J-WAVEで放送中の番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ・寺岡歩美)のワンコーナー「BEHIND THE SCENE」。1月8日(火)のオンエアでは、「なぜ長崎皿うどんは、『うどん』と呼んでいるのに『かた焼きそば』なのか?」という謎に注目。日本全国の焼きそば・焼うどんの名店を食べ歩いて紹介するブログ「焼きそば名店探訪録」管理人で、焼きそばブロガーの塩崎省吾さんに訊きました。
■元祖長崎ちゃんぽんは太麺
多くの人が気になりつつもスルーしてきたこの疑問を、塩崎さんは膨大な資料とともに解き明かしてくれました。
塩崎さんは2011年、ちゃんぽんや皿うどんの元祖と呼ばれる長崎のお店「四海樓」で皿うどんを注文しました。そこで出てきたのは、パリパリのかた焼きそばではなく、ちゃんぽん麺を炒めた柔らかい麺でした。そのときに、うどんに似た麺が皿うどんの発祥だと知ったといいます。
塩崎:四海樓によると、ちゃんぽんを出前しやすいようにスープを減らして皿うどんが生まれた。さらに太麺の皿うどんを簡単に作るために、パリパリに揚げた細麺の皿うどんが生まれた、と説明しています。
■パリパリの細麺は明治時代にアメリカから?
この説明を受けた塩崎さんは、博多や熊本、鹿児島などでも、古い店の皿うどんは揚げていない太麺ばかりで、揚げた細麺は「焼きそば」と呼ばれていることに気づきます。そこで、長崎の皿うどんがいつ細麺になったのか調べ始めました。
塩崎:ちゃんぽんが提供されはじめたのが明治35、36年といわれています。長崎の四海樓では、揚げた皿うどんを「チャーメン(炒麺)」と呼んでいますが、調べてみると明治36年の横浜にも「チャーメン」という料理が文献に残っていて、それもパリパリのかた焼きそばなんです。 サッシャ:同じような料理が、インターネットがないような時代に長崎と横浜にあったということですね。
塩崎:はい。これでは、ちゃんぽんが生まれてから太麺の皿うどんが生まれ、細麺の皿うどんが生まれるという時系列に矛盾が起きます。そこで僕なりに調べたところ、横浜も長崎ももともと同じ「チャーメン」という料理で、そのルーツはアメリカではないかとの結論に至りました。
サッシャ:ええっ!? アメリカから同じタイミングで来ているとすると、横浜と長崎の全く違う場所で同じ「チャーメン」が提供されても違和感がないということですか?
塩崎:アメリカで19世紀後半に、アメリカ式中華料理「チャプスイ」という料理ができました。ご飯にあんをかけたものです。ゴールドラッシュの西海岸で生まれ、当時のレシピ本によると揚げた麺に「チャプスイ」のあんをかけたものがでてきます。それが「チャーメン」なのではと。もともとは広東料理のやわらかい麺のあんかけ焼きそばでしたが、アメリカでなぜか揚げた麺にあんをかけるようになりました。僕が思うに、アメリカでは柔らかいものよりクリスピーな食感が好まれます。ポテトチップスやタコスもアメリカに持ってくるとパリパリになるので、中華料理の柔らかい麺もパリパリに揚げたのではないかと思います。
では明治時代にアメリカで流行していた料理が、横浜と長崎にどのように伝わったのでしょうか?
塩崎:日本が開国して、長崎港や横浜港に外国人が住めるようになり、そこに欧米人の使用人や料理人として中国人もやってきました。文献を調べると、明治27年の横浜に「チャプスイ」があったのではないかとあります。
サッシャ:最初は使用人として料理を作っていた方の中からお店を開く人も出てきました。そこで、アメリカ式日本中華ができたということですね。
塩崎:そうですね。長崎では四海樓が明治32年に創業しました。その当時の写真に、「アメリカンレストラン」と書かれているんです。もちろん中華料理店、当時は清ですので「清国料理店」とともに英語で「アメリカンレストラン」と書いてあります。長崎にも当時、欧米の商人が多く来ていたので、彼らに向けて欧米で食べられていた中華料理を提供していたんでしょう。
長崎では、明治40年代に皿うどんは細麺が主流になり、これが戦後日本全国に広まっていったのだとか。この回答に行き着くまでに、塩崎さんはアメリカ西海岸も食べ歩き、7年を要したそうです。
なお塩崎さんの「焼きそば名店探訪録」では、この検証レポートが7章に渡り掲載されています。渾身のグルメレポートもぜひチェックしてみてください!
