和歌山県に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは3月5日(火)〜3月7日(木)、3月11日(月)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが和歌山県を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
山口:和歌山ではお寿司に欠かせない食材が採れるのです。皆さん、お寿司の締めは何をいただかれますか? 甘い玉子や煮はまぐり、最後はウニで締めたいと仰る方もいるでしょう。僕は干瓢(かんぴょう)の細巻きにわさび。「今日も最後に泣かしてくれ」と行きつけの寿司屋で大将に言うと、たんまりわさびを入れてくれます。
甘い干瓢に鼻から目に抜けていくようなわさびの辛さがたまりません。「サビかん」とも言いますが、海苔の風味と、干瓢の大地の香りと、清らかな水で作られたわさびの辛さ。そういうものが一体になって、最高の締めだと思わせてくれます。
わさびは、ラテン語で「Eutrema japonicum」。「Eu」は「良い」を意味し、「trema」は「穴」。つまり「日本の良い穴」ということだ。
山口:わさびの何が良い穴なんだと思いますけど、わさびの姿を見れば、穴ボコだらけです。“日本にしかないよ”ということで、その名がつけられたのだと思いますが、本当にわさびは日本にしかない植物なのです。
「日本の穴=わさび」と聞くと、静岡県を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。特に伊豆半島の湯ヶ島のものが最近は有名だと思います。湯ヶ島では鮫肌のわさびおろしを作っているし、とってもおいしくおろせます。
そんな中で、山口さんは意外な事実を知ったそうだ。
山口:僕もわさびは静岡だと思っていました。しかし、実は和歌山県の印南(いなみ)町が「わさび発祥の地」と言われています。静岡県の湯ヶ島に行くと「わさび栽培発祥の地」と碑文が残されています。湯ヶ島のわさびは本当のところ、富士山の麓あたりにあったのです。その上で、印南町の真妻わさびが発祥だと言われています。印南町の切目川上流を辿っていくと、川又というところがあり、ここに「わさび発祥の地」という碑が建てられています。
わさびといえば、緑色のイメージだが、山口さんは「本当においしいわさびは紫色」と説明する。
山口:ところで、わさびは最近、ステーキを食べに行っても、一緒に出されることが少なくありません。わさびの辛さは、唾液の分泌を促し、消化液の分泌を高めて、食物の消化吸収を助けてくれるのです。お肉と一緒に食べると、おいしいし、消化にもいいし、ということなんだと思います。
わさびはお蕎麦にもピッタリです。僕にお料理のことを教えてくださった方は、茶懐石を作っていた料理人で、白身魚を食べるときはわさびを包んで、お醤油をつけて食べるそうです。白身魚のおいしさがわさびと一緒になって、口の中で後から広がっていくそうです。一方、赤身、特にマグロは、わさびをお醤油に溶いて付けて食べなさいと言います。おいしさは自分で発見するのがいいと思いますが、それぞれ、食べ方によってわさびの味は変わり、また独特の味を持っているのが特徴です。
山口:実は和歌山在住の仲良しに「和歌山に行くよ」と言うと「伊藤農園」が出している3種類のみかんジュースを送ってくれたのです。「不知火」「八朔(はっさく)」「温州みかん」の3種類でしたが、飲んでみると、どれも生きたものがそのまま入っているような、エネルギーを感じられるんです。
伊藤農園さんは、江戸時代に生きた初代・伊藤長右衛門さんから始まりました。今の熊本県の八代市から、みかんの苗木を持ってきて、ここに植えたのが、有田みかんの始まりなのだそうです。
山口さんは「みかんといえば『江戸芸かっぽれ』という歌の<かっぽれ>を思い出す方もいらっしゃるかもしれません」と語る。
山口:大金持ちで知られる紀国屋文左衛門という商人についての歌です。1690年〜1700年頃と言われていますが、当時、江戸では、鍛冶屋さんの神様を冬の間にお祀りする「ふいご祭り」というものが行われていました。
ふいご祭りの日、鍛冶屋さんたちは屋根の上に登って、そこからみかんを皆に振る舞うように投げていたそうです。ところが、ある年、江戸にはみかんがまったくなかった。それを聞いた、有田の紀国屋文左衛門は、ボロ船に豊作のみかんを積み、嵐の波を超えて、江戸にやってきて、みかんを売ったそうです。これで大儲けをしたのです。
