俳優の坂東龍汰が、トランスジェンダー役を演じた『フタリノセカイ』を経て感じた心境や、地元北海道での自給自足生などSDGsに関するトークををSHELLYと展開した。
坂東が登場したのは毎週週替わりでJ-WAVEが厳選した企画をお届けする特別な時間『J-WAVE SELECTION ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE』。ここではナビゲーターのSHELLYと坂東がトークを繰り広げた公開収録の様子をテキストで紹介する。オンエアは9月10日(日)。
同番組は、SDGsに関する活動を後押しする情報発信・体験の場である、青山のITOCHU SDGs STUDIOから発信。オンエアだけでなく、デジタル音声コンテンツとして提供・配信するサービス「SPINEAR」でも配信。SpotifyやApple Podcastsでも楽しめる。エピソードは月曜日に3回にわけて更新。
■ITOCHU SDGs STUDIO公式サイト
https://www.itochu.co.jp/ja/corporatebranding/sdgs/about.html
坂東:職人とか、昔から0から1を作っていく作業が好きで。地元の近くに刀職人の方がいらっしゃったり、母が漆塗りの食器が好きで身の回りにたくさんあったので、そういうものを0から1を作る職人さんとかはやってみたいなって思っている時期がありました。
SHELLY:へえ。同じ作業にずっと没頭することが好きなんですか。
坂東:そうですね。ずっとひたすらそれを1年間やり続けて、達成感を味わうために頑張るのが好きな学生でした。
漆塗りの話が出たことで、坂東が出演する映画『バカ塗りの娘』の話題に。板東は父と祖父の「津軽塗を継いでほしい」という期待を裏切り家業を継がないと決め、美容師となった兄・ユウを演じている。
坂東:僕、この作品が決まるだいぶ前にインタビューでそういう(漆塗り職人みたいな)ことを言ってたみたいで、僕もそれを忘れていて。
SHELLY:やりたいっていう気持ちが届いたんでしょうね。板東さんはその仲では職人をやりたくないっていう役なんですよね。
坂東:本当はやりたいんですけど、役はやりたくないっていう反抗的な。でも脚本を読んだときは細かく(漆塗りの)工程が書かれていて、ワクワクしました。50工程くらいあって。すごい多いんですよ。
SHELLY:監督の飯塚花笑さんがトランスジェンダー男性で、板東さんが演じたのもトランスジェンダー男性なんですよね。監督はもちろん当事者の方の話をいろいろ聞かれたんですか。
坂東:まだクランクインする前に僕もそこまで知識があったわけじゃなかったので、監督と一緒にトランスジェンダーの方がいらっしゃるバーとか実際にお付き合いされているカップルの方とかにいろんなヒアリングをして、極力、情報をたくさん自分の中にいれてから演じる作業がありました。
SHELLY:そのときに意識したこととか、当事者に聞いて大事にしたこととかはありましたか。
坂東:やっぱり普通であることですかね。自分が特別だって感じるんじゃなくて人を好きになるってことはいろんなかたちがあって、それはカテゴライズできないものというか。自由に人を好きになって愛し合うという普遍的な大切さみたいなものは。監督ご自身もトランスジェンダーの方なので、わからないことがあったら随時訊いていました。
SHELLY:心強いですよね。LGBTQ+の方について、もっと知りたい、もっと勉強したいと思っても、当事者の方に訊くときに「質問の仕方が難しい」とか、「変な言い方をして傷つけちゃったら嫌だな」といった思いはありましたか?
坂東:僕がお話を訊いた方は、みなさんすごく明るくて普通に会話も明るく弾む感じで、いろんなことを訊けましたね。
「この映画を経て自分の意識が変化したことは?」とSHELLYが質問すると、板東は「あまり重く捉えすぎないこと」と話す。
坂東:さっきも言いましたけど、いろんなかたちがあっていいんだなっていう風に、演じる前も後もあんまり変わらないですけど、昔からそういう感覚で生きていたので、それぞれ自分の好きなかたちを好きでいいんだろうなっていうのは映画を経てまたあらためて思ったかもしれないですね。
SHELLY:なるほど。
坂東:カテゴライズし過ぎないってことですかね。
坂東:そのぶどう畑の土地で今年はみんなでバーベキューをして。
SHELLY:贅沢! その環境が当たり前にあったんですね。
坂東:農業と生活は密接にありました。
SHELLY:農業を手伝いながら育ったとか?