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時-13時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/stepone/
■元祖長崎ちゃんぽんは太麺
多くの人が気になりつつもスルーしてきたこの疑問を、塩崎さんは膨大な資料とともに解き明かしてくれました。
塩崎さんは2011年、ちゃんぽんや皿うどんの元祖と呼ばれる長崎のお店「四海樓」で皿うどんを注文しました。そこで出てきたのは、パリパリのかた焼きそばではなく、ちゃんぽん麺を炒めた柔らかい麺でした。そのときに、うどんに似た麺が皿うどんの発祥だと知ったといいます。
塩崎:四海樓によると、ちゃんぽんを出前しやすいようにスープを減らして皿うどんが生まれた。さらに太麺の皿うどんを簡単に作るために、パリパリに揚げた細麺の皿うどんが生まれた、と説明しています。
■パリパリの細麺は明治時代にアメリカから?
この説明を受けた塩崎さんは、博多や熊本、鹿児島などでも、古い店の皿うどんは揚げていない太麺ばかりで、揚げた細麺は「焼きそば」と呼ばれていることに気づきます。そこで、長崎の皿うどんがいつ細麺になったのか調べ始めました。
塩崎:ちゃんぽんが提供されはじめたのが明治35、36年といわれています。長崎の四海樓では、揚げた皿うどんを「チャーメン(炒麺)」と呼んでいますが、調べてみると明治36年の横浜にも「チャーメン」という料理が文献に残っていて、それもパリパリのかた焼きそばなんです。 サッシャ:同じような料理が、インターネットがないような時代に長崎と横浜にあったということですね。
塩崎:はい。これでは、ちゃんぽんが生まれてから太麺の皿うどんが生まれ、細麺の皿うどんが生まれるという時系列に矛盾が起きます。そこで僕なりに調べたところ、横浜も長崎ももともと同じ「チャーメン」という料理で、そのルーツはアメリカではないかとの結論に至りました。
サッシャ:ええっ!? アメリカから同じタイミングで来ているとすると、横浜と長崎の全く違う場所で同じ「チャーメン」が提供されても違和感がないということですか?
塩崎:アメリカで19世紀後半に、アメリカ式中華料理「チャプスイ」という料理ができました。ご飯にあんをかけたものです。ゴールドラッシュの西海岸で生まれ、当時のレシピ本によると揚げた麺に「チャプスイ」のあんをかけたものがでてきます。それが「チャーメン」なのではと。もともとは広東料理のやわらかい麺のあんかけ焼きそばでしたが、アメリカでなぜか揚げた麺にあんをかけるようになりました。僕が思うに、アメリカでは柔らかいものよりクリスピーな食感が好まれます。ポテトチップスやタコスもアメリカに持ってくるとパリパリになるので、中華料理の柔らかい麺もパリパリに揚げたのではないかと思います。
では明治時代にアメリカで流行していた料理が、横浜と長崎にどのように伝わったのでしょうか?
塩崎:日本が開国して、長崎港や横浜港に外国人が住めるようになり、そこに欧米人の使用人や料理人として中国人もやってきました。文献を調べると、明治27年の横浜に「チャプスイ」があったのではないかとあります。
サッシャ:最初は使用人として料理を作っていた方の中からお店を開く人も出てきました。そこで、アメリカ式日本中華ができたということですね。
塩崎:そうですね。長崎では四海樓が明治32年に創業しました。その当時の写真に、「アメリカンレストラン」と書かれているんです。もちろん中華料理店、当時は清ですので「清国料理店」とともに英語で「アメリカンレストラン」と書いてあります。長崎にも当時、欧米の商人が多く来ていたので、彼らに向けて欧米で食べられていた中華料理を提供していたんでしょう。
長崎では、明治40年代に皿うどんは細麺が主流になり、これが戦後日本全国に広まっていったのだとか。この回答に行き着くまでに、塩崎さんはアメリカ西海岸も食べ歩き、7年を要したそうです。
なお塩崎さんの「焼きそば名店探訪録」では、この検証レポートが7章に渡り掲載されています。渾身のグルメレポートもぜひチェックしてみてください!
【この記事の放送回をradikoで聴く】
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時-13時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/stepone/
この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。