ジェラート職人の柴野大造さんが、家業である酪農家を継いだ理由や、ノウハウがないところから世界一のジェラートを誕生させるまでの軌跡などについて語った。
1975年生まれの柴野さんは、東京農業大学卒業後、実家の牧場を継いで酪農の道へ。2000年に、地元・石川県能登町に北陸初の牧場直営ジェラートショップ「マルガージェラート能登本店」をオープンし、ジェラート職人としての第一歩を踏み出す。
2015年に「ジェラートマエストロコンテスト」で優勝し、ジェラート日本チャンピオンの座に輝くと、2016年にはアジア人初の世界ジェラート大使に就任。2017年には、イタリアで行われるジェラートの祭典で世界一を獲得し、アジア人初の世界チャンピオンに輝いた。昨年10月には、ジェラートを五感で楽しむミュージアム「マルガーラボ野々市」が誕生するなど、今後ますますの活躍が期待されるジェラート界のトップランナーの一人だ。
柴野さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
柴野:僕は実家が牧場であることが嫌で仕方ありませんでした。50頭くらいの乳牛を飼っていたわが家では、牛優先の生活で365日休みがなく、家族で旅行に行ったことさえありません。そんな環境から逃げ出したいと考え、東京のキラキラした世界への憧れもあり、上京することにしたんです。
とはいえ、東京農業大学へ進学したのには「農業に触れていたい」という思いもありました。実家は酪農家ですが、僕が選んだ学科は畜産学科ではなく「国際農業開発学科」。そこでは、砂漠の緑地化や発展途上国への支援などについて勉強していたんですけど、成績はそんなによくなく、単位ギリギリぐらいの感じでしたね(笑)。
東京農業大学の正門前に到着すると、柴野さんは「めちゃめちゃ綺麗になっちゃって! こんなんじゃなかった。もっとボロッとしてましたよ」と時の流れに驚きながらも、「なんか匂いが懐かしい」と、青春の残り香に感じ入った。
柴野:戻ることを決めたのは、大学3年生の夏休みに農大の同級生4人が実家へ遊びに来たことがきっかけでした。彼らは牛のお世話を手伝いながら僕の家に泊まっていたのですが、「君の家は本当に素晴らしい。僕らには君みたいな田舎の実家がないけど、君にこういう故郷があるのはとてもいいことだよ」と言われてから、見方が変わったんです。
あと、帰省したときに冷蔵庫の中にあった搾りたての牛乳を何気なく飲んで、バチーンと稲妻が走ったんですよ。搾りたての牛乳なんて、小さい頃から当たり前のように飲んでいた。にもかかわらず、「こんなにうまいものがあるのか」と衝撃を受けたんです。同時に、この牛乳のおいしさをもっと多くの人に伝えなければいけないという使命感がわいてきました。そこで父親に「自分の将来の道は決めました。継ぐ決意をしました」と、自分の意志を伝えるための長い手紙を書いたんです。
こうして実家に戻り、家業を継いだ柴野さん。しかし、最初からすべてが順風満帆というわけではなかったようだ。
柴野:まず、機械の老朽化が進んでいたため、設備投資にお金がすごくかかったんですね。しかも当時は、農産物自由化の波が押し寄せ、おまけに輸入飼料の高騰にも拍車がかかっていた。取り巻く環境は非常に厳しく、このまま自分たちの搾った牛乳を出荷するだけでは、事業が先細りするのではないかと不安を覚えました。そこで、酪農家自身が生産・加工・販売までを一貫して手掛けられるような何かをやらなければいけないと考え、家族で話し合った末に「ジェラートがいいのではないか」という結論に至ったんです。ソフトクリームは、既に石川県内で別の酪農家さんが展開されていた。ということで、ハードアイスのジェラートを北陸初でやろうと着手し始めたのが、2000年くらいのことでした。
独学で飛び込んだジェラート職人の世界。むろん未知の分野であるため、トライアンドエラーの連続だったという。
柴野:見よう見まねでジェラートを始めたにもかかわらず、僕には「この味は世界で認められるべきだ」と、根拠のない自信があったんです。そんなわけで、ジェラートの本場であるイタリアのコンテストに持ち込むんですけど、当然ながら、まったく通用しない。こうした状況が7年も続きました。そこで、「味で通用しないのなら、イタリア人が思いつかないような誰もやっていないことをやるべきだ」と方向転換し、「ジェラートイリュージョン」なるものを開発しまして。これは、アップテンポな曲に合わせ、固体になる前のジェラートを液体窒素により急速冷凍し、カクテルグラスに盛りつけるという5~6分程度のジェラートづくりのショーでした。
