箏曲家のLEOが、箏との出会いや、若くしてメジャーデビューしたことへの葛藤、最新アルバムなどについて語った。
LEOは16歳で「くまもと全国邦楽コンクール」にて史上最年少で最優秀賞を受賞し、東京藝術大学在学中の19歳のときにメジャーデビューした、現在25歳の箏アーティストだ。
LEOが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
LEO:インターナショナルスクールの音楽科教諭でプロの箏奏者でもあるカーティス・パターソン先生の授業が、箏との最初の出会いでした。授業は同級生全員でお箏を演奏しながら音楽の勉強をするという内容だったのですが、僕自身、負けず嫌いな性格で。それに、言葉ではなく音楽で自分の意志を表明したり、コミュニケーションを取ったりすることに幼いながらも魅力を感じ、どんどんのめり込んでいきました。
中学生になると、友人たちのバンドをかけもちし、ブルーノ・マーズやテイラー・スウィフトなど流行の洋楽をコピーしていたというLEO。音楽的センスに恵まれ、ドラムやベース、ギター、キーボードなどその都度足りないパートを任されていたそうだが、どんなに華やかな海外の楽器に目移りしても、最終的には、和の趣を体現した運命の楽器へと引き寄せられていく。
LEO:中学生の頃はギターやベースといった派手な音楽が羨ましく感じ、バンド活動を行っていました。そんな中でも、自然とお箏に戻っている自分がいまして。あとから考えてみると、それこそが箏の持つ古典楽器・古典芸能としての魅力ではないかと思うんですよね。箏は音が小さく、余韻も短いという儚さを特徴に持つ楽器です。華やかさを追求する西洋の楽器とはまた違う、日本ならではの表現方法を有している。そんなところが自分のうちにある日本人のDNAと共鳴し、今も箏を弾き続ける理由になっている気がするんです。
LEO:昔から「プロの音楽家になりたい」という野望は持っていたのですが、自分の両親と母方の祖父がビジネスパーソンで、みんな厳しい職業観を持っていて。幼稚園の頃などは「サッカー選手になりたい」と言ったら、「なれるわけないだろ!」と諭されたこともありました。そのため、「音楽家になりたい」なんて夢を語ったところで、絶対に許してもらえないと思い、ずっと黙っていたんです。
そんななか、初めて家族に打ち明けたのは、中学3年生のときでした。「全国小中学生箏曲コンクール」で優勝した実績を引っ提げて、「プロになりたい」というのではなく、「東京藝術大学に進学したい」とお母さんに伝えたのが最初でしたね。高校1年生のときには、「くまもと全国邦楽コンクール」でも優勝することができて。それをきっかけに祖父にも「藝大を卒業するまでにプロの音楽家として食べていける算段が付かなかったら諦めて、普通の仕事に就きなさい」と条件付きで渋々了承してもらえるようになりました。その条件を飲み、高校生からは藝大生になるために勉強していましたね。
「BMW M8クーペ」は五本木通りに入り、目黒区の「田切公園」に到着。この公園は、LEOにとって藝大生時代の思い出が詰まった場所だという。
LEO:大学生時代、藝大は上野にあるんですけど、師匠の家や普段お世話になっている楽器屋さんが近く、また、横浜の実家までの中間地点ということで、目黒区の祐天寺に住んでいました。師匠の家に行くと怒られる日もあって、学校でも色々大変なことがあったりして。そんな日の夜は、よくこの田切公園に来ていました。この辺りは閑静な住宅街で夜はすごく静かで、暖かい空気感もある。隣にはスーパーもあるからアイスクリームを買って一人で座って食べながら、将来のことやそのときの悩みについて考えたりしていました。そんな思い出の場所です。
LEO:当時は右も左もわからず、ただがむしゃらに練習していました。プロデビューと同時にアルバムをリリースし、その内容を師匠やプロデューサーと相談しながら作ったりして……。振り返ってみるとあの頃は、「自分がどう在りたいか」についてまだ浅い考えしかなかった気がします。プロになりたてのときはもちろん、うれしい気持ちもありました。ただ、箏のアーティストとして10代でデビューするということ自体あまり前例がなく、さらにはCDを出したり、プロとして活動をしている若い世代の箏奏者も見当たらず、参考になる人がいませんでした。そのため、うれしさの反面、「どうすればいいのかわからない」という戸惑いも大きかったんです。それに、デビューしたとはいえ、当時は箏奏者として食べていけるようになるとは、到底思えなかった。「プロとして生きていける」と確信したのは、本当にここ数年のことです。
