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NHK大河ドラマを支えた「伝説の殺陣師」に教わったことは─小澤征悦が振り返る

NHK大河ドラマを支えた「伝説の殺陣師」に教わったことは─小澤征悦が振り返る

俳優の小澤征悦が、自身がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)で、俳優デビューを飾った1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』での思い出や、初主演映画のメガホンを取った崔洋一監督とのエピソードを語った。

同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

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今回は番組ナビゲーターの小澤本人がBMWに乗り込み、俳優活動の原点となった東京・渋谷を巡り、20代の頃の思い出話に花を咲かせた。ポッドキャストでも楽しめる。

・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/



(オンエア日:2023年7月29日)

大河ドラマがきっかけで現在の事務所へ

小澤は「BMW M850i xDriveグランクーペ」に乗り、J-WAVE本社がある六本木ヒルズから、俳優キャリアの原点となる思い出の地・渋谷へと向かった。

大学時代、アメリカ・ボストンに留学していたときに、映画制作と演技のクラスを専攻し、役者になることを決心したという小澤。英語でスタニスラフスキー・メソッドの演技論を学んでいた彼の初仕事は、本格的な時代劇だった。

小澤:ある人からの紹介で、1998年に放送されたNHK大河ドラマ『徳川慶喜』のオーディションを受ける機会をいただき、無事に合格できたのですが、当時の僕は、事務所に所属していなかったんです。そのためNHK側から「事務所に所属してもらったほうが何かと連絡が取りやすいので、入ってください」とお願いされました。ただ、もちろん俳優事務所の知り合いなんていませんから、NHKさんに「どこか紹介できそうな事務所はありますか?」と、逆に聞いちゃいまして(笑)。そんな経緯から、NHKから何社か紹介していただき、その中の一つが、現在所属している事務所なんです。このように、自分がデビューしたきっかけに大きくかかわり、また、役者人生の筋道をつける上で重要な事務所選びにもご協力いただいたので、NHKさんにはすごく感謝をしています。

伝説の殺陣師から教えられた大事なこと

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本木雅弘が江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を演じて話題を呼んだ本作において、小澤が演じたのは、新撰組一番隊組長・沖田総司だった。

小澤:『徳川慶喜』での沖田総司は、台詞があまりなく、“殺陣”と呼ばれる立ち回りがメインの役どころでした。もちろん、このときの僕は刀を振り回したこともなければ、日本の所作も全然わかっていない。そこで、伝説の殺陣師と呼ばれる、林邦史朗(はやし くにしろう)先生に殺陣を教わることになったんです。最初は他のキャストの方と一緒に稽古を受けていたんですけど、あるとき、林先生に「小澤くん、毎週稽古している道場があるからそこに来ないかい?」とお誘いいただき、渋谷にあった道場に毎週水曜日に通うようになりました。稽古は毎回、正座してお辞儀をするところから始まります。その後、木刀を使い、立ち回りの基礎である上段・下段・中段の構え、袈裟斬り、突きなんかをやっていました。そんな毎週水曜日の稽古を、今でも思い出しますね。

林邦史朗さんはNHK大河ドラマを長年支え続けた伝説の殺陣師と呼ばれる人物。2015年に76歳で亡くなった後は、その功績を記した追悼本も出版されている。

「林邦史朗先生には本当に一からすべてを教えていただいた」。殺陣の稽古に励んだ渋谷の豐榮稲荷神社にある道場を訪れた小澤は、亡き師から学んだ殺陣における大事な教えを振り返る。

小澤:林先生がおっしゃっていた大事なポイントの一つが、殺陣はいかに怪我をしないか、相手を怪我させないか、ということでした。相手に当たる直前で刀を止めたり、カメラワークの妙で、相手に当たらない間合いで刀を振り切ったり、あるいは、刀を振り上げたときに後ろの人に刃先が当たらないようにしたり……。安全第一で、しかも動いたときにリアルに見えるたくさんの技術を渋谷の道場で教わり、今でも役立っています。なので、林先生には本当に感謝しています。

崔洋一監督には「頭が上がらなかった」

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『徳川慶喜』とほぼ同時期、小澤は1999年公開の映画『豚の報い』の主演オーディションにも合格し、銀幕デビューを果たす。同作のメガホンを取ったのは、崔洋一監督。『月はどっちに出ている』『血と骨』などで知られる鬼才との在りし日のエピソードを、小澤は懐かしそうに披露した。

小澤:『豚の報い』の舞台は沖縄で、僕が演じたのは現地の大学生でした。そのリハーサルを東京のリハ室で行ったんですけど、海辺の道を僕が演じる大学生と女性が歩きながら、自分たちの将来の不安について語り合うシーンがあって。そのときに、僕は「崔監督すいません。海はどっちですか?」と聞いたんですよ。もちろん、部屋の中だから海がどっちかなんて、決まってもいない。ただ道を歩いているという芝居なのに、なんとなく僕は「海辺だから、海はどっちなのかな? もしかしたら、芝居の最中に海を見ることもあるかもしれない」と思い、質問したんです。

そしたら崔監督はガハハハッ!と豪快に笑って「海!? お前、海がどっちかだって!? じゃあ、右側だ、右側!」と、ものすごくうれしそうに言っていました。次の日には崔さんから「征悦! お前は“理論部長”だ!」と、あだ名をつけられました。僕がバカなこと聞いちゃったもんだから(笑)。それ以来、崔さんに頭が上がらなかったです。映画『豚の報い』ではボストンで学んだ演技論がちょっとは役立ったと思いますが、とはいえ、俳優は現場で学ぶことのほうが多い職業なので、『豚の報い』含めた様々な現場で多くのことを学び、今に至っているのかなぁという気がしますね。

思い出話をしているうちに、話題は、最近の趣味である「写真」へと移っていく。

小澤:僕はもともと写真が好きで。10代後半~30代くらいまではよく撮っていました。当時はデジタルカメラではなく、フィルムカメラ派。フィルムをセットして印画紙に焼き付ける、ライカの引き伸ばし機「フォコマート」なんかも使い、人物や風景をよく写していました。そんな趣味の写真も、しばらく休んでいたんですけど、ここ最近、インスタグラムを始めまして。事務所と話し合い、僕の情報を応援してくださっている方たちに伝えたほうが良いのではないかとなってアカウントを開設しました。そこで、出演作品の紹介などとともに、プライベートの写真も載せたらどうかとなり、また撮り始めることにしたんです。今使用しているカメラ本体はデジカメなのですが、レンズは1950年代くらいのものを装着しています。ボケみが良く、少しフワッとした質感で撮れるのがいい。しかも、設定で白黒にしております。そんなふうに、写真を撮るのがまた楽しくなってきて、毎日何か機会を見つけてはパラパラと撮っています。それが最近の楽しみの一つですね。

『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。

(構成=小島浩平)

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