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ポルノグラフィティ・岡野昭仁、「観客が実質ゼロ」だったライブを明かす

ポルノグラフィティ・岡野昭仁、「観客が実質ゼロ」だったライブを明かす

J-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:スガ シカオ)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。

1月24日(日)の放送では、ポルノグラフィティの岡野昭仁と「1996年の大阪」を空想ドライブする様子をお届けした。岡野は、さまざまなアーティストとコラボレーションする新プロジェクトを立ち上げ、第一弾の楽曲『光あれ』を配信リリースした。作詞にヨルシカのn-buna、作曲に澤野弘之を迎えた。

岡野は山を越えて高校に通っていた

スガと岡野はお互いの家が近所のこともあり、頻繁にランチなどに行くなど仲がよいそう。ちなみにスガは寝るときには、ポルノグラフィティのツアーTシャツを着ているのだとか。

スガ:昨日もLINEでやりとりして、壁紙のことについてね。
岡野:なんのことか聴いてる人はわからない(笑)。
スガ:この番組は時空を超えたサムウェアをバーチャルドライブしていくんですが、今日はどこにドライブに行きましょうか?
岡野:1996年の大阪。
スガ:96年の大阪? へー、俺はまだデビューしてないんだよな。
岡野:デビュー1年前ですかね。僕は1994年に大阪に出るんですよ。
スガ:ああ、(広島県の)因島から?
岡野:生まれ故郷の因島を出て、もちろん因島でもバンドをなんとなくやっていたんですけど。
スガ:因島にスタジオあるの?
岡野:ないですよ。だから学校の視聴覚室でリハーサル。
スガ:なるほど。まあデカい音だしてもあまり怒られないしね。
岡野:出しても周りにミカン畑しかないので(笑)。
スガ:(笑)。
岡野:窓を開けて音の方向をミカン畑にしておけば全然大丈夫っていう。爆音でやろうが誰にも迷惑かからない。
スガ:そりゃそうだよね。学校なんて校庭メッチャ広いんでしょ?
岡野:都会にくらべたら広いですよね。
スガ:東京の学校なんてすごく校庭が狭いしね。
岡野:そうそう。
スガ:前に晴一(ポルノグラフィティの新藤晴一)くんに聞いた話だったっけな? 晴一くんたちは因島でもけっこう一番都会な町に住んでて、岡野くんは因島のなかでもちょっと……だいぶ田舎のほうの町に住んでたという話を。
岡野:そうなんですよ。晴一の町は因島の土生町(はぶちょう)と言って、因島は造船の町でそのなかでも本拠地がある町だから港があって、船がいっぱいあって、商店街もあったりして、いっときはすごく賑わってたみたいな。その名残りで因島のなかではシティのほうですよ。僕はもう、一山超えていくんです。
スガ:山超えちゃうんだ(笑)。
岡野:山を越えて(笑)。因島の北部のほうなので。
スガ:もちろん電車はないよね?
岡野:もちろんないです。
スガ:じゃあバス?
岡野:バスか自家用車しかないですね。
スガ:それで山を越えて。
岡野:山を越えておっちらおっちら高校には行ってましたよ、40分ぐらいかけて。チャリンコに乗って軽音部がある高校まで行ってました、ハイ。
スガ:(笑)。
岡野:狭いトンネルがあるんです、青影トンネルっていう。そこをバスが行きかうんですけれどギリギリなんですよ。「どこに自転車が行きかう幅があるんだ?」っていうようなところをギリッギリで。
スガ:そんなにギリギリなの!?
岡野:毎日命がけで行ってました。
スガ:40分もかかる学校に行ってたんだ、スゲエなあ……。

