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登山家 野口 健の娘・絵子、父を「かっこいい」と思った瞬間は? 山の思い出をふたりで語る

登山家 野口 健の娘・絵子、父を「かっこいい」と思った瞬間は? 山の思い出をふたりで語る

登山家 野口 健さんと娘・野口絵子さんが、一風変わった家庭環境や親子での山登りについて語った。

2人が登場したのは、J-WAVEが9時間にわたって放送した特別プログラム『J-WAVE HOLIDAY SPECIAL MEISUI presents A DROP INTO THE FUTURE』(ナビゲーター:武藤千春、GAKU-MC)。オンエアは8月11日(木・祝)。

親子で登山家として活動

野口 健さんは16歳のときのヨーロッパ最高峰のモンブラン登頂を皮切りに、3度目の挑戦で25歳のときにエベレスト登頂に成功。7大陸の最高峰を登頂する当時の世界最年少記録を樹立。その後、富士山やエベレストでの清掃登山活動や、ネパールで学校を建設する教育支援活動など、多方面で活躍している。

GAKU-MC:この2年間はコロナ禍で活動が制限されていると思いますが、どうですか?

健:特に最初の1年目は山に行っても、コロナよりある意味人の目のほうが怖くて。

GAKU-MC:確かにね。

健:山に登っているところを写メに撮ってTwitterにアップするんじゃないかと不安で……。コロナよりも人の目が怖かったですね。

武藤:絵子さんは現在18歳、中学3年生のときにネパールのチュクンリに登頂、これが5600メートル!

GAKU-MC:すごい!

武藤:翌年2019年には、アフリカ最高峰のキリマンジャロ、5895メートルにも登頂しました。その年の10月からニュージーランドの高校に入学中ということで、いまは夏休みでこちらに?

絵子:いまは向こうの冬休みなんです。季節が反対なんですよ。それで帰ってきています。ですけど今日の夜、ニュージーランドに帰ります。このあと飛行機なんです。

GAKU-MC:そんな大変な中ありがとうございます。今回「野口さんどうですか?」と番組からお願いしたら「娘もぜひ」と。こういうのは初めてです。

健:僕は登山家じゃないですか。登山家って寡黙な生き物なのでね。1人じゃ自信がなかったので。

GAKU-MC:なるほど(笑)。

絵子:昔から慣れているんです。トークショーのときとかも、いきなり「じゃあいまから娘の絵子さんがしゃべります」ってマイクを渡されたりとかして。

健:よく富士山とかでキャンペーンをやって、何百人が集まるじゃないですか。そのときにこの子も参加していて。目が合ったのでね「おいで」って言ってマイクをパッと渡して、それを小学校からやっていたからね。

武藤:頼もしいですね。
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初の登山は、マイナス17度の冬山

登山家として世界で活躍する父・健さんについて、娘の絵子さんが「うちはちょっと違う家なのかも」と思ったのはいつだったのだろうか。

絵子:気づいたのは中学校のときなんです。それまではこれが当たり前の生活だったんですけど、だんだんと周りに「なんか絵子のおうちっておもしろいよね」って言われるようになって。たとえばいきなり山に行ったりとか、突如予定が変わったりして。

健:特に中学生から週末とか一緒に山に行っていたので。たとえば「山に行くぞ」と言うと、(絵子さんは)友だちとのディズニーランドの予定が入っているんだけど「そんなものをキャンセルしろ」と。

武藤:ええー! ディズニーランドも行きたいですよね。

絵子:行きたいですよ。

健:そういうのをキャンセルして山に行ってたものね。

武藤:最初はお父さんに「山に行くぞ」と言われてどうだったんですか?

絵子:いつもすごく気が重たかったです。最初がとにかくすごい山だったので。

GAKU-MC:どこに行ったんですか?

絵子:小学校のときだったんですけど、八ヶ岳の雪山に行ったんです。

健:2月だったから冬山だったんですよね。

武藤:いきなり!?

絵子:マイナス何度だったんだろう?