そのショーを徐々にブラシュアップしていき、入賞までには至りませんでしたが、最終的にコンテストで大きな喝さいを得るまでのクオリティーに進化させることができた。そんな中、あるコンテストでジェラート界の巨匠・ティトさんの目に留まり、「大会が終わったら僕のラボに来なさい」とお誘いいただきました。そこで、帰りの飛行機をキャンセルしお伺いすることにしたんです。ティトさんに教えられたのは、「ジェラートとは科学である」ということ。また「君は簡単に考えているかもしれないけど、ジェラートにはルールがあるから、それをまずは覚えなさい」とも言われました。その言葉のおかげで、僕はジェラートの理論に辿り着くことができた。そこから得た気付きは、真正面から押して結果が出なくても、ちょっと角度を変えてみるだけで、遠回りかも知れないけど、目標に辿り着けるのではないかということです。
だから僕、プロ向けの講習会などで「ジェラートとは何ですか?」と聞かれたら、一言「科学です」とハッキリ答えているんです。すべては数字なんです。ジェラートは水分率と固形分率、空気の含有率の配分にルールがあるんですね。特に固形分でいったらお砂糖の使い方。お砂糖の種類ごとに効果・効能があって、ジェラートにどういうテクスチャーを与えるのかすべて決まっていて、それを数値で計算するんですよ。公式に当てはめた上での“糖の遊びのテクニック”が必要なんです。あくまでも、ルールの中で遊ばなければいけません。
ジェラート界の巨匠・ティトさんの言葉を信じ、ジェラート作りの数式を頭と体に叩き込む日々。おいしさの答えを数字で導き出しながら、生産者さんとのコミュニケーションで得たストーリーを加えることで、自分だけのジェラートの手応えを掴んでいったという。そして2017年、柴野さんは、パイナップル・セロリ・リンゴの3種で作った新作ジェラートを引っ提げて挑んだイタリア最大のジェラートの祭典「Sherbeth Festival」で優勝し、見事、世界一の座に輝いた。
柴野:僕の代表作は、パイナップル・セロリ・りんごによる牛乳を使わないソルベのジェラートなのですが、“セロリ”で世界一を獲ったと言っても過言ではありません。セロリは、日本人以上にイタリア人にとって好き嫌いが真っ二つに分かれる食材です。そんな食材を重要な世界大会で使用することに対し、僕の周りの職人や家族は全員反対していました。
でも僕は、「目的のないジェラートには意味がない」というのが信条であり、「パイナップル・セロリ・リンゴのソルベ」は目的をしっかりと持たせたジェラートなんです。というのも、僕は食後に胃もたれした際に、消化作用を促進させるようなジェラートを作りたかった。そういった働きのある素材は何かと言えば、セロリになるわけで。なので、セロリを抜いてしまっては、このジェラートの存在意義がない。その配合バランスを1年間かけて研究し、セロリが嫌いな人、苦手な人にもおいしいと言わせたジェラートを完成させることができました。
最後に柴野さんにとって「未来への挑戦」とは何か?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
柴野:将来的には能登で、ジェラート自然科学研究所とジェラートアカデミーを合体させた施設をつくろうと考えています。今のラボ「マルガーラボ」は実は完成形ではありません。完成形はその周りに牛がいないといけない。アカデミーの生徒たちが毎朝5時に牛の乳搾りを体験してもらって、僕の追体験をしてもらう。ジェラートに必要な原材料として、卵が必要なので養鶏もやりますし、精製されたお砂糖がない時代は蜂蜜で作っていたので養蜂もやって、ハーブ、フルーツ、野菜も周辺施設でまかなう。これらの食材・調味料を用いて作ったジェラートについて、なぜおいしいのかを理論的かつ科学的に研究所で解析していく。この研究所からジェラートの学術専門書を世界に向けて出版することが、僕にとって最後のミッションですね。
『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を 聞く。オンエアは毎週土曜11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。
(構成=小島浩平)
1975年生まれの柴野さんは、東京農業大学卒業後、実家の牧場を継いで酪農の道へ。2000年に、地元・石川県能登町に北陸初の牧場直営ジェラートショップ「マルガージェラート能登本店」をオープンし、ジェラート職人としての第一歩を踏み出す。