ポルノ結成当初は「夢を語るだけのバンド」だった

大自然に囲まれた高校生活を送った岡野は94年に大阪へ、大学受験のために浪人生としてやってきたという。岡野はそこからバンド結成に至るまでの経緯を振り返った。

スガ:大学を受けようと思って出てきたの?
岡野:受けようと思って、浪人のために大阪に出て。
スガ:じゃあ一応、予備校とかに通ってたんだ?
岡野:予備校に通いつつ寮に入ってました。
スガ:遊ばないようにね。
岡野:メッチャ遊んでましたけど。
スガ:(笑)。
岡野:そのときに、別に音楽をなんとかっていうのはなかったんです。高校のときに誘われてバンドはやっていたけど、それで飯を食っていくとか全然考えていなくて。でも晴一と元メンバーのTamaは地元に残ってライブ活動、音楽活動をやってたんです。
スガ:因島に残って?
岡野:因島から福山というところに行ってやってたんです。そういうのは聞いていたので、僕が「浪人生1年が終わってもし(大学に)合格できていたら来年バンドやろうか」みたいな、約束はしていたんです。それで1995年に一応ポルノグラフィティというのが大阪で始まるんですね。
スガ:福山から出てきたの?
岡野:出てきて、いよいよやろうかっていうのが95年ですね。でも95年はみんなそれぞれの生活が大変で。一応大学に受かっていたので、通いつつバイトしながらみたいな。夜な夜な「どんな音楽をやろうか」みたいなことは話していたんですけど。
スガ:へー!
岡野:当時は全員因島の5人組で始まったんですけど、なかなかままならなくて。Tamaの知り合いの音楽学校の初代ドラマーが入ってきたりして、いよいよポルノグラフィティが始まるっていうのが95年です。でも95年に始まりますけど、活動はもう生活が大変だったから、夢を語るだけのバンドみたいな。夜な夜なそれを語るバンド。
スガ:夜な夜な……めんどくせえな(笑)。
岡野:めんどくさいんですよ(笑)。なにもしないのに「そのジャンルは嫌だなあ」とか。
スガ:ハッハッハ!

1995年という年はポルノグラフィティにとって、バンド名は決まったものの動き出していない状態だったという。岡野は1996年に入ってから、活動の方向性も決まったと語った。

スガ:そのころはまだ5人組。
岡野:いや、これもだからもうね……サイドギターとドラムの子はやめて、因島の人間としては3人と、大阪の音楽学校に通っていた子1人が当時いました。
スガ:4人バンドか。
岡野:そうです。ドラマーはそのあと変わるんですけど、基本はその4人組で。
スガ:なるほどなるほど。それで大阪時代をすごしていたと。いやあ、なんかいいね! そんな歴史、俺聞いたことがなかった。
岡野:細かい話はしてないかもしれませんね。
スガ:俺のなかではデビューしてからぐらいの話しか聞いたことがないからね。なるほどね、だからいまだにバンドを名乗っているんだね。
岡野:気持ちはやっぱりバンドなんでしょうね。
スガ:そうだよね。俺だって怒られたもん、1回ユニット的なことをTwitterで書いたら「ポルノグラフィティは『バンド』です!!」って。
岡野:(笑)。
スガ:ファンの人から怒られた。
岡野:うちらは別にユニットと言われることを嫌とも言ってないのに怒られたんですね。
スガ:いやでも「バンドなんだ」って、そのときに激しく心に刻んだんだよね。それでいまそれがすごく、ようやく納得いきましたね。

スガがルーツ・レゲエへの愛を熱弁

空想ドライブの地は「1996年の大阪」。岡野がドライブミュージックの1曲目に選んだのはインナー・サークル『Games People Play』で、音楽談議に花を咲かせた。



スガ:うわあ、懐かしいなこれ。
岡野:懐かしいっすね、なんかちょっと泣けてくるな。
スガ:スゲー懐かしいな。そうだ俺これ、デビューが全然決まらないし、親父も病気になっちゃってるし「もうどうすっかな……」って思いながら、親父の会社を閉める手伝いを1人でやってて。そのときに車に乗りながらこれをよく聴いていたんだよね。J-WAVEでよくかかってたんだよ。
岡野:26とか?
スガ:もっと遅い、28歳ぐらいか。
岡野:こんなメジャーな曲なのに、ちょっと泣けてきますね。
スガ:ね、なんかね。明るすぎて泣けてきちゃう。
岡野:(笑)。
スガ:インナー・サークルはすごく息が長いバンドで、結成が1968年で74年にメジャーデビューするんだけど、非常に脂が乗ってきた1980年にリードボーカルのジェイコブ・ミラーという方が27歳で事故死をして、そこから活動休止になっちゃうんです。そこから新しいボーカルのカールトン・コフィが入ってきて、『Games People Play』とかそのへんは新星インナー・サークルのカールトンがボーカルなんだよね。もともとはオーソドックスなルーツ・レゲエのバンドで、俺はルーツ・レゲエがすごく好きで、メチャクチャハマってたんだよね。高校生ぐらいのときからかな? スゲーハマってて、それこそボブ・マーリーは有名ですけど、ピーター・トッシュとかジミー・クリフとか、アスワドとか……一通り全部聴いて、スゴいハマっていた時期があって。インナー・サークルがメンバーが入れ替わり立ち代わりするじゃない? そのときの抜けたメンバーで作ったのがサード・ワールドだったんだよね。
岡野:あ、そうなんですか? 全然知らなかった。
スガ:そう。だからインナー・サークルってほぼほぼ、そのままサード・ワールドなんだよね。サード・ワールドはサード・ワールドで、ファンクとかソウルとか、いろいろな要素を入れて『Try Jah Love』とかの大ヒットになった。これもスッゲーはやったよね。

