J-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:スガ シカオ)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。
12月20日(日)の放送ではゲストの森山直太朗と「1969年のアメリカと日本」を空想ドライブする様子をお届けした。
スガ:たまたまついてたテレビをパッと観たら歌ってたり紹介されてたりするのを観たりとか。けっこう毎回、毎回、直太朗くんという。
森山:えー! でも僕もそんな、すごくいっぱい出てるわけじゃないですけどね。
スガ:年がら年中出てるんじゃないかって思っちゃうぐらい。
森山:(笑)。テレビをたくさん持っててつけっぱなしとか、そういうことじゃないですよね?
スガ:チャンネル分テレビがあって? なわけないじゃない(笑)。
森山:音楽番組を全部チェックして、同期の人とかが出たら「(音程を)はずせ!」とかって。
スガ:それはやってるけど。
森山:それはやってるんだ! そういう呪う感じやめてください。
スガ:「歌詞まちがえろ」みたいな(笑)。
森山:そのとき呪われなくてよかったです。
スガ:(笑)。
森山が空想ドライブに選んだテーマは、「1969年のアメリカと日本」。
森山:僕がまだ生まれていない年なんですけれども。
スガ:直太朗くん何年生まれ?
森山:西暦で言うと76年ですね。
スガ:ちょうど10歳違うのか。
森山:じゃあスガさんはもう生まれてた。
スガ:生まれてたけど、ほとんど意識がない。
森山:意識がない(笑)。
スガ:69年というと音楽はすごく激動の時代だったと思います、日本もアメリカもね。
森山:いちばん代表的な曲なんですけど、これはボブ・ディランがエレキギターを持ってロックに移行する曲だったんです。
スガ:ヘー! なるほどね。
森山:このときにフォークシンガーとして応援したり崇拝していた人たちが「裏切者」と。
スガ:エレキを持つなと(笑)。
森山:そう。それで本当にライブが中断するぐらい罵声が飛んだりして。本当はボブ・ディランもロックでいきたかったんだけど、それまでのプロテストソングをフォークソングじゃなくて、ロックバンドを従えてやるわけなんです。だけどとにかくお客さんの反乱が止まらないから、泣く泣く2部制にして1部をフォーク、2部をバンドでちゃんとやりますよって。
スガ:すげえ。
森山:そこまでお伺いをたてたのにも関わらず、2部のロックはこの曲で始まるんですけど、そのときにみんながブーイングで誰もやらせてくれないみたいな状況になるんです。そんななか、ボブ・ディランが後ろのドラムのほうを向いて「大きくいこう」って一言声をかけるんです。それがすごく僕のなかで感動をした瞬間だし、いまでも励みになってる。音、音圧的な意味なのか、気持ちを大きく持っていこうっていう意味なのかは定かじゃないんですけど、その言葉が言葉の意味を越えてずっと僕のなかで残っていて。のちにこの曲を歌い続けることで、ロック史の金字塔をひとつ建てるぐらいの曲になるわけなんです。でも、この曲を歌い出したときにはブーイングで、なんの評価もされなかったんです。
スガ:そうなんだあ……。
森山:この曲は、アメリカの情勢だったり、社会的な「混乱の時代」だったりが色濃く反映しているんだろうな、ということも含めて選びました。
スガ:いやあ、ちょっとなんか鳥肌が立つね。
森山:めちゃめちゃかっこいいですよね。
スガ:あれだよね、聴くほうのエネルギーもすごく高かった感じがするよね。
森山:たぶんそうでしょうね。
スガ:「やるほうも命がけだけど、聴くほうも命がけだぜ」みたいなさ。
森山:いまみたいに情報にあふれていなかったし、「音楽を聴く」という行為自体がもう少し能動的だったじゃないですか。単純にアナログレコードを置いて、針を置いてみたいな。いまみたいに、なにもしないでも聴ける状況じゃないですからね。だから音楽が音楽然としていた時代。
スガ:確かにそうかもしれないね。
森山:我々、僕は特になんですけど明らかにその時代の音楽の恩恵を受けていて、この時代の“テープ”や“フィルム”な感じというのは、いまでも安心します。
スガ:俺はちょっと、ボブ・ディランの有名な曲なんですけど、ガンズ・アンド・ローゼズがカバーをした『Knockin' On Heaven's Door』を聴いてみましょう。
