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土岐麻子「プロになるのは諦めていた…」学生時代の悩める自分を告白

土岐麻子「プロになるのは諦めていた…」学生時代の悩める自分を告白

J-WAVEで放送中の番組『STEP ONE』(ナビゲーター:サッシャ・寺岡歩美)のワンコーナー「MUSIC +1」。11日(月)から14日(木)の4日間、「ミュージシャンたちのデビュー物語。~原点へのタイムトラベル~」と題し、デビュー時の思い出を訊いています。最終日の14日(木)のオンエアでは、シンガーソングライターの土岐麻子さんのデビュー当時のお話をお送りしました。

1997年にバンド、Cymbalsのリードシンガーとしてデビュー。2004年にサックス奏者の父・土岐英史さんとの共同プロデュースアルバム『STANDARDS~土岐麻子ジャズを歌う~』でソロデビュー。その後、音楽活動やCMソング、ナレーションなどでも活躍しています。そんな土岐さんの音楽活動の原点といえる早稲田大学前の「カフェ GOTO」へタイムトラベル。早稲田通りからちょっと入った路地のところにある2階で、一見目立たないお店ですが学生で賑わっています。

土岐:(この店は)クラスの友だちがバイトをしていたので知ったのですけど、当時は大人の人が多くて学生街の喧騒から離れたくて来ていました。私は学食でアルバイトしていたので、ちょっと学生街からワープしたいと思ってこの店に来ていたんです。


■デビューに至るまで

土岐さんがデビューに至るまでのお話を伺いました。

サッシャ:デビューは学生のときですよね?
土岐:インディーデビューは学生ですね。
サッシャ:そもそもずっと軽音楽部だったのですか? お父さまももちろんミュージシャンですけど、いつから音楽ってはじめてるんですか?
土岐:中学2年くらいからはじめて、大学でも軽音サークルに入って。バンドをやりたくてこの大学にしました。
サッシャ:早稲田を選んだ理由がバンド?
土岐:本当に不埒な理由なんですけど、勉強がずっとできなかったんですが、受験をするつもりもなかったんですけど、進学率100%の高校でこれじゃいけないかなと思って。よくよく考えたらやりたい仕事もそのとき見つからないで、適当に就職するのもよくないなと思いまして。だったらモラトリアム期間、「自分が何をしたいのか考える期間がほしい」ということで、そのときにとりあえず何を勉強したいかというのもわからなかったんですけど、「今1番やりたいことはバンドだな」と、それでサークルが盛んな早稲田にしたんですよ。

真心ブラザーズや、かの香織さんなどの有名ミュージシャンを輩出している早稲田大学の音楽サークル。土岐さんは、女子校でのバンド生活での物足りなさから「バンド漬けの毎日で人に会いたかった」と入った動機を明かしました。しかし音楽にハマってしまい単位が足りずに留年。周りにも同じような人も多く「何か打ち込むものを見つけたくて来る人も多くて、これだと見つけたときにそれが勉強じゃなくても、迷わずにそこにかける人が多かった」と当時を振り返ります。

続いて、Cymbalsの結成のいきさつを訊きました。

土岐:(Cymbalsのメンバーの)沖井礼二さんもサークルの先輩で別のサークルだったんですけど、色々なところから集まってきているサークルだったので。しかも沖井さんは浪人と留年をけっこうたくさん重ねてらっしゃる、そういう先輩だったので在学中にボーカルに誘われまして、それまでは楽器だったんですけど「歌ってみない?」といわれて。はじめたのがそのままCymbalsとしてデビューしました。
サッシャ:軽音楽部に入ったときにプロのミュージシャンになりたいというのがあったのですか? 一応考える4年間にしたかったわけですよね。
土岐:3年ぐらいやってみて、ギターをやっていたんですけど、私は本当にギターが下手だなと、本当に上手くならなかったんです。表現方法として向いてなかったと。練習しても上手くいかなくて、プロになるのは諦めていたんです。就職しようと就職活動をしはじめたときに、ボーカルで誘われまして、歌ったことがなかったので「いやいや」と言っていたんですけど「歌が下手くらいの人とやってみたい」というオファーで(笑)。最初は意味がわからなかったんですけど、それよりも「センスが合う人とやってみたい」と言われて、3年間同じサークルにいて、似てる感覚を持ってると思ってくれたのが嬉しくて、当時ギターは下手っぴだったのでバンドには誘われなかったんですけど。そういって必要とされたのが嬉しくて、「ボーカルがどんなものがわからないけどやってみよう」と思ったのがきっかけですね。


■最新作『SAFARI』について

そんな紆余曲折を経て、現在はシンガーソングライターとして活躍中の土岐さん。最新作『SAFARI』について訊きました。

土岐:野生動物とかではなく「人間の中の野生って何だろう」というのを書いてできたアルバムですね。人が好きで、「シティポップって何だろう」というところから、前回の『PINK』という作品からなんですけど、街を生きるものとして、街で生きる人を鼓舞するような音楽をずっと探していたので、自分でも作ってみたいと思って挑戦してたんです。「街って人だな」と思って。色々な人がたくさんいて、その中に知り合いがいなかったり、交差点でも殆どが知らないわけで、でも逆に気分が違うときは人がたくさんいて私もその中のひとりで、同じようになんらかの目的で戦っているひとがたくさんいると思うと、「知り合いではないし、これからも知り合うことはないかもしれないけど同士、仲間だな」と思って心強く励まされる気持ちにもなったりして。「孤独とピンで勝負できる自由さ」、「しがらみがないからこそ勝負できる自由さ」も同時には都会にはあるなと。今街で暮らしているという気持ちをこの2作で作っているんです。


■デビュー当時を振り返ってみて

学生当時から、駆け足で最新アルバムまで土岐さんに伺いましたが、改めてデビュー当時の自分について振り返っていただきました。

サッシャ:もし、ここに通っていたときの自分に何か一声かけてやるとするなら? 隣に18、19歳の土岐麻子がいて、何を声かけますか?
土岐:18、19歳だったら、下北沢の古着屋さんで服を買って帰るみたいな日々だったんですね。そんなお金ないのに何かしら買って帰ってたんですよ。変身願望があったというか、違う自分、知らない自分になりたいみたいな、自分に自信がなくて「変わらなきゃいけない」とか「誰それみたいにならなきゃいけない」みたいな気持ちが強くて。だけど今思うとそれも大切な時期だったのかもしれないけど、もうちょっとその期間が短くてもよかったかなと思って(笑)。「自分のもっているところで勝負しないと何もできないよ」ということを言いたいですね。

最後に、土岐麻子さんが、1997年当時の自分へ、そして同じような境遇のリスナーへ向けて、コメントを寄せてくれました。

「内装も味も温かいけど放っておいてくれる距離感も全て変わっていませんでした。よく座っていたすみっこの席に、背中をまるめて歌詞を書いている自分が見えるかのようでした。私にとって創作に打ち込み迷うことは、己を知ること。学生時代というのは自分づくりにたくさん時間が使える貴重な時間かもしれませんね」

土岐さんは、ニューアルバムとともに『TOKI ASAKO LIVE 2018 “SAFARI TOUR”』の開催も決定しています。7月11日(水)渋谷 WWW Xからスタートします。詳細は土岐さんのオフィシャルサイトをチェックしてみてください!

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【番組情報】
番組名:『STEP ONE』
放送日時:月・火・水・木曜 9時-13時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/stepone/

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