スガはさまざまなルーツ・レゲエがあるなかで「俺の超オススメ」と、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズを紹介。レゲエ誕生のエピソードについても語った。

スガ:これが俺はものすごいお気に入りで。もともとレゲエというのは始まりはジャマイカじゃない? ジャマイカって北米大陸の下のほうだから、ニューオーリンズとかマイアミとか、あの辺と近いからアメリカのラジオがジャマイカで入るらしいんだよね。そこから流れて来るR&Bとかソウルとかをジャマイカの人たちが聴いたんだけど、すごくボロッちいラジオで聴いてるので、2拍目と4拍目が強く聴こえちゃう。
岡野:なるほど、そういうことなんだ……!
スガ:(リズムの)1234のン、チャ!ン、チャ!というのが強く聴こえてきちゃうので、そういう音楽だと思って始めたのがレゲエの始まりだって言われてるんだよね。
岡野:すごいっすね、そうなんだ。
スガ:当然リズムだけじゃなくてメロディもR&Bとかソウルの影響をメチャクチャ受けているわけ。俺はもともとソウルとかが好きだったから、当然それに影響を受けた音楽のルーツ・レゲエがものすごく好きになっていく、というのは話としては繋がってるんだろうね。トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズはそのなかでも一番ソウル色、R&B色が強いバンドで、本当に彼ら自身もソウルの大ヒット曲のカバーアルバムを出したりするぐらい、すごくソウルが好きだったんだよね。

番組ではトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ『Love is Gonna Let Me Down』をオンエアした。



岡野:この時代のルーツ・レゲエはこういう感じなんですね。
スガ:このトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの中心人物のトゥーツ(・ヒバート)は、去年の9月に亡くなっちゃったんですよね。それも新型コロナウイルスで亡くなっちゃったんだよね……けっこうなお年(享年77歳)なので高齢者の方は合併症とかもあるので危険なんです。ジャマイカで亡くなったらしいんですが。

関西出身のアーティストが活躍した1996年の音楽シーン

1996年の大阪ではどんなことがあったのか、スガは「Hi, Mercedes」と話しかけるだけで起動する対話型インフォテイメント・システム「MBUX」に尋ねた。

MBUX:1996年、プロ野球阪神タイガースはペナントレース最下位と振るいませんでしたが、パ・リーグではオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)が3年連続首位打者のイチローなどの活躍により優勝。日本シリーズでは巨人を4対1で下し日本一の座につき、前年の震災で甚大な被害を受けた関西エリアを盛り上げました。また、音楽シーンでは関西出身のバンドが活躍。ウルフルズは『ガッツだぜ!!』『バンザイ~好きでよかった~』と、2曲連続で全国ヒットを放ち、シャ乱Qの『いいわけ』はミリオンセラーを記録しました。

岡野:そう、音楽は盛り上がってたんですよ。シャ乱Qさんとかウルフルズさんとかがワーッと出てきた時代だったので「大阪とはなんぞや?」みたいなのでよく語られていたかなと思うんですよね。
スガ:大阪ミュージックみたいな感じですごく盛り上がってたからね。