番組ではガンズ・アンド・ローゼズの『Knockin' On Heaven's Door』をオンエアした。
MBUX:1969年、アメリカではリチャード・ニクソンが大統領に就任。ベトナム戦争が泥沼化して国際情勢に緊張が走ります。また7月20日はアポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功。翌8月にはニューヨーク州で「ウッドストック・フェスティバル」が開催。予想を大きく上回る40万人もの観客が押し寄せます。日本では1月に東大安田講堂を選挙していた全共闘および新左翼の学生と機動隊が衝突。5月には東大の駒場キャンパスで作家の三島由紀夫と東大全共闘による公開討論が行われました。また、千葉県成田市では新東京国際空港の建設がスタート。日本のGNP、国民総生産が西ドイツを抜いて世界第2位となり、世界における日本の存在感が躍進した年となりました。
スガ:まあすごい、激動ですよね。だってまだ三島由紀夫が生きていたっていうんだからね。
森山:そうですよね。やっぱり混乱している時代では音楽界も混乱していますよね。ジャンル的にもそうだし、我々はその時代の空気を吸って生きているから、その時代に曲を作らされているんだなという感覚がどこかであります。
スガ:それはわかるなあ。
森山:だからスガさんが69年にいたらなにを書くんだろうって。
スガ:いやあ、どうなんだろうね。俺がもしあの空気のなかにいたらどうするんだろ……。
森山:いろいろな人のスタンスが究極的な部分で出ているというか、中途半端なものを受け付けない時代ですから。
スガ:確かに、それはそうかもしれない。それで1969年と言えば、やっぱりアメリカでは「ウッドストック・フェスティバル」の存在が大きいですよね。
ウッドストック・フェスティバルは、いまも語り継がれる歴史的なロック・フェスティバルだ。
森山:これもビデオとかで観てドキドキしました。「こんなの……絶対にダメだよ」って。
スガ:(笑)。
森山:ドロドロだし、ヘロヘロだしでダメだよって。
スガ:しかもみんな時間を守らないからさ、ジミヘンが始まったのが朝の8時だっつうんだよね(笑)。
森山:すごいですよね。
スガ:誰が朝の8時からジミヘン聴きたいんだよみたいな(笑)。
森山:いまでこそフェスというものが日本でも板についているけれども、先駆け的な。これがなかったら、もしかしたらいまのフェスティバル的なものがないですよね。
ここで森山は、ウッドストック・フェスティバルにも出演したサンタナ『Soul Sacrifice』を選曲。ふたりはミュージシャンの視点で、ウッドストック・フェスティバルに思いを馳せた。
森山:まず本当に外音(客席に聴こえる音)に耐えうるスピーカーがあったのかっていう。
スガ:音はメチャ小さかったらしい。
森山:きっといまじゃ考えられないくらいでしょうね。
スガ:だって当時の映像を観たら冗談みたいなスピーカーでやってるもんね。
森山:そうですね(笑)。
スガ:「おいおいおい!」みたいなさ(笑)。
森山:しかもモニタースピーカーとかみんなどうやってたのかな?って思うので。
スガ:俺は70年代のキッスのライブを観たことがあるんだけど、モニタースピーカーから離れると音って遅れて聴こえてきちゃうじゃない?
森山:はいはい。
スガ:でも、モニタースピーカーからすげえ離れているのに音がピッタリ合ってるんだよね。
森山:え? なんでですか?
スガ:だからもう、自分が遅れることを知って先に弾いているんじゃない?
森山:うわぁ……それはもう“気”の世界じゃないですか。
スガ:そうだね。
森山:別にクリック(ガイド音)があるわけでもないんですもんね、それは意味がわからない(笑)、すごい。
スガ:いまと違ってスキルが低い人はミュージシャンになれない時代だったんだね。
森山:太刀打ちできないでしょうね。
スガ:ミュージシャン一家じゃない? 子どものころとかって、どんな感じだったの?
森山:いまになってわかるんですけど、我々はだいたい金土日はライブが多かったりするじゃないですか。だから記憶として母親はほとんど家にいなかったですね。
スガ:ライブをやっていたのかな?