坂東:手伝えるときは一緒に収穫したり選定したりとか、当たり前のようにやっていました。
実はニューヨーク生まれの板東。陶芸教室を教える母と、歯科技工士だった父がニューヨークで出会い結婚。その後、板東が生まれ、3歳で北海道に家族で移住した。
坂東:やっぱり時間とお金とかいろいろ割に合わないって。忙しすぎるってことで、家族みんなで自給自足みたいなことをしたくて北海道に。たぶんそこでシュタイナーの思想に出会ってると思うんです。
SHELLY:板東さんはシュタイナー教育を受けられているんですよね。
坂東:はい。僕は3歳から18歳までシュタイナー教育だったんですけど、幼・小・中・高と一貫で1年生から12年生まで海外と同じ数え方で。どういう教育かって言われると難しいんですけど、特徴としては人と比べたりしない。点数で評価しない、勝ち負けをつけないとか幼少期はそういう教育だったりしますね。試験がないとか宿題もなかったり、テレビを見ないとかゲームをしないとか、インターネットとか携帯も持たないとか。
SHELLY:高校3年生まで?
坂東:できれば。でも高等部に入ったら家のルールでやったりしていました。
SHELLYは思い出したように「そもそも自給自足ってすごくない?」と板東に伝える。
坂東:親が全部捨ててニューヨークから北海道の「なぜここ?」っていうところに引っ越したんですよ。知らない人だらけの、目の前が海の場所に家を建てたんですよ。父が3年かけて1人で。それで家の目の前を畑にして、そこで取れた野菜で生活するみたいな。
SHELLY:魚は海で獲るみたいな。
坂東:ちょうど横でホタテ漁をやってる漁師さんがいたので、一緒にホタテ漁に行ってそれを食べたり。
SHELLY:急に贅沢になった(笑)。お肉はあんまり食べなかった?
坂東:お肉は食べた記憶があまりないですね。小さい頃は。
SHELLY:めちゃくちゃエコ生活をしてきたってことですよね。
坂東:今考えるとめちゃくちゃエコですよね。
SHELLY:誰よりもSDGsな生き方をしてますね。
坂東:実家にいるときからの習慣なんですけど、お風呂にたまった水をちゃんと残しておいて、ホースですくい上げて洗濯機に入れて洗濯するのはずっと昔からやってますね。それが当たり前だったので。
SHELLY:忙しい中でそれをやり続けるのって大変じゃないですか。
坂東:やっぱりお金も大事じゃないですか。節約できる部分は節約して、半額のものを買うとか、業務用のスーパーで極力一気に買ってそこで食べていったりとか、服が破れたり壊れたらリメイクしたりしていますね。
SHELLY:料理はしてますか?
坂東:毎日のようにはできてないですけど、できるときは極力作って食べています。
SHELLY:それが当たり前のところから来てるからね。
坂東:実家にいたときは外食とかほとんどしたことがなかったので。
SHELLY:最初に食べたとき感動しなかった?
坂東:感動ですよ。幼稚園のときに初めてハンバーガーを食べたとき、泣きそうになりましたもん。母が相当忙しくて(料理が)無理だってなってハンバーガーを持たしてくれたんですけど、めちゃくちゃうれしかったですね。
SHELLY:あはは(笑)。
坂東:初めてカップラーメンを食べたときも覚えてます。「これがカップラーメンか!」みたいな。小学6年くらいでしたね。
最後にSHELLYは「10年後はどんな自分になっていたいか。また10年後はどんな社会になってほしいか」と坂東に質問した。
坂東:10年後も今と変わらず自分のまわりにいてくれる人たちを大切にして、その人たちの幸せを第一優先に生きられる人でいたいです。北海道も今年は本当に猛暑だったと聞いて、近年ずっとそうなんですけど、みんなが住める環境をこれから僕たちが子どもや家族を持っていくなかで次の世代にちゃんと繋げるように考えていけるようにこれからも生きていきたいですし、10年後、20年後を考えていける大人になりたいと思いますし、そういう社会になってほしいなと思います。たぶん僕らの世代がちゃんと考えないと、それこと子ども世代が大変になるので。ずっと前から言われてますけど、それが本当に危機迫ってると日々感じるので、そこはちゃんとやっていきたいと思います。
SHELLY:自分ごととしていろいろ行動できたらいいですよね。
坂東:身近なところからですけど。
坂東龍汰の最新情報は、鈍牛倶楽部の公式サイトまで。
SHELLYがナビゲートするプログラム『ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE』の放送は毎月第4日曜日の22時から。
