福島・只見町に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は9月2日(月)〜5日(木)。同コーナーでは、地方文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが福島・只見町を訪ね、そこに暮らす人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
福島県の西南にあり、西南部は新潟県に接している只見町。町役場の公式サイトにも、「日本の自然の中心地 自然首都・只見」というキャッチコピーが書かれているとおり、伊南川や只見川の清らかな流れと、豊かな森林資源に恵まれている地域だ。越後三山只見国定公園をはじめ、周囲を標高1000m級の山々と、広大なブナの原生林が囲む。また、冬の多雪により1年を通じて豊かな水が供給される。
山口:只見町へは日本ウォーキング協会のおふたりが連れてってくれました。東京から遠い只見町までどうやって行くかというと、まず新幹線を使うかどうかで決まります。越後湯沢まで新幹線で行ってレンタカーを借りるか、または東北新幹線で西那須野か白川まで行ってレンタカーを借りるか、それから鉄道で行ける方法は只見線に乗ること。これ鉄道ファンにとってはたまらない路線だと思いますけど、これに乗りたいというのであれば、まず越後湯沢まで新幹線で行きましょう。そして上越線に乗り換え、小出に行ってから、只見線に乗車しましょう。
どのルートを選んでも東京からは5〜6時間ほどかかります。僕たちは最終的に車で行きましたが、東北道を抜けて、西那須野から塩原インターで降りて、南会津の方へ向かい、駒止トンネルという長くて真っ暗なトンネルを抜けて、ひたすら南会津から只見町へ走りました。
冬の間は豪雪地帯ゆえに東京から向かう道中で、通行ができなくなってしまいこともざらだという。
山口:車の中では3人でゲラゲラ笑いながら過ごしていたので、退屈ではなかったんですが、ひたすら山を越えました。只見町は11月半ばくらいから、どんよりとした雪雲に覆われます。いつ雪が降ってもおかしくないという感じになるんですけど、2月くらいまで毎年3〜4メートルほど積もるそうです。
出発の前の晩に「明日は朝5〜6時くらいにお迎えに行きますからね」と。そこから5時間ほど運転してくださいました。6時に東京の僕の家を出て、只見に着いたのは11時頃でした。只見駅の役場の皆さんがもてなしてくださるということで、駅まで向かったのですが、そこで時刻表を見ますと、もう真っ白なんです。電車の数が非常に少ないということですね。
上り・下り線両方とも、1日に3本までしか走っていません。小出方面に向かう列車は7時11分、14時35分、そして18時01分のたった3本です。役場の皆さんはいずれかの内の1つに乗って、そこから越後湯沢まで行って、東京に出張されるそうです。
そんな只見町では列車にまつわるある“決まり事”があるという。
山口:この町では、「只見線の列車を見たら必ず手を振ろう」という条例があるそうです。僕は18時01分の電車を見ることができたのですが、1両編成で、乗っている方は車掌さんを含めて3人。その乗車している方のために手を振ったのが、日本ウォーキング協会の2人と僕、そして役場の方の合計8人。さらに駅の近くに住んでいる皆さんが出てきて、みんなで手を振りました。そうすると乗っている方も返してくれました。
只見は漢字で書きますと「口編に八」それから「見」です。役場の方に「この名前の由来は?」と聞くと「ここには弘法大師・空海が来たことがあるんです。そんな空海がここを通ったとき「ほかに何もないね」と。ということで“只、見る”になりました」。しかし、只見は“只、見る”だけではありません。本当においしいものがたくさんありますし、いろいろと発見したくなる好奇心が掻き立てられる場所なのです。
山口:駅から歩いて10分程度の場所にありましたが、只見川というすごくキレイな川が流れているところの、すぐ近くでした。古民家のお部屋には素敵な絵や書がたくさん飾ってありました。
小さな美術館のようなところなんですけど、ここでは時々ピアノの発表会なんかもしていたそうです。日本ウォーキング協会の方が後で教えてくださったんですけど、「東京で寝ると都会ならではの騒音が聞こえますよね。しかし只見の夜は静かでびっくりするくらいよく眠れました」と仰いました。僕も川の音を聴きながら、深い眠りにつきました。
「只見の人は明るくて元気」と山口さんは指摘する。優しさや元気の元は一体何なのか?
