16年前の2003年3月20日、アメリカを主体とする有志連合軍は、イラクが大量破壊兵器を開発しているとして、首都・バグダッドで空爆を開始、イラク戦争がはじまりました。しかし大量破壊兵器は見つからず、のちにイギリスのトニー・ブレア元首相は「イラク侵攻は誤りだった」と謝罪しています。
過激派組織・「イスラム国(IS)」が生まれたきっかけにもなったと言われ、日本も関わったイラク戦争は世界に何をもたらしたのか? ジャーナリストの綿井健陽さんを迎え、一緒に考えました。
【3月20日(水)のオンエア:『JAM THE WORLD』の「UP CLOSE」(ナビゲーター:グローバー/水曜担当ニュースアドバイザー:安田菜津紀)】
■イラク戦争開戦当時、バグダッド市民は極めて落ち着いていた
イラク戦争の大きなきっかけになった出来事は、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件です。その事件のあと、アメリカは当時のアフガニスタンのタリバン政権にかくまわれているとされる国際テロ組織・アルカイダへの攻撃に踏み切り、タリバン政権はすぐに崩壊。さらにアメリカは「悪の枢軸」としてイラク、イラン、北朝鮮を名指しし、そのなかでもイラクに対して「大量破壊兵器を製造し、使う恐れがある」と、今となっては言いがかりともとれる理由から2003年に攻撃を開始しました。
イラク戦争開戦の10日前から綿井さんはイラクを取材していました。当時は国連の大量破壊兵器査察活動が行き詰まり、世界が戦争に向けてカウントダウンをしはじめている時期でしたが、イラクの首都・バグダッドの市民は極めて落ち着いている様子だったと振り返ります。
綿井:イラクでの戦争は16年前から始まったわけではなく、1980年代にイランとの戦争があり、1990年代には湾岸戦争、ビル・クリントン政権時は空爆もありました。そのため「また戦争か」という諦めを感じ取れましたし、独裁政権下のもと自分たちの意思を表示できないことから、「戦争がはじまるとどうするか」という質問をしても「私たちは何もできないので、とにかく家でじっと待ちます」という話が多かったです。
安田:イラク戦争がはじまり、アメリカ軍が侵攻したあとの現地はどんな様子でしたか?
綿井:急激に変化するのはフセイン政権の崩壊直前です。イラク戦争の開戦直後はお店が閉まっていたけど、1、2週間後くらいにはパン屋が営業を再開するなど、お店が徐々に開きはじめました。また日常に戻るかと思っていたところで、アメリカ軍がバグダッド市内を包囲し制圧。その時には、イラクの警察や兵士たちは逃げ出していたため、戦争が終わったかのように感じる人も多かったと思います。
しかし、イラクでの本当の戦争はそのあとにはじまった、と綿井さんは続けます。
綿井:もちろんアメリカ軍に殺された人たちは多い。イラク国内での爆弾テロやISとの戦争、さまざまな政治対立も含め、この16年間でイラク人が銃弾、爆弾で殺され続けました。
■ISが壊滅したと考えている人はほとんどいない
綿井さんはこの16年でイラクのさまざまな地域を訪れ、特にバグダッドを多く取材してきました。2017年にISが拠点としていた地域が制圧されて以降、バグダッドは少し治安が回復傾向にあると説明します。
綿井:たとえば病院の救急病棟や遺体安置所の取材において、それまでは銃弾、爆弾による負傷者や死傷者がたくさん運ばれていましたけど、いまはそのような人以外の負傷者や死傷者の方が増えているという話をしていました。
安田:ISに占拠されていたモスルはどのような状況でしたか?
綿井:モスルはチグリス川を挟んで、片方の街は廃墟、もう一方の街は生活が戻ってきていて、本当にコントラストが強い状況です。一般の人たちの生活は徐々に戻りつつありとはいえ、まだISの報復や襲撃に関しては恐れていました。ISが壊滅したと考えている人はほとんどいませんでした。やはり、IS的な過激派思想はこの16年で、単に過激派組織だけではなく、国家や政府にも吹き荒れる時代となった。イラク戦争後の16年で分断や壁、排外主義などマイナスな視点が世間を席巻してしまいました。
■戦争の機運に対してメディアが果たすべきこと
「イラク戦争はいろいろな報じられ方をされた戦争であった」と安田は振り返り、綿井さんに「イラク戦争時のメディアの役割は正しかったのか」と質問します。
綿井:アメリカ同時多発テロ事件が起きたあと、アメリカのメディアは完全にアメリカ政権の応援団と化してしまいました。イラク戦争以前、大量破壊兵器疑惑を持ち出したときには、アメリカのメディアはそれに対して追随してしまい、反対するメディアはほとんどなかった。そのため、戦争がはじまるというムードが高まったときは社会にとって最も危険な状態でした。本来ならばメディアがそのブレーキの役割を果たさなくてはいけないのに、完全にアクセルの側になってしまった。また、当時の日本も戦争反対の機運はありましたけど、メディアとして「この戦争は何をもたらすのか」「なぜこの戦争が行われるのか」に対する反対姿勢を打ち出すことが厳しかったですね。
戦争が始まる前に戦争を進めようとする政権に対して、いかに写真や映像などで反対意見を突きつけられるかが重要だとして、「それは取材力やスピリットが要求される」と綿井さん。安田は「イラク戦争に限らず、メディアの伝える役割は、最後まで武力ではない方法を模索しブレーキをかけていくこと」と感想を述べました。
【番組情報】
番組名:『JAM THE WORLD』