坂東が登場したのは毎週週替わりでJ-WAVEが厳選した企画をお届けする特別な時間『J-WAVE SELECTION ITOCHU DEAR LIFE, DEAR FUTURE』。ここではナビゲーターのSHELLYと坂東がトークを繰り広げた公開収録の様子をテキストで紹介する。オンエアは9月10日(日)。
同番組は、SDGsに関する活動を後押しする情報発信・体験の場である、青山のITOCHU SDGs STUDIOから発信。オンエアだけでなく、デジタル音声コンテンツとして提供・配信するサービス「SPINEAR」でも配信。SpotifyやApple Podcastsでも楽しめる。エピソードは月曜日に3回にわけて更新。
■ITOCHU SDGs STUDIO公式サイト
https://www.itochu.co.jp/ja/corporatebranding/sdgs/about.html
0から1を作る職人に憧れていた
高い演技力で注目を集める板東。以前のインタビューで「俳優にならなかったら、なりたかった職業がある」と話したことがある。坂東:職人とか、昔から0から1を作っていく作業が好きで。地元の近くに刀職人の方がいらっしゃったり、母が漆塗りの食器が好きで身の回りにたくさんあったので、そういうものを0から1を作る職人さんとかはやってみたいなって思っている時期がありました。
SHELLY:へえ。同じ作業にずっと没頭することが好きなんですか。
坂東:そうですね。ずっとひたすらそれを1年間やり続けて、達成感を味わうために頑張るのが好きな学生でした。
漆塗りの話が出たことで、坂東が出演する映画『バカ塗りの娘』の話題に。板東は父と祖父の「津軽塗を継いでほしい」という期待を裏切り家業を継がないと決め、美容師となった兄・ユウを演じている。
SHELLY:やりたいっていう気持ちが届いたんでしょうね。板東さんはその仲では職人をやりたくないっていう役なんですよね。
坂東:本当はやりたいんですけど、役はやりたくないっていう反抗的な。でも脚本を読んだときは細かく(漆塗りの)工程が書かれていて、ワクワクしました。50工程くらいあって。すごい多いんですよ。
トランスジェンダー役で意識したこと
板東は映画初主演を務めた作品『フタリノセカイ』(2022年)で第32回日本映画批評家大賞新人男優賞を受賞した。SHELLY:監督の飯塚花笑さんがトランスジェンダー男性で、板東さんが演じたのもトランスジェンダー男性なんですよね。監督はもちろん当事者の方の話をいろいろ聞かれたんですか。
坂東:まだクランクインする前に僕もそこまで知識があったわけじゃなかったので、監督と一緒にトランスジェンダーの方がいらっしゃるバーとか実際にお付き合いされているカップルの方とかにいろんなヒアリングをして、極力、情報をたくさん自分の中にいれてから演じる作業がありました。
SHELLY:そのときに意識したこととか、当事者に聞いて大事にしたこととかはありましたか。
坂東:やっぱり普通であることですかね。自分が特別だって感じるんじゃなくて人を好きになるってことはいろんなかたちがあって、それはカテゴライズできないものというか。自由に人を好きになって愛し合うという普遍的な大切さみたいなものは。監督ご自身もトランスジェンダーの方なので、わからないことがあったら随時訊いていました。
SHELLY:心強いですよね。LGBTQ+の方について、もっと知りたい、もっと勉強したいと思っても、当事者の方に訊くときに「質問の仕方が難しい」とか、「変な言い方をして傷つけちゃったら嫌だな」といった思いはありましたか?
坂東:僕がお話を訊いた方は、みなさんすごく明るくて普通に会話も明るく弾む感じで、いろんなことを訊けましたね。
「この映画を経て自分の意識が変化したことは?」とSHELLYが質問すると、板東は「あまり重く捉えすぎないこと」と話す。
坂東:さっきも言いましたけど、いろんなかたちがあっていいんだなっていう風に、演じる前も後もあんまり変わらないですけど、昔からそういう感覚で生きていたので、それぞれ自分の好きなかたちを好きでいいんだろうなっていうのは映画を経てまたあらためて思ったかもしれないですね。
SHELLY:なるほど。
坂東:カテゴライズし過ぎないってことですかね。
3歳から北海道へ──自給自足の生活に
北海道出身の板東。板東の父は洞爺湖で無農薬のワインを作っているという。坂東:そのぶどう畑の土地で今年はみんなでバーベキューをして。
SHELLY:贅沢! その環境が当たり前にあったんですね。
坂東:農業と生活は密接にありました。
SHELLY:農業を手伝いながら育ったとか?