その後、大阪では洪水が起こって、伝染病が流行したそうです。「流行病には塩ジャケが一番効く」と聞いた紀国屋文左衛門は、江戸で塩ジャケをたくさん買って、大阪に持って行きました。すると、そこでも大儲け。みかんと塩ジャケで江戸と紀州を往復することで、大金を手に入れました。紀国屋文左衛門は、その後、材木屋を開いたと言われています。それでも大儲けをして、吉原で大判・小判をぶちまけて遊んだと言われています。
山口さんによると「紀国屋文左衛門が実在していたか実のところ、わからない」そうだ。
山口:ただ、和歌山県有田市湯浅町には、紀国屋文左衛門の生誕の碑というものが建てられています。これは同じく和歌山県出身でパナソニックを創業した松下幸之助さんが建てたものです。
「機を見るに敏」というのは、古今東西問わず大きな事業をする人にとって大切なことなのかもしれませんが、紀国屋文左衛門にしても松下幸之助さんにしても、和歌山県出身なのですね。機を見る勉強には、和歌山はとてもいいところなのかもしれません。
山口:漁港のある和歌山では獲れたての魚を味わうこともできます。「夕方釣ったばかりです」と出してくださった「もち鰹」はその名の通りもちもちとしていました。おいしかったです。
それから鰆の焼き物、それに添えられた大根のべったら漬けを梅酢で和えたもの。太刀魚のたたきを大葉と胡麻で和えたものなど、本当においしいものがいっぱいです。南紀白浜の真っ白い砂も、きれいですね。のんびりするには素晴らしい場所でした。
南紀白浜の名産「クツエビ」。別名「セミエビ」と呼ばれるものだが、山口さんはその見た目がものすごく気に入ったようだ。
山口:撫でさせていただいたら、かわいいんです。目をギュッと出して、こっちを見ている。「食べますか?」と聞かれましたが、かわいすぎて食べられないのと、一匹あたり5万円〜7万円くらいするそうです。
クツエビは伊勢海老の仲間です。一方、伊勢海老が700匹獲れたとすると、クツエビはその内1匹いるかいないかの割合でしか獲れない。私が見たものは体長50センチメートルほどありましたが、脱皮を繰り返しながら、どんどん大きくなるそうです。「蝉のようだ」と言われたら、確かに蝉のような感じもします。
さまざまなおいしいものに出会ったが、山口さんは「和歌山で一番おいしかったものは封じ梅です」と紹介した。
山口:「封じ梅」は梅を甘く漬けたものです。明治の初めの頃まで、一般の人は決して食べられなかったそうです。製法も教えてくれなかったといいます。紀州徳川家が「一般の人に製造方法を教えてはいけないよ」と言ったことで「封じ梅」と名付けられたそうです。
6月に収穫した生の梅を塩漬けにして、種を抜いて砂糖漬けにします。それを紫蘇の葉でくるんで、もう1回、砂糖に漬けます。3ヶ月くらい寝かせて出来あがりなのですが、江戸時代、砂糖はとても高価なものでした。それ故、「一般の人に食べさせないように」ということだったと推測します。
しかし、山口さんが衝撃を受けた「封じ梅」は、砂糖に漬けたものではなくニホンミツバチの蜂蜜に漬けたものだったそうだ。
山口:お砂糖の味わいとはまったく異なります。ニホンミツバチは環境を好まないと、巣を作らないで、すぐに逃げていってしまいます。
なので、ニホンミツバチは希少。環境破壊が1番の原因と言われています。ただ和歌山には、ニホンミツバチがいます。そのニホンミツバチの蜂蜜に漬けた封じ梅を味わうことができるのです。「デザートに」と出してくださって、2口くらいで完食してしまうのですが、脳に幸せがいっぱい広がっていきます。
ニホンミツバチは福岡県の行橋市にもいます。行橋にはニホンミツバチを飼っている方がいて、セイヨウミツバチとはまったく異なるものです。
栄養成分が豊富で元気の源かと思いますが、訪れた素敵な和歌山で、ニホンミツバチの蜂蜜に漬けた梅をいただけた。こんな幸せなことはありません。
(構成=中山洋平)
山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。オンエアは3月5日(火)〜3月7日(木)、3月11日(月)。同コーナーでは、地方文化の中で育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。
