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日本三景の一つ「天橋立」。自然が作り出した神秘の造形の魅力…日本を旅する作家が豆知識を紹介

(画像素材:PIXTA)

日本三景の一つ「天橋立」。自然が作り出した神秘の造形の魅力…日本を旅する作家が豆知識を紹介

京都・宮津市にある天橋立に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。

この内容をお届けしたのは、J-WAVEのワンコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は2025年10月20日(月)~10月23日(木)。同コーナーでは、独自の文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口さんが解説する。ここではその内容をテキストで紹介。

また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが実際に天橋立周辺を訪れ、そこで営む人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。

天橋立が天に舞い上がる龍のように見える

京都府北部、日本海の宮津湾にある天橋立。陸奥の松島、安芸の宮島とともに、日本三景の一つに選ばれている。幅は約20~170m、全長約3.6kmの砂州(さす)に約6700本もの松が生い茂る珍しい地形で、何千年もの歳月をかけて自然が作り出した神秘の造形として知られている。

山口:世界中に自然が作り出した奇跡の風景ってありますね。その内の1つが天橋立です。ところで天橋立の股のぞき(※天橋立の方向に背を向けて立ち、腰を曲げて股の間から景観を眺めること)を行うと、運が付くそうです。

運が付く理由としては、股から覗くと天橋立が天に舞い上がる龍のように見えるということです。僕が行ったときは青空で、海も真っ青でした。田んぼがあって、稲が黄金色に実っていました。まさに運が付きそうなシチュエーションでした。

この股のぞきは明治時代から定着し始めたと考えられているそうだ。

山口:明治時代になり“天橋立を観光地にしよう”ということで、“なんか龍に見える…ここに来たら運が付く”と言い始めました。明治時代、日本全国に観光地が出来ていくわけですが、そのときに絵葉書もたくさん作るわけです。その際、股のぞきしたときに見えるような景色の絵葉書を作りました。そういう意味では、天橋立に限らず、観光地に人を呼ぶためには人を惹きつける「物語」が必要なんだと思います。

特に「運がよくなる」「登り龍が見える」「おいしいものもあるよ」などと言われると、人は訪れてみたくなりますよね。全国で人気の観光地はまさにそんな姿を体現しています。

天橋立には松尾芭蕉の句碑が立っている。ただ、芭蕉は天橋立には来たことがないそうだ。

山口:芭蕉の句はこういった内容です。

<一声の 江に横たふや ほととぎす>

芭蕉がとっても可愛がっていた弟子に桃印(とういん)という男の子がいました。この桃印、芭蕉が50歳のときに死んでしまいます。この悲しみを詠んだ一句は先ほど紹介したものですが、これを句碑にして天橋立に建てた人がいます。京都に住んでいた芭蕉の門人です。この方が、「芭蕉の句碑が1つあるだけで、天橋立に人がやってきますよ」と提案し、現在に繋がっています。

ホトトギスが鳴く声を聞きながら天橋立を歩くといいことがあると言われています。加えて、天橋立を股から覗いて、龍が上がっていくような風景を見れば、皆さんにきっといいことがあると思います。

名物・ぐじ(甘鯛)の松笠焼きとは

天橋立によって宮津湾と隔てられた閉鎖性の内海は「阿蘇海」と言う。

山口:阿蘇海は、主に海流と河川によって運ばれた砂や土砂が、長年にわたって堆積した結果として形成されました。海流と川の流れが上手い具合に成り立って、この砂州を作ったと言うのですから、驚きです。自然が作る芸術と言えますね。

天橋立は古事記にも出てきて、その中では「オノゴロ島」と呼ばれています。ただ、オノゴロ島は現在の古事記では「淡路島」を指す言葉です。でも不思議なことに、この天橋立のすぐ近く、宮津には「籠神社」という神社があります。ここはイザナミノミコトがいたところだそうです。

イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)は、日本の国や神々をお生みになったとされる神さまですが、イザナミの神様は途中で亡くなってしまいます。ただ、イザナギは、イザナミのことが恋しくてたまらない。それで、なんとか黄泉の国に行こうと、天から梯子を下ろして持ってくるんです。

ただ梯子を黄泉の国にかけようと思ったところで、イザナギは眠くなってしまいました。ちょっとひと眠りとお昼寝をしていると、梯子がバタンと倒れてしまいました。梯子が倒れたものが、天橋立になったと言われています。そのせいでしょうか、天橋立周辺で流れる水はなんとも神々しい音がします。

天橋立は高級魚「甘鯛」の産地として有名だ。

山口:ここで名物の「ぐじ」を紹介します。甘鯛とも言いますが、ぐじを松笠焼きにします。松笠焼きというのは、鱗をつけたまま、高温の炭火でカリッと焼く調理法です。そうすると、鱗がカリカリ、それでいて鯛の身の甘み、おいしさが中に閉じこもって、食べるとジューシーな味わいを楽しめます。ただ、やはりおいしいところは鱗の部分だと思います。

天然の着火剤として非常に優秀な松ぼっくりのように、ぐじの鱗をカリカリになるまで焼くのです。その姿がまるで松ぼっくりのようなので、“松笠焼”と呼ばれるんですね。

この天橋立に自生しているのは松だけです。冬になっても松は枯れません。冬は青空が続くと思います。青空の下で綺麗な海の青と、緑色の松を見ながら、松笠焼を食べるとおいしいです。お日様が体いっぱいに入ってきて、体の中が元気いっぱいになるような気がします。

与謝蕪村が天橋立をテーマに作った俳句

天の橋立がある阿蘇海の入江に与謝野町という町がある。

山口:京都府与謝郡与謝野町という町です。与謝野と聞けばやっぱり与謝野鉄幹、与謝野晶子、与謝と聞けば与謝蕪村ですね。

与謝蕪村という方は、1716年に生まれて、1783年に亡くなりました。江戸時代のちょうど真ん中ぐらいで、日本も1番平和を感じていたときだと思います。与謝蕪村は俳人でもあり、同時に画家でもありました。ちょっとヘタウマ(下手上手)な絵を描くのが蕪村です。絵が可愛いんですよ。

この与謝蕪村、3年間ほど、宮津の天橋立に住んでおりました。42歳のときに京都に行って本格的に絵を勉強して、それでも絵師にはなれず、俳人として活動していました。ただ、その作品の中で、重要文化財に選ばれているものもたくさんあります。与謝蕪村というのは、絵においても独特の世界を作り出した人です。京都で池大雅や伊藤若冲と交わることによって、自分の絵の才能を磨いていったと言われています。コミカルで素朴な人物描写には、独特の愛らしさがありました。

天橋立にいたときに与謝蕪村が詠んだ俳句は以下のものだ。

<春の海 ひねもすのたり のたりかな>

山口:のたり、のたりと続いていますが、皆さんコレはどういう意味だと考えますか? 1日中ゴロゴロ、ゴロゴロと座敷から春の海を眺めているような印象を受けます。ただ、のたり、のたりは天橋立から見える春の海を表現した言葉です。

つまり、天橋立から見る海が非常にのたり、のたりしているということ。天橋立の周辺は、干潮・満潮の差があまり激しくありません。大きな潮の満ち引きがないのです。波も立たないので、海がのたり、のたりとゆっくり上下しているように見えるのです。

天橋立は美しい景観とともに、ゆったりとした時間を過ごしたい方にぴったりの場所です。是非、皆さんも春の天橋立に行って、のたり、のたりと、ゆっくり過ごしてください。

(構成=中山洋平)

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