京都府に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは4月1日(月)〜4日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが京都府を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
山口:僕が京都を訪れた日、雨が降っていたせいもあると思いますが、どこか懐かしい香りがしました。梅や桜がしっとりと香る感じでしたが、実際に行ったのは2月。どうしてなのかな?と思っていましたら、春になる直前の京都は独特の香りがするのだそうです。
京都のステーキハウス「モーリヤ祇園」の料理長の河合剛史(かわい・つよし)さんが「この時期の京都は、本当に京都らしい香りがしますよ。夏は夏、秋は秋と、季節の香りがしますが、特に梅が咲き始める頃の香りは、京都だと感じます」と教えてくださいました。
「モーリヤ祇園」は神戸牛を味わえるステーキ屋。本店は神戸に構えている。
山口:モーリヤの開業は明治18年(1885年)で、今から約140年前になるんですけど、京都の祇園店ができたのは今から15年ほど前だそうです。
お肉は但馬牛の郷でもある兵庫・薮市の牧場から持って来られているそうです。雌で3歳になるか、ならないかくらい。だいたい32ヶ月程度育てた頃が、味わって一番美味しいお肉なのだといいます。
それにしても、河合さんの包丁さばきは実にお見事でした。鉄板に傷がないんです。「河合さん、これどうやってお肉や野菜を切っているの?」と聞くと、「鉄板スレスレのところで切るんですよ。包丁はドイツの『ゾーリンゲン』を使っています」と仰いました。料理人はそれぞれクセもございますし、体に合ったものが必要だということで、お店でゾーリンゲンに注文し、1本1本手作りのものを仕入れているのだそうです。
山口:二条城の東側には「堀川通」という大きな通りが、南北に走っています。堀川通のすぐ東の細い道は「油小路通」ですが、ここに4年前に開業されたのが「HOTEL THE MITSUI KYOTO」。この場所、江戸時代には三井総領家(北家)2代当主の三井高平が邸宅を構えていました。
「HOTEL THE MITSUI KYOTO」の南側には、「ANAクラウンプラザホテル京都」がございます。こちらは古いホテルで、北家に対して、三井南家の邸宅があったところです。大政奉還が行われた際、三井総領家の北家は、ANAクラウンプラザの方に移ったそうです。その時、北家は福井藩主であった松平春嶽の在所として貸し出されていました。
2014年、多くの人に惜しまれつつ、53年の歴史に幕を下ろした「京都国際ホテル」。ここは、当時京都で初めてのシティホテルと呼ばれていた施設だ。
山口:京都国際ホテルには能舞台もあって、アメリカやヨーロッパなどからやってきた観光客の方々が多く宿泊しました。しかし、老朽化で残念ながら2014年に解体されてしまいました。
僕も取り壊される前に何度か能を見に行ったことはございましたが、油小路通のあたりは昆布屋さんなど小さいお店がたくさんあって、いいところだなと感じました。この場所で新しく生まれ変わったのが、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」なのです。
エントランスでは、美しい「梶井宮(かじいみや)門」が迎えてくれます。1300年以上前の門ということで、全部を一旦解体して、ダメになったパーツは、新しいものに変えて、使えるものは、そのまま使って、梶井宮門は再建されたそうです。
梶井宮門を再建するにあたり、寺社仏閣の建築を得意とする「清水建設」の下、福井の宮大工集団「藤田社寺建設」が全面的な修復にあたったそうだ。
山口:三井家はこのホテルを作るのに「継承と神聖」をテーマに掲げたそうです。「HOTEL THE MITSUI KYOTO」というローマ字の看板が出ておりますが、フォントは1689年にイギリスで使われていたものなんだとか。なぜ1689年かというと、三井総領家が油小路通沿いに家を建てたときの年号だそうです。
その梶井宮門の四つ隅には、瓦細工で作られた「桃」が並べられています。東西南北にそれぞれ置かれているんですけど、桃は魔除けを意味します。桃という漢字は「木へんに兆し」で構成されています。この兆しは“良い物事が起こることを予想させるようなしるし・悪いものをちょんぎる”ような意味があるのです。
そんな梶井宮門が迎えてくれる、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」に泊まって、のちの三井財閥となった三井家がどのように日本経済を支えていったのか、江戸時代から明治時代に至るまでの歴史を調べてみるのも面白いのかと思います。
山口:川のある街っていいですね。鴨川の流れに耳を澄ましていると、<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし>という、鴨長明の方丈記を思い出します。
鴨長明は「下鴨神社」、正式には「賀茂御祖神社」の禰宜(ねぎ)家・次男でした。鴨川のY字型になっている別れ道のような場所に下鴨神社はありますが、鴨長明は、鴨川が流れているのを眺めながら<ゆく河の流れは絶えずして>などと考えたのでしょうか。
鴨長明は1155年生まれ。平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人・随筆家だ。