そういえば、僕の芸名は師匠のアイデアで、アルファベットの「LEO」となったんですよ。その理由も当時の自分にはあまりわかっていなかったんですけど、もちろん、師匠なりの考えがあったわけで。自分の場合は父親がアメリカ人のミックスという背景もあり、インパクトやギャップも加味したネーミングだったわけですが、当時は僕の考えがまだ子どもで追いついていないこともあり、その売り出し方に対し「どうなんだろう」と半信半疑でした。別にアイドルとして売れたいわけではなく、実力で評価して欲しいという思いもありましたし。まぁ、僕の実力なんて今も昔もまだまだですけど、そんなふうにあの頃はとにかく色々な葛藤を抱えていましたね。
LEO:「GRID//OFF」は、今の僕がアーティストとしてただただ表現したい音楽をピックアップし、箏で演奏するというテーマのアルバムです。やりたい音楽が最初にあって、どうやったらそれを箏で表現できるのかを考えていく作業でしたから、今までの曲たちよりも完成形にもっていくのがずっと難しかった印象があります。
また今作では、自分の想像しえないところまで音楽の幅を広げたかったので、様々なアーティストの方とコラボしているのも特徴です。電子音であったり、パソコンで音を編集するようなエディットをお願いしたりとか。あるいは、ギター奏者の方が使うようなエフェクターを自分の楽器に取り付けてエフェクトをかけながら演奏したりとか。編成も多彩で、今までの作品とは全然趣向が違う。一言でいえば、「ぶっ飛んだアルバム」になっていると思います。
少し話はそれますが、日本の伝統芸能の学びにおいて「守破離」という言葉があります。僕自身、これまで師匠から教わったことを守ってきましたけど、前々作のアルバム『In A Landscape』でクラシックの音楽に挑戦し、コンサートでもクラシックのアーティストの方とたくさんコラボするようになりました。そこで今までの一般的な箏の演奏スタイルから一つ壁を破り、新しい自分なりのかたちを模索してやってきたんですね。
今回のアルバムでは、伝統的な箏の表現を自分の中で一度あえて崩して離れ、好き勝手にやってみようという理念のもと、今までとは違うベクトルの挑戦をしてみました。で、またこれがサイクルして、自分の中でもう一回、伝統を守るフェーズに入ると。一度離れてみたからこそ、また違った景色に見える伝統の世界があるので、このサイクルを一生続けていかなければいけないと考えています。
LEO:最初にエフェクターを箏に挟んでみようと思ったのが2019年か2020年のことでした。僕は坂本龍一さんが大好きで。彼のYMO時代の音楽を聴いていて、それを箏でカバーする際、生音だけではなくちょっとエレクトロな音も入れたいとなったんです。そこで、様々なタイプのエフェクターを精査し3年ぐらいかけてブラッシュアップする中で、コンサート会場だけではなくライブハウスや昨年はフェスなどでも活用しました。そんなふうに様々な場所で、普通の生音だけだとできないスケールの音楽をやるときに重宝しています。
LEOを乗せて走る「BMW M8クーペ」が「BLUE NOTE TOKYO」へと近づく。そんな中、最後の質問として、彼にとっての「未来への挑戦」とは何なのか、聞いてみた。
LEO:音楽家として忘れられたくないんですよね。自分が生きた証をこの世に残したいという漠然とした大きな願いがあって。そのためには、古典・伝統となるものを残さなければいけません。クラシックにおけるバッハも、箏における宮城道雄もそうですが、今伝統として残っているものは、かつて最新だったものなんですよね。先人たちのように僕も最新となる革新を生きているうちに起こし、古典として自分の愛した楽器の歴史に何かを残したい。それが僕にとって新しいことに挑戦し、未来に進むためのモチベーションになっています。
『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。
(構成=小島浩平)
LEOは16歳で「くまもと全国邦楽コンクール」にて史上最年少で最優秀賞を受賞し、東京藝術大学在学中の19歳のときにメジャーデビューした、現在25歳の箏アーティストだ。
LEOが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
“儚さ”を特徴に持つ楽器、箏で表現する理由
