
ピアニストで指揮者の反田恭平が、ピアノと指揮を同時に行う「弾き振り」のやり方や、そのスタイルを目指したきっかけ、さらに、日本初となる“株式会社のオーケストラ”を立ち上げた理由などについて語った。
反田が登場したのは、J-WAVE『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組では毎回、各界注目の人物にBMWでの車中インタビューを実施しているが、今回はナビゲーターを務める俳優・小澤征悦との対談形式でその人物像を深堀した。
・ポッドキャストページはこちら
そんな反田はオーケストラにおいて、ピアニストが指揮者も兼ねる「弾き振り」を行っている。いったい、ピアノを弾きながらどのようにして指揮をとっているのだろうか?
反田:たとえば、ピアノ協奏曲の場合だと、前奏ではオーケストラの前に立って指揮をとります。とはいえ、ピアノを弾き始めたら振るどころではありません。なので、アイコンタクトをしたり、左手が抜けたタイミングで左手だけ振ったりしています。
小澤:そんなことできる人、あまりいないんじゃないですか?
反田:『のだめカンタービレ』の千秋真一がそういうことをやっていたんですよ。すごくかっこいいなと思ったのが「弾き振り」に取り組むきっかけでした。
小澤:指揮とピアノの二刀流で、大谷翔平選手じゃないですか!
反田:(笑)。ただ、指揮をやり始めてから「こんなに大変なんだな」と難しさも痛感していて。おかげで、この世に存在する指揮者全員をリスペクトするようになりました(笑)。
反田:昨年『光る君へ』のメインテーマを担当させていただいたのですが、亡くなった僕の祖父は生前によく「いつか恭ちゃんが時代劇のオープニング曲を弾いてくれたらうれしいなぁ」と話していました。もう少しタイミングが早かったらなぁとも思ったんですけど、きっとどこかで祖父が聞いてくれているという気持ちでレコーディングに臨んだのを覚えています。
小澤:間違いなく、聞いてくれていると思いますよ。それにしても、『光る君へ』のメインテーマを弾いたことによる反響は大きかったんじゃないですか?
反田:『光る君へ』全48話のオープニングで僕の音源が流れ、テロップで「反田恭平」と名前を表示していただきましたからね。そのおかげもあって、コンサート後にサイン会を開催すると、『光る君へ』のパンフレットやCDを持って来てくださる方も多くて。ファン層が確実に広がったと感じています。
反田:ざっくりいうと、クラシック音楽業界の常識を変えたいです。興行面・教育面含め、すべての分野において伝統を引き継ぎつつ、新しいものを生み出していくことが必要だと強く感じています。そういったことを我々若い世代が考えていかなければ、日本のクラシック界はこれ以上大きくならないのではないかと危機感を覚えているんです。
小澤:そうなのですね。
反田:それこそ、小澤(征爾)マエストロが引っ張ってくださっていた部分はすごく大きくて。その後、ぽっかり穴が開いた世代があり、そのつけが回ってきているのが僕ら世代なんです。その埋め合わせというか、誰かが音楽業界を牽引していかなければいけないと思っています。
小澤:その役目を担うのは反田恭平でしょ。
反田:いや、わかんないですけどね(笑)。
小澤:明確なビジョンを持たれている方が声を上げ、実際に行動に移すことはとても大切だと思います。今、反田さんのお話を聞いて親父の言葉を思い出しました。オーケストラのリハーサルをやっているときに間違えた演奏者さんがいたんですけど、親父は「練習してこい!」とは言わないんですよ。英語で「Not Tomorrow Not Today Now!」と言ったんです。「明日に引き延ばすな。今日でもない。今しかない」と。そんな親父の言葉を思い出すとともに、未来を見据えられている反田さんが今行動することが、クラシック業界に大きな力を与えるのではないかなと感じました。
反田: Not Tomorrow Not Today Now.……その言葉、僕も来年のザルツブルグ音楽祭のリハーサルで使わせてもらいます!