山口:現地の方に理由を聞くと「それは只見のぜんまいですよ」と仰いました。山菜のぜんまいが只見の名物なんです。
只見では4月から5月くらいに山菜がたくさん採れるそうです。その中でもぜんまいが1番名物。只見スキー場には小さな食堂がありまして、一緒に行った方が山菜そばを食べていました。東京で食べる山菜そばとは全然味が違うそうです。「山菜の量も2倍!」と大喜びしていました。
そんな「ぜんまい」は、現地の方が2〜3ヶ月、山を渡り歩くようにして収穫していくという。
山口:エプロンを大きくしたようなものなんですが、お尻のところが袋になっていて、両手でぜんまいを採りながら、お尻の袋に入れていくんです。昔はそんな風にゼンマイ採りをしていらっしゃったそうです。
採ったぜんまいは専用の釜に全て入れて、一度茹でて、ゴシゴシと揉み、そこから天日干しにするそうです。収穫から約3ヶ月かけて、食用ぜんまいができるわけですけど、そうやって作られたものが1キロだいたい1万2000円から1万5000円くらいで売られていくそうです。
僕もできあがったぜんまいをいただきましたが、これがおいしいんです。「明日、肌がゆで卵のようにツルツルになりますよ」と言われましたが、実際お風呂に入ってぜんまいをいただいてぐっすり寝たら翌日、本当に元気になりました。
そんな只見では、現地の人に聞くと「いちばんおいしいもの」は別の食材なんだという。
山口:もちろん山菜もおいしいんですが、現地の方は「ブナの実」と仰いました。売っているところを見たことがないし、僕も食べたことはないです。只見の人も、ほとんど食べたことないと思います。
ただ只見はブナの原生林が残っているところなんです。そしてツキノワグマがたくさん生息していますが、クマはブナの実を食べるんだそうです。
しかしブナの実は3年に1度不作の年がくるそうです。不作のときにクマは栗の実を食べます。しかし栗の実では栄養が足りないそうです。そして栗の実を食べたクマは妊娠ができないそうです。いちばんおいしくて、いちばん栄養があるのが、ブナの実。「食べるともっともっと元気になりますよ」と仰ってました。
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は9月2日(月)〜5日(木)。同コーナーでは、地方文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが福島・只見町を訪ね、そこに暮らす人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
ひたすら山を越えてたどり着いた只見町
山口:只見町へは日本ウォーキング協会のおふたりが連れてってくれました。東京から遠い只見町までどうやって行くかというと、まず新幹線を使うかどうかで決まります。越後湯沢まで新幹線で行ってレンタカーを借りるか、または東北新幹線で西那須野か白川まで行ってレンタカーを借りるか、それから鉄道で行ける方法は只見線に乗ること。これ鉄道ファンにとってはたまらない路線だと思いますけど、これに乗りたいというのであれば、まず越後湯沢まで新幹線で行きましょう。そして上越線に乗り換え、小出に行ってから、只見線に乗車しましょう。
どのルートを選んでも東京からは5〜6時間ほどかかります。僕たちは最終的に車で行きましたが、東北道を抜けて、西那須野から塩原インターで降りて、南会津の方へ向かい、駒止トンネルという長くて真っ暗なトンネルを抜けて、ひたすら南会津から只見町へ走りました。
山口:車の中では3人でゲラゲラ笑いながら過ごしていたので、退屈ではなかったんですが、ひたすら山を越えました。只見町は11月半ばくらいから、どんよりとした雪雲に覆われます。いつ雪が降ってもおかしくないという感じになるんですけど、2月くらいまで毎年3〜4メートルほど積もるそうです。
出発の前の晩に「明日は朝5〜6時くらいにお迎えに行きますからね」と。そこから5時間ほど運転してくださいました。6時に東京の僕の家を出て、只見に着いたのは11時頃でした。只見駅の役場の皆さんがもてなしてくださるということで、駅まで向かったのですが、そこで時刻表を見ますと、もう真っ白なんです。電車の数が非常に少ないということですね。
そんな只見町では列車にまつわるある“決まり事”があるという。
只見は漢字で書きますと「口編に八」それから「見」です。役場の方に「この名前の由来は?」と聞くと「ここには弘法大師・空海が来たことがあるんです。そんな空海がここを通ったとき「ほかに何もないね」と。ということで“只、見る”になりました」。しかし、只見は“只、見る”だけではありません。本当においしいものがたくさんありますし、いろいろと発見したくなる好奇心が掻き立てられる場所なのです。
山菜のぜんまいが只見の名物
山口さんは只見で「農家民泊 山響の家」という施設に宿泊させてもらったそうだ。山口:駅から歩いて10分程度の場所にありましたが、只見川というすごくキレイな川が流れているところの、すぐ近くでした。古民家のお部屋には素敵な絵や書がたくさん飾ってありました。
小さな美術館のようなところなんですけど、ここでは時々ピアノの発表会なんかもしていたそうです。日本ウォーキング協会の方が後で教えてくださったんですけど、「東京で寝ると都会ならではの騒音が聞こえますよね。しかし只見の夜は静かでびっくりするくらいよく眠れました」と仰いました。僕も川の音を聴きながら、深い眠りにつきました。
「只見の人は明るくて元気」と山口さんは指摘する。優しさや元気の元は一体何なのか?