また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが和歌山県を訪ね、現地の人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。
わさび発祥の地は和歌山
関西地方、紀伊半島に位置する和歌山県。世界遺産の「高野山」「熊野・熊野古道」を有し、北はみどり豊かな和泉山脈ののどかな山並みに囲まれている。山口:和歌山ではお寿司に欠かせない食材が採れるのです。皆さん、お寿司の締めは何をいただかれますか? 甘い玉子や煮はまぐり、最後はウニで締めたいと仰る方もいるでしょう。僕は干瓢(かんぴょう)の細巻きにわさび。「今日も最後に泣かしてくれ」と行きつけの寿司屋で大将に言うと、たんまりわさびを入れてくれます。
甘い干瓢に鼻から目に抜けていくようなわさびの辛さがたまりません。「サビかん」とも言いますが、海苔の風味と、干瓢の大地の香りと、清らかな水で作られたわさびの辛さ。そういうものが一体になって、最高の締めだと思わせてくれます。
わさびは、ラテン語で「Eutrema japonicum」。「Eu」は「良い」を意味し、「trema」は「穴」。つまり「日本の良い穴」ということだ。
山口:わさびの何が良い穴なんだと思いますけど、わさびの姿を見れば、穴ボコだらけです。“日本にしかないよ”ということで、その名がつけられたのだと思いますが、本当にわさびは日本にしかない植物なのです。
「日本の穴=わさび」と聞くと、静岡県を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。特に伊豆半島の湯ヶ島のものが最近は有名だと思います。湯ヶ島では鮫肌のわさびおろしを作っているし、とってもおいしくおろせます。
<この上流に、ワサビ発祥の地があります。(山口謠司)>
山口:僕もわさびは静岡だと思っていました。しかし、実は和歌山県の印南(いなみ)町が「わさび発祥の地」と言われています。静岡県の湯ヶ島に行くと「わさび栽培発祥の地」と碑文が残されています。湯ヶ島のわさびは本当のところ、富士山の麓あたりにあったのです。その上で、印南町の真妻わさびが発祥だと言われています。印南町の切目川上流を辿っていくと、川又というところがあり、ここに「わさび発祥の地」という碑が建てられています。
わさびといえば、緑色のイメージだが、山口さんは「本当においしいわさびは紫色」と説明する。
山口:ところで、わさびは最近、ステーキを食べに行っても、一緒に出されることが少なくありません。わさびの辛さは、唾液の分泌を促し、消化液の分泌を高めて、食物の消化吸収を助けてくれるのです。お肉と一緒に食べると、おいしいし、消化にもいいし、ということなんだと思います。
わさびはお蕎麦にもピッタリです。僕にお料理のことを教えてくださった方は、茶懐石を作っていた料理人で、白身魚を食べるときはわさびを包んで、お醤油をつけて食べるそうです。白身魚のおいしさがわさびと一緒になって、口の中で後から広がっていくそうです。一方、赤身、特にマグロは、わさびをお醤油に溶いて付けて食べなさいと言います。おいしさは自分で発見するのがいいと思いますが、それぞれ、食べ方によってわさびの味は変わり、また独特の味を持っているのが特徴です。
和歌山からみかんを運び大金を得る
山口さんは新大阪駅からレンタカーを借りて、南紀白浜の方へ向かったそうだ。そして途中、有田市にある「みかん資料館」に立ち寄ったという。山口:実は和歌山在住の仲良しに「和歌山に行くよ」と言うと「伊藤農園」が出している3種類のみかんジュースを送ってくれたのです。「不知火」「八朔(はっさく)」「温州みかん」の3種類でしたが、飲んでみると、どれも生きたものがそのまま入っているような、エネルギーを感じられるんです。
伊藤農園さんは、江戸時代に生きた初代・伊藤長右衛門さんから始まりました。今の熊本県の八代市から、みかんの苗木を持ってきて、ここに植えたのが、有田みかんの始まりなのだそうです。
山口さんは「みかんといえば『江戸芸かっぽれ』という歌の<かっぽれ>を思い出す方もいらっしゃるかもしれません」と語る。
山口:大金持ちで知られる紀国屋文左衛門という商人についての歌です。1690年〜1700年頃と言われていますが、当時、江戸では、鍛冶屋さんの神様を冬の間にお祀りする「ふいご祭り」というものが行われていました。
