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宮本亜門 引きこもりからブロードウェイへ導いたのは「母の言葉」

宮本亜門 引きこもりからブロードウェイへ導いたのは「母の言葉」

J-WAVE 平日(月~金)夜の番組「JAM THE WORLD」のワンコーナー
「LOHAS TALK」(ナビゲーター:小黒一三)。 11月17日のオンエアでは、
演出家の宮本 亜門さんをゲストに迎えました。

宮本亜門さんは87年、『アイ・ガット・マーマン』で演出家デビューし、 文化庁芸術祭賞を受賞。その後、国内外で演出家として活躍し、 2004年、ニューヨークの
ブロードウェイデビューとなりました。 これがトニー賞を4部門でノミネートする
ことに。 それまで、東洋人の演出家がいなかったブロードウェイで、 初の東洋人演出家デビューという快挙を成し遂げたわけですが、 どうしてこんなことができたのでしょう。宮本さんは、ブロードウェイへの思いを次のように語りました。

「自分が21歳のころ、母が脳溢血で亡くなったんですね。その最後に母が僕に
残した言葉に、 いつか本物を目指すなら、ブロードウェイに行けと言われたことがあって。 おふくろはブロードウェイに行ったことがないんですよ。でも、そんなことがあって、 母が亡くなった1カ月後にニューヨークのブロードウェイに一人で行って、 そこから、ずっと夢を見続けていて、やっと叶ったということなので、 長い間の思いがそこに集約したんでしょうね。 もう、しつこく、しつこく思い続けてよかったなと思っています」(宮本さん)

お母さんも、宮本さんのミュージカルへの思いの強さを知っていたからこそ、 宮本さんを奮い立たせるその言葉が出てきたのでしょうね。 実は、宮本さんは高校生時代は引きこもりだったのだとか。 その引きこもり時代を経たからこそ、演出家としての宮本亜門が誕生したのだと言います。

「引きこもり中は、部屋でレコードを聴いていたのですが、 そのレコードも本当に10枚ぐらいしかなかったので、 同じものを何回も何回も聴いているうちにそれが視覚化してきて、 ある意味で妄想ではあるんだけど、これを人に伝えたいと思ったのが、 演出家の始まりだったんです」(宮本さん)

ダンサーとしてデビューし、振付師を経て、 演出家、ブロードウェイと、一歩一歩ずつ夢を実現してきたという宮本さん。 今後も、夢への思いはとどまることがないようです。年末には、 「今生きている喜びを感じてほしい」という思いで作ったというミュージカル 『ヴェローナの二紳士』が日生劇場で上演されます。 宮本さんのパワーを感じに出かけてみてはいかがでしょうか。

【関連サイト】
「LOHAS TALK」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/


「JAM THE WORLD」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/

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