造形作家の水田典寿さんが、ユニークな作品を創作する上での原動力や、モノづくりが好きになった自身の原体験、さらに、現在可能性を感じている新素材などについて語った。
水田さんは1977年東京都生まれ。流木や廃材などを使って、彫刻、装飾品、家具を制作する人物だ。
水田さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
水田:僕は2003年から流木や廃材を使って彫刻作品と家具を作っています。展覧会では、空間全体の雰囲気を重視していて。たとえば、海外で見た街並みや、そのときに感じた空気感、湿度みたいなものを世界観として表現したりしています。また、個々の作品に関しては、それぞれの廃材を見たときの「そういうふうに見えた」という見立て、あるいは、見間違いを取っ掛かりとして制作に入ることが多く、流木を彫る際にはノミや彫刻刀、鉄を扱う場合は溶接機などを用いていますね。ちなみに、流木を拾ってすぐに“形”が見えるということはほとんどありません。長いものだと材料として3年~5年ほど保管することもあるのですが、“形”が見えて作り始めるとそこまで時間はかからず、長いものでさえ1~2週間くらいで完成することが多いんです。
流木の形は千差万別だ。一つとして同じものがないこの自然が作り上げた造形物を、水田さんはどんな着眼点から作品の素材として選んでいるのだろうか。
水田:流木はそれ自体に「雰囲気があるか」を見ていて。テクスチャーやサイズ感が自分の琴線に触れるかどうかを意識して拾っています。かつては地方で展覧会を行うことが多かったので、開催にあたっての搬入作業時に、現地を車で回って素材を探すこともありました。地方にあまり行かなくなった現在、よく足を運んでいるのは、静岡の海辺です。外洋に面した少し陸地が出っ張っているところに、流木がたまる場所があるんですよ。とはいえ、実際に行ってみないとわからないし、時期によって「この前に来たときはあったのに、今日は何もない」なんてこともありますけどね。
水田:祖父は変わった人でした。自宅の裏庭にガレージを建てて、そこでからくり人形や、歴代の総理大臣をモチーフにした紙製の胸像などを作っていたんですよ。材料も、買ってきてというよりは、その辺にあるものを使っていて。僕が小学生の頃なんかは、夏休みの自由研究で手掛ける工作の相談に乗ってくれて、色んな材料の知識を教えてくれながら一緒に作ったりしていましたね。我が家は両親が共働きだったこともあり、学校から帰ってきて相手をしてくれるのは常に祖父母でした。だから、いつも何かしら一緒にモノづくりなどして遊んでくれてたんですよ。大人になって自分が今の仕事に就くまで意識したことはなかったのですが、振り返ってみればあのときに、祖父から手を動かす楽しみを教わっていたんだろうなと感じますね。
水田:勤めていた工房を辞め、そこで一緒に働いていた友人とユニットのようなものを組んで、青山の貸しギャラリーで行ったんです。当時は何をしていいかもわからず、もちろん、知名度も全然ない。また、貸しギャラリーが、お客さんを呼んでくれるはずもありません。そこで、その頃はインターネットが普及する前の時代でしたから、インテリア雑誌に掲載されている会社の住所をメモして、その企業宛に手書きでDMを送るということをしていました。そしたら、意外と雑誌の関係者の方が来てくれて。雑誌に掲載していただけただけでなく、その後、ギャラリーのほうから「展示をしてほしい」と依頼を受けて企画展を開くこともできました。
僕が取り扱っている素材は、一般的には意味がない、価値がないようなものです。そういったものに新しい価値を与えたいという思いがあります。作品に利用する廃材は、拾い集めるだけではなく、古道具屋さんに譲り受けたりすることもあるんですね。あとは物々交換のような形でもらうこともあるんですけど、まだ直せば使えるものを、あえて壊して作品に利用する……ということはしないんです。たとえば、壊れた椅子を改造して、また椅子を作ることはしない。椅子とは別の作品に生まれ変わらせ、もう一度意味を与えるということをやりたいんです。
水田:ずっと初期の展示会から来てくれて、作品を求めてくださっているあるコレクターさんに、僕が借りているアトリエを退出するときにお声がけをさせていただいたんですよ。そしたらその方が都心にお住まいで、仕事場も都心だったんですけど、「ぜひここを引き継ぎたい」とおっしゃってくれて。僕が出た後にそのアトリエを借りて丸ごと“作品”として残し、今も僕の作品とともに暮らしてくださっているんです。生活スタイルを変えてまで「ここを借りたい」と言ってくださったこともそうですし、人の人生に自分が少し関われたことがすごくうれしくて、自分のやってきたことに意味を持てたような気がしました。
水田さんの作品に魅了されたのはコレクターだけではない。ある展覧会では出版関係者から声をかけられ、本を出版することになる。そのタイトルはズバリ「漂着物」だ。
