのりさんのバックバンドもやったりしました。それで、ライブのアレンジとかをやらせてもらってたんですね。そこでアレンジの面白さに気付いて、そこからいろんな歌手とセッションをやらせてもらったりしてすごく勉強になりました。
水野:島田さんって、たたき上げ中のたたき上げですよね(笑)。
島田:音楽大学とかでまったく勉強してなくて、我流でやりたい放題でした。好きだけでこれまでやってきたので。
水野:プロキャリアを演奏家としてスタートして、たたき上げでプロデュース業に入って、そしてaikoさんとも出会われるんですよね。
島田:円さんがヤマハに所属していて、当時aikoさんはオーディションを経てそこに所属していて。そこのディレクターから、「ヤマハとの契約が切れるから、1枚アルバムを作ってほしいんだけど、島田やらない?」って言われて、そこで知り合って。でも、すごかったですね。
水野:他のアーティストと何が違ったんですか。
島田:もちろん、詞の世界観もそうですけど、歌をパッと歌ってメロディーもどんどん変えていくし、「ここ、ハモりをやってみましょうか」って言ったら、リアルタイムではめていって。すごかったですよ。いまでもそんな感じなんですけどね。aikoさんの作ってる曲が、僕の大好きなビートルズとかコード進行とかに通じるところがあって、すごく面白いなと思って。アレンジを提案するとすごく喜んでくれたりして、そこで波長があった感じはありましたね。
島田:自分でもよくわからないんだけど、ロック、ジャズ、ブルース、ソウル……いろんなジャンルが大好きなので、それがごった煮になって出てくるというか。自分でもコントロールできない部分があるんです。曲をもらうときって、だいたい弾き語りでくるじゃないですか。それを歌に合わせてピアノを弾いたときに出てくるものしか出ないと思うので、そこのイメージから曲を作っていく感じですね。だから、人によって変わりますね。
水野:島田さんにデモをお渡しするとき、よく島田さんがおっしゃるのが「“すっぴん”なデモのほうがやりやすい」。あんまり装飾なくピアノの伴奏と仮歌くらいのほうが、むしろやりやすいって。
島田:そうそう。それはいま言ったように、歌を聴いてそこからイメージできるものをピアノでガッと弾きまくって、そこからピアノで出てくる合いの手であったり、いきものがかりのおふたりに対してのアプローチだったり、コード進行だったりとか(を作っていく)。だから、あまりデモを作り込まれると、そのイメージに引っ張られてイメージが広がっていかなかったりもするので、なるべく歌とピアノとかギターだけのほうが自分的にはやりやすいですね。
続いて、いきものがかりのデビュー曲『SAKURA』(2006年)の話題に。
島田:やっぱり(吉岡)聖恵ちゃんの声が本当に素晴らしいなって思ったので、これをどう生かそうかっていうのがいちばんにあって。そのうえで、当時はメンバーが3人だったので、3人がどう曲の中で顔が見えるかを考えました。
水野:あのときは、こんなに島田さんがおしゃべりしてくれるとは思ってなかったですよ(笑)。話しかけていいのかなって。
島田:大学生だったもんね。
水野:はい。
島田:うちのプライベートスタジオによく来てもらって、打ち合わせしたり歌も録ったよね。「今度、試験で」とか言ってね。
水野:それが20年くらい前で、いまでも新曲もプロデュースしていただいて、つながりを持たせてもらえるのが幸せだなと思います。
この曲のプロデュースも手がけた島田は、これからのキャリアをどう考えているのだろうか。
島田:これから時代的にすごく機材とか発展して、AIもすごいよね。でも、それになんとなく違和感があって、「その違和感ってなんだろうな?」って思ったら、それは人間味だったりする。やっぱり音楽は人間味が絶対に必要だと思うので、それにこだわりながら音楽を表現していければいいかなって思ってますね。アレンジにしてもライブにしても、人間がやってるんだってところを。いろんな音楽の聴き方とか音楽ジャンルがあって人それぞれだと思うけど、自分的にはそういう人間味がある音楽が大好きなので、そういう音楽をこれからもアーティストと一緒に作っていきたいなって。
この番組では、これからクリエイターを目指す人たちにゲストがメッセージを送っている。島田は「心折れることはたくさんあるんだけど、初心を忘れず、なんでもいいんですよ。作ったものがあなたの作品で、それが『バラスーシ!(すばらしい)』なので」とエールを送った。
島田昌典の最新情報はX公式アカウント(@shimadamasanori)まで。
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求する番組『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』は、毎週土曜21時から放送。
島田が登場したのは、11月8日(土)放送のJ-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』(ナビゲーター:水野良樹)。“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求するプログラムだ。なお、番組はSpotifyなどのポッドキャストでも聴くことができる。
・ポッドキャストページ
小学生で出会ったビートルズに衝撃
島田は1961年、大阪生まれ。aiko、秦 基博など多くのアーティストの楽曲を支える日本屈指のヒットメーカー。いきものがかりの楽曲も、デビュー曲『SAKURA』から最新曲『生きて、燦々』まで数多くの作品を手がけてきた。水野:最初はこの業界にどうやって入ったんですか?