小澤:いやいや、パクリじゃないですか(笑)。
反田:ワークショップは1カ月の間に数回行われる形式でした。最終日には、オーケストラで指揮したい人を募集する企画があり、運よく僕が振ることになったんです。課題曲は、チャイコフスキーの『白鳥の湖』から『チャルダッシュ』。そこで初めてオーケストラを前に指揮を振ったとき、バッと風が吹いたというか。目が覚めた気がしました。当時の僕はすでにピアノの習い事を始めていたのですが、どちらかと言えばサッカー少年でした。しかし指揮を振った瞬間、初めて「クラシック音楽ってかっこいい」と感じたんですよね。
小澤:身体で体感したわけですね。
反田:おっしゃるとおりです。それで、すぐにワークショップの先生のもとへ行き「指揮者になりたいんですけど、どうしたらなれますか?」と相談しました。僕がピアノをやっていることを知った先生は「ピアノは指揮をする上でとても有効だから、まずはピアノを極めなさい」とアドバイスしてくれたんです。その助言から「ピアノを頑張れば指揮者になれる」と信じ、ここまで来ました。
小澤:真面目ですね。先生に言われたことをちゃんと守って。
反田:意外とそうかもしれません。
小澤:結果的にその先生の言葉が、反田恭平という天才ピアニストを誕生させたわけですね。
反田:いやいや。そのアドバイスをくださった先生である指揮者の方とは、デビューして立派にピアニストになったと胸を張って言えるまでは会いたくなかったんですよ。今はプロとして活動しているわけですが、スケジュールの関係でいまだに会えていません。なので、もう少し僕が音楽家として成長したら、何かの機会で共演できればと思っています。
小澤:それは素敵な話だな~。
反田:オーケストラの会社って、大体が公益財団法人なんですよ。ただ令和の今、すでにあるような法人を立ち上げることに意義を感じられず、差別化を図りたかったんです。株式化のメリットは、コンサートで収益を上げていき、貯めた資金で次の目標に向かって邁進していけることです。そこにゲーム感覚の楽しさがあると思い、会社を興すことを決めました。
小澤:なるほど。
反田:また、オーケストラというと100人ほどの大所帯をイメージされる方が多いですが、少人数でもできるんです。なので、当社のメンバーは現在20名ほど。毎年開催するオーディションで少しずつ増やしていて、来期は30名弱程度の規模を目指しています。あと立ち上げ初期の頃は、スマホプランのように、A、B、Cと複数の給与形態を提示し、メンバーに自分の活動と合ったものを選択してもらおうと考えていました。そんなふうに面白い環境を作りたかったんですよね。
JNOは奈良県奈良市を活動拠点とし、同県・同市と業務提携の上、コンサートのチケットやCDを返礼品としたふるさと納税への協力も行っている。その最終目標は「学校を作ること」と、反田は展望を語る。
反田:僕が今後キャリアを積み上げた末に学校を設立すれば「反田が学長を務める学校だったら学んでみたい」と考える学生が必ず増えると思っているんです。この計画を最初に思い付いたのは、2016年のことでした。当時は30年後に学校を作る予定でしたが、当初の想定よりも実現が早まりそうで。実は裏で綿密に計画を進めているんです。
小澤:意欲ある後進の受け皿になるというのは、素晴らしい考えですね。
反田:ありがとうございます。僕も海外への留学経験がありますが、数十年後には逆に海外から日本へ留学生がくるような環境を作りたいんです。そのためには、常にレベルの高いオーケストラと切磋琢磨するべきだと考え、僕はこのオーケストラの会社を作りました。
小澤:今、反田さんの目がきらりと光りました(笑)。
反田:(笑)。まぁ、楽しいです。関西では京都や大阪でコンサートが開催されることが多いですが、実は奈良県はピアノの保有率が全国1位なんです。
小澤:そうなんですね!
反田:とはいえ、音楽文化はまだまだ発展途上というのが正直なところです。なので、街の方に支えていただき、市から県へ、そしていずれは国が応援してくれるようになればいいと思っています。それと、僕のなかで「空気が綺麗」「歴史・文化がしっかりと根付いている」「外国人観光客に喜ばれる場所」という拠点選びの三箇条があって。その条件に合致し、ご縁もあったので奈良県に会社を設立しました。
小澤:ちなみに、うちの親父はそれが長野県松本市だったんですよ。松本もまさに空気が綺麗で、文化があり、アクセスがよくて観光客がたくさん訪れる場所なので。
(構成=小島浩平)
反田が登場したのは、J-WAVE『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組では毎回、各界注目の人物にBMWでの車中インタビューを実施しているが、今回はナビゲーターを務める俳優・小澤征悦との対談形式でその人物像を深堀した。
・ポッドキャストページはこちら
ピアノ演奏をしながら指揮をとる「弾き振り」
反田は1994年生まれの30歳。高校在学中の2012年に日本音楽コンクールで第1位に輝き、その後、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院へ主席入学。2016年にサントリーホールで開催されたデビューリサイタルは、全席が一瞬にしてソールドアウトするという快挙を成し遂げる。さらに2021年には、ショパン国際ピアノコンクールで日本人として半世紀ぶりに第2位を獲得。2024年には、ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団との共演で指揮者デビューを果たすなど、その活躍はとどまることを知らない。そんな反田はオーケストラにおいて、ピアニストが指揮者も兼ねる「弾き振り」を行っている。いったい、ピアノを弾きながらどのようにして指揮をとっているのだろうか?