2015年に「ジェラートマエストロコンテスト」で優勝し、ジェラート日本チャンピオンの座に輝くと、2016年にはアジア人初の世界ジェラート大使に就任。2017年には、イタリアで行われるジェラートの祭典で世界一を獲得し、アジア人初の世界チャンピオンに輝いた。昨年10月には、ジェラートを五感で楽しむミュージアム「マルガーラボ野々市」が誕生するなど、今後ますますの活躍が期待されるジェラート界のトップランナーの一人だ。
柴野さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
「実家が牧場であることが嫌で仕方なかった」
柴野さんを乗せた「BMW i7 xDrive60 Excellence」は、母校・東京農業大学を目指し、世田谷エリアへ。車窓に流れる都心の景色を眺めながら、地元・能登から進学のために上京した頃の思い出を語り始めた。柴野:僕は実家が牧場であることが嫌で仕方ありませんでした。50頭くらいの乳牛を飼っていたわが家では、牛優先の生活で365日休みがなく、家族で旅行に行ったことさえありません。そんな環境から逃げ出したいと考え、東京のキラキラした世界への憧れもあり、上京することにしたんです。
とはいえ、東京農業大学へ進学したのには「農業に触れていたい」という思いもありました。実家は酪農家ですが、僕が選んだ学科は畜産学科ではなく「国際農業開発学科」。そこでは、砂漠の緑地化や発展途上国への支援などについて勉強していたんですけど、成績はそんなによくなく、単位ギリギリぐらいの感じでしたね(笑)。
東京農業大学の正門前に到着すると、柴野さんは「めちゃめちゃ綺麗になっちゃって! こんなんじゃなかった。もっとボロッとしてましたよ」と時の流れに驚きながらも、「なんか匂いが懐かしい」と、青春の残り香に感じ入った。
大学3年生の夏に訪れた人生の転機
10代の頃、酪農の世界に背を向けて実家を離れた柴野さんは、憧れの東京で学生生活をスタート。バンドを組んだり、ガールフレンドとデートをしたり、仲間と朝まではしゃいだりと、キャンパスライフを謳歌する中で迎えた大学3年生の夏、一転して実家に戻る決断をする。その理由とは?柴野:戻ることを決めたのは、大学3年生の夏休みに農大の同級生4人が実家へ遊びに来たことがきっかけでした。彼らは牛のお世話を手伝いながら僕の家に泊まっていたのですが、「君の家は本当に素晴らしい。僕らには君みたいな田舎の実家がないけど、君にこういう故郷があるのはとてもいいことだよ」と言われてから、見方が変わったんです。
あと、帰省したときに冷蔵庫の中にあった搾りたての牛乳を何気なく飲んで、バチーンと稲妻が走ったんですよ。搾りたての牛乳なんて、小さい頃から当たり前のように飲んでいた。にもかかわらず、「こんなにうまいものがあるのか」と衝撃を受けたんです。同時に、この牛乳のおいしさをもっと多くの人に伝えなければいけないという使命感がわいてきました。そこで父親に「自分の将来の道は決めました。継ぐ決意をしました」と、自分の意志を伝えるための長い手紙を書いたんです。
こうして実家に戻り、家業を継いだ柴野さん。しかし、最初からすべてが順風満帆というわけではなかったようだ。
柴野:まず、機械の老朽化が進んでいたため、設備投資にお金がすごくかかったんですね。しかも当時は、農産物自由化の波が押し寄せ、おまけに輸入飼料の高騰にも拍車がかかっていた。取り巻く環境は非常に厳しく、このまま自分たちの搾った牛乳を出荷するだけでは、事業が先細りするのではないかと不安を覚えました。そこで、酪農家自身が生産・加工・販売までを一貫して手掛けられるような何かをやらなければいけないと考え、家族で話し合った末に「ジェラートがいいのではないか」という結論に至ったんです。ソフトクリームは、既に石川県内で別の酪農家さんが展開されていた。ということで、ハードアイスのジェラートを北陸初でやろうと着手し始めたのが、2000年くらいのことでした。
悪戦苦闘の中で掴んだ、ジェラートの真理
柴野:見よう見まねでジェラートを始めたにもかかわらず、僕には「この味は世界で認められるべきだ」と、根拠のない自信があったんです。そんなわけで、ジェラートの本場であるイタリアのコンテストに持ち込むんですけど、当然ながら、まったく通用しない。こうした状況が7年も続きました。そこで、「味で通用しないのなら、イタリア人が思いつかないような誰もやっていないことをやるべきだ」と方向転換し、「ジェラートイリュージョン」なるものを開発しまして。これは、アップテンポな曲に合わせ、固体になる前のジェラートを液体窒素により急速冷凍し、カクテルグラスに盛りつけるという5~6分程度のジェラートづくりのショーでした。
