
空撮写真家の山本直洋さんが、活動の原点となった幼少期の体験やパラグライダー×写真を仕事にすると決めた経緯、最新の活動内容などについて語った。
山本さんは1978年東京生まれ。世界七大陸最高峰をモーターパラグライダーで空撮する世界初の挑戦「Above the Seven Summits Project」に取り組んでいる人物だ。
山本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
山本:僕は物心つく頃から空を飛ぶ夢を毎日のように見ていました。一番古い記憶は幼稚園のとき。夢の中でウルトラマンに変身して空を飛び、もう少し大きくなると、今度はドラえもんのタケコプターで飛行していました。今思えば、特撮やアニメに影響されていたのでしょうね。その後、中学生くらいになると、空を飛ぶ夢をコントロールできるようになりました。部屋のベッドに仰向けになりながら薄目で天井を見上げ、「飛びたい」と念じていると身体がフッと軽くなる。まるで魂が抜けるような感覚です。その状態で部屋からベランダへと躍り出て、空中を飛び回っていく……。そんな夢を見ていました。この話をすると「幽体離脱じゃないか?」とよく言われるんですけど、僕の中ではそうではなくて。ものすごくリアルな夢だったんです。こうした夢を毎日のように見ていたので、漠然と将来は空を飛ぶ仕事に就くのではないかと中学生ぐらいから考えていました。
幼少期の山本さんは、父親の仕事の関係で海外と日本を行き来する生活を送り、ノルウェー滞在時には特に空飛ぶ夢を見ていたという。大学進学と同時に日本へ帰国し、26歳のときに空撮写真家を志すも、そこに至るまでには紆余曲折があったようだ。
山本:就職活動では空を飛ぶ夢を現実のものにするために、パイロットの試験を受験しましたが受からず、卒業後はソフトウェア開発会社に就職してSEの仕事をしました。ただ、元々長く続ける気がなかったこともあって早々に退職し、次に何をしようかと模索していました。そんなときに、もともと好きだった「旅」をしながらできる仕事として思い付いたのが「写真」だったんです。学生時代、写真は撮るのも撮られるのも嫌いで全く取り組んでこなかったのですが、仕事にできるのであれば挑戦してみようと思い、初めてヤフオク!でデジタル一眼レフカメラを購入しました。ちょうど同じタイミングで、本屋で立ち読みしていたらたまたまモーターパラグライダーの存在を知って。写真とモーターパラグライダーをかけ合わせれば空を飛べて仕事にもなるし、一石二鳥だと思い、空撮写真家を目指すことにしたわけです。それが26歳のときでした。
山本:初めて飛んだのは、ニューヨークから帰国後、栃木県那須烏山市のパラグライダースクール「スカイトライアル」に通っていた27歳のときでした。50mぐらいの高さから飛んだのですが、そこに広がっていた景色が、まさにあの子どもの頃に夢で見ていた風景とリンクをしたんですね。その瞬間に「あ、これだ」と思って。「俺はこれをやるために生まれてきたんだ」とすごく感動し、空撮写真家に絶対なろうと心に決めました。
仕事として初飛行をした場所は北海道の知床。「スカイトライアル」の校長から、パラグライダーができる知床のユースホステルを紹介してもらったことがきっかけだったという。
山本:当時はまだ僕の技術的にパラグライダーで仕事ができるレベルにはなかったので、シーカヤックのガイドをしながら休日にパラグライダーの練習をする日々を過ごしていました。そんなある日、MTBの番組の撮影をやっていて、とあるアーティストが知床にやって来たんですね。それでちょっと空撮をできないかという話になって。そのときに知床八景の一つに数えられる名所「オロンコ岩」にアーティストが立っている姿を空撮したのが、僕にとって初めての空撮の仕事となりました。
山本:たしかにドローンが出てきて、空撮の仕事は減りました。とはいえ僕自身、実はドローンもやるんですよ。なので、ドローンに対してライバル視してるわけではありませんし、操縦していて面白さも感じています。ただ、ドローンはつまるところ、空に飛ばした機械が撮影を行うので、僕自身が地球を感じてるかと言えば、全然そういった感覚はない。ただ地上で映像を見て「綺麗だなぁ」と思うだけで、自分の作品にはならないんです。一方、モーターパラグライダーで飛ぶと、寒さや風を自分の肌で体感し、地球を感じることができる。空の上では叫んだりするなど、本当に感情的になりますし。そんな中でベストな画角で写真を撮るので、作品に人間の感情が宿っていると僕は考えています。また、飛べる時間も異なります。ドローンは40分ほど飛ぶことができますが、往復の時間を考慮すると、実際に撮影に使える時間は15~20分程度。一方のモーターパラグライダーは2時間、長くて3時間の飛行が可能です。飛んでいる最中にどんどん景色が移り変わり、雲の位置や光の加減も変化するから、自分が想定していた以上のすごい景色が目の前に広がることもある。その瞬間に感動して撮影した写真が作品になることもあるので、そういった撮り方はドローンではなかなかできないはずです。
山本:あれは2017年くらいでしたか。空撮で面白い仕事をたくさんして、日本国内の様々な場所を飛ぶようになって、自分的にはそれなりに満足していました。ですが、なんかこう、イマイチ写真家として成功できていないというか、名が売れていないというか……。空撮だけでは全然飯が食えている状態ではなかったので、「何かできないか」と考えて、そういえば学生時代に七大陸最高峰への登頂に憧れていたことを思い出したんです。これを今だったら空撮でできると考え、七大陸最高峰空撮プロジェクトを立ち上げました。七大陸のうちどの山から挑戦するのか、すごく悩んで。本当はオーストラリア大陸の最高峰・コジオスコが最も成功率が高いとされていたので、その山に行きたかったのですが