反田:たとえば、ピアノ協奏曲の場合だと、前奏ではオーケストラの前に立って指揮をとります。とはいえ、ピアノを弾き始めたら振るどころではありません。なので、アイコンタクトをしたり、左手が抜けたタイミングで左手だけ振ったりしています。
小澤:そんなことできる人、あまりいないんじゃないですか?
反田:『のだめカンタービレ』の千秋真一がそういうことをやっていたんですよ。すごくかっこいいなと思ったのが「弾き振り」に取り組むきっかけでした。
小澤:指揮とピアノの二刀流で、大谷翔平選手じゃないですか!
反田:(笑)。ただ、指揮をやり始めてから「こんなに大変なんだな」と難しさも痛感していて。おかげで、この世に存在する指揮者全員をリスペクトするようになりました(笑)。
『光る君へ』のテーマ音楽で広がったファン層
2024年は指揮に初挑戦するなど「経験を積み重ねた年だった」と、反田は振り返る。もう一つ、同年放送されたNHK大河ドラマ『光る君へ』のメインテーマを担当したこともまた、彼にとって大きな出来事だったようだ。反田:昨年『光る君へ』のメインテーマを担当させていただいたのですが、亡くなった僕の祖父は生前によく「いつか恭ちゃんが時代劇のオープニング曲を弾いてくれたらうれしいなぁ」と話していました。もう少しタイミングが早かったらなぁとも思ったんですけど、きっとどこかで祖父が聞いてくれているという気持ちでレコーディングに臨んだのを覚えています。
小澤:間違いなく、聞いてくれていると思いますよ。それにしても、『光る君へ』のメインテーマを弾いたことによる反響は大きかったんじゃないですか?
反田:『光る君へ』全48話のオープニングで僕の音源が流れ、テロップで「反田恭平」と名前を表示していただきましたからね。そのおかげもあって、コンサート後にサイン会を開催すると、『光る君へ』のパンフレットやCDを持って来てくださる方も多くて。ファン層が確実に広がったと感じています。
未来に向けて「切り拓きたいこと」とは?
「BMW FREUDE FOR LIFE」では、毎回「新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物」を招き、車中インタビューを実施している。そこで反田さんに「今後どのようなことを切り拓こうと考えているか?」と質問したところ、返ってきたのは、クラシック音楽界の次世代を担う旗手としての、責任感にあふれた回答だった。
小澤:そうなのですね。
反田:それこそ、小澤(征爾)マエストロが引っ張ってくださっていた部分はすごく大きくて。その後、ぽっかり穴が開いた世代があり、そのつけが回ってきているのが僕ら世代なんです。その埋め合わせというか、誰かが音楽業界を牽引していかなければいけないと思っています。
小澤:その役目を担うのは反田恭平でしょ。
反田:いや、わかんないですけどね(笑)。
小澤:明確なビジョンを持たれている方が声を上げ、実際に行動に移すことはとても大切だと思います。今、反田さんのお話を聞いて親父の言葉を思い出しました。オーケストラのリハーサルをやっているときに間違えた演奏者さんがいたんですけど、親父は「練習してこい!」とは言わないんですよ。英語で「Not Tomorrow Not Today Now!」と言ったんです。「明日に引き延ばすな。今日でもない。今しかない」と。そんな親父の言葉を思い出すとともに、未来を見据えられている反田さんが今行動することが、クラシック業界に大きな力を与えるのではないかなと感じました。
反田: Not Tomorrow Not Today Now.……その言葉、僕も来年のザルツブルグ音楽祭のリハーサルで使わせてもらいます!