島田:1960年代後半から70年代、高度成長期で団地に住んでいて。当時、団地に住むってすごくステータスで。両親がピアノを買うこともステータスで、そこから始まってる。小学1年くらいからピアノ教室に行ってって感じで。
水野:ピアノはクラシックをやられていたんですか。
島田:そう。それは小学5年くらいまでかな。いろいろ(親の)転勤とかあって。そこから音楽を始めたって感じですね。
水野:それでいつビートルズに出会うんですか?
島田:たまたま小学4年くらいのときに、近所のお兄ちゃんが「これ、かっこいいよ」とか言ってカセットプレイヤーでかけてくれて。それが『Help!』だったんです。
The Beatles - Help!
水野:当時はいまみたいにサブスクがないじゃないですか。どうやって情報を得ていたんですか?
島田:ラジオをエアチェックして、カセットテープに録音して。ラジオが本当に僕の音楽人生を作ってくれました。それを耳コピしたり、バンドスコアを買ったりして、自分の家に友だちを呼んできて音が漏れるから窓を閉めて、中古のドラムを練習したりしてましたね。たまたま、親父がテープレコーダーを持ってて、それがL・Rと別々に録音できたの。友だちと一緒に、片方にドラムとベースを録音して、それを聴きながらギターとか歌をかぶせたりして、それをまたカセットに録音してスピーカーで聴いたときに「うわー!」って感動して。宅録みたいな感じで。それがいまにつながってるよね。
好きという気持ちで道を切り開いてきた
そんな島田は、いつ音楽業界に足を踏み入れたのだろうか。島田:大学は3年くらいまで行って、それはまったく音楽に関係ない理科系の大学で。そこで軽音とか入っていて、音楽をやり過ぎてて留年しちゃったよね(笑)。サラリーマンになるよりはやっぱり音楽をやっていきたいって、何もツテとかもなかったけど大学を辞めて。たまたま、人とのつながりがあって、最初はキャバレーで接客してて、その合間に30分くらいハウスバンドのステージがあったから、そこにピアニストとして入って、勉強して。ジャズとかポピュラー音楽とか。それでお客さんがダンスしてて。
水野:野生味あふれるライブシーンにいて、そこからレコーディング仕事というかミュージシャンとの仕事をしていくってどういう流れなんですか。
島田:いろんなミュージシャンがそこのキャバレーに来て、つながっていって。当時、21、22歳くらいで、あるミュージシャンから紹介してもらって「一緒にバンドをやらないか」と。そのバンドは円 広志さんのバックバンドをするみたいで「やる、やる!」ってなって。そこから、もんたよしのりさんのバックバンドもやったりしました。それで、ライブのアレンジとかをやらせてもらってたんですね。そこでアレンジの面白さに気付いて、そこからいろんな歌手とセッションをやらせてもらったりしてすごく勉強になりました。
水野:島田さんって、たたき上げ中のたたき上げですよね(笑)。
島田:音楽大学とかでまったく勉強してなくて、我流でやりたい放題でした。好きだけでこれまでやってきたので。
aikoのレコーディングは「すごかった」
番組では、ここで島田が手がけたaikoの『飛行機』をオンエアした。aiko-『飛行機』music video
島田:円さんがヤマハに所属していて、当時aikoさんはオーディションを経てそこに所属していて。そこのディレクターから、「ヤマハとの契約が切れるから、1枚アルバムを作ってほしいんだけど、島田やらない?」って言われて、そこで知り合って。でも、すごかったですね。
水野:他のアーティストと何が違ったんですか。
島田:もちろん、詞の世界観もそうですけど、歌をパッと歌ってメロディーもどんどん変えていくし、「ここ、ハモりをやってみましょうか」って言ったら、リアルタイムではめていって。すごかったですよ。いまでもそんな感じなんですけどね。aikoさんの作ってる曲が、僕の大好きなビートルズとかコード進行とかに通じるところがあって、すごく面白いなと思って。アレンジを提案するとすごく喜んでくれたりして、そこで波長があった感じはありましたね。