LEOを乗せて走り出した、流線型のフォルムが印象的な「BMW M8 コンペティション クーペ」。六本木通りへと差しかかると、日本人の母とアメリカ人の父の間に生まれ、小・中・高と横浜のインターナショナルスクールに通っていたというLEOは、箏と出会った小学4年生のときの思い出を語り始めた。LEO:インターナショナルスクールの音楽科教諭でプロの箏奏者でもあるカーティス・パターソン先生の授業が、箏との最初の出会いでした。授業は同級生全員でお箏を演奏しながら音楽の勉強をするという内容だったのですが、僕自身、負けず嫌いな性格で。それに、言葉ではなく音楽で自分の意志を表明したり、コミュニケーションを取ったりすることに幼いながらも魅力を感じ、どんどんのめり込んでいきました。
中学生になると、友人たちのバンドをかけもちし、ブルーノ・マーズやテイラー・スウィフトなど流行の洋楽をコピーしていたというLEO。音楽的センスに恵まれ、ドラムやベース、ギター、キーボードなどその都度足りないパートを任されていたそうだが、どんなに華やかな海外の楽器に目移りしても、最終的には、和の趣を体現した運命の楽器へと引き寄せられていく。
LEO:中学生の頃はギターやベースといった派手な音楽が羨ましく感じ、バンド活動を行っていました。そんな中でも、自然とお箏に戻っている自分がいまして。あとから考えてみると、それこそが箏の持つ古典楽器・古典芸能としての魅力ではないかと思うんですよね。箏は音が小さく、余韻も短いという儚さを特徴に持つ楽器です。華やかさを追求する西洋の楽器とはまた違う、日本ならではの表現方法を有している。そんなところが自分のうちにある日本人のDNAと共鳴し、今も箏を弾き続ける理由になっている気がするんです。
家族には隠していた、音楽家への夢
その後、カーティス・パターソン氏の師匠である筝曲家・沢井一恵氏のもとで修業を重ね、メキメキと頭角を現すことになるLEOだが、いつからプロアーティストへの道を志していたのだろうか。LEO:昔から「プロの音楽家になりたい」という野望は持っていたのですが、自分の両親と母方の祖父がビジネスパーソンで、みんな厳しい職業観を持っていて。幼稚園の頃などは「サッカー選手になりたい」と言ったら、「なれるわけないだろ!」と諭されたこともありました。そのため、「音楽家になりたい」なんて夢を語ったところで、絶対に許してもらえないと思い、ずっと黙っていたんです。
そんななか、初めて家族に打ち明けたのは、中学3年生のときでした。「全国小中学生箏曲コンクール」で優勝した実績を引っ提げて、「プロになりたい」というのではなく、「東京藝術大学に進学したい」とお母さんに伝えたのが最初でしたね。高校1年生のときには、「くまもと全国邦楽コンクール」でも優勝することができて。それをきっかけに祖父にも「藝大を卒業するまでにプロの音楽家として食べていける算段が付かなかったら諦めて、普通の仕事に就きなさい」と条件付きで渋々了承してもらえるようになりました。その条件を飲み、高校生からは藝大生になるために勉強していましたね。
「BMW M8クーペ」は五本木通りに入り、目黒区の「田切公園」に到着。この公園は、LEOにとって藝大生時代の思い出が詰まった場所だという。
LEO:大学生時代、藝大は上野にあるんですけど、師匠の家や普段お世話になっている楽器屋さんが近く、また、横浜の実家までの中間地点ということで、目黒区の祐天寺に住んでいました。師匠の家に行くと怒られる日もあって、学校でも色々大変なことがあったりして。そんな日の夜は、よくこの田切公園に来ていました。この辺りは閑静な住宅街で夜はすごく静かで、暖かい空気感もある。隣にはスーパーもあるからアイスクリームを買って一人で座って食べながら、将来のことやそのときの悩みについて考えたりしていました。そんな思い出の場所です。
右も左もわからなかったデビュー当時
LEOは藝大在学中の19歳のときにメジャーデビュー。一見すると、箏曲家としてエリート街道をひた走ってきたかのように映るが、その裏では、戸惑いや葛藤もあったようだ。LEO:当時は右も左もわからず、ただがむしゃらに練習していました。プロデビューと同時にアルバムをリリースし、その内容を師匠やプロデューサーと相談しながら作ったりして……。振り返ってみるとあの頃は、「自分がどう在りたいか」についてまだ浅い考えしかなかった気がします。プロになりたてのときはもちろん、うれしい気持ちもありました。ただ、箏のアーティストとして10代でデビューするということ自体あまり前例がなく、さらにはCDを出したり、プロとして活動をしている若い世代の箏奏者も見当たらず、参考になる人がいませんでした。そのため、うれしさの反面、「どうすればいいのかわからない」という戸惑いも大きかったんです。それに、デビューしたとはいえ、当時は箏奏者として食べていけるようになるとは、到底思えなかった。「プロとして生きていける」と確信したのは、本当にここ数年のことです。