山口:鴨長明が生きていたのは約800年前。しかし、その頃から、鴨川の流れは変わっていません。人間というのも、ひとりひとりを見ていけば、水雫の一滴という気がしますが、歴史を見れば、人間の集団みたいなものが人間の歴史を作っています。つまり、人間の歴史も川の流れのようなものなのかなと思います。
山口さんは鴨川のほとりに佇むホテル「ザ・リッツ・カールトン京都」を訪れた。
山口:このホテルに「水暉(みずき)」というお寿司屋さんがございますが、行ってみて、びっくりしたのが、石川県の伝統工芸である輪島塗で作られた、長さ11メートルにおよぶ美しいカウンターです。
そのカウンターに座り、お寿司をいただくと、これがまたおいしいんです。カウンターの向こうには大きなガラスがございまして、その奥には滝のように水が流れています。その向こう側に鴨川を感じながらお寿司をいただくというのは、大変オツな体験でした。
また、お寿司を食べながら<ゆく河の流れは絶えずして>という言葉を思い浮かべました。たくさんお寿司があった内のひとつが、私の口へと入ってくると思うと、また違う趣でお寿司を味わうことができます。
そんな風にお寿司を楽しんでいたら、突如、料理長の合田共宏さんが「まずは伝助いきます」と言ったそうだ。
山口:「何、伝助って?」と聞くと、「でくのぼうの伝助穴子」と仰いました。兵庫県・明石の名物なんだそうです。天ぷら屋さんではよく、生きた穴子の頭の部分に釘みたいなものを刺して捌いてから天ぷらを作ってくださいますが、長いものでも体長30センチ程度です。
ところが、でくのぼうの伝助穴子というのは、とびきり大きいサイズで、体長1メートルくらいなんですね。しかも全然おいしくないのだとか。
なんでも、おいしくないからでくのぼうの伝助穴子と言うそうです。しかも体中に骨がいっぱい……普通だったら「役立たず」と捨ててしまうのですが、骨を1本1本キレイに抜いて、骨抜きにし、蒸してから、スダチに柚子胡椒、梅肉をつけていただくと「ハモじゃない?」と錯覚するくらいおいしい。明石ではこの「でくのぼうの伝助穴子」をよく召し上がるそうです。
そして山口さんは鴨長明の「方丈記」に書かれてある<魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず/鳥は林をねがふ/鳥にあらざれば其心を知らず>という言葉を読み上げた。
山口:これは魚が水に住み、鳥は林に住んでいるが、魚や鳥でなければ水や林が気持ちいいということがわからないことを謳っています。そう考えると、人間も含め、生き物というのはそれぞれ自分が生きやすい場所を求めて、一生を終えるのかもしれません。
僕は本来晴れ男で、今回も京都に行ったら晴れるだろうと思っていました。しかし、京都に到着してみたら、雨が降っていて、ジメジメとしていた。でもすごくいい雨だったんです。雨の音を聞きながら、しっとりした京都の香りを楽しむ。そして鴨川を眺めながら、命をおいしくいただくことはありがたいことだとしみじみ思いました。そういう心を忘れないようにしたいと感じながら、「また京都に来られるように」と願って、帰路に就きました。
(構成=中山洋平)
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは4月1日(月)〜4日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが京都府を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
春になる直前の京都は、独特の香りがする
東京駅から東海道・山陽新幹線に乗車し約2時間11分で到着する古都・京都。世界文化遺産にも登録されている歴史的建造物が街に点在している。日本を感じられる代表的な場所として知られ、外国人観光客も多数訪れる。山口:僕が京都を訪れた日、雨が降っていたせいもあると思いますが、どこか懐かしい香りがしました。梅や桜がしっとりと香る感じでしたが、実際に行ったのは2月。どうしてなのかな?と思っていましたら、春になる直前の京都は独特の香りがするのだそうです。
「モーリヤ祇園」は神戸牛を味わえるステーキ屋。本店は神戸に構えている。
山口:モーリヤの開業は明治18年(1885年)で、今から約140年前になるんですけど、京都の祇園店ができたのは今から15年ほど前だそうです。
お肉は但馬牛の郷でもある兵庫・薮市の牧場から持って来られているそうです。雌で3歳になるか、ならないかくらい。だいたい32ヶ月程度育てた頃が、味わって一番美味しいお肉なのだといいます。
京都にあるホテルの歴史
徳川家の栄枯盛衰をはじめ、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城である「二条城」。ユネスコの世界遺産にも登録されている。正式名称は「元離宮二条城」で、1867年11月9日に大政奉還が行われた場所としても有名だ。山口:二条城の東側には「堀川通」という大きな通りが、南北に走っています。堀川通のすぐ東の細い道は「油小路通」ですが、ここに4年前に開業されたのが「HOTEL THE MITSUI KYOTO」。この場所、江戸時代には三井総領家(北家)2代当主の三井高平が邸宅を構えていました。
「HOTEL THE MITSUI KYOTO」の南側には、「ANAクラウンプラザホテル京都」がございます。こちらは古いホテルで、北家に対して、三井南家の邸宅があったところです。大政奉還が行われた際、三井総領家の北家は、ANAクラウンプラザの方に移ったそうです。その時、北家は福井藩主であった松平春嶽の在所として貸し出されていました。