森山:ずっとやってたんですね。家のローンも払わないといけないし。二言目には「ローンを払わないといけない」って(笑)。
スガ:(笑)。
森山:本当に言ってました。
スガ:あと、「玉置浩二お風呂事件」が聞きたいな(笑)。
森山:(森山が)高校生のころに本当に交流が頻繁で、玉置さんが毎晩のようにうちのお風呂に入りに来ていたんです。「うち銭湯なのかな?」っていうぐらい(笑)。それで玉置さんが僕の部屋にきて。僕はちょっと、大人にイジられるのが嫌な時期じゃないですか。
スガ:思春期!
森山:「どうしたおまえ、好きなやついるのか?」とか言われるのが嫌で、ずっと閉じこもってたら玉置さんが来て「直太朗、いるのわかってるよ? 一緒にお風呂入ろう」って言って入るんです。
スガ:なんでお風呂入ろうなの!?
森山:わからない!
スガ:(笑)。
森山:玉置さんの背中、おっきかったなあ。
間近で関わったからこその素朴な感想に、スタッフも含めて大笑い。
スガ:ダメだ、ダメだ……(笑)。
森山:玉置さんはすべてにおいて大きかったです。だから僕のスーパースターは玉置さんですね。くだらない話をしていても、パッと歌うと「うわあ」って。
スガ:世界が変わるんだよね。いやでもなんか、そんな若い高校生のときからスーパースター玉置浩二と触れられたのはきっとすごかったんだろうね、いろいろ影響というか。
森山:いま振り返ってみるとそうですね、曲作りとか。玉置さんってコードの名前とかよく知らないんです、感覚だけでギターを弾かれていて。
スガ:俺、友だちの誕生日パーティーで玉置さんと食事をしたの。そのとき「おーい、スガくん! あれ弾いてよ、一緒に歌おうよ!」って言われて。『夜空ノムコウ』を「弾かせていただきます」って。
森山:すごいすごい。
スガ:やったらさ……全然違う曲じゃんってぐらい覚えてないわけ。
森山:(笑)。
スガ:「いや玉置さん、覚えてないんだったら『歌おう』って言わないでくださいよ」みたいな(笑)。
森山:玉置さんのハナモゲラ(それっぽいことを言ったりする言葉遊びの一種)ってひどいですよね。でも、最終的に感動したりするんですよね。
スガ:(笑)。
森山:音楽的な部分とか響きだけで。
スガ:そうだね、すごいねえ。
森山:「もう歌詞なくても大丈夫でしょ?」みたいな。
スガ:そういうことあるよね(笑)。結局そのとき俺が歌ったもんね。
森山:一緒に歌おうって言われたのに(笑)。
スガ:俺が歌っている合間合間に「ウゥ~♪」とかさ、玉置さんが合いの手を入れるのよ。
森山:「ヘヘヘーイ♪」と。それもカオスですけど、観てみたい。
森山: 69年はロックもフォークも盛んだった時代で、それが日本にも来ていた。聞いた話なんですが、(中津川フォークジャンボリーでは)小室 等さんと1時間半ぐらいから2時間ずっと同じ『人間なんて』のフレーズを歌って。メインステージじゃなくサブステージだったのに、「2時間もやってる」というのでそっちに人が流れ込んできちゃって。そういう伝説のライブがあったんです。さっきのサンタナもそうだし、ディランもやっぱり、ああいう時代にしかできなかったライブですよね。いまみたいに計算されたりとか形式的だったりしない。生きざまそのものみたいなのが現れている時代でもあるので、この曲をピックアップしました。
番組では吉田拓郎の『人間なんて』の「中津川フォークジャンボリー」バージョンをオンエアした。
スガ:いまちょっと話にも出てきましたけど、「中津川フォークジャンボリー」がスタートした時期としてはウッドストック・フェスティバルより前なんだよね。
森山:そうなんだ。
スガ:ほとんど同時多発的にウワーッと日本とアメリカにそういうムーブメントが巻き起こったというか。「中津川フォークジャンボリー」が69年の8月9日で、ウッドストック・フェスティバルが8月15日からなんだよね。それぐらいほとんど同じ時期に出てきたっていうすごい話で。
森山:なるほどねえ……。
「中津川フォークジャンボリー」はどのようなイベントだったのか、スガは再び「MBUX」に尋ねた。