坂東:手伝えるときは一緒に収穫したり選定したりとか、当たり前のようにやっていました。
実はニューヨーク生まれの板東。陶芸教室を教える母と、歯科技工士だった父がニューヨークで出会い結婚。その後、板東が生まれ、3歳で北海道に家族で移住した。
坂東:やっぱり時間とお金とかいろいろ割に合わないって。忙しすぎるってことで、家族みんなで自給自足みたいなことをしたくて北海道に。たぶんそこでシュタイナーの思想に出会ってると思うんです。
SHELLY:板東さんはシュタイナー教育を受けられているんですよね。
坂東:はい。僕は3歳から18歳までシュタイナー教育だったんですけど、幼・小・中・高と一貫で1年生から12年生まで海外と同じ数え方で。どういう教育かって言われると難しいんですけど、特徴としては人と比べたりしない。点数で評価しない、勝ち負けをつけないとか幼少期はそういう教育だったりしますね。試験がないとか宿題もなかったり、テレビを見ないとかゲームをしないとか、インターネットとか携帯も持たないとか。
SHELLY:高校3年生まで?
坂東:できれば。でも高等部に入ったら家のルールでやったりしていました。
SHELLYは思い出したように「そもそも自給自足ってすごくない?」と板東に伝える。
坂東:親が全部捨ててニューヨークから北海道の「なぜここ?」っていうところに引っ越したんですよ。知らない人だらけの、目の前が海の場所に家を建てたんですよ。父が3年かけて1人で。それで家の目の前を畑にして、そこで取れた野菜で生活するみたいな。
SHELLY:魚は海で獲るみたいな。
坂東:ちょうど横でホタテ漁をやってる漁師さんがいたので、一緒にホタテ漁に行ってそれを食べたり。
SHELLY:急に贅沢になった(笑)。お肉はあんまり食べなかった?
坂東:お肉は食べた記憶があまりないですね。小さい頃は。
SHELLY:めちゃくちゃエコ生活をしてきたってことですよね。
坂東:今考えるとめちゃくちゃエコですよね。
SHELLY:誰よりもSDGsな生き方をしてますね。
10年後、20年後を考えていける大人に
板東は自身が行うサステイナブルな取り組みのひとつとして、風呂の残り湯の活用を紹介した。坂東:実家にいるときからの習慣なんですけど、お風呂にたまった水をちゃんと残しておいて、ホースですくい上げて洗濯機に入れて洗濯するのはずっと昔からやってますね。それが当たり前だったので。
SHELLY:忙しい中でそれをやり続けるのって大変じゃないですか。
坂東:やっぱりお金も大事じゃないですか。節約できる部分は節約して、半額のものを買うとか、業務用のスーパーで極力一気に買ってそこで食べていったりとか、服が破れたり壊れたらリメイクしたりしていますね。
SHELLY:料理はしてますか?
坂東:毎日のようにはできてないですけど、できるときは極力作って食べています。
SHELLY:それが当たり前のところから来てるからね。
坂東:実家にいたときは外食とかほとんどしたことがなかったので。
SHELLY:最初に食べたとき感動しなかった?
坂東:感動ですよ。幼稚園のときに初めてハンバーガーを食べたとき、泣きそうになりましたもん。母が相当忙しくて(料理が)無理だってなってハンバーガーを持たしてくれたんですけど、めちゃくちゃうれしかったですね。
SHELLY:あはは(笑)。
坂東:初めてカップラーメンを食べたときも覚えてます。「これがカップラーメンか!」みたいな。小学6年くらいでしたね。
最後にSHELLYは「10年後はどんな自分になっていたいか。また10年後はどんな社会になってほしいか」と坂東に質問した。
坂東:10年後も今と変わらず自分のまわりにいてくれる人たちを大切にして、その人たちの幸せを第一優先に生きられる人でいたいです。北海道も今年は本当に猛暑だったと聞いて、近年ずっとそうなんですけど、みんなが住める環境をこれから僕たちが子どもや家族を持っていくなかで次の世代にちゃんと繋げるように考えていけるようにこれからも生きていきたいですし、10年後、20年後を考えていける大人になりたいと思いますし、そういう社会になってほしいなと思います。たぶん僕らの世代がちゃんと考えないと、それこと子ども世代が大変になるので。ずっと前から言われてますけど、それが本当に危機迫ってると日々感じるので、そこはちゃんとやっていきたいと思います。
SHELLY:自分ごととしていろいろ行動できたらいいですよね。
坂東:身近なところからですけど。
坂東龍汰の最新情報は、鈍牛倶楽部の公式サイトまで。
オンエアをお届けした、青山のITOCHU SDGs STUDIO。
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2023年9月10日(日)22:00-22:54
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