2014年、多くの人に惜しまれつつ、53年の歴史に幕を下ろした「京都国際ホテル」。ここは、当時京都で初めてのシティホテルと呼ばれていた施設だ。
山口:京都国際ホテルには能舞台もあって、アメリカやヨーロッパなどからやってきた観光客の方々が多く宿泊しました。しかし、老朽化で残念ながら2014年に解体されてしまいました。
僕も取り壊される前に何度か能を見に行ったことはございましたが、油小路通のあたりは昆布屋さんなど小さいお店がたくさんあって、いいところだなと感じました。この場所で新しく生まれ変わったのが、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」なのです。
エントランスでは、美しい「梶井宮(かじいみや)門」が迎えてくれます。1300年以上前の門ということで、全部を一旦解体して、ダメになったパーツは、新しいものに変えて、使えるものは、そのまま使って、梶井宮門は再建されたそうです。
山口:三井家はこのホテルを作るのに「継承と神聖」をテーマに掲げたそうです。「HOTEL THE MITSUI KYOTO」というローマ字の看板が出ておりますが、フォントは1689年にイギリスで使われていたものなんだとか。なぜ1689年かというと、三井総領家が油小路通沿いに家を建てたときの年号だそうです。
その梶井宮門の四つ隅には、瓦細工で作られた「桃」が並べられています。東西南北にそれぞれ置かれているんですけど、桃は魔除けを意味します。桃という漢字は「木へんに兆し」で構成されています。この兆しは“良い物事が起こることを予想させるようなしるし・悪いものをちょんぎる”ような意味があるのです。
そんな梶井宮門が迎えてくれる、「HOTEL THE MITSUI KYOTO」に泊まって、のちの三井財閥となった三井家がどのように日本経済を支えていったのか、江戸時代から明治時代に至るまでの歴史を調べてみるのも面白いのかと思います。
お寿司屋で出会った「伝助」とは?
京都市内の南北を流れる河川「鴨川」。憩いの場として多くの人に親しまれている。山口:川のある街っていいですね。鴨川の流れに耳を澄ましていると、<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし>という、鴨長明の方丈記を思い出します。
鴨長明は「下鴨神社」、正式には「賀茂御祖神社」の禰宜(ねぎ)家・次男でした。鴨川のY字型になっている別れ道のような場所に下鴨神社はありますが、鴨長明は、鴨川が流れているのを眺めながら<ゆく河の流れは絶えずして>などと考えたのでしょうか。
鴨長明は1155年生まれ。平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人・随筆家だ。
山口:鴨長明が生きていたのは約800年前。しかし、その頃から、鴨川の流れは変わっていません。人間というのも、ひとりひとりを見ていけば、水雫の一滴という気がしますが、歴史を見れば、人間の集団みたいなものが人間の歴史を作っています。つまり、人間の歴史も川の流れのようなものなのかなと思います。
山口さんは鴨川のほとりに佇むホテル「ザ・リッツ・カールトン京都」を訪れた。
山口:このホテルに「水暉(みずき)」というお寿司屋さんがございますが、行ってみて、びっくりしたのが、石川県の伝統工芸である輪島塗で作られた、長さ11メートルにおよぶ美しいカウンターです。
また、お寿司を食べながら<ゆく河の流れは絶えずして>という言葉を思い浮かべました。たくさんお寿司があった内のひとつが、私の口へと入ってくると思うと、また違う趣でお寿司を味わうことができます。
そんな風にお寿司を楽しんでいたら、突如、料理長の合田共宏さんが「まずは伝助いきます」と言ったそうだ。
山口:「何、伝助って?」と聞くと、「でくのぼうの伝助穴子」と仰いました。兵庫県・明石の名物なんだそうです。天ぷら屋さんではよく、生きた穴子の頭の部分に釘みたいなものを刺して捌いてから天ぷらを作ってくださいますが、長いものでも体長30センチ程度です。
ところが、でくのぼうの伝助穴子というのは、とびきり大きいサイズで、体長1メートルくらいなんですね。しかも全然おいしくないのだとか。
なんでも、おいしくないからでくのぼうの伝助穴子と言うそうです。しかも体中に骨がいっぱい……普通だったら「役立たず」と捨ててしまうのですが、骨を1本1本キレイに抜いて、骨抜きにし、蒸してから、スダチに柚子胡椒、梅肉をつけていただくと「ハモじゃない?」と錯覚するくらいおいしい。明石ではこの「でくのぼうの伝助穴子」をよく召し上がるそうです。
そして山口さんは鴨長明の「方丈記」に書かれてある<魚は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず/鳥は林をねがふ/鳥にあらざれば其心を知らず>という言葉を読み上げた。
山口:これは魚が水に住み、鳥は林に住んでいるが、魚や鳥でなければ水や林が気持ちいいということがわからないことを謳っています。そう考えると、人間も含め、生き物というのはそれぞれ自分が生きやすい場所を求めて、一生を終えるのかもしれません。
(構成=中山洋平)
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