「観客が少ないライブ」で観ている側として“背負った”経験

岡野は2曲目のドライブミュージックにパウロ・メンドーサ『She Says』をリクエスト。ライブの動員に関するエピソードで盛り上がった。

スガ:パウロ・メンドーサ?
岡野:大阪のCDショップで視聴して「かっこいいな」と。そういう聴き方を昔はよくしていたと思うんですけど。ファンクとロックと融合したみたいな感じで、スティーヴィー・サラス的な。
スガ:なるほど。
岡野:その流れで僕もたぶん好きになったと思うんです。
スガ:サラスだね、なるほど。
岡野:ライブに来たんですよ。
スガ:パウロ・メンドーサが単独で?
岡野:単独で大阪のクラブクアトロ(ライブハウス)に来たんです。「これは行かねば」と。
スガ:それは行かないとマズいね。
岡野:そう。友人と、うちの姉もすごい好きだったから姉ちゃんと3人で行ったんですけど、行ってみるとお客さんが5人。
スガ:(笑)。
岡野:(自分を含めた)身内が3人だから、あと2人ですよ。「マズイ!」と。すごいなんか、大阪の日本代表みたいに背負っちゃって、前っツラで頑張ったんですよ。
スガ:クアトロで5人しかいなかったら頑張りようがないでしょ(笑)。
岡野:でも、「ジャパン大坂最高!」と言われるように、とにかく真摯に聴いてあげようと。でも、僕は運悪くその日コンタクトレンズにゴミが入って目が激烈に痛かったんです(笑)。
スガ:(笑)。
岡野:それで聴きたいのに目が痛くてトイレに何回も行ってゴミをはずしながら。でも、この『She Says』がかかった瞬間、この曲は僕が一番聴きたい曲だったから「絶対聴かねばならぬ」ってコンタクトのゴミで涙を流しながら……そっちで涙が流れているんですけど、たぶんパウロ・メンドーサは「こいつ感動して泣いてくれてるな」っていう印象だったと思う。それでまあ、ちゃんと役目は果たせたかなっていうね。「ジャパンにあんな感動してくれるナイスガイがいた」みたいな記憶になってるかな?
スガ:覚えていると思うよ。
岡野:でしょ?
スガ:5人しかお客さんいなくて、1人が号泣してたら絶対覚えていると思うよ。
岡野:いやあ……すごくかわいそうだった、こんなことあるんだと思って。
スガ:なるほどね。まあでもよくありますよ。俺も原宿アストロホールに10CCを観に行ったんだけど。アストロホールってね、400以上のキャパがあるんだけど、お客さんはたぶん20人いなかった。
岡野:10CCでですか?
スガ:10CCだよ。俺はもうパンパンだと思って行ったらさ。
岡野:そりゃそうですよね。
スガ:そうしたら前につめるのも恥ずかしいぐらいしかいないわけ。
岡野:キツイ……。
スガ:すごくライブはよかったんだけども、そういうのはあるよね。
岡野:ありますねえ。
スガ:あとは俺、1回大阪で吉本新喜劇を観に行ったんですよ。できたばっかりの新喜劇の劇場で、午後イチの回だっけかな? 観に行ったんだけど、オバチャンのグループが2グループと俺しかいなくて。なんていうの? ギャグとかも直接言ってくれるぐらいの距離感(笑)。
岡野:(笑)。そりゃキツイですね、本番になんか背負いません?
スガ:しかも俺、吉本の人にお願いをして「スガ シカオです」って言って入っちゃてるから、みんな出演者の人は知ってるんだよね。
岡野:はいはい(笑)。
スガ:「スガ シカオ来てるぞ」みたいなさ(笑)。これはちょっと背負わないといかんなみたいな感じのときが1回ありましたね。
岡野:いつもよりも多めの笑い声をあげるみたいな。
スガ:でもね、笑い声を1人であげてもちょっとわざとらしいしね。
岡野:確かに、考えちゃいますよね。
スガ:いやあ、なかなか背負ったなあ。