水田:芸術作品を前にして、制作者がどういうふうに思い付き、どういう過程で出来上がっていくのかを、想像できる人は決して多くありません。それに僕の作品の場合、どこまで手を加えているのかわからないと思うんです。もともとの流木の形を活かしている部分もあるので、「最初からこういう形だったんですか?」と聞かれることも少なくない。そこで、「漂着物」では海辺から始まり、拾ってきた流木が作業場で加工されて作品になって、最終的にギャラリーで展示されるというプロセスが描かれています。
水田:廃材は変わってきています。解体現場から廃材をいただくこともあるのですが、壊される家が新しくなってきているというか。明治、大正、昭和初期に作られたような古い家は当然なんですけど、どんどん減ってきているんです。材料自体、昔は無垢の木材だったのが、合板やプラスチックが増え、手に入りにくくなったと感じます。僕自身は、素材そのものにこだわりはないんですよ。そのテクスチャー、雰囲気が面白かったりとか、それを何かに変換できるんじゃないかと可能性を感じれば、プラスチックの燃えカスみたいなものでも使いますし。手の加え方、見方を変換し、対応しています。
続いて水田さんは、現在可能性を感じている新素材について語った。
水田:海外では、「羊皮紙」という、羊をはじめとした動物の皮を加工して作られた紙があります。その羊皮紙を参考に、数年前から友人が日本の害獣駆除で駆除されている鹿の皮による「鹿皮紙」を作れないかと長らく研究開発をし、今年くらいに完成したんですね。僕はそれを使って照明作品のシェードみたいなものを作ったりしているんですけど、紙と皮の両方の特性を持つすごく可能性を感じる素材なんです。多様な使い方ができると手ごたえを感じているので、今後広めていきたいと考えています。
多種多様な素材に眠るクリエイティブの萌芽を感じ取り、独創的な作品を生み出し続ける水田さん。彼にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?
水田:僕自身はすごい小さい世界で活動していると日々感じています。世界的に販路があるとか、そういう話でもないですし。すごく大きな目標とか夢みたいなものを持ってやってきたわけでもないんですね。現代美術でも工芸でもクラフトとも違う。その隙間みたいなところで、自分にできることと丁寧に向き合うということをこれまでしてきました。ジャンルとしてどこにも属していない分、難しい部分も非効率的な側面もあります。今は、効率性が重視される時代です。そんな世の中において、非効率なやり方でも仕事として成り立ち、環境や暮らしを豊かにできるというのをこの小さい世界から発信していって、多くの方がいろいろなことを考えるきっかけにしていきたい。それこそが、僕の中での挑戦です。
水田さんは1977年東京都生まれ。流木や廃材などを使って、彫刻、装飾品、家具を制作する人物だ。
水田さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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流木を選ぶ基準は「雰囲気があるか」
水田さんを乗せて走り出した「BMW X7 M60i」。そもそも、流木や廃材を使った作品はどのようにして生み出されるのか?――まずは、作者自身の口から語ってもらった。水田:流木はそれ自体に「雰囲気があるか」を見ていて。テクスチャーやサイズ感が自分の琴線に触れるかどうかを意識して拾っています。かつては地方で展覧会を行うことが多かったので、開催にあたっての搬入作業時に、現地を車で回って素材を探すこともありました。地方にあまり行かなくなった現在、よく足を運んでいるのは、静岡の海辺です。外洋に面した少し陸地が出っ張っているところに、流木がたまる場所があるんですよ。とはいえ、実際に行ってみないとわからないし、時期によって「この前に来たときはあったのに、今日は何もない」なんてこともありますけどね。
モノづくりの楽しさを知った、祖父との思い出
水田さんの彫刻・家具作品には、デッサンや設計図のようなものがない。頭の中にイメージが浮かんだら、すぐに手を動かして作り始める……というスタイルなのだとか。そのモノづくりのルーツを辿れば、幼少期の祖父との思い出に辿り着く。水田:祖父は変わった人でした。自宅の裏庭にガレージを建てて、そこでからくり人形や、歴代の総理大臣をモチーフにした紙製の胸像などを作っていたんですよ。材料も、買ってきてというよりは、その辺にあるものを使っていて。僕が小学生の頃なんかは、夏休みの自由研究で手掛ける工作の相談に乗ってくれて、色んな材料の知識を教えてくれながら一緒に作ったりしていましたね。我が家は両親が共働きだったこともあり、学校から帰ってきて相手をしてくれるのは常に祖父母でした。だから、いつも何かしら一緒にモノづくりなどして遊んでくれてたんですよ。大人になって自分が今の仕事に就くまで意識したことはなかったのですが、振り返ってみればあのときに、祖父から手を動かす楽しみを教わっていたんだろうなと感じますね。
2004年に初の個展を開催
