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奥田民生、ユニコーンの誘いを一度は断ったけど…人生の転機をスキマスイッチが聞く

奥田民生、ユニコーンの誘いを一度は断ったけど…人生の転機をスキマスイッチが聞く

奥田民生とスキマスイッチが鼎談。奥田が、ユニコーン結成のきっかけや自身の人生のルーツ、転機について語った。

このトークが繰り広げられたのは、J-WAVEが8月11日(木・祝)に放送した特別プログラム『JFL SPECIAL NIHON SAFETY LIFE COMPASS』。ナビゲーターはスキマスイッチの大橋卓弥と常田真太郎が務めた。

「ギターを買いに行く企画」の思い出

スキマスイッチの2人は奥田を「自分たちのルーツ」と紹介。常田は「一番初めにコピーさせてもらったのがユニコーン」と切り出し、大橋は「存在、生き様が憧れ」と、それぞれが奥田への想いについて語った。

大橋:民生さんはちょくちょくご一緒させていただく機会とか……。

常田:公私ともにあるよね。

大橋:あとはフェスだったりで、よく会ったりしますよね。

奥田:そうですね。このあいだギター買いに行ったじゃないですか。だいぶ前か。
奥田はスキマスイッチの公式YouTubeチャンネルで「奥田民生さんとヴィンテージギターを見に行く!」と題した企画に出演。3人は実際にギターなどを購入した。大橋は「あのYouTube、めっちゃ恐かった」と、高額なヴィンテージギターを購入する可能性がある撮影に恐怖していたと振り返る。 大橋:(値段が)半端ないのもあったし、民生さんに(買えと)言われたら断れないっていう。

常田:あるな。

大橋:民生さんに「優しくしてください」という気持ちはありました。買わなきゃ終わらないだろうなとは思っていたんです。

常田:(企画を)やるうえでね。

奥田:でも別に買わなくても、俺に横から金が入ってくるわけでもないですし(笑)。

大橋:(笑)。

奥田:どちらでもよかったんです。ただ、ああいうところに行っちゃうと、(購入する気持ちに)いってしまいそうになるでしょ?

大橋:なりますね。

奥田:結果的にいいところで終わったけど。

大橋:いい具合のところで終わりました。

奥田:一番高いのはハナから(候補外だよ)ね。

大橋:あれはもう無理ですね(笑)。

奥田:途中であったよね、リッケン(リッケンバッカー)とか。あのへん「もしかしていくかも?」って思ったけどね。

常田:いくかもじゃなくて「いってほしいな」って。

大橋:いやいや(笑)。

奥田:あのあと買いに行った?

大橋:行ってないです! 行ってないですけど、メチャクチャ悩みましたね。

奥田:あれかっこよかったもんね。だから今度は買った楽器を持ち寄る回を、こっちのYouTubeでやりたいんです。

大橋:ぜひぜひ! お願いします。

奥田:いま考え中で。ロケ地はスキマがあればいけると。

大橋:なるほど(笑)。

奥田:時間も場所もそうですしね。

大橋:都内じゃない可能性もあるということですね。

奥田:あるかもしれないです。いま絶賛計画中です。

常田:楽しみだなあ。

ユニコーン結成のきっかけ

番組のテーマはLIFE COMPASS(人生の道しるべ)。奥田の音楽人生を振り返りながら話を訊くことに。

大橋:民生さんは57歳になられたんですね。

奥田:そうなんです。どうしましょう?

大橋:僕らは(アルバムの)『29』『30』を聴いてました。

奥田:『30』は30歳のときですからね。

大橋:わかりやすいですね。ちなみに僕らは44歳ということで。

奥田:あんたたちもだいぶいったね。

大橋:だいぶいきましたね。改めて、音楽を始めたきっかけは?

奥田:音楽は好きでしたから、バンドみたいなものも中学生のときにやりましたね。公民館を借りて練習するとかね。

大橋:「隣町の民生さんが歌がうまい」って(噂が立って)引き抜かれたというストーリーありましたよね?