観客が実質ゼロ人!? デビュー前のライブ

番組では10CCの『I'm not in love』をオンエア。岡野は驚きの「ゼロライブ」エピソードを告白した。

岡野:それこそ僕、東京に来たばかりインディーズのライブがあったんです。(事務所は)アミューズ、(レーベルは)ソニーで決まってて、デビューはいつになるかわからない、みたいなポルノのライブがあって。そのときは北関東ツアーで群馬かなんかに行ったんです。
スガ:まだデビューも決まってないのい?
岡野:でしょ? そういう状況なのにやるから、動員もないんですよ。
スガ:いや、ないでしょ(笑)。
岡野:ないですよ(笑)。
スガ:あるわけないでしょ(笑)。
岡野:なにも出してないのになぜかやったんですよ。まあどこに行っても動員がないですよね。それで群馬かなんかでいつもよりも人が少ない、本当にお客さんが1人ぐらいだったんですよ。後ろのほうに1人でいて、マネージャーには「ツアーは人が少ないけど、ちゃんと1人1人にアピールしろ!」「目線はちゃんと1人でもいいから送ってちゃんとやれ!」と言われていたから、必死で僕はやってて……よく見たら、マネージャーだったんです。
スガ:(笑)。
岡野:うわこれ、実質ゼロ人!?っていう(笑)。なんだったの俺の目力っていう。
スガ:ライブハウスは暗いからね。
岡野:そうなんです、見えなかったんです。いやもうそれはね、マネージャーも「申し訳ないことをした」って言ってました。
スガ:じゃあ、実質ゼロライブをやったことがあるんだ。
岡野:やったんです。それでもライブの幕は開くんですね(笑)。
スガ:まあ開くよね、途中から来る人いるかもしれないものね。
岡野:そうなんですよ、その可能性もあるから。
スガ:いや俺、すげえ少ないのはあったけどゼロはさすがに1回もないなあ。
岡野:あれはビックリしました。
スガ:ちょっと(心が)折れるね。
岡野:折れますね、97年、8年くらいかな?
スガ:スゲエなあ。

TLCに衝撃を受けて…若気の至りエピソード

岡野が最後のドライブミュージックにセレクトしたのはTLC『Waterfalls』で、当時の「若気の至り」なエピソードを披露した。



スガ:この曲は実は前にもこの番組でかけたことがあって、2回目になるんです。
岡野:そうなんですか。
スガ:やっぱり人気だね。
岡野:90年代半ばっすよね、衝撃だったですよ。
スガ:衝撃だったです。
岡野:なんか「こんな柔らかいブラスセクションって入ってくるんだ」って。若いときは知らなかったので。
スガ:なるほどなるほど。
岡野:元気のいいのがパーン!ってテンション高めのみたいな。「踊らせるぜ!」みたいなブラスセクションなのしかイメージになかったので。「おお、なにこの柔らかな」と。
スガ:そうね、そうだね。
岡野:そしてブラックミュージックでこんなロートーンで朗々と歌うみたいなのを当時知らなかったので、そういった意味ではすごく衝撃で。
スガ:TLCはなにをやってもかっこいいみたいなところがあったからね。
岡野:ありましたねえ。それで、あまりに僕はこれに影響を受けすぎて(笑)、ベースのTamaも「スゲーかっこいい」って言っていて「こんなクールなことができればいいよね」みたいな言葉から、僕はその言葉を請け負ったというか「絶対このクールな感じをやりたい!」みたいなのをバンドのみんなにブチまけたんですよ。当時の年上のドラマーの、うちらの意見のまとめ役みたいな人がいて、そのドラマーに「いや、キミのボーカルのスタイルと真逆だけど大丈夫?」って(笑)。
スガ:(笑)。
岡野:すごく冷静で、でも冷静ながらも怒りの籠った顔で言われたんです。顔面ヒクヒクしながら「おまえ、なに言ってるの? アホじゃねーの?」みたいな感じで(笑)、表情でわかったんです。
スガ:まあこれは岡野くんの声じゃないよね。
岡野:ないですよねえ。あまりにハマりすぎてバンドに落とし込もうとして、そういう真っ当な反論ですぐに冷静になれたというか。「あっそう? そうね」って。
スガ:そうだよねみたいな(笑)。だってTLCは首に青筋立ってないものね。
岡野:そうそう、そういう思い出がありますね。だからTLCのこのアルバム自体を聴くと大坂を思い出すし、当時90年代半ばの僕を思い出すというか。もともとは主張がないタイプなんですけど、1996年ぐらいの自分のことを考えると、僕としては珍しく「自分自身でなにかを切り開いてやろう」というバイタリティがあった時期じゃないかなと。
スガ:なるほどねえ。

ポルノグラフィティの最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。

スガが空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。

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2021年1月31日28時59分まで

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番組情報
Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
毎週日曜
21:00-21:54