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“絶滅危惧楽器”バンドネオン奏者の三浦一馬、ふたりの師匠に出会うまでの行動力がスゴい

“絶滅危惧楽器”バンドネオン奏者の三浦一馬、ふたりの師匠に出会うまでの行動力がスゴい

バンドネオン奏者の三浦一馬さんが、同楽器の魅力や演奏家を志すに至った2人の師匠との出会い、自身率いる室内オーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」での活動などについて語った。

三浦さんは1990年生まれの33歳。10歳よりバンドネオンをはじめ、18歳のときにイタリアで開催された国際ピアソラ・コンクールで日本人初、史上最年少で準優勝を受賞。2017年には室内オーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」を結成するなど、活躍の場を広げている。

三浦さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。ポッドキャストでも楽しめる。

・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/

バンドネオンとはどんな楽器なのか?

三浦さんを乗せて走り出した「BMW M440i xDrive Gran Coupe」。そもそも、バンドネオンとはどんな楽器なのか?――まずは、自身の仕事道具について詳しく解説してもらった。
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三浦:「バンドネオン」と聞いて画(え)が浮かぶ人は少ないと思います。よく間違われるのが、アコーディオンですが、2つの楽器は似て非なるものです。バンドネオンは一般的なアコーディオンにあるピアノのような白と黒の鍵盤がありません。代わりに、右に38個、左に33個、合わせて71個に及ぶ直径1cmほどのボタンがずらっと並んでいます。ボタン1個に対して音は1個。まるで、パソコンのキーボードで「ABC」のキーが飛び飛びに配されているように、ドレミファソラシドが不規則に配置されているのが特徴です。たとえば、「ド」が端っこで、遠いところに「レ」があって……という感じで。これだけでもなかなか面白いんですけど、押しながら引っ張ると音が変わったりもします。そんな複雑で面白い仕組みの楽器が、バンドネオンなのです。

バンドネオンが誕生したのは1840年代頃。楽器全般の歴史からすると比較的新しい部類に入るが、実は現在バンドネオンが新たに作られることはなく、50年~100年前に作られた現存するモノのみが、世界各地の演奏で使われているという。これは、第二次世界大戦後に楽器を作る技術が継承されなかったことなどが背景としてあると言われており、“絶滅危惧楽器”と呼ばれているそうだ。

バンドネオンとは、テレビの音楽番組で出会った

そんなバンドネオンに三浦さんが出会ったのは、わずか10歳、小学4年生の頃。三浦少年は、どのようにしてこの希少な楽器の存在を知り、プロの演奏家を志すに至ったのだろうか?

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三浦:小学校4年生ぐらいの頃、夕食後に家族とテレビを見ながらザッピングをしていたら、たまたま音楽番組にアップで何かが映ったんですよ。それがバンドネオンの手元のボタンだったんです。しかも、演奏されていたのは、聞いたことのない大人っぽい音楽。自分が憧れる大人の世界を見せくれて、かつ、当時メカ大好き少年だったこともあって、機械仕掛けなそのビジュアルに衝撃を受けました。番組を見てから半年後、東京銀座のCDショップ1階でバンドネオンのミニコンサートが開催されると知り、観に行きました。そのとき、テレビでは全く感じられなかった勢いよく蛇腹を戻す際のノイズや、カチャカチャと鳴るボタンの音を聴き、ゾクゾクしたことを覚えています。このコンサートで弾いていたバンドネオン奏者の小松亮太さんに「バンドネオンが好きで弾いてみたいんです」と、直談判させていただきました。そしたら、コンサートの2~3日後に我が家に大きなダンボールが届いて。中を開けたら、バンドネオンが入ってるんですよ。どうやら、小松さんが好意で貸してくれたみたいなんです。

最初に楽器を手にしたときはもちろん、うれしかったです。けれど同時に、「弾きたいとは言ったけど、これは大変なことになってきたな……」とも正直思いました。それに、子ども用サイズなどがあるわけではないため、実物を目の前にしたら想像していたよりも大きかったことが印象に残っています。ちなみに、最初に出したのは「ラ」でした。この音が思ったよりも大きくて、身体に不思議なゾクゾク感が走ったことは今でも忘れられません。

人生2人目の師・マルコーニと邂逅

CDショップのイベントで接点を持ったことをきっかけに、日本を代表するバンドネオン奏者である小松亮太さんを最初の師匠として、レッスンに励むようになった三浦さん。バンドネオンの基礎を6年間しっかとり学んだあと、16歳になったときには、バンドネオンの世界的権威であるネストル・マルコーニを人生2人目の師匠とすることになる。
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三浦:私の先生であるマルコーニさんは現代最高峰と言われるバンドネオン奏者です。今年で御年81歳。バンドネオンを弾く人であれば誰もが一度は憧れるのではないかという人で、演奏はもちろん、作曲および編曲者、コンダクターとしてもマルチに活躍されています。初めて出会ったのは、高校最初の春休みのとき。憧れのマルコーニさんが来日し、九州で開催される国際音楽祭に出演されるとの情報を聞きつけて「これはもう行くしかない」と思い、当時住んでいた首都圏から現地へ遠征しました。そこで初めてお会いし、高校2年生になったときには、夏休みを丸々利用して、先生の母国・アルゼンチンまでレッスンを受けに行っていました(笑)。このときに「実は楽器を探しています」とご相談させていただいたところ、先生の使っていないバンドネオンを2つ、3つテーブルに並べて、「この中から選んでごらん」と言ってくれたんですよね。そこで、緊張しながらも試し弾きをさせていただき、その中の一つを選んだら「やっぱりそれを選ぶのか」とニヤリとされていました。どうやら、それは先生お気に入りのバンドネオンだったみたいなのですが、それを譲っていただき、今でも大事に弾いています。