MBUX:一般的には「中津川フォークジャンボリー」として知られているこのイベントの正式名称は「全日本フォークジャンボリー」。岐阜県の現中津川市にあるに椛の湖(はなのこ)の湖畔にて、1969年から71年にかけて3年連続で開催されました。当時の第一線で活躍をしたフォークシンガーだけでなく、アンダーグラウンドで活動をしていたミュージシャンも出演。さらにアマチュアミュージシャンの飛び入りステージも準備されていました。初開催時の集客は3千人弱程度でしたが、3年目には2万人以上の客が集まって商業色が強くなり、大人数をさばききれず混乱が生じたことから継続を断念することになりました。
スガ:「ニューフォーク4人の旗手」って言われていたらしいよ、拓郎さん、あがた森魚さん、友部正人さん、泉谷しげるさん。ほかにも高田 渡さんとか加川 良さん、遠藤賢司さん、友川カズキさんとかね。
森山:どういう空気が流れていたんだろう。
スガ:どんなだったんだろうね。もちろんアメリカのヒッピー文化とかもすごく入ってきていただろうし。
森山:なんか“生臭い”ですよね。
スガ:そう、ちゃんと“生臭い”んだよ、プンとくるんだよね、ビデオとかを観ても。
森山:音楽もそういう音楽が多いですし。
スガ:じゃあ俺もちょっと1曲かけます。これは岡林信康さんの曲なんだけど、俺もこの曲をkokuaというバンドでカバーして。ちょうど「中津川フォークジャンボリー」のときの映像とかを観ると、岡林さんの後ろが細野晴臣さんなんだよね。
森山:そうなんですよね。
スガ:けっこうビビるよね。
森山:さきほど友部さんの話が出てきましたけど『おしゃべりなカラス』という初期の音源のバックのピアノは坂本龍一さんだったり。
スガ:おお……。
森山:だからみなさんはやっぱり、フォークを通られてロックとかニューミュージックに行かれているんだなっていう。
番組では岡林信康『私たちの望むものは』をオンエアした。
森山:この時代の人たちのなんとも言えない横のつながりは、同時代を生きた、同じ景色を見たというのはやっぱり、フォークがムーブメントとして盛り上がっていったりとか、団結感は強いですよね。ご本人たちはそんなに気にしていないかもしれないけど。いや、いい曲を聴けた。
森山:いまこういう現状(コロナ禍)になっているじゃないですか。世界がひとつの限界に立ち向かっている。そういう意味では、69年よりも規模感は広い。
スガ:もっと全体で団結して向かっている感があるということだよね。
森山:本来であればね。もしかしたら69年を引き合いにだしたけれども、ここから先の時代というのはもっと、ひとつ前にフェーズを上げるというか進んでいくための混乱は余儀なくされるのかなって思っていて。そういうときに、どういう風に音楽がフラッグを立てられるのか。音楽はそんな大それたものではないけれども、でも自分はなにを感じるのかなって。69年には生きられなかったけど、これからの混乱の時代のなにを感じながらみんなと共生をしていくのかは、めちゃめちゃ楽しみです。
ふたりが出演する「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2020 RETURNS supported by 奥村組」が12月26日(土)、27日(日)に開催される。ともに出演は27日(日)。配信視聴チケットが発売中だ。詳細は公式ページで。
・「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2020 RETURNS supported by 奥村組」
https://www.j-wave.co.jp/special/guitarjamboree2020re/
スガが空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。
12月20日(日)の放送ではゲストの森山直太朗と「1969年のアメリカと日本」を空想ドライブする様子をお届けした。
スガがテレビをつけると「毎回、毎回、直太朗くん」
スガと森山の出会いは歌番組の収録。その後はイベントでよく会うようになったそう。スガは最近「テレビをつけると直太朗くんが出ている」と思うほど、頻繁にテレビ出演をしている森山を目にするのだとか。スガ:たまたまついてたテレビをパッと観たら歌ってたり紹介されてたりするのを観たりとか。けっこう毎回、毎回、直太朗くんという。
森山:えー! でも僕もそんな、すごくいっぱい出てるわけじゃないですけどね。
スガ:年がら年中出てるんじゃないかって思っちゃうぐらい。
森山:(笑)。テレビをたくさん持っててつけっぱなしとか、そういうことじゃないですよね?