山口:現地の方に理由を聞くと「それは只見のぜんまいですよ」と仰いました。山菜のぜんまいが只見の名物なんです。
そんな「ぜんまい」は、現地の方が2〜3ヶ月、山を渡り歩くようにして収穫していくという。
山口:エプロンを大きくしたようなものなんですが、お尻のところが袋になっていて、両手でぜんまいを採りながら、お尻の袋に入れていくんです。昔はそんな風にゼンマイ採りをしていらっしゃったそうです。
採ったぜんまいは専用の釜に全て入れて、一度茹でて、ゴシゴシと揉み、そこから天日干しにするそうです。収穫から約3ヶ月かけて、食用ぜんまいができるわけですけど、そうやって作られたものが1キロだいたい1万2000円から1万5000円くらいで売られていくそうです。
僕もできあがったぜんまいをいただきましたが、これがおいしいんです。「明日、肌がゆで卵のようにツルツルになりますよ」と言われましたが、実際お風呂に入ってぜんまいをいただいてぐっすり寝たら翌日、本当に元気になりました。
そんな只見では、現地の人に聞くと「いちばんおいしいもの」は別の食材なんだという。
山口:もちろん山菜もおいしいんですが、現地の方は「ブナの実」と仰いました。売っているところを見たことがないし、僕も食べたことはないです。只見の人も、ほとんど食べたことないと思います。
ただ只見はブナの原生林が残っているところなんです。そしてツキノワグマがたくさん生息していますが、クマはブナの実を食べるんだそうです。
しかしブナの実は3年に1度不作の年がくるそうです。不作のときにクマは栗の実を食べます。しかし栗の実では栄養が足りないそうです。そして栗の実を食べたクマは妊娠ができないそうです。いちばんおいしくて、いちばん栄養があるのが、ブナの実。「食べるともっともっと元気になりますよ」と仰ってました。
“幕末の風雲児”河井継之助と只見町の関係
只見町には江戸時代末期を生きた武士・河井継之助の記念館がある。山口:1868年の明治元年、新潟県の長岡市から担架で只見町まで運ばれてきて、亡くなられた方がいます。河井継之助という人です。司馬遼太郎の小説「峠」の主人公の方です。映画化もされ、役所広司さんが河井継之助を演じていらっしゃいました。
明治維新の際、「江戸幕府を守らなきゃ」という幕府方と、新政府を作った薩摩・長州の人たちが対立していました。結局、新しい方が勝ってしまうわけですが、幕府を守る側についたのが、河井継之助属する長岡藩・会津藩でした。
河井継之助は先見の明があったことと、物事の本質を見極めることができた稀有な人と周りから言われていました。亡くなった後も、西郷隆盛、山縣有朋、伊藤博文は「河井継之助がいたら……」とことあるごとに言っていたそうです。
河井継之助が亡くなる直前に看取った方がいました。外山脩造です。この方は阪神電鉄の初代社長で、関西の財閥の基礎を作りました。この人は河井継之助のことを指して「鋭い人・威厳のある人。こんな人は見たことはない、親しくするも慣れるべからず」と表現しました。
この河井継之助が「もう武士の時代じゃない。これからは経済だよ」と外山脩造に伝え、そこから外山脩造は関西へと出て行き、新しい事業を作りました。河井継之助から言葉をもらったことで、外山脩造は阪神電鉄を作ったと言われています。
只見には山菜だけでなく、川で獲れるおいしいものがあるという。
河井継之助の時代にもそんなことが行われたのでしょうか。ただ時代は変わります。でも河井継之助という人は“自分が置かれた場所で常に最善のことを考えなさい”と説かれた方です。イワナを突くという行為は、どうやって道具を使うのが有効なのかを考えるのに、とってもいい遊びなのかなと思います。
(構成=中山洋平)
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