健:登山口で計ったらマイナス17度だったね。

GAKU-MC:冷凍庫よりも寒い。

健:それで吹雪いていたんです。それがこの子の人生の初登山だったんです。一応僕のピッケルを渡したんですよ。ピッケル持って「行くぞ」と言ってね。

絵子:手も足も指先もすごく痛くて「痛い痛い」って叫んだら「痛いというのは感覚がある証拠だからまだ大丈夫だ」って言われて。

健:そうなんです。指が痛いうちはOKサインで、そのうち感覚がなくなってくるんです。かじっても痛くなくなってくると、そのうち指がポロっと落ちるんです。凍傷でね。だから本人が「痛い!」って言っているということはOKなんだと。それでも本人のテンションが上がらなくて。

絵子:上がらなかったなあ。

健:「痛いものは痛い」って泣いてました。

武藤:野口さんは山のすばらしさや楽しさはもちろん知っていますけど、山の怖さも知っていますよね。

健:でも一番怖い、身の危険を感じるのは家に帰ったときですよ(笑)。山は純粋ですから。

GAKU-MC:まるで家は純粋じゃないみたいな(笑)。

健:いろいろな思惑がありますから。

武藤:これは強くたくましく育ちますね。

活躍する父の姿に「ネパールのアイドルなのかな?」

いわゆる「普通の家庭」とは異なる環境で育った絵子さんだが、健さんの活動のすごさを感じる瞬間もあったそう。

GAKU-MC:「お父さんかっこいいな」と思うのはどういうときですか?

絵子:ネパールに行くと、各村でみんな「ケンさん、ケンさん」って集まってくるんです。「ネパールのアイドルなのかな?」と思いました。

GAKU-MC:(笑)。

健:村のみんながね。

絵子:村人のアイドル。それがかっこよかったです。

武藤:山に登るとそういう現地でのかかわりが出てくるんですね。

健:もう20年ヒマラヤに通っていますから、トータル56、7回ヒマラヤに行っているんです。だからヒマラヤの人たちとはすごく長い付き合いがあるので「家に帰ってきたぞ」という感じです。

武藤:家がたくさんあるんですね。

健:“港”がたくさんありまして「今日はどこに帰ろうかな」って。

GAKU-MC:(笑)。

武藤:それは山を通じて、楽しいところですね。

GAKU-MC:お父さんの「これだけはやめてもらったほうがいいな」というところありますか?

絵子:たとえば、いきなり予定を入れるとか。いつもハチャメチャで、山だけじゃないんです。一緒に夜ごはんでレストランに行ったりするんですけど、最初に「どこに行きたいの?」って聞いてくるんです。それで提案すると「いや、やっぱりここに行こう」とか言ってくるんです。

武藤:聞いたのに?

絵子:最初から(行きたい店を)予約しているんです。そもそも私に決定権はなかったんです。

健:そうだったかな?

GAKU-MC:お父さんはサプライズ好きなんですね。とはいえ、絵子さんはたくさん連れていってもらっているなかで、いい山の思い出はありますか?

絵子:キリマンジャロがすごくいい思い出でした。私が小学校のときに行きたいなと思っていたんです。それから6年間ぐらい、いろいろな山に登って経験を積んで、それで挑戦したんです。なのでキリマンジャロ単体だけじゃなくて、自分の6年間の思い出がすべて詰まっていたんです。

健:小学校のころ「キリマンジャロに行きたい」と本人から言ってきて。そこで僕は「本当か? 間違いないな?」と聞いたんです。そうしたら「間違いありません」と。「よっしゃわかった。その代わり夏休み、冬休み、春休み、それは全部合宿で使うぞ」と。そこで僕と娘の合宿が始まるんです。あえて土砂降りのなか縦走(じゅうそう)したりとかね。

GAKU-MC:山から山へということですよね。

健:十何時間歩くんです。吹雪とか悪天候って、肉体的精神的に苦痛じゃないですか。あの苦痛を体験するのが大事なんです。
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山の思い出を語ってくれた野口 健さんと絵子さん。ふたりの最新情報は、それぞれの公式サイトまで。

・野口 健オフィシャルサイト
https://www.noguchi-ken.com/

・野口 絵子オフィシャルサイト
https://www.noguchi-eko.com/

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番組情報
J-WAVE HOLIDAY SPECIAL MEISUI presents A DROP INTO THE FUTURE
2022年8月11日(木・祝)
9:00-17:55