そのショーを徐々にブラシュアップしていき、入賞までには至りませんでしたが、最終的にコンテストで大きな喝さいを得るまでのクオリティーに進化させることができた。そんな中、あるコンテストでジェラート界の巨匠・ティトさんの目に留まり、「大会が終わったら僕のラボに来なさい」とお誘いいただきました。そこで、帰りの飛行機をキャンセルしお伺いすることにしたんです。ティトさんに教えられたのは、「ジェラートとは科学である」ということ。また「君は簡単に考えているかもしれないけど、ジェラートにはルールがあるから、それをまずは覚えなさい」とも言われました。その言葉のおかげで、僕はジェラートの理論に辿り着くことができた。そこから得た気付きは、真正面から押して結果が出なくても、ちょっと角度を変えてみるだけで、遠回りかも知れないけど、目標に辿り着けるのではないかということです。
だから僕、プロ向けの講習会などで「ジェラートとは何ですか?」と聞かれたら、一言「科学です」とハッキリ答えているんです。すべては数字なんです。ジェラートは水分率と固形分率、空気の含有率の配分にルールがあるんですね。特に固形分でいったらお砂糖の使い方。お砂糖の種類ごとに効果・効能があって、ジェラートにどういうテクスチャーを与えるのかすべて決まっていて、それを数値で計算するんですよ。公式に当てはめた上での“糖の遊びのテクニック”が必要なんです。あくまでも、ルールの中で遊ばなければいけません。
世界一のジェラートに“セロリ”を使用した理由
「ジェラートは科学である」ジェラート界の巨匠・ティトさんの言葉を信じ、ジェラート作りの数式を頭と体に叩き込む日々。おいしさの答えを数字で導き出しながら、生産者さんとのコミュニケーションで得たストーリーを加えることで、自分だけのジェラートの手応えを掴んでいったという。そして2017年、柴野さんは、パイナップル・セロリ・リンゴの3種で作った新作ジェラートを引っ提げて挑んだイタリア最大のジェラートの祭典「Sherbeth Festival」で優勝し、見事、世界一の座に輝いた。
柴野:僕の代表作は、パイナップル・セロリ・りんごによる牛乳を使わないソルベのジェラートなのですが、“セロリ”で世界一を獲ったと言っても過言ではありません。セロリは、日本人以上にイタリア人にとって好き嫌いが真っ二つに分かれる食材です。そんな食材を重要な世界大会で使用することに対し、僕の周りの職人や家族は全員反対していました。
でも僕は、「目的のないジェラートには意味がない」というのが信条であり、「パイナップル・セロリ・リンゴのソルベ」は目的をしっかりと持たせたジェラートなんです。というのも、僕は食後に胃もたれした際に、消化作用を促進させるようなジェラートを作りたかった。そういった働きのある素材は何かと言えば、セロリになるわけで。なので、セロリを抜いてしまっては、このジェラートの存在意義がない。その配合バランスを1年間かけて研究し、セロリが嫌いな人、苦手な人にもおいしいと言わせたジェラートを完成させることができました。
最後に柴野さんにとって「未来への挑戦」とは何か?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
柴野:将来的には能登で、ジェラート自然科学研究所とジェラートアカデミーを合体させた施設をつくろうと考えています。今のラボ「マルガーラボ」は実は完成形ではありません。完成形はその周りに牛がいないといけない。アカデミーの生徒たちが毎朝5時に牛の乳搾りを体験してもらって、僕の追体験をしてもらう。ジェラートに必要な原材料として、卵が必要なので養鶏もやりますし、精製されたお砂糖がない時代は蜂蜜で作っていたので養蜂もやって、ハーブ、フルーツ、野菜も周辺施設でまかなう。これらの食材・調味料を用いて作ったジェラートについて、なぜおいしいのかを理論的かつ科学的に研究所で解析していく。この研究所からジェラートの学術専門書を世界に向けて出版することが、僕にとって最後のミッションですね。
(構成=小島浩平)
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