17年に立ち上げた「東京グランド・ソロイスツ」

マルコーニの薫陶を受けた三浦さんは、ますますバンドネオンの腕に磨きをかけていく。そして18歳のとき、イタリアで開催された第33回国際ピアソラ・コンクールで、日本人初、史上最年少で準優勝を成し遂げた。

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ちなみに“ピアソラ”とは、アルゼンチンのタンゴ作曲家で、バンドネオン奏者のアストル・ピアソラのこと。2021年に生誕100年を迎え、1992年の没後も多大な影響力を放ち続ける巨匠のすごさとは?

三浦:ピアソラという人を語り尽くせることはありません。作曲家、バンドネオン奏者、音楽家として、あまりに大きな存在だからです。タンゴは、彼によってあまりにも革新的にアップデートされていきました。当初は批判的な声があったにせよ、今日ではピアソラの音楽こそが、モダンタンゴだと言われているくらいです。ピアソラは、かつて歌の伴奏、踊りの伴奏といった側面が根強かったタンゴを、芸術作品としての音楽へと昇華していきました。しかも、国際人である彼は、クラシック、ジャズ、ポップスなど、自分が世界中で見て触れた音楽の良いところを取り入れることに注力した。そのため、タンゴの中に現代的なエッセンスや、世界中の誰が聞いても良いと思える普遍性をしっかりと溶け込ませているんです。そこがピアソラの偉大なところだと思います。

ピアソラは、タンゴをもとにクラシック、ジャズの要素を融合させ、独自の演奏形態を産み出した「タンゴの革命家」と呼ばれる人物だ。そんな偉大な先達の情熱を受け継ぐ形で、三浦さんが2017年に立ち上げたのが、室内オーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」(TGS)。同楽団への思いとは?

三浦: TGSでは2017年の旗揚げ以来、毎年夏に1回、東京晴海の第一生命ホールを本拠地として定期公演を行っています。ピアソラにフォーカスする中で、その音楽を追求するのはもちろんですが、彼がその生涯において常に大事にしてきたことは、“新しい形への変化”だと思うんです。作曲した楽曲をずっとそのまま弾き続ける。それも一つの形ですけど、ピアソラは、自分の作品を雰囲気だけでなく編成さえも、年代ごとにガラッと変わるくらい作り直していました。だから、私自身もピアソラと向き合うとき、彼が弾いていたことを一言一句なぞるのではなく、現代に合うようにアップデートしていきたいんです。大げさな話かもしれませんが、それこそが、私に課せられた使命というか。この先も、ピアソラが生き続けていくことに繋がるのではないかと思うんです。そんな思いから、ピアソラの様々な名曲を、僕のバンドネオンに、ストリングス、アンサンブル、ピアノ、エレキギター、パーカッションを加えた20人規模の小さなオーケストラを編成し、現代的なエッセンスなど加えながらアプローチしています。

マルコーニとの「ダブルソリスト」が実現!

なお、今夏のTGS定期公演では、「これでバンドネオン人生が終わってもいい」と思えるほどの特別な演奏が実現したようだ。
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三浦:今年は、我が師匠ネストル・マルコーニが7年ぶりに来日し、TGSにも満を持して出演していただきました。自分の先生をお招きし、自分が大事に作り上げてきたメンバーと音楽を共有したわけですから、なかなか感慨深いものがありましたね。TGSを立ち上げて以来、自分がメインを務める関係上、今までこのオケの音を客観的に聴く機会がなかったのですが、今回は先生とオーケストラのパートがあったので、はじめて少し離れたところから聴くことができました。これは何にも代えがたい貴重な体験でしたね。あと、ピアソラの「バンドネオン協奏曲」という作品があって。これは、バンドネオンがソリストとして真ん中に位置取り、後ろでオーケストラが演奏するというものなのですが、ずっと温めていた僕と先生による「ダブルソリスト」が実現したんです。念願叶って先生と二人並んで演奏することができ、これでバンドネオン人生が終わってもいいと思えるほど、最高の時間でした。

演奏者として、楽団のリーダーとして精力的に活動し、バンドネオンの魅力を多角的に伝え続ける三浦さん。彼にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは何かと聞くと、こんな答えが返ってきた。

三浦:バンドネオンが持つ存在感には光るものがあると感じます。ちょっとワンフレーズ聞いただけで「おっ」っと思える空気を作り出せると信じています。だから、今まで演奏されていた部分にこだわり過ぎる必要は決してなく、「これってバンドネオンで弾いたことないよね」というものを、今後どんどんやっていきたいです。

(構成=小島浩平)

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