スガ:チャンネル分テレビがあって? なわけないじゃない(笑)。
森山:音楽番組を全部チェックして、同期の人とかが出たら「(音程を)はずせ!」とかって。
スガ:それはやってるけど。
森山:それはやってるんだ! そういう呪う感じやめてください。
スガ:「歌詞まちがえろ」みたいな(笑)。
森山:そのとき呪われなくてよかったです。
スガ:(笑)。
森山が空想ドライブに選んだテーマは、「1969年のアメリカと日本」。
森山:僕がまだ生まれていない年なんですけれども。
スガ:直太朗くん何年生まれ?
森山:西暦で言うと76年ですね。
スガ:ちょうど10歳違うのか。
森山:じゃあスガさんはもう生まれてた。
スガ:生まれてたけど、ほとんど意識がない。
森山:意識がない(笑)。
スガ:69年というと音楽はすごく激動の時代だったと思います、日本もアメリカもね。
森山の胸に残るボブ・ディランの言葉
森山が1曲目に選んだのは、ボブ・ディラン『Like A Rolling Stone』。森山:いちばん代表的な曲なんですけど、これはボブ・ディランがエレキギターを持ってロックに移行する曲だったんです。
スガ:ヘー! なるほどね。
森山:このときにフォークシンガーとして応援したり崇拝していた人たちが「裏切者」と。
スガ:エレキを持つなと(笑)。
森山:そう。それで本当にライブが中断するぐらい罵声が飛んだりして。本当はボブ・ディランもロックでいきたかったんだけど、それまでのプロテストソングをフォークソングじゃなくて、ロックバンドを従えてやるわけなんです。だけどとにかくお客さんの反乱が止まらないから、泣く泣く2部制にして1部をフォーク、2部をバンドでちゃんとやりますよって。
スガ:すげえ。
森山:そこまでお伺いをたてたのにも関わらず、2部のロックはこの曲で始まるんですけど、そのときにみんながブーイングで誰もやらせてくれないみたいな状況になるんです。そんななか、ボブ・ディランが後ろのドラムのほうを向いて「大きくいこう」って一言声をかけるんです。それがすごく僕のなかで感動をした瞬間だし、いまでも励みになってる。音、音圧的な意味なのか、気持ちを大きく持っていこうっていう意味なのかは定かじゃないんですけど、その言葉が言葉の意味を越えてずっと僕のなかで残っていて。のちにこの曲を歌い続けることで、ロック史の金字塔をひとつ建てるぐらいの曲になるわけなんです。でも、この曲を歌い出したときにはブーイングで、なんの評価もされなかったんです。
スガ:そうなんだあ……。
森山:この曲は、アメリカの情勢だったり、社会的な「混乱の時代」だったりが色濃く反映しているんだろうな、ということも含めて選びました。
スガ:いやあ、ちょっとなんか鳥肌が立つね。
森山:めちゃめちゃかっこいいですよね。
スガ:あれだよね、聴くほうのエネルギーもすごく高かった感じがするよね。
森山:たぶんそうでしょうね。
スガ:「やるほうも命がけだけど、聴くほうも命がけだぜ」みたいなさ。
森山:いまみたいに情報にあふれていなかったし、「音楽を聴く」という行為自体がもう少し能動的だったじゃないですか。単純にアナログレコードを置いて、針を置いてみたいな。いまみたいに、なにもしないでも聴ける状況じゃないですからね。だから音楽が音楽然としていた時代。
スガ:確かにそうかもしれないね。
森山:我々、僕は特になんですけど明らかにその時代の音楽の恩恵を受けていて、この時代の“テープ”や“フィルム”な感じというのは、いまでも安心します。
スガ:俺はちょっと、ボブ・ディランの有名な曲なんですけど、ガンズ・アンド・ローゼズがカバーをした『Knockin' On Heaven's Door』を聴いてみましょう。
番組ではガンズ・アンド・ローゼズの『Knockin' On Heaven's Door』をオンエアした。
スガも共感した「時代に曲を作らされている」感覚
