中山道・木曽路に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは6月10日(月)〜13日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが現地を訪ね、そこに暮らす人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
山口:木曽路は山の中にあります。平家の落武者でさえも「ここを通るのは避けようかな……」と考えるくらい、山深いところです。車で走っても1本道がぐねぐねとあって、本当に霧が湧くような場所です。道1本の横に木曽川が音を立てて流れています。
木曾義仲が育ったところが木曽路にあるということで、行って参りました。我々の世代は「1192(いいくに)つくろう」というので1192年に鎌倉幕府が誕生すると教わりましたが、今は「1185(いいはこ)つくろう鎌倉幕府」が有力とされています。歴史はさまざまなことが関係して変わることもあるんですが、背景には1185年に木曾義仲が征夷大将軍に就いたということが関係しています。
木曽義仲は、正式な名前を「源義仲」と言う。源頼朝の従兄弟にあたる人物だ。木曽山中で成長したため、木曽義仲と呼ばれた。
山口:木曽義仲は埼玉県の東松山あたりで生まれたと言われていますが、木曽路の宮ノ越というところがゆかりある場所です。現在では「義仲館」というミュージアムが宮ノ越に設けられています。義仲自身、征夷大将軍になった功績がございますが、義仲が有名になったのは、側で支えていた女性の武士の存在が大きく関係している。巴御前という方です。
義仲と巴御前は、これから新しい日本を作っていかないといけないという考えが一致し、源氏、あるいは平家の戦いに臨んで行ったそうです。美しい日本を作らないといけないんだという強い思いが、この2人を結んだのですね。なお、宮ノ越の前にはこの2人の像が飾ってありました。
山口さんは長野県安曇野市にあるわさび農場「大王わさび農場」を訪れた。実は宮ノ越は、わさびの原産地のひとつなんだという。
山口:宮ノ越の農家の皆さんは少しずつですが、きれいなわさびを作ってらっしゃいました。ここでは生のわさびを売っています。わさびって水がきれいなところにしかできないんです。
生わさびをいただくには、まず葉がついている方をえんぴつを削るように削いでいきます。大根なんかは先端から使い始めることもあるかもしれませんが、本当は葉つきの部分のほうがおいしい。これはわさびも一緒です。
わさびは鮫肌のおろし器にぐるぐるまわしつつ、でも決して強い力で押し付けないでください。そうすると柔らかく少しとろみのある、おいしいわさびができあがります。お蕎麦はもちろんですが、くず汁、お刺身なんかに使うとツーンとする独特な辛さを味わうことができます。
山口:奈良井宿は全長約1km程度の宿場町です。そこには同じような木造の家が、約1000軒続いています。「何か違いはないのですか?」と聞くと、江戸時代に作られたものは高さが3.6メートルから4メートルちょっとくらいの建物だと教えてくださいました。そして、大正から戦前に作られたのは6メートル弱だそうです。高さを見比べて楽しんでみると良いでしょう。
建物を見ていますと、1階と2階の外側の屋根のところに針金をぐるぐるまわしたものがいっぱいついてありました。「これは何なんですか?」と聞くと「猿頭(さるがしら)」と仰います。これにより雨や雪が降ったりしたとき、2階から屋根をパタンと落とせるようになっているそうです。天気が良い日はこの猿頭を外して、屋根を上げる。そうすると日光がたくさん入ってくるそうで、ここにしかない建築様式と教えてくださいました。
奈良井宿は、中山道最大の難所と呼ばれる鳥居峠を目の前に控えた宿場町。そこに多く置かれている、あるものとは?