放送日時:月・火・水・木曜 19時-21時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/
過激派組織・「イスラム国(IS)」が生まれたきっかけにもなったと言われ、日本も関わったイラク戦争は世界に何をもたらしたのか? ジャーナリストの綿井健陽さんを迎え、一緒に考えました。
【3月20日(水)のオンエア:『JAM THE WORLD』の「UP CLOSE」(ナビゲーター:グローバー/水曜担当ニュースアドバイザー:安田菜津紀)】
■イラク戦争開戦当時、バグダッド市民は極めて落ち着いていた
イラク戦争の大きなきっかけになった出来事は、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件です。その事件のあと、アメリカは当時のアフガニスタンのタリバン政権にかくまわれているとされる国際テロ組織・アルカイダへの攻撃に踏み切り、タリバン政権はすぐに崩壊。さらにアメリカは「悪の枢軸」としてイラク、イラン、北朝鮮を名指しし、そのなかでもイラクに対して「大量破壊兵器を製造し、使う恐れがある」と、今となっては言いがかりともとれる理由から2003年に攻撃を開始しました。
イラク戦争開戦の10日前から綿井さんはイラクを取材していました。当時は国連の大量破壊兵器査察活動が行き詰まり、世界が戦争に向けてカウントダウンをしはじめている時期でしたが、イラクの首都・バグダッドの市民は極めて落ち着いている様子だったと振り返ります。
綿井:イラクでの戦争は16年前から始まったわけではなく、1980年代にイランとの戦争があり、1990年代には湾岸戦争、ビル・クリントン政権時は空爆もありました。そのため「また戦争か」という諦めを感じ取れましたし、独裁政権下のもと自分たちの意思を表示できないことから、「戦争がはじまるとどうするか」という質問をしても「私たちは何もできないので、とにかく家でじっと待ちます」という話が多かったです。
安田:イラク戦争がはじまり、アメリカ軍が侵攻したあとの現地はどんな様子でしたか?
綿井:急激に変化するのはフセイン政権の崩壊直前です。イラク戦争の開戦直後はお店が閉まっていたけど、1、2週間後くらいにはパン屋が営業を再開するなど、お店が徐々に開きはじめました。また日常に戻るかと思っていたところで、アメリカ軍がバグダッド市内を包囲し制圧。その時には、イラクの警察や兵士たちは逃げ出していたため、戦争が終わったかのように感じる人も多かったと思います。
しかし、イラクでの本当の戦争はそのあとにはじまった、と綿井さんは続けます。
綿井:もちろんアメリカ軍に殺された人たちは多い。イラク国内での爆弾テロやISとの戦争、さまざまな政治対立も含め、この16年間でイラク人が銃弾、爆弾で殺され続けました。
■ISが壊滅したと考えている人はほとんどいない
綿井さんはこの16年でイラクのさまざまな地域を訪れ、特にバグダッドを多く取材してきました。2017年にISが拠点としていた地域が制圧されて以降、バグダッドは少し治安が回復傾向にあると説明します。
綿井:たとえば病院の救急病棟や遺体安置所の取材において、それまでは銃弾、爆弾による負傷者や死傷者がたくさん運ばれていましたけど、いまはそのような人以外の負傷者や死傷者の方が増えているという話をしていました。
安田:ISに占拠されていたモスルはどのような状況でしたか?
綿井:モスルはチグリス川を挟んで、片方の街は廃墟、もう一方の街は生活が戻ってきていて、本当にコントラストが強い状況です。一般の人たちの生活は徐々に戻りつつありとはいえ、まだISの報復や襲撃に関しては恐れていました。ISが壊滅したと考えている人はほとんどいませんでした。やはり、IS的な過激派思想はこの16年で、単に過激派組織だけではなく、国家や政府にも吹き荒れる時代となった。イラク戦争後の16年で分断や壁、排外主義などマイナスな視点が世間を席巻してしまいました。
■戦争の機運に対してメディアが果たすべきこと
「イラク戦争はいろいろな報じられ方をされた戦争であった」と安田は振り返り、綿井さんに「イラク戦争時のメディアの役割は正しかったのか」と質問します。
綿井:アメリカ同時多発テロ事件が起きたあと、アメリカのメディアは完全にアメリカ政権の応援団と化してしまいました。イラク戦争以前、大量破壊兵器疑惑を持ち出したときには、アメリカのメディアはそれに対して追随してしまい、反対するメディアはほとんどなかった。そのため、戦争がはじまるというムードが高まったときは社会にとって最も危険な状態でした。本来ならばメディアがそのブレーキの役割を果たさなくてはいけないのに、完全にアクセルの側になってしまった。また、当時の日本も戦争反対の機運はありましたけど、メディアとして「この戦争は何をもたらすのか」「なぜこの戦争が行われるのか」に対する反対姿勢を打ち出すことが厳しかったですね。
戦争が始まる前に戦争を進めようとする政権に対して、いかに写真や映像などで反対意見を突きつけられるかが重要だとして、「それは取材力やスピリットが要求される」と綿井さん。安田は「イラク戦争に限らず、メディアの伝える役割は、最後まで武力ではない方法を模索しブレーキをかけていくこと」と感想を述べました。
【番組情報】
番組名:『JAM THE WORLD』
放送日時:月・火・水・木曜 19時-21時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/
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