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GLAY・JIROが救われた、TAKUROや山中さわおのメッセージとは?

GLAY・JIROが救われた、TAKUROや山中さわおのメッセージとは?

GLAYのJIROと音楽プロデューサー・亀田誠治が、J-WAVEで対談。JIROが「函館から東京へ」をテーマに自身の音楽遍歴を語った。

JIROがトークを展開したのはJ-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:亀田誠治)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。

7月から2代目ナビゲーターに、音楽プロデューサーでベーシストの亀田が就任。ここでは7月3日(日)にオンエアした内容をテキストで紹介する。

もともとはギターをやっていた

10年近くGLAYの楽曲プロデュースを手掛けている亀田は、JIROとも親交が深く誕生日プレゼントを送り合う仲だという。

今回、JIROが選んだ空想ドライブのテーマは「函館から東京へ」。まずJIROは地元・函館を思い出す曲として、レベッカが1985年にリリースしたアルバム『REBECCA IV ~ Maybe Tomorrow ~』収録の1曲『London Boy』を挙げた。



JIRO:この曲が出た頃、僕はギターをやってたんです。まだベースじゃなかったのでわからな かったんですけど、僕の音楽の原点みたいなところってあるんです。いまだに年に数回聴くんですけど、高橋教之さんのベースがすごくカッコよくて。

亀田:わかる。俺も憧れた。

JIRO:大先輩の方に言うのは適切な言葉かわからないけど、すごく気の利いたベースなんです。今はそこにめちゃくちゃ影響を受けてますね。この頃は中学2年生くらいのときだったと思います。それまで音楽を聴くような親じゃなかったので、僕のまわりに音楽がなかったんですよ。そんなときにレベッカが学校で流行って。

亀田:津々浦々、国民的に流行ってたよね。

JIRO:僕の音楽の原点がレベッカなんですよ。GLAYのメンバーも同世代で地元も一緒なので、流行ってた音楽が一緒なんですよ。だから何となくの空気感がGLAYの中ではあうんの呼吸でわかるというか。

亀田:GLAYが生まれる直前の少年たちの音楽ストーリーが見えてきますね。

オーディションに落選、その理由が衝撃

続いて、JIROは「僕が東京に来てから出会った音楽」としてガンズ・アンド・ローゼズの『Paradise City』を選曲した。
JIRO:東京に出てきて、そのときはベースだったんですよ。高校3年からベースをやり始めて、加入したバンドが東京に出てくるので、このままやめるのも悔しいなと思って「俺も東京に行く!」って感じで。でも東京の街があまりにもデカすぎて、自分たちが生活するのに精一杯でなかなかメンバーで会わなくなって、みんなやりたいことが変わってきて。ひとりはテクノっぽいのにいったりとか。僕はハードロックにハマって。

亀田:なるほど。それでガンズ(アンド・ローゼズ)を聴いてたんだ。

JIRO:長髪でライダース着て。19歳くらいの頃ですね。僕の友だちがすごくハードロック好きで、そいつからメタリカとかガンズ、モトリー・クルーあたりを全部教えてもらって。

亀田:今でもGLAYのレコーディングをしていて、ちょっとしたギターの音とかドラムのフィルとかでガンズとかボン・ジョヴィとか絶対出てくるもんね。なので、この時代に多感なみんながキャッチした音楽の情報量が今のプレイに繋がってるんじゃないですかね。

当時、そのハードロックを教えてくれた友人はボーカルをやっていたそうで、ベースを弾くJIROと一緒に、メンバー募集をするバンドのオーディションに行ったところ……。

JIRO:そうしたら「ボーカルのやつはいいけど、ベースのやつはダメだ」と。「童顔だから」って(笑)。

亀田:あはは(笑)。うちの妻もGLAYが大好きでライブも一緒に行くけど、「JIROさんがいちばん若々しいよね」って。(童顔が)アドバンテージになりましたね。

JIRO:ここにきてようやく(笑)。

大ヒットについていけない心を救ってくれたのは?

