J-WAVE金曜23時30分からの番組「TDK SUGAR WATER」(ナビゲーター:菅原小春)。9月9日のオンエアは、菅原小春の子どもの頃からの思い出を、音楽と共に紹介しました!
●小学生時代からひたすら練習
菅原がダンスを始めたには3~4歳の頃。家の近所のダンスグループで踊るうち、「モーニング娘。」のダンスにハマるようになっていったそうです。
「小学3年生のとき、海のイベントでカラオケ大会のようなコンテストがあって、親友と二人で出て、歌いながら踊ったんです。そのときの曲は、三人祭の『チュッ! 夏パ~ティ』でした。優勝してでっかいトロフィーとバーベキューセットと10万円をいただきました。あれ? あのときの10万円はどこにいったんでしょう?(笑)」
そのとき「私、イケてる」と思ったという菅原。いつしか、パフォーマンスをして喜んでもらうことが好きになったそうです。小学4年生の頃からは、コンテストに次々に出場するようになります。
「二人で『Glory』という名前のチームを組んで、近くの公民館で毎日のように練習してました。初めて二人で踊ったのは「Survivor」(Destiny's Child ft. Da Brat)でした。あるコンテストで特別賞をもらって、サンリオピューロランドにゲストダンサーとして毎週出させてもらいました」
菅原は、当時小学生でありながら、いろいろな曲でひたすら練習していたそうです。そんな小学校時代、最後のコンテストで使用した曲は「Immigrant Song」(Led Zeppelin)。
「超ファンキーな小学生だよね! お父さんにお願いして、TLCが着ていたようなダボダボの白いつなぎを作ってもらって、蛍光のスプレーやペンキで色をつけてコンテストに出ました。Led Zeppelinの曲で踊って楽しかったです。それくらい、はじけられることを最近はしてないな~」
●中学・高校はさらにダンスに没頭
中学に進学すると、新たに「Gemellus」というグループを結成します。とある全国大会に出場したときは、「Ring The Alarm」(Beyoncé)の曲で準優勝!
余談ですが、当時の相方のみなちゃんが先日、結婚したそう。菅原は結婚式で踊ったそうですが、新婦の姿を見て涙が止まらなかったとか。それほど仲が良かったそうです。
高校進学後は、よりアグレッシブなチームで、もっとシリアスな大会に出るようになります。
「夏休みには1カ月間、毎日10時間以上練習してました。頭を振るから、頭が痛くなって、頭痛薬を飲みながら練習してました。コンテストにかける思いが強くて、勝ちたい、勝ちたい、勝ちたいとずっと思ってました」
コンテストで常連だったこともあり、プレッシャーもあったそう。
「表現することが好きなのに、勝ちたいという気持ちに支配されてわからなくなって…。どこかに行きたいって思うようになったときに、YouTubeで海外のダンスを見るようになったんです」
とある先生が「Fallin' Out」(Keyshia Cole)で踊っているのを見て、「私、この人に会って、この人のエナジーを肌で感じてみたい!」という思いでロスに行くことを決意します。そこで菅原は、必ず先生の斜め後ろのポジションを死守していたそうです。
「覚えるのが遅いから、早く行って先生の斜め後ろを陣取ってたんです。先生からは『またお前か』っていう顔をされてたけど(笑)」
菅原はこれまでの歩みを振り返って「私、小学3年生以降、ダンスしかしてない! でもそのダンスがいろいろなところに自分を導いてくれて、ダンスを通じていろいろな人に出会うことができて、本当に感謝しています」と思いを語りました。こうして菅原小春の人生を振り返る30分は、あっという間に過ぎていきました!
そしてついに、菅原がデザインした同番組オリジナルのトートバッグが完成! メールを読まれた方全員にプレゼントします。番組サイトからどしどしメールを送ってください♪
9月11日(日)には、11時40分頃からの「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(ナビゲーター:秋元梢)のゲストとして菅原小春が登場します。こちらもお聴き逃しなく!