小澤:いやいや、パクリじゃないですか(笑)。
小6で参加したワークショップが活動の原点に
ピアノと指揮の二刀流で新たな時代を切り拓く反田。この特異なスタイルの原点は、小学6年生で参加したワークショップにあった。反田:ワークショップは1カ月の間に数回行われる形式でした。最終日には、オーケストラで指揮したい人を募集する企画があり、運よく僕が振ることになったんです。課題曲は、チャイコフスキーの『白鳥の湖』から『チャルダッシュ』。そこで初めてオーケストラを前に指揮を振ったとき、バッと風が吹いたというか。目が覚めた気がしました。当時の僕はすでにピアノの習い事を始めていたのですが、どちらかと言えばサッカー少年でした。しかし指揮を振った瞬間、初めて「クラシック音楽ってかっこいい」と感じたんですよね。
小澤:身体で体感したわけですね。
反田:おっしゃるとおりです。それで、すぐにワークショップの先生のもとへ行き「指揮者になりたいんですけど、どうしたらなれますか?」と相談しました。僕がピアノをやっていることを知った先生は「ピアノは指揮をする上でとても有効だから、まずはピアノを極めなさい」とアドバイスしてくれたんです。その助言から「ピアノを頑張れば指揮者になれる」と信じ、ここまで来ました。
小澤:真面目ですね。先生に言われたことをちゃんと守って。
反田:意外とそうかもしれません。
小澤:結果的にその先生の言葉が、反田恭平という天才ピアニストを誕生させたわけですね。
反田:いやいや。そのアドバイスをくださった先生である指揮者の方とは、デビューして立派にピアニストになったと胸を張って言えるまでは会いたくなかったんですよ。今はプロとして活動しているわけですが、スケジュールの関係でいまだに会えていません。なので、もう少し僕が音楽家として成長したら、何かの機会で共演できればと思っています。
小澤:それは素敵な話だな~。
最終目標は「学校を作ること」
反田は音楽家のみならず、自ら立ち上げた「ジャパン・ナショナル・オーケストラ株式会社(JNO)」の代表取締役社長としての顔も持つ。2018年に開始した「MLMダブル・カルテット」を起源とし、2019年に「MLMナショナル管弦楽団」へ発展後、2021年に設立された同社。日本初となる“株式会社のオーケストラ”を運営しようと考えたのは、どんな理由からなのか。反田:オーケストラの会社って、大体が公益財団法人なんですよ。ただ令和の今、すでにあるような法人を立ち上げることに意義を感じられず、差別化を図りたかったんです。株式化のメリットは、コンサートで収益を上げていき、貯めた資金で次の目標に向かって邁進していけることです。そこにゲーム感覚の楽しさがあると思い、会社を興すことを決めました。
小澤:なるほど。
反田:また、オーケストラというと100人ほどの大所帯をイメージされる方が多いですが、少人数でもできるんです。なので、当社のメンバーは現在20名ほど。毎年開催するオーディションで少しずつ増やしていて、来期は30名弱程度の規模を目指しています。あと立ち上げ初期の頃は、スマホプランのように、A、B、Cと複数の給与形態を提示し、メンバーに自分の活動と合ったものを選択してもらおうと考えていました。そんなふうに面白い環境を作りたかったんですよね。
JNOは奈良県奈良市を活動拠点とし、同県・同市と業務提携の上、コンサートのチケットやCDを返礼品としたふるさと納税への協力も行っている。その最終目標は「学校を作ること」と、反田は展望を語る。
反田:僕が今後キャリアを積み上げた末に学校を設立すれば「反田が学長を務める学校だったら学んでみたい」と考える学生が必ず増えると思っているんです。この計画を最初に思い付いたのは、2016年のことでした。当時は30年後に学校を作る予定でしたが、当初の想定よりも実現が早まりそうで。実は裏で綿密に計画を進めているんです。
小澤:意欲ある後進の受け皿になるというのは、素晴らしい考えですね。
反田:ありがとうございます。僕も海外への留学経験がありますが、数十年後には逆に海外から日本へ留学生がくるような環境を作りたいんです。そのためには、常にレベルの高いオーケストラと切磋琢磨するべきだと考え、僕はこのオーケストラの会社を作りました。
小澤:今、反田さんの目がきらりと光りました(笑)。
反田:(笑)。まぁ、楽しいです。関西では京都や大阪でコンサートが開催されることが多いですが、実は奈良県はピアノの保有率が全国1位なんです。
小澤:そうなんですね!
反田:とはいえ、音楽文化はまだまだ発展途上というのが正直なところです。なので、街の方に支えていただき、市から県へ、そしていずれは国が応援してくれるようになればいいと思っています。それと、僕のなかで「空気が綺麗」「歴史・文化がしっかりと根付いている」「外国人観光客に喜ばれる場所」という拠点選びの三箇条があって。その条件に合致し、ご縁もあったので奈良県に会社を設立しました。
小澤:ちなみに、うちの親父はそれが長野県松本市だったんですよ。松本もまさに空気が綺麗で、文化があり、アクセスがよくて観光客がたくさん訪れる場所なので。
(構成=小島浩平)
この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。