J-WAVE 休日の特別番組「J-WAVE HOLIDAY SPECIAL DAIWA SHOKEN GROUP presents WOMEN ON THE GO」
(ナビゲーター:ショーンK)。9月15日のオンエアでは、村岡恵理さんがゲストに登場しました。
現在も放送中のNHK連続テレビ小説『花子とアン』は視聴率20%を超え、
好調です。 このドラマの原案となったのが『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』という本。 著者は花子の孫となる村岡恵理さんです。
恵理さんが1歳のとき、祖母の花子が亡くなったため、恵理さんに祖母の実際の記憶は全くないのだそう。 そんな恵理さんが、花子の生涯を描くために活用したのが花子の残した膨大な量のエッセイや日記、手紙など。 花子が筆まめであったことが大いに役に立ったのだとか。そして、村岡家女性3代にわたる、ある特性も……。
「祖母は明治の人だったので、物を捨てない人だったんですね。要は掃除が嫌いだったんですけど。 母も片付けものが苦手だった。私と姉も苦手だったんです。そして関東大震災や第二次大戦でも焼けなかった。 3代にわたって片付けものを後回しにする人が続くと、物って残るんですね(笑)」(恵理さん)
村岡家の女性3代にわたり片付け嫌いだったことが、逆に幸いしたわけですね。
そのため、花子の貴重な文献が残され、孫の恵理さんがその生涯を描くことができたと。 さらにはテレビ小説となって、たくさんの人が花子の生涯を知ることができたわけですものね。
また、『赤毛のアン』というタイトルの翻訳本が今に残されるのも、 家族の力が大きかったのだそうです。実は花子が考案し、気に入っていたタイトルは『窓辺による少女』。 そのタイトルに決まったのち、出版社の社長が『赤毛のアン』というタイトルを急遽、推薦。 花子はその提案を「絶対だめ」と言下に断ったのだそう。
そのタイトルを救ったのが、恵理さんの母の一言でした。
「祖父と私の母と食後のお茶を飲んでいるときに、祖母がタイトルの話をしたら、 母が『あら、お母さん、断然“赤毛のアン”がいいわよ。“赤毛のアン”にしなさいよ』って言ったんですね。 編集者の意見は怒って蹴った祖母だったんですけど、 娘に言われてハッとして気付いて、この物語は娘たちの世代の若い女性たちに贈りたいものだから、 もしかしたら、この若い感覚のほうがいいのかもしれないと。 それで、ギリギリセーフで“赤毛のアン”になったんです」(恵理さん)
最後に、花子さんの意志を継ぎ、 文筆家として活躍する恵理さんから、仕事に恋に悩む現代の女性にアドバイスも。
「報いがないとか、そういうことって嘆くことないと思うんです。 とにかく、自分がそれが好きだったらやり続けるということ。 好きという感覚がすごい大事だと思うんですよね。自分が責任を持って、 その好きなものに対して打ち込んでいれば、それは必ず誰かが見てくれているし。 本当に女性の人生っていろいろなことがあると思うんです。 みんな、恋もしたいし、結婚もしたいし、仕事もしたいし。 それで思うようにならないときもあったと思うんですけれども、 とにかく諦めずに、しなやかに、そうしたら絶対、そのやり続けたことによって、 仕事が自分を素敵な女性に育ててくれるんじゃないでしょうか」(恵理さん)
まさに、しなやかに強い心で“好き”を貫いた花子。 “好き”に素直に生きた女性だったからこそ、時代を超えて、 多くの現代女性の共感を得ているのでしょうね。
花子から学ぶべきことは、まだまだ、たくさんありそうです。
【関連サイト】
「J-WAVE HOLIDAY SPECIAL DAIWA SHOKEN GROUP presents
WOMEN ON THE GO」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/holiday/20140915/
現在も放送中のNHK連続テレビ小説『花子とアン』は視聴率20%を超え、
好調です。 このドラマの原案となったのが『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』という本。 著者は花子の孫となる村岡恵理さんです。
恵理さんが1歳のとき、祖母の花子が亡くなったため、恵理さんに祖母の実際の記憶は全くないのだそう。 そんな恵理さんが、花子の生涯を描くために活用したのが花子の残した膨大な量のエッセイや日記、手紙など。 花子が筆まめであったことが大いに役に立ったのだとか。そして、村岡家女性3代にわたる、ある特性も……。
「祖母は明治の人だったので、物を捨てない人だったんですね。要は掃除が嫌いだったんですけど。 母も片付けものが苦手だった。私と姉も苦手だったんです。そして関東大震災や第二次大戦でも焼けなかった。 3代にわたって片付けものを後回しにする人が続くと、物って残るんですね(笑)」(恵理さん)
村岡家の女性3代にわたり片付け嫌いだったことが、逆に幸いしたわけですね。
そのため、花子の貴重な文献が残され、孫の恵理さんがその生涯を描くことができたと。 さらにはテレビ小説となって、たくさんの人が花子の生涯を知ることができたわけですものね。
また、『赤毛のアン』というタイトルの翻訳本が今に残されるのも、 家族の力が大きかったのだそうです。実は花子が考案し、気に入っていたタイトルは『窓辺による少女』。 そのタイトルに決まったのち、出版社の社長が『赤毛のアン』というタイトルを急遽、推薦。 花子はその提案を「絶対だめ」と言下に断ったのだそう。
そのタイトルを救ったのが、恵理さんの母の一言でした。
「祖父と私の母と食後のお茶を飲んでいるときに、祖母がタイトルの話をしたら、 母が『あら、お母さん、断然“赤毛のアン”がいいわよ。“赤毛のアン”にしなさいよ』って言ったんですね。 編集者の意見は怒って蹴った祖母だったんですけど、 娘に言われてハッとして気付いて、この物語は娘たちの世代の若い女性たちに贈りたいものだから、 もしかしたら、この若い感覚のほうがいいのかもしれないと。 それで、ギリギリセーフで“赤毛のアン”になったんです」(恵理さん)
最後に、花子さんの意志を継ぎ、 文筆家として活躍する恵理さんから、仕事に恋に悩む現代の女性にアドバイスも。
「報いがないとか、そういうことって嘆くことないと思うんです。 とにかく、自分がそれが好きだったらやり続けるということ。 好きという感覚がすごい大事だと思うんですよね。自分が責任を持って、 その好きなものに対して打ち込んでいれば、それは必ず誰かが見てくれているし。 本当に女性の人生っていろいろなことがあると思うんです。 みんな、恋もしたいし、結婚もしたいし、仕事もしたいし。 それで思うようにならないときもあったと思うんですけれども、 とにかく諦めずに、しなやかに、そうしたら絶対、そのやり続けたことによって、 仕事が自分を素敵な女性に育ててくれるんじゃないでしょうか」(恵理さん)
まさに、しなやかに強い心で“好き”を貫いた花子。 “好き”に素直に生きた女性だったからこそ、時代を超えて、 多くの現代女性の共感を得ているのでしょうね。
花子から学ぶべきことは、まだまだ、たくさんありそうです。
【関連サイト】
「J-WAVE HOLIDAY SPECIAL DAIWA SHOKEN GROUP presents
WOMEN ON THE GO」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/holiday/20140915/
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