19才のときに塗装業を営んでいた父親が他界したことで、家業を畳み、将来を考えて職業訓練校に進んだ水田さん。金属の溶接などを学び、学校の求人案内で出会った工房での経験がきっかけとなり、モノづくりを仕事にしたいと考えるようになったという。そんな彼の転機となったのは2004年。初めての個展を開催したことで、造形作家への道が拓けていく。水田:勤めていた工房を辞め、そこで一緒に働いていた友人とユニットのようなものを組んで、青山の貸しギャラリーで行ったんです。当時は何をしていいかもわからず、もちろん、知名度も全然ない。また、貸しギャラリーが、お客さんを呼んでくれるはずもありません。そこで、その頃はインターネットが普及する前の時代でしたから、インテリア雑誌に掲載されている会社の住所をメモして、その企業宛に手書きでDMを送るということをしていました。そしたら、意外と雑誌の関係者の方が来てくれて。雑誌に掲載していただけただけでなく、その後、ギャラリーのほうから「展示をしてほしい」と依頼を受けて企画展を開くこともできました。
僕が取り扱っている素材は、一般的には意味がない、価値がないようなものです。そういったものに新しい価値を与えたいという思いがあります。作品に利用する廃材は、拾い集めるだけではなく、古道具屋さんに譲り受けたりすることもあるんですね。あとは物々交換のような形でもらうこともあるんですけど、まだ直せば使えるものを、あえて壊して作品に利用する……ということはしないんです。たとえば、壊れた椅子を改造して、また椅子を作ることはしない。椅子とは別の作品に生まれ変わらせ、もう一度意味を与えるということをやりたいんです。
かつてのアトリエがコレクターの家に
そんな話をしているうちに「BMW X7 M60i」は、水田さんの生まれ育った街・福生に到着。米軍横田基地のある同市内には、「米軍ハウス」と呼ばれるかつての軍人向けの住宅が点在している。一時期、この米軍ハウスをアトリエとして借りていた水田さんは、思い出の地に訪れたことで記憶がフラッシュバックしたのか、一つの興味深いエピソードを披露してくれた。水田さんの作品に魅了されたのはコレクターだけではない。ある展覧会では出版関係者から声をかけられ、本を出版することになる。そのタイトルはズバリ「漂着物」だ。
水田:芸術作品を前にして、制作者がどういうふうに思い付き、どういう過程で出来上がっていくのかを、想像できる人は決して多くありません。それに僕の作品の場合、どこまで手を加えているのかわからないと思うんです。もともとの流木の形を活かしている部分もあるので、「最初からこういう形だったんですか?」と聞かれることも少なくない。そこで、「漂着物」では海辺から始まり、拾ってきた流木が作業場で加工されて作品になって、最終的にギャラリーで展示されるというプロセスが描かれています。
20年の中で生じた廃材の変化
造形作家としての水田さんの活動は今年で20年を迎える。彼の創作活動において流木と並び、新たな命が吹き込まれる材料となるのが廃材だが、この20年である変化が出ているようだ。水田:廃材は変わってきています。解体現場から廃材をいただくこともあるのですが、壊される家が新しくなってきているというか。明治、大正、昭和初期に作られたような古い家は当然なんですけど、どんどん減ってきているんです。材料自体、昔は無垢の木材だったのが、合板やプラスチックが増え、手に入りにくくなったと感じます。僕自身は、素材そのものにこだわりはないんですよ。そのテクスチャー、雰囲気が面白かったりとか、それを何かに変換できるんじゃないかと可能性を感じれば、プラスチックの燃えカスみたいなものでも使いますし。手の加え方、見方を変換し、対応しています。
続いて水田さんは、現在可能性を感じている新素材について語った。
水田:海外では、「羊皮紙」という、羊をはじめとした動物の皮を加工して作られた紙があります。その羊皮紙を参考に、数年前から友人が日本の害獣駆除で駆除されている鹿の皮による「鹿皮紙」を作れないかと長らく研究開発をし、今年くらいに完成したんですね。僕はそれを使って照明作品のシェードみたいなものを作ったりしているんですけど、紙と皮の両方の特性を持つすごく可能性を感じる素材なんです。多様な使い方ができると手ごたえを感じているので、今後広めていきたいと考えています。
水田:僕自身はすごい小さい世界で活動していると日々感じています。世界的に販路があるとか、そういう話でもないですし。すごく大きな目標とか夢みたいなものを持ってやってきたわけでもないんですね。現代美術でも工芸でもクラフトとも違う。その隙間みたいなところで、自分にできることと丁寧に向き合うということをこれまでしてきました。ジャンルとしてどこにも属していない分、難しい部分も非効率的な側面もあります。今は、効率性が重視される時代です。そんな世の中において、非効率なやり方でも仕事として成り立ち、環境や暮らしを豊かにできるというのをこの小さい世界から発信していって、多くの方がいろいろなことを考えるきっかけにしていきたい。それこそが、僕の中での挑戦です。
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