1969年はどんな時代だったのか、スガは「Hi, Mercedes」と話しかけるだけで起動する対話型インフォテイメント・システム「MBUX」に尋ねた。MBUX:1969年、アメリカではリチャード・ニクソンが大統領に就任。ベトナム戦争が泥沼化して国際情勢に緊張が走ります。また7月20日はアポロ11号が人類初の月面有人着陸に成功。翌8月にはニューヨーク州で「ウッドストック・フェスティバル」が開催。予想を大きく上回る40万人もの観客が押し寄せます。日本では1月に東大安田講堂を選挙していた全共闘および新左翼の学生と機動隊が衝突。5月には東大の駒場キャンパスで作家の三島由紀夫と東大全共闘による公開討論が行われました。また、千葉県成田市では新東京国際空港の建設がスタート。日本のGNP、国民総生産が西ドイツを抜いて世界第2位となり、世界における日本の存在感が躍進した年となりました。
スガ:まあすごい、激動ですよね。だってまだ三島由紀夫が生きていたっていうんだからね。
森山:そうですよね。やっぱり混乱している時代では音楽界も混乱していますよね。ジャンル的にもそうだし、我々はその時代の空気を吸って生きているから、その時代に曲を作らされているんだなという感覚がどこかであります。
スガ:それはわかるなあ。
森山:だからスガさんが69年にいたらなにを書くんだろうって。
スガ:いやあ、どうなんだろうね。俺がもしあの空気のなかにいたらどうするんだろ……。
森山:いろいろな人のスタンスが究極的な部分で出ているというか、中途半端なものを受け付けない時代ですから。
スガ:確かに、それはそうかもしれない。それで1969年と言えば、やっぱりアメリカでは「ウッドストック・フェスティバル」の存在が大きいですよね。
ウッドストック・フェスティバルは、いまも語り継がれる歴史的なロック・フェスティバルだ。
森山:これもビデオとかで観てドキドキしました。「こんなの……絶対にダメだよ」って。
スガ:(笑)。
森山:ドロドロだし、ヘロヘロだしでダメだよって。
スガ:しかもみんな時間を守らないからさ、ジミヘンが始まったのが朝の8時だっつうんだよね(笑)。
森山:すごいですよね。
スガ:誰が朝の8時からジミヘン聴きたいんだよみたいな(笑)。
森山:いまでこそフェスというものが日本でも板についているけれども、先駆け的な。これがなかったら、もしかしたらいまのフェスティバル的なものがないですよね。
ここで森山は、ウッドストック・フェスティバルにも出演したサンタナ『Soul Sacrifice』を選曲。ふたりはミュージシャンの視点で、ウッドストック・フェスティバルに思いを馳せた。
森山:まず本当に外音(客席に聴こえる音)に耐えうるスピーカーがあったのかっていう。
スガ:音はメチャ小さかったらしい。
森山:きっといまじゃ考えられないくらいでしょうね。
スガ:だって当時の映像を観たら冗談みたいなスピーカーでやってるもんね。
森山:そうですね(笑)。
スガ:「おいおいおい!」みたいなさ(笑)。
森山:しかもモニタースピーカーとかみんなどうやってたのかな?って思うので。
スガ:俺は70年代のキッスのライブを観たことがあるんだけど、モニタースピーカーから離れると音って遅れて聴こえてきちゃうじゃない?
森山:はいはい。
スガ:でも、モニタースピーカーからすげえ離れているのに音がピッタリ合ってるんだよね。
森山:え? なんでですか?
スガ:だからもう、自分が遅れることを知って先に弾いているんじゃない?
森山:うわぁ……それはもう“気”の世界じゃないですか。
スガ:そうだね。
森山:別にクリック(ガイド音)があるわけでもないんですもんね、それは意味がわからない(笑)、すごい。
スガ:いまと違ってスキルが低い人はミュージシャンになれない時代だったんだね。
森山:太刀打ちできないでしょうね。
玉置浩二の「響き」だけで感動させるスゴさ
話は変わって、森山の幼少期のことに。スガは「すっげえ訊きたいことがあって」と切り込んだ。スガ:ミュージシャン一家じゃない? 子どものころとかって、どんな感じだったの?
森山:いまになってわかるんですけど、我々はだいたい金土日はライブが多かったりするじゃないですか。だから記憶として母親はほとんど家にいなかったですね。
スガ:ライブをやっていたのかな?