“すっぴん”なデモのほうがやりやすい
「自身のサウンドの個性はどんなところにあると思いますか?」と水野が質問する。島田:自分でもよくわからないんだけど、ロック、ジャズ、ブルース、ソウル……いろんなジャンルが大好きなので、それがごった煮になって出てくるというか。自分でもコントロールできない部分があるんです。曲をもらうときって、だいたい弾き語りでくるじゃないですか。それを歌に合わせてピアノを弾いたときに出てくるものしか出ないと思うので、そこのイメージから曲を作っていく感じですね。だから、人によって変わりますね。
水野:島田さんにデモをお渡しするとき、よく島田さんがおっしゃるのが「“すっぴん”なデモのほうがやりやすい」。あんまり装飾なくピアノの伴奏と仮歌くらいのほうが、むしろやりやすいって。
島田:そうそう。それはいま言ったように、歌を聴いてそこからイメージできるものをピアノでガッと弾きまくって、そこからピアノで出てくる合いの手であったり、いきものがかりのおふたりに対してのアプローチだったり、コード進行だったりとか(を作っていく)。だから、あまりデモを作り込まれると、そのイメージに引っ張られてイメージが広がっていかなかったりもするので、なるべく歌とピアノとかギターだけのほうが自分的にはやりやすいですね。
続いて、いきものがかりのデビュー曲『SAKURA』(2006年)の話題に。
いきものがかり 『SAKURA』Music Video
水野:あのときは、こんなに島田さんがおしゃべりしてくれるとは思ってなかったですよ(笑)。話しかけていいのかなって。
島田:大学生だったもんね。
水野:はい。
島田:うちのプライベートスタジオによく来てもらって、打ち合わせしたり歌も録ったよね。「今度、試験で」とか言ってね。
水野:それが20年くらい前で、いまでも新曲もプロデュースしていただいて、つながりを持たせてもらえるのが幸せだなと思います。
人間味がある音楽をこれからも作っていきたい
いきものがかりは12月10日(水)に新曲『生きて、燦々』をCDリリースする。いきものがかり「生きて、燦々」【from いきものがかりの みなさん、こんにつあー!! 2025 ~ASOBI~】
島田:これから時代的にすごく機材とか発展して、AIもすごいよね。でも、それになんとなく違和感があって、「その違和感ってなんだろうな?」って思ったら、それは人間味だったりする。やっぱり音楽は人間味が絶対に必要だと思うので、それにこだわりながら音楽を表現していければいいかなって思ってますね。アレンジにしてもライブにしても、人間がやってるんだってところを。いろんな音楽の聴き方とか音楽ジャンルがあって人それぞれだと思うけど、自分的にはそういう人間味がある音楽が大好きなので、そういう音楽をこれからもアーティストと一緒に作っていきたいなって。
この番組では、これからクリエイターを目指す人たちにゲストがメッセージを送っている。島田は「心折れることはたくさんあるんだけど、初心を忘れず、なんでもいいんですよ。作ったものがあなたの作品で、それが『バラスーシ!(すばらしい)』なので」とエールを送った。
島田昌典の最新情報はX公式アカウント(@shimadamasanori)まで。
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、ものづくりの原点を探求する番組『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』は、毎週土曜21時から放送。
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