山口:本陣、脇本陣、問屋さんなどが約1000軒並んでいるんですけど、歩いていると、井戸が至るところに置かれてありました。これは昔、中山道を通っていく方のために作られたものです。商人の方々も大きな荷物を背負って、あるいは大名行列の方々もここを通って行ったのですが、みんながこの冷たい井戸の水を飲んで、疲れを癒していたんだと思います。
山口さんは奈良井宿にある「徳利屋」という宿屋兼お料理屋で定食を食べたそうだ。
山口:明治時代「徳利屋」には幸田露伴、坪内逍遥、島崎藤村がお泊まりになったそうです。中に入りますと、3階建てになっていました。お食事のときには「これどうぞ」と、お蕎麦の薬味に小さな花を添えてくれました。「何ですか?」と聞くと「わさびの花ですよ」と仰いました。
わさびの花はだいたい5月の連休前くらいに花をつけるそうです。花を口の中に入れても味はしないんですけど、後からツーンと鼻を抜けるような香りがしてきます。建物の中は年中、火が起こされている炭の影響で黒光りしているところもありますが、人の心を感じるあたたかさのある場所だと感じました。欧米の人に負けず、日本人も頑張ってこの宿場町を訪れてもらって、わさびの味わいや日本の文化の深さを感じていただければと思います。
山口:電柱のスピーカーから「ご注意ください、小熊が蜷川を歩いていました。発見された方は屋内に逃げるか、すぐに警察・消防にお知らせください」と流れました。ちょうど小雨が降っていたので、小熊が川を覗きにきたのかなと思いました。次の放送では、「小学生は下校の時刻になります。ご父兄は車でお迎えに来てください」と。そんな放送があるんですね。
国道19号線には、楢川という昔の宿場町がある。
山口:ここに木造の小学校がございます。ものすごく美しい小学校です。外観を見に行くだけでも、ここに来てよかったと思えるような場所です。この楢川小学校のすぐ近くに道の駅がございますが、ここには「木曾くらしの工芸館」という施設が併設されています。木曽というところは「漆器」で有名です。整形の部分から、漆塗りまで全てをやる職人作家がたくさん住んでます。
オール木造建築の楢川小学校では給食に全て漆器が使われているのだそう。
山口:その理由は最近、子どもたちがプラスチック製品と漆の製品の区別ができないようになっているからだそうです。大人でも漆器を触っても、どうせプラスチックだろうと思う方が増えているそうですね。
どのように区別すればいいのかと言いますと、木製のものに本当の漆を塗ったものはやはりすごく軽い。そして叩いたりしても、柔らかい音が鳴ります。それに対してプラスチック製は、冷たい感じがして叩いたりすると硬い音が響きます。漆も木の汁でできたものですから、すべて木製だと独特の優しさだったり、温もりが伝わってきます。
それにしても木造の小学校って優しい感じがしますよね。こちらに通えば自然と、優しい子どもに育つような気がします。下校していく子どもたちに「熊が出てるみたいだから気をつけてね」と言うと、身体全体を使って「バイバーイ!」と表現してくれました。都会ではこういうコミュニケーションはなかなかありません。やっぱり田舎はいいなと思いました。こういうところに降る雨もしっとりしていて、優しかったです。
(構成=中山洋平)
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは6月10日(月)〜13日(木)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが現地を訪ね、そこに暮らす人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
“わさびの原産地のひとつ”を訪れる
中山道とは江戸時代の五街道のひとつで、京と江戸を結んだもの。中山道は木曽を通るので「木曽路」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族の輿入れにも盛んに利用されていた。日本橋から歩いていくと、京都までたどり着く。そして長野県初の日本遺産として注目を集める木曽路には、先人によって継承されてきた貴重な文化が息づいている。山口:木曽路は山の中にあります。平家の落武者でさえも「ここを通るのは避けようかな……」と考えるくらい、山深いところです。車で走っても1本道がぐねぐねとあって、本当に霧が湧くような場所です。道1本の横に木曽川が音を立てて流れています。
(川は冷たく、速く、美しく、時を超えて流れて行きます)
木曽義仲は、正式な名前を「源義仲」と言う。源頼朝の従兄弟にあたる人物だ。木曽山中で成長したため、木曽義仲と呼ばれた。
山口:木曽義仲は埼玉県の東松山あたりで生まれたと言われていますが、木曽路の宮ノ越というところがゆかりある場所です。現在では「義仲館」というミュージアムが宮ノ越に設けられています。義仲自身、征夷大将軍になった功績がございますが、義仲が有名になったのは、側で支えていた女性の武士の存在が大きく関係している。巴御前という方です。
義仲と巴御前は、これから新しい日本を作っていかないといけないという考えが一致し、源氏、あるいは平家の戦いに臨んで行ったそうです。美しい日本を作らないといけないんだという強い思いが、この2人を結んだのですね。なお、宮ノ越の前にはこの2人の像が飾ってありました。
(木曽義仲と巴御前、ふたりの像が、ずっとこの街道を守っているようです)
生わさびをいただくには、まず葉がついている方をえんぴつを削るように削いでいきます。大根なんかは先端から使い始めることもあるかもしれませんが、本当は葉つきの部分のほうがおいしい。これはわさびも一緒です。
(おいしいわさび、その味を作るのは、きれいな水や空気なんですね!)
