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矢沢永吉の生き様を水曜日のカンパネラ・詩羽が深掘り! 名言クイズにも挑戦

矢沢永吉の生き様を水曜日のカンパネラ・詩羽が深掘り! 名言クイズにも挑戦

水曜日のカンパネラ・詩羽が、矢沢永吉の歴史を深掘りし、“矢沢の名言クイズ”に挑戦した。

この内容をお届けしたのは、8月30日(土)放送のJ-WAVE『MASSIVE HISTORIA』(ナビゲーター:水曜日のカンパネラ・詩羽)。知っているようで知らなかった愉快な歴史や情報、裏話を楽しく学ぶ、カラフル歴史バラエティだ。

いまの若者にはちょっと無理かも…

今回のオンエア日・8月30日は「ヤ(8)ザワ(30)の日」にちなみ、「矢沢永吉の歴史」を深掘ることに。あらゆる歴史を紐解く“歴史男(れきふみお)”が進行を務めた。

歴史男:詩羽さんは矢沢さんとお会いしたことはありますか?

詩羽:ないです。

歴史男:どんなイメージですか?

詩羽:ロックでダンディーな人。

歴史男:矢沢さんは9月14日(日)で76歳になります。

矢沢は1949年、広島県生まれ。矢沢が3歳のときに両親が離婚。父の手で育てられるが、小学校入学の翌年に父が亡くなってしまう。その後、親戚の家を転々としながら、祖母に引き取られ暮らし始めることとなる。小学5年生の夏からはアルバイトを始め、早朝の新聞配達、牛乳配達で家計を助けていた。

歴史男:幼いころは家庭環境がかなりタフな状況でした。

詩羽:自立を早くしなきゃいけない環境で育ったんですね。

生きることに必死だった矢沢は、中学生のときにFMラジオで流れたビートルズの曲を聴いた瞬間にハートを撃ち抜かれた。1968年、高校を卒業後すぐに、ビートルズのようなスターを目指して東京行きの夜行列車に乗り込んだ。

歴史男:行動力がハンパないですよね。

詩羽:いまの若者だとちょっと無理ですね。いまは石橋を叩いて渡らなきゃみたいな精神がより高まっている若い子が多いから、挑戦に億劫な若者と違う、自分で行動して道を切り開くみたいなのがロックですよね。

上京の荷物は作曲ノートとギターのみ。広島駅から見送ってくれた人はいなかった。そのとき、矢沢は「必ずビッグになってやる」とつぶやいたという。東京を目指し、夜汽車に乗った矢沢。長時間の乗車による疲れと、ふいに聴こえてきた「次は横浜」というアナウンスを聴き、ビートルズと彼らが誕生した港町・リバプールと重なり、横浜を成り上がりの舞台に決めた。

矢沢永吉はダンディーでロッカー

横浜ではレストランなどでアルバイトをしながら、矢沢は酒場やクラブで、ザ・ベースやイーセットというバンドを結成し、ライブを行う日々だった。酒に酔った客とけんかになったり、演奏中にタバコや物が飛んでくることも日常茶飯事だった。それでも矢沢のデビューへの情熱は消えることがなく、矢沢が23歳の1972年に伝説のロックバンド・キャロルを結成。その後、半年でメジャーデビューを果たした。

歴史男:詩羽さんはどれくらいでメジャーデビューをされたんですか?

詩羽:私はゼロ日から始まっちゃった(笑)。それもロックですね(笑)。

歴史男:でも、いろんなパターンがありますよね。

詩羽:長い時間をかけてデビューするのもロックだし、ゼロからデビューするのもロックだし。矢沢永吉さんって私からしたら、ダンディーでロッカーなおじさんっていうイメージだったから、いま、若いころの写真とか見させてもらって、これはかっこいい。しびれました。

キャロルは1975年4月に解散。東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)での解散コンサートで劇的な終幕を迎えたわずか20日後、ソロデビューアルバムの制作を進めていたと言われている。キャロル解散から5カ月後の9月にシングル『アイ・ラヴ・ユー、OK』、アルバム『I LOVE YOU,OK』を引っさげソロデビューを果たした。