森山:ずっとやってたんですね。家のローンも払わないといけないし。二言目には「ローンを払わないといけない」って(笑)。
スガ:(笑)。
森山:本当に言ってました。
スガ:あと、「玉置浩二お風呂事件」が聞きたいな(笑)。
森山:(森山が)高校生のころに本当に交流が頻繁で、玉置さんが毎晩のようにうちのお風呂に入りに来ていたんです。「うち銭湯なのかな?」っていうぐらい(笑)。それで玉置さんが僕の部屋にきて。僕はちょっと、大人にイジられるのが嫌な時期じゃないですか。
スガ:思春期!
森山:「どうしたおまえ、好きなやついるのか?」とか言われるのが嫌で、ずっと閉じこもってたら玉置さんが来て「直太朗、いるのわかってるよ? 一緒にお風呂入ろう」って言って入るんです。
スガ:なんでお風呂入ろうなの!?
森山:わからない!
スガ:(笑)。
森山:玉置さんの背中、おっきかったなあ。
間近で関わったからこその素朴な感想に、スタッフも含めて大笑い。
スガ:ダメだ、ダメだ……(笑)。
森山:玉置さんはすべてにおいて大きかったです。だから僕のスーパースターは玉置さんですね。くだらない話をしていても、パッと歌うと「うわあ」って。
スガ:世界が変わるんだよね。いやでもなんか、そんな若い高校生のときからスーパースター玉置浩二と触れられたのはきっとすごかったんだろうね、いろいろ影響というか。
森山:いま振り返ってみるとそうですね、曲作りとか。玉置さんってコードの名前とかよく知らないんです、感覚だけでギターを弾かれていて。
スガ:俺、友だちの誕生日パーティーで玉置さんと食事をしたの。そのとき「おーい、スガくん! あれ弾いてよ、一緒に歌おうよ!」って言われて。『夜空ノムコウ』を「弾かせていただきます」って。
森山:すごいすごい。
スガ:やったらさ……全然違う曲じゃんってぐらい覚えてないわけ。
森山:(笑)。
スガ:「いや玉置さん、覚えてないんだったら『歌おう』って言わないでくださいよ」みたいな(笑)。
森山:玉置さんのハナモゲラ(それっぽいことを言ったりする言葉遊びの一種)ってひどいですよね。でも、最終的に感動したりするんですよね。
スガ:(笑)。
森山:音楽的な部分とか響きだけで。
スガ:そうだね、すごいねえ。
森山:「もう歌詞なくても大丈夫でしょ?」みたいな。
スガ:そういうことあるよね(笑)。結局そのとき俺が歌ったもんね。
森山:一緒に歌おうって言われたのに(笑)。
スガ:俺が歌っている合間合間に「ウゥ~♪」とかさ、玉置さんが合いの手を入れるのよ。
森山:「ヘヘヘーイ♪」と。それもカオスですけど、観てみたい。
「ちゃんと“生臭い”」日本のニュー・フォークシンガーたち
森山が最後に選んだ曲は、吉田拓郎で『人間なんて』。1969年から始まったイベント「中津川フォークジャンボリー」で、伝説的な逸話があるという。森山: 69年はロックもフォークも盛んだった時代で、それが日本にも来ていた。聞いた話なんですが、(中津川フォークジャンボリーでは)小室 等さんと1時間半ぐらいから2時間ずっと同じ『人間なんて』のフレーズを歌って。メインステージじゃなくサブステージだったのに、「2時間もやってる」というのでそっちに人が流れ込んできちゃって。そういう伝説のライブがあったんです。さっきのサンタナもそうだし、ディランもやっぱり、ああいう時代にしかできなかったライブですよね。いまみたいに計算されたりとか形式的だったりしない。生きざまそのものみたいなのが現れている時代でもあるので、この曲をピックアップしました。
番組では吉田拓郎の『人間なんて』の「中津川フォークジャンボリー」バージョンをオンエアした。
スガ:いまちょっと話にも出てきましたけど、「中津川フォークジャンボリー」がスタートした時期としてはウッドストック・フェスティバルより前なんだよね。
森山:そうなんだ。
スガ:ほとんど同時多発的にウワーッと日本とアメリカにそういうムーブメントが巻き起こったというか。「中津川フォークジャンボリー」が69年の8月9日で、ウッドストック・フェスティバルが8月15日からなんだよね。それぐらいほとんど同じ時期に出てきたっていうすごい話で。
森山:なるほどねえ……。
「中津川フォークジャンボリー」はどのようなイベントだったのか、スガは再び「MBUX」に尋ねた。