島崎藤村らが訪れた宿屋兼お料理屋
山口さんは木曽路の奈良井宿(ならいじゅく)を訪れた。奈良井宿は、江戸時代に使われた宿場町がほとんど手付かずの状態で残されたところだ。日本の文化の真髄が残っていると欧米人に有名なところで、そういった理由などで観光客も多く訪れる。山口:奈良井宿は全長約1km程度の宿場町です。そこには同じような木造の家が、約1000軒続いています。「何か違いはないのですか?」と聞くと、江戸時代に作られたものは高さが3.6メートルから4メートルちょっとくらいの建物だと教えてくださいました。そして、大正から戦前に作られたのは6メートル弱だそうです。高さを見比べて楽しんでみると良いでしょう。
建物を見ていますと、1階と2階の外側の屋根のところに針金をぐるぐるまわしたものがいっぱいついてありました。「これは何なんですか?」と聞くと「猿頭(さるがしら)」と仰います。これにより雨や雪が降ったりしたとき、2階から屋根をパタンと落とせるようになっているそうです。天気が良い日はこの猿頭を外して、屋根を上げる。そうすると日光がたくさん入ってくるそうで、ここにしかない建築様式と教えてくださいました。
奈良井宿は、中山道最大の難所と呼ばれる鳥居峠を目の前に控えた宿場町。そこに多く置かれている、あるものとは?
山口:本陣、脇本陣、問屋さんなどが約1000軒並んでいるんですけど、歩いていると、井戸が至るところに置かれてありました。これは昔、中山道を通っていく方のために作られたものです。商人の方々も大きな荷物を背負って、あるいは大名行列の方々もここを通って行ったのですが、みんながこの冷たい井戸の水を飲んで、疲れを癒していたんだと思います。
(湧き水がいっぱい流れています!とってもおいしいお水です!)
山口:明治時代「徳利屋」には幸田露伴、坪内逍遥、島崎藤村がお泊まりになったそうです。中に入りますと、3階建てになっていました。お食事のときには「これどうぞ」と、お蕎麦の薬味に小さな花を添えてくれました。「何ですか?」と聞くと「わさびの花ですよ」と仰いました。
わさびの花はだいたい5月の連休前くらいに花をつけるそうです。花を口の中に入れても味はしないんですけど、後からツーンと鼻を抜けるような香りがしてきます。建物の中は年中、火が起こされている炭の影響で黒光りしているところもありますが、人の心を感じるあたたかさのある場所だと感じました。欧米の人に負けず、日本人も頑張ってこの宿場町を訪れてもらって、わさびの味わいや日本の文化の深さを感じていただければと思います。
給食に漆器が使われている小学校
奈良井宿を歩いているとき、山口さんは都会ではまず聞かれないような放送を耳にしたそうだ。山口:電柱のスピーカーから「ご注意ください、小熊が蜷川を歩いていました。発見された方は屋内に逃げるか、すぐに警察・消防にお知らせください」と流れました。ちょうど小雨が降っていたので、小熊が川を覗きにきたのかなと思いました。次の放送では、「小学生は下校の時刻になります。ご父兄は車でお迎えに来てください」と。そんな放送があるんですね。
国道19号線には、楢川という昔の宿場町がある。
山口:ここに木造の小学校がございます。ものすごく美しい小学校です。外観を見に行くだけでも、ここに来てよかったと思えるような場所です。この楢川小学校のすぐ近くに道の駅がございますが、ここには「木曾くらしの工芸館」という施設が併設されています。木曽というところは「漆器」で有名です。整形の部分から、漆塗りまで全てをやる職人作家がたくさん住んでます。
オール木造建築の楢川小学校では給食に全て漆器が使われているのだそう。
山口:その理由は最近、子どもたちがプラスチック製品と漆の製品の区別ができないようになっているからだそうです。大人でも漆器を触っても、どうせプラスチックだろうと思う方が増えているそうですね。
(木造の小学校、先生たちの声も、子どもたちの声も、優しく響きます)
それにしても木造の小学校って優しい感じがしますよね。こちらに通えば自然と、優しい子どもに育つような気がします。下校していく子どもたちに「熊が出てるみたいだから気をつけてね」と言うと、身体全体を使って「バイバーイ!」と表現してくれました。都会ではこういうコミュニケーションはなかなかありません。やっぱり田舎はいいなと思いました。こういうところに降る雨もしっとりしていて、優しかったです。
(構成=中山洋平)
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