J-WAVE平日(月~木)の午後の番組「KIRIN ICHIBAN SHIBORI ONE AND ONLY」(ナビゲーター:ジョン・カビラ)。
8月17日のオンエアでは、映像ディレクターとして、数々のCMを手掛ける原田陽介さんに下積み時代の話を聞きました。
映像ディレクターとして、嵐が出演する「キリン一番搾り」をはじめ、「JINS」「ユニクロ」など、 記憶に残るCMを数多く生み出している原田さん。数々の大きな仕事を手掛ける活躍ぶりですが、 今に至るまでには、挫折や引きこもり生活など、紆余曲折があったのだそう。
1976年静岡県生まれの原田さんが、コマーシャルの監督という世界を知る ことになったのは美術大学に入学したことから。デザイン、広告表現、 音楽、写真、原田さんが興味を持っていたものを総合して作り上げる広告の世界に興味を持ち、 美大卒業後、CMプロダクションに入社しますが・・・。
「僕自身まだ若くて、美大から飛び出して、粋がっている盛りの青年だったので、 世の中とのギャップに打ちのめされて。こういうのは俺のスタンスじゃないみたいな。 社会に出たら、一番下から、いろいろなことをやるわけですね。ゴミ捨て、お茶出し、 もちろん、それは当たり前の仕事なんですけど。俺が作ったほうがいいのができんじゃないの、 みたいな馬鹿な発想があって。で、飛び出して」(原田さん)
その後はフリーのグラフィックデザイナーなどをしていたものの、気づいたときには、 家から一歩も出ない引きこもりの生活に。4、5年は続いたという引きこもり生活から脱出したきっかけとなったのは、 CM業界で活躍する美大で一緒に学んだ同級生や先輩たちの姿でした。
負けてはいられないと一念発起して、原田さんが向かったのが、大手広告制作プロダクション。 最初はけんもほろろに断られますが、原田さんが、「ゴミ捨てでもなんでもやりますから、 1回バイトで使ってみてください」とねじ込み、アルバイト採用が決まったのだそう。 そこで役に立ったのが、美大卒業後に入った会社で教えられた、電話の出方をはじめ、 社会人としての常識やマナーだったと言います。その後、下働きぶりを買われ、 徐々にメインの仕事を任せられるようになり、現在の活躍に至ったのだそう。
原田さんは、引きこもり時代について「いろいろ考えて感じ取る時期だったのかな」と言っています。 また、最初に入社し、社会人としての常識を叩き込まれた会社時代を 「今思うと、一番大事な時間でした」と振り返ります。
さまざまな経験を経たからこそ、原田さんの作品は観る人の心に残るのでしょうね。 挫折や引きこもり、下積み時代・・・、長い目で見れば “無駄な時間”なんていうものはないのかもしれませんね。
【関連サイト】 「KIRIN ICHIBAN SHIBORI ONE AND ONLY」
オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/oneandonly/
映像ディレクターとして、嵐が出演する「キリン一番搾り」をはじめ、「JINS」「ユニクロ」など、 記憶に残るCMを数多く生み出している原田さん。数々の大きな仕事を手掛ける活躍ぶりですが、 今に至るまでには、挫折や引きこもり生活など、紆余曲折があったのだそう。
1976年静岡県生まれの原田さんが、コマーシャルの監督という世界を知る ことになったのは美術大学に入学したことから。デザイン、広告表現、 音楽、写真、原田さんが興味を持っていたものを総合して作り上げる広告の世界に興味を持ち、 美大卒業後、CMプロダクションに入社しますが・・・。
「僕自身まだ若くて、美大から飛び出して、粋がっている盛りの青年だったので、 世の中とのギャップに打ちのめされて。こういうのは俺のスタンスじゃないみたいな。 社会に出たら、一番下から、いろいろなことをやるわけですね。ゴミ捨て、お茶出し、 もちろん、それは当たり前の仕事なんですけど。俺が作ったほうがいいのができんじゃないの、 みたいな馬鹿な発想があって。で、飛び出して」(原田さん)
その後はフリーのグラフィックデザイナーなどをしていたものの、気づいたときには、 家から一歩も出ない引きこもりの生活に。4、5年は続いたという引きこもり生活から脱出したきっかけとなったのは、 CM業界で活躍する美大で一緒に学んだ同級生や先輩たちの姿でした。
負けてはいられないと一念発起して、原田さんが向かったのが、大手広告制作プロダクション。 最初はけんもほろろに断られますが、原田さんが、「ゴミ捨てでもなんでもやりますから、 1回バイトで使ってみてください」とねじ込み、アルバイト採用が決まったのだそう。 そこで役に立ったのが、美大卒業後に入った会社で教えられた、電話の出方をはじめ、 社会人としての常識やマナーだったと言います。その後、下働きぶりを買われ、 徐々にメインの仕事を任せられるようになり、現在の活躍に至ったのだそう。
原田さんは、引きこもり時代について「いろいろ考えて感じ取る時期だったのかな」と言っています。 また、最初に入社し、社会人としての常識を叩き込まれた会社時代を 「今思うと、一番大事な時間でした」と振り返ります。
さまざまな経験を経たからこそ、原田さんの作品は観る人の心に残るのでしょうね。 挫折や引きこもり、下積み時代・・・、長い目で見れば “無駄な時間”なんていうものはないのかもしれませんね。
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