MBUX:一般的には「中津川フォークジャンボリー」として知られているこのイベントの正式名称は「全日本フォークジャンボリー」。岐阜県の現中津川市にあるに椛の湖(はなのこ)の湖畔にて、1969年から71年にかけて3年連続で開催されました。当時の第一線で活躍をしたフォークシンガーだけでなく、アンダーグラウンドで活動をしていたミュージシャンも出演。さらにアマチュアミュージシャンの飛び入りステージも準備されていました。初開催時の集客は3千人弱程度でしたが、3年目には2万人以上の客が集まって商業色が強くなり、大人数をさばききれず混乱が生じたことから継続を断念することになりました。
スガ:「ニューフォーク4人の旗手」って言われていたらしいよ、拓郎さん、あがた森魚さん、友部正人さん、泉谷しげるさん。ほかにも高田 渡さんとか加川 良さん、遠藤賢司さん、友川カズキさんとかね。
森山:どういう空気が流れていたんだろう。
スガ:どんなだったんだろうね。もちろんアメリカのヒッピー文化とかもすごく入ってきていただろうし。
森山:なんか“生臭い”ですよね。
スガ:そう、ちゃんと“生臭い”んだよ、プンとくるんだよね、ビデオとかを観ても。
森山:音楽もそういう音楽が多いですし。
スガ:じゃあ俺もちょっと1曲かけます。これは岡林信康さんの曲なんだけど、俺もこの曲をkokuaというバンドでカバーして。ちょうど「中津川フォークジャンボリー」のときの映像とかを観ると、岡林さんの後ろが細野晴臣さんなんだよね。
森山:そうなんですよね。
スガ:けっこうビビるよね。
森山:さきほど友部さんの話が出てきましたけど『おしゃべりなカラス』という初期の音源のバックのピアノは坂本龍一さんだったり。
スガ:おお……。
森山:だからみなさんはやっぱり、フォークを通られてロックとかニューミュージックに行かれているんだなっていう。
番組では岡林信康『私たちの望むものは』をオンエアした。
森山:この時代の人たちのなんとも言えない横のつながりは、同時代を生きた、同じ景色を見たというのはやっぱり、フォークがムーブメントとして盛り上がっていったりとか、団結感は強いですよね。ご本人たちはそんなに気にしていないかもしれないけど。いや、いい曲を聴けた。
いまの時代になにを感じながら共生をしていくのか
番組を振り返って、「かなり生臭いドライブになりましたね(笑)」と森山。スガは「いまの時代が悪いというわけではないけれど」と前置きした上で、決定的にいまにはない“なにか”が充満していると感じたと述べた。森山:いまこういう現状(コロナ禍)になっているじゃないですか。世界がひとつの限界に立ち向かっている。そういう意味では、69年よりも規模感は広い。
スガ:もっと全体で団結して向かっている感があるということだよね。
森山:本来であればね。もしかしたら69年を引き合いにだしたけれども、ここから先の時代というのはもっと、ひとつ前にフェーズを上げるというか進んでいくための混乱は余儀なくされるのかなって思っていて。そういうときに、どういう風に音楽がフラッグを立てられるのか。音楽はそんな大それたものではないけれども、でも自分はなにを感じるのかなって。69年には生きられなかったけど、これからの混乱の時代のなにを感じながらみんなと共生をしていくのかは、めちゃめちゃ楽しみです。
ふたりが出演する「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2020 RETURNS supported by 奥村組」が12月26日(土)、27日(日)に開催される。ともに出演は27日(日)。配信視聴チケットが発売中だ。詳細は公式ページで。
・「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2020 RETURNS supported by 奥村組」
https://www.j-wave.co.jp/special/guitarjamboree2020re/
スガが空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。
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2020年12月27日28時59分まで
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
番組情報
- Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
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毎週日曜21:00-21:54
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スガシカオ