【関連サイト】
「TDK SUGAR WATER」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/sugarwater/
●小学生時代からひたすら練習
菅原がダンスを始めたには3~4歳の頃。家の近所のダンスグループで踊るうち、「モーニング娘。」のダンスにハマるようになっていったそうです。
「小学3年生のとき、海のイベントでカラオケ大会のようなコンテストがあって、親友と二人で出て、歌いながら踊ったんです。そのときの曲は、三人祭の『チュッ! 夏パ~ティ』でした。優勝してでっかいトロフィーとバーベキューセットと10万円をいただきました。あれ? あのときの10万円はどこにいったんでしょう?(笑)」
そのとき「私、イケてる」と思ったという菅原。いつしか、パフォーマンスをして喜んでもらうことが好きになったそうです。小学4年生の頃からは、コンテストに次々に出場するようになります。
「二人で『Glory』という名前のチームを組んで、近くの公民館で毎日のように練習してました。初めて二人で踊ったのは「Survivor」(Destiny's Child ft. Da Brat)でした。あるコンテストで特別賞をもらって、サンリオピューロランドにゲストダンサーとして毎週出させてもらいました」
菅原は、当時小学生でありながら、いろいろな曲でひたすら練習していたそうです。そんな小学校時代、最後のコンテストで使用した曲は「Immigrant Song」(Led Zeppelin)。
「超ファンキーな小学生だよね! お父さんにお願いして、TLCが着ていたようなダボダボの白いつなぎを作ってもらって、蛍光のスプレーやペンキで色をつけてコンテストに出ました。Led Zeppelinの曲で踊って楽しかったです。それくらい、はじけられることを最近はしてないな~」
●中学・高校はさらにダンスに没頭
中学に進学すると、新たに「Gemellus」というグループを結成します。とある全国大会に出場したときは、「Ring The Alarm」(Beyoncé)の曲で準優勝!
余談ですが、当時の相方のみなちゃんが先日、結婚したそう。菅原は結婚式で踊ったそうですが、新婦の姿を見て涙が止まらなかったとか。それほど仲が良かったそうです。
高校進学後は、よりアグレッシブなチームで、もっとシリアスな大会に出るようになります。
「夏休みには1カ月間、毎日10時間以上練習してました。頭を振るから、頭が痛くなって、頭痛薬を飲みながら練習してました。コンテストにかける思いが強くて、勝ちたい、勝ちたい、勝ちたいとずっと思ってました」
コンテストで常連だったこともあり、プレッシャーもあったそう。
「表現することが好きなのに、勝ちたいという気持ちに支配されてわからなくなって…。どこかに行きたいって思うようになったときに、YouTubeで海外のダンスを見るようになったんです」
とある先生が「Fallin' Out」(Keyshia Cole)で踊っているのを見て、「私、この人に会って、この人のエナジーを肌で感じてみたい!」という思いでロスに行くことを決意します。そこで菅原は、必ず先生の斜め後ろのポジションを死守していたそうです。
「覚えるのが遅いから、早く行って先生の斜め後ろを陣取ってたんです。先生からは『またお前か』っていう顔をされてたけど(笑)」
菅原はこれまでの歩みを振り返って「私、小学3年生以降、ダンスしかしてない! でもそのダンスがいろいろなところに自分を導いてくれて、ダンスを通じていろいろな人に出会うことができて、本当に感謝しています」と思いを語りました。こうして菅原小春の人生を振り返る30分は、あっという間に過ぎていきました!
そしてついに、菅原がデザインした同番組オリジナルのトートバッグが完成! メールを読まれた方全員にプレゼントします。番組サイトからどしどしメールを送ってください♪
9月11日(日)には、11時40分頃からの「CHINTAI TOKYO DISTRICT」(ナビゲーター:秋元梢)のゲストとして菅原小春が登場します。こちらもお聴き逃しなく!
【関連サイト】
「TDK SUGAR WATER」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/sugarwater/
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