奥田:なにそれ(笑)?

大橋:あれ(笑)? なんか民生さんが違うバンドやっていて、どこかが引き抜いたって。

奥田:ああ、ユニコーンに入るときの話? そうだね。

大橋:そんなインタビューを見たんです。

奥田:中学のときにギターになってキッスとかカバーしていって。高校に入って、もうちょっとバンドを真剣にというか、よくコンテストとかあるじゃないですか。

大橋:過去にコンテスト受賞歴みたいなのもあるんですか?

奥田:ない。

大橋:(笑)。

常田:出場だけ?

奥田:なんかあったかな? ナントカ賞。

常田:広島県代表みたいなのは?

奥田:それはない。全然そこまでじゃない。しかも俺ギターで歌ってないし。

大橋:引き抜かれるまでは歌ってなかったんですよね。

奥田:そのあとボーカルになって別のバンドをやっていて、1回ユニコーンに誘われたんだよね。そのやっているバンドは「もうすぐ解散する」というものだったから誘われたと思うんですけど。

大橋:解散は決まっていたんですね。

奥田:そんな気がする。でも俺、別のバンドをやろうとすでに思っていたんです。

常田:ご自身で集めて?

奥田:そう。だから(ユニコーンの誘いを)断ったわけよ。それで始めたバンドの解散の日にもう1回誘われて。やろうと思っていたバンドがなかなかうまくいかなそうだったから「じゃあやりますよ」って。

大橋:じゃあ、そこからユニコーン人生が始まったんですね。

人生のターニングポイントは?

奥田に「人生のターニングポイントとなった出来事は?」と問いかけると、あらためて、ユニコーンの結成だったのではないかと回答した。

奥田:一度は断っているのに、結局は入ったわけじゃないですか。そこじゃないですか? 断って、ほかのバンドをそのままやって、いまの状況があるのかと言うと。

常田:そこに行かずに自分で組もうとしていたのに、なぜ2回目で?

奥田:なんか、うん。

常田:なんとなくでOKしたんですか?

奥田:なんとなくです。

大橋:確かにそれはかなり大きなターニングポイントというか、道しるべですね。

奥田:思えばね、断っていたらユニコーンじゃないんだもん。

大橋:たぶん、民生さんたちのころのバンドを組む、組まないとかの感じと、僕らの時代ってだいぶ違うのかなと。僕らって学校内だけで、ものすごくせまいコミュニティでやっていたと思うんです。

奥田:なるほどね。それこそさっき言ったコンテストがあるじゃない。

常田:そっか。

奥田:そこに行くと、予選、本戦に出られたり出られなかったりするんだけど、それで会うわけよ、ほかの学校のバンドとかね。それで何回かやっているうちに知り合いになって……みたいな流れで広がっていく感じはあったよ。それで「違う学校のあいつとバンドやる」みたいな感じはありました。そうじゃないと出会えないのでね。

常田:デビューに向かっていくために賞レースに出て。

奥田:そうだね。まあでもプロになりたいけど、どんだけ真面目にそれを思っていたのかな?

大橋:ちなみにユニコーンは?

奥田:もちろんまず、すぐにデモテープみたいなのを作って、ソニーに売り込んだというか。たまたま俺、練習スタジオでバイトしていたときに、そこにソニーの人が来て。「いいバンドいたら紹介してください」とかって俺に言うから。「ありますよ」ってそのまま渡して(笑)。

常田:そこで連絡が?

奥田:それで「オーディションに来い」となって、そのまま広島でオーディションがあって合格しましたと。本戦があるわけでもなく「もう合格よ」と。

大橋:合格か不合格かどちらかなんですね。

奥田:だから「もう契約だよ」みたいな感じだった。

奥田の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。

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番組情報
JFL SPECIAL NIHON SAFETY LIFE COMPASS
2022年8月11日(木・祝)
18:00-19:55

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