音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」
江戸時代では1番より2番が「粋」 かっこよすぎる理由

江戸時代では1番より2番が「粋」 かっこよすぎる理由

J-WAVE朝の番組「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」(ナビゲーター:別所哲也)のワンコーナー「MITSUBISHI JISHO TOKYO DICTIONARY」。4/4のオンエアでは現代のランキング文化の原点ともいえる「相撲見立て番付」の意外な読み方について取り上げました。

江戸時代にはいろいろなことを相撲の番付に見立ててランキングするのが流行っていたといいます。しかしそこには、今の価値観とは大きく異なる意外な見方があるのだとか。大東文化大学の准教授で、日本文化に詳しい山口謠司さんは次のように話します。

「相撲や食べ物、美人の番付など、江戸時代には番付がたくさん出ているんですね。番付っていうのは何かっていうと、『1番はダメ』という意味での番付なんです。横綱になるのはエライけれども、横綱になっちゃダメ。『2番目、3番目にいきましょうよ』っていうのが、番付を作る本当の意味だったんです」(山口さん)

ランキングしておきながら、1番はダメ、というのはなぜなのでしょうか。その理由には、江戸時代ならでは奥深い、そしてかっこよすぎる考え方がありました。

「やっぱり1番になるのは『野暮』なんですよね。1番になったら胸を張ってしまうでしょう。胸を張ってしまうと、それはもう野暮なんです。『事情に疎いこと』というのが本当の野暮の意味なのですが、1番になってしまうと事情が分からなくなってしまう。自分の世界観で物事を見るようになってしまう。そうでなくて、2番目、3番目にいることで、『まぁまぁ、いいんじゃない』というようなゆとりをもつことができる。そこのところを知るために、わざわざ番付でどれが1番、2番というのをつくったんです」

さらに、最後にはこんな納得の一言が。

「子どもっていうのは何でも1番になりたがりますよね。でも大人っていうのは必ずしも1番になろうとは思わない。1番で居ない事の方がやっぱりいい。それが分かることの方が大人の遊びなんだと思いますよ」(山口さん)

思わず「深い。深すぎる!」と別所さん。

1番になって「俺様」になってしまっては、粋なものの見方はできない。あくまで余裕があるのが大人の遊び、という江戸時代ならではの考え方。本当にかっこいい、「粋」な考え方ですね。

【関連サイト】
「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」オフィシャルサイト
https://www.j-wave.co.jp/original/tmr/

この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。