ふいご祭りの日、鍛冶屋さんたちは屋根の上に登って、そこからみかんを皆に振る舞うように投げていたそうです。ところが、ある年、江戸にはみかんがまったくなかった。それを聞いた、有田の紀国屋文左衛門は、ボロ船に豊作のみかんを積み、嵐の波を超えて、江戸にやってきて、みかんを売ったそうです。これで大儲けをしたのです。
その後、大阪では洪水が起こって、伝染病が流行したそうです。「流行病には塩ジャケが一番効く」と聞いた紀国屋文左衛門は、江戸で塩ジャケをたくさん買って、大阪に持って行きました。すると、そこでも大儲け。みかんと塩ジャケで江戸と紀州を往復することで、大金を手に入れました。紀国屋文左衛門は、その後、材木屋を開いたと言われています。それでも大儲けをして、吉原で大判・小判をぶちまけて遊んだと言われています。
山口さんによると「紀国屋文左衛門が実在していたか実のところ、わからない」そうだ。
山口:ただ、和歌山県有田市湯浅町には、紀国屋文左衛門の生誕の碑というものが建てられています。これは同じく和歌山県出身でパナソニックを創業した松下幸之助さんが建てたものです。
「機を見るに敏」というのは、古今東西問わず大きな事業をする人にとって大切なことなのかもしれませんが、紀国屋文左衛門にしても松下幸之助さんにしても、和歌山県出身なのですね。機を見る勉強には、和歌山はとてもいいところなのかもしれません。
ニホンミツバチの蜂蜜に漬けた「封じ梅」
山口さんは和歌山でたくさんのおいしいものを食べたそうだ。山口:漁港のある和歌山では獲れたての魚を味わうこともできます。「夕方釣ったばかりです」と出してくださった「もち鰹」はその名の通りもちもちとしていました。おいしかったです。
それから鰆の焼き物、それに添えられた大根のべったら漬けを梅酢で和えたもの。太刀魚のたたきを大葉と胡麻で和えたものなど、本当においしいものがいっぱいです。南紀白浜の真っ白い砂も、きれいですね。のんびりするには素晴らしい場所でした。
南紀白浜の名産「クツエビ」。別名「セミエビ」と呼ばれるものだが、山口さんはその見た目がものすごく気に入ったようだ。
山口:撫でさせていただいたら、かわいいんです。目をギュッと出して、こっちを見ている。「食べますか?」と聞かれましたが、かわいすぎて食べられないのと、一匹あたり5万円〜7万円くらいするそうです。
クツエビは伊勢海老の仲間です。一方、伊勢海老が700匹獲れたとすると、クツエビはその内1匹いるかいないかの割合でしか獲れない。私が見たものは体長50センチメートルほどありましたが、脱皮を繰り返しながら、どんどん大きくなるそうです。「蝉のようだ」と言われたら、確かに蝉のような感じもします。
さまざまなおいしいものに出会ったが、山口さんは「和歌山で一番おいしかったものは封じ梅です」と紹介した。
山口:「封じ梅」は梅を甘く漬けたものです。明治の初めの頃まで、一般の人は決して食べられなかったそうです。製法も教えてくれなかったといいます。紀州徳川家が「一般の人に製造方法を教えてはいけないよ」と言ったことで「封じ梅」と名付けられたそうです。
6月に収穫した生の梅を塩漬けにして、種を抜いて砂糖漬けにします。それを紫蘇の葉でくるんで、もう1回、砂糖に漬けます。3ヶ月くらい寝かせて出来あがりなのですが、江戸時代、砂糖はとても高価なものでした。それ故、「一般の人に食べさせないように」ということだったと推測します。
しかし、山口さんが衝撃を受けた「封じ梅」は、砂糖に漬けたものではなくニホンミツバチの蜂蜜に漬けたものだったそうだ。
山口:お砂糖の味わいとはまったく異なります。ニホンミツバチは環境を好まないと、巣を作らないで、すぐに逃げていってしまいます。
なので、ニホンミツバチは希少。環境破壊が1番の原因と言われています。ただ和歌山には、ニホンミツバチがいます。そのニホンミツバチの蜂蜜に漬けた封じ梅を味わうことができるのです。「デザートに」と出してくださって、2口くらいで完食してしまうのですが、脳に幸せがいっぱい広がっていきます。
ニホンミツバチは福岡県の行橋市にもいます。行橋にはニホンミツバチを飼っている方がいて、セイヨウミツバチとはまったく異なるものです。
栄養成分が豊富で元気の源かと思いますが、訪れた素敵な和歌山で、ニホンミツバチの蜂蜜に漬けた梅をいただけた。こんな幸せなことはありません。
(構成=中山洋平)
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