そういえば、僕の芸名は師匠のアイデアで、アルファベットの「LEO」となったんですよ。その理由も当時の自分にはあまりわかっていなかったんですけど、もちろん、師匠なりの考えがあったわけで。自分の場合は父親がアメリカ人のミックスという背景もあり、インパクトやギャップも加味したネーミングだったわけですが、当時は僕の考えがまだ子どもで追いついていないこともあり、その売り出し方に対し「どうなんだろう」と半信半疑でした。別にアイドルとして売れたいわけではなく、実力で評価して欲しいという思いもありましたし。まぁ、僕の実力なんて今も昔もまだまだですけど、そんなふうにあの頃はとにかく色々な葛藤を抱えていましたね。
3月末リリースの新譜は「ぶっ飛んだアルバム」
駒沢通りを走る「BMW M8クーペ」は、恵比寿駅を通り過ぎ、青山方面へ直進。4月10日に、最新アルバム「GRID//OFF」の世界観を表現したコンサート「LEO - GRID//OFF -」を行った南青山のジャズクラブ「BLUE NOTE TOKYO」を目指す車中では、同アルバムについての話題へと移っていく。LEO:「GRID//OFF」は、今の僕がアーティストとしてただただ表現したい音楽をピックアップし、箏で演奏するというテーマのアルバムです。やりたい音楽が最初にあって、どうやったらそれを箏で表現できるのかを考えていく作業でしたから、今までの曲たちよりも完成形にもっていくのがずっと難しかった印象があります。
また今作では、自分の想像しえないところまで音楽の幅を広げたかったので、様々なアーティストの方とコラボしているのも特徴です。電子音であったり、パソコンで音を編集するようなエディットをお願いしたりとか。あるいは、ギター奏者の方が使うようなエフェクターを自分の楽器に取り付けてエフェクトをかけながら演奏したりとか。編成も多彩で、今までの作品とは全然趣向が違う。一言でいえば、「ぶっ飛んだアルバム」になっていると思います。
少し話はそれますが、日本の伝統芸能の学びにおいて「守破離」という言葉があります。僕自身、これまで師匠から教わったことを守ってきましたけど、前々作のアルバム『In A Landscape』でクラシックの音楽に挑戦し、コンサートでもクラシックのアーティストの方とたくさんコラボするようになりました。そこで今までの一般的な箏の演奏スタイルから一つ壁を破り、新しい自分なりのかたちを模索してやってきたんですね。
今回のアルバムでは、伝統的な箏の表現を自分の中で一度あえて崩して離れ、好き勝手にやってみようという理念のもと、今までとは違うベクトルの挑戦をしてみました。で、またこれがサイクルして、自分の中でもう一回、伝統を守るフェーズに入ると。一度離れてみたからこそ、また違った景色に見える伝統の世界があるので、このサイクルを一生続けていかなければいけないと考えています。
「自分が生きた証をこの世に残したい」
最新アルバムでは、箏にエフェクターを組み合わせた音作りにもチャレンジしたというLEO。ラジカルな発想の背景には、先日惜しまれつつも亡くなったあの世界的アーティストの影響があった。LEO:最初にエフェクターを箏に挟んでみようと思ったのが2019年か2020年のことでした。僕は坂本龍一さんが大好きで。彼のYMO時代の音楽を聴いていて、それを箏でカバーする際、生音だけではなくちょっとエレクトロな音も入れたいとなったんです。そこで、様々なタイプのエフェクターを精査し3年ぐらいかけてブラッシュアップする中で、コンサート会場だけではなくライブハウスや昨年はフェスなどでも活用しました。そんなふうに様々な場所で、普通の生音だけだとできないスケールの音楽をやるときに重宝しています。
LEOを乗せて走る「BMW M8クーペ」が「BLUE NOTE TOKYO」へと近づく。そんな中、最後の質問として、彼にとっての「未来への挑戦」とは何なのか、聞いてみた。
LEO:音楽家として忘れられたくないんですよね。自分が生きた証をこの世に残したいという漠然とした大きな願いがあって。そのためには、古典・伝統となるものを残さなければいけません。クラシックにおけるバッハも、箏における宮城道雄もそうですが、今伝統として残っているものは、かつて最新だったものなんですよね。先人たちのように僕も最新となる革新を生きているうちに起こし、古典として自分の愛した楽器の歴史に何かを残したい。それが僕にとって新しいことに挑戦し、未来に進むためのモチベーションになっています。
(構成=小島浩平)
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