しかし、ほんの半年前までは当たり前のようにソールドアウトしていたライブチケットが売れないという事態に。それでも観客が何人だろうと、矢沢永吉というプライドを掲げて、「常に最高のステージを見せてやる」と悔しい気持ちがこみ上げるなか、ライブを続けていった。

詩羽:お客さんが来ないライブってキツいですからね。お客さんが満員のライブを知っちゃってるとなお。席が空いてるライブって苦しくなることはやっぱりあって、それをちゃんと噛みしめるっていうのも大事ってわかりますね。

1981年、アメリカ進出を本気で考えるようになった矢沢は、ソロ活動を常に支え続けてきた裏方スタッフたちやバックバンドのメンバー、20人あまりの“矢沢ファミリー”を解散させることを決意。マネージャーをつけることなく、単身で渡米した。現地で言葉の壁に苦しみながら、9月に第1弾となる海外盤アルバム『YAZAWA』を全世界でリリースした。ロックの発祥地・アメリカでたったひとりの日本人が曲を作り始め、レコード契約などすべて現地で行ったのは矢沢が初めてだったという。

詩羽:すごい。本当に行動しなきゃできないことですからね。

難問? 矢沢永吉の“名言”に挑戦!

矢沢永吉の歴史の一部を学んだ詩羽。番組後半は「永ちゃんの名言クイズ」と題して、矢沢永吉に関するクイズを詩羽に出題。〇〇に入る言葉を当てる。

Q:「お前が一生かかって稼ぐ額は、矢沢の〇〇」。音楽業界の偉い人と口論になったとき、矢沢はそう言ったらしい。

詩羽:たぶん優しい言葉じゃなくて、否定することを言ってるってことですよね。矢沢の「一歩」。

歴史男:方向性はそっちですね。

詩羽:ワンデー。

歴史男:矢沢さんは1日も必要ないです。

詩羽:1時間……1分とか? 1秒?

歴史男:1秒かなって思うけど、それじゃないのが矢沢さんっぽいなって思います。正解は「2秒」でした。頭にきた矢沢さんは、お前らがそうやって威張ってがむしゃらに働いたところで、お前らの一生かかって稼ぐ金額は矢沢が2秒で稼ぐよって。しびれちゃいますよね。

Q:あるとき、ホテルのスイートルームをとろうとしたが、手違いでツインルームをとってしまったスタッフに矢沢は「僕は別にいいんだけど、〇〇がなんて言うかな?」。

詩羽:未来の俺? ファン?。

歴史男:そうじゃないですね。

詩羽:僕がいいんだったら、いいじゃん。寝るときの俺とか? わからない。

歴史男:正解は「矢沢がなんて言うかな?」でした。素の俺は許すよ、しょうがない。ミスはみんなにあるね。ただ、ロックスターの矢沢がなんて言うかな? って。

Q:「最初、散々な目にあった。2度目、落とし前を付ける。3度目、〇〇」。

詩羽:楽しむ。もう乗り越えてますからね。

歴史男:楽しむって心にあるものがないと。

詩羽:情熱?

歴史男:困難が襲ってきたら1回目ってキツいなってなりますよね。2度目で結果を出す。3度目は……。

詩羽:余裕?

歴史男:正解です! 1回目は大変で、2回目は乗り越えた。3回目? たいしたことない、余裕ですって。詩羽さんはそうなりませんか?

詩羽:ならない。

歴史男:困難が3度目来たらどうしますか?

詩羽:乗り越える(笑)。

歴史男:常に越えるわけですね。でも、余裕を持てるってすごくないですか? そんなの屁でもないよって。自分を奮い立たせる意味もあるんじゃないですかね。

詩羽:なるほどね。

歴史男:数々の名言、いかがでしたか?

詩羽:ロックのかたちは人それぞれなんだなって思いましたね(笑)。 矢沢永吉の最新情報は公式サイトまで。

カラフル歴史バラエティ配信中!

J-WAVE『MASSIVE HISTORIA』は「森羅万象」をテーマに、知っているようで知らなかった歴史や情報を楽しく学ぶ、カラフル歴史バラエティ。オンエアは毎週土曜24時から。過去のオンエアはポッドキャストでも配信中。

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番組情報
MASSIVE HISTORIA
毎週土曜
24:00-25:00