その後、JIROはGLAYとしてデビューを果たし、モンスターバンドへと上り詰めていく。

JIRO:間違って人気が出ちゃったんですよ。

亀田:間違ってないよ(笑)。

JIRO:めちゃくちゃメディアとかにいっぱい出させていただいて、精神的に落ちてしまったときがあって。そのときに助けられたバンドがthe pillowsです。

亀田:それはいつ頃ですか?

JIRO:2000年ですね。

JIROは空想ドライブミュージックの3曲目として、the pillows の『NO SELF CONTROL』を選曲した。
亀田:なるほど。そういった目線で聴くと歌詞が響くね。

JIRO:自分たちが急激に大きくなってきてたときなので、他のメンバーも何か抱えてたかもしれないけど、僕だけちょっと挫折しちゃって。この流れについていくのしんどいなと思ったときに、the pillowsの山中さわおさんに出会うことになるんですけど。同郷ということもあって親しくしてもらって、そのときに飲みながら相談にのってもらって、的確にアドバイスをくれて「やっぱりGLAYの置かれてる状況って客観的に見てすごく羨ましいと思うから、そこをちゃんと冷静に見て流れに乗ったほうがいいよ」って言ってくれて。

亀田:素晴らしい先輩だね。

JIRO:本当に。さわおさんに出会ってなかったら、俺はあの時点でGLAYをやめてたかもしれないですね。

亀田:衝撃発言!

JIRO:それくらいしんどかったですね。あとTAKUROにも助けられたんですけどね。当時僕がライブのパフォーマンスとかもよくなくて、TAKUROがホテルの部屋のドアの隙間から手紙を入れてくれて、「JIRO、別にツアー飛ばしてもいいよ」って。そのときって年間100本くらいのアリーナツアーをやっていたので。それは前半のほうだったんですけど、「何とかバンドで責任取っていこうよ。俺、やるよ」ってメッセージを書いてくれて、そこで吹っ切れたというか。

1日8時間くらいベースを練習する日々

最後の空想ドライブミュージックとしてJIROはシックの『Good Times』を選曲した。 JIRO:これは1979年の曲で、全米チャート1位だったんですね。そういうのも僕は全然知らなくて。

亀田:どこで知ったの?

JIRO:コロナ禍のオフの期間に新しい機材を入れて作曲しようと思って。それを習得するためにYouTubeで機材の操作を覚えようと。それで海外の人とか日本の人のやつとかを片っ端から観てたんですけど、行き着く先はベースでした(笑)。

亀田:あはは(笑)。

JIRO:海外でも日本でも弾いてみた動画ってたくさんあるじゃないですか。そこで多田尚人さんって日本のスタジオミュージシャンの方の動画見たときに「こんなベースを弾いてみたい」って思って。多田さんがこのあたりの音楽がすごく好きで紹介されていたんです。

JIRO:それで70年代のディスコミュージックにハマってて。ベースのタイム感とか休符の使い方が自分に全くなかったので。それでそこからすごくベースを練習して、1日8時間くらい。

亀田:すごい。

JIRO:今、腕がバキバキなんです。これを今練習したからといってGLAYに反映されるかはわからないですけど、僕のベースのモチベーションはものすごく上がってるんです。50歳を目の前にして。

亀田:すごいね。

JIRO:レベッカの曲が1985年で、これが1979年だから一気に戻ってますよね(笑)。

GLAYは7月からGLAYオフィシャルファンクラブの発足25周年を記念したスペシャルライブアリーナツアー「GLAY LIVE TOUR 2022 ~We♡Happy Swing~ Vol.3 Presented by HAPPY SWING 25th Anniv.」を開催。また9月21日(水)には60枚目のシングル『Only one,Only you』をリリースする。そのほかの最新情報は、公式サイトまたは、オフィシャルTwitterまで。

亀田が空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。

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番組情報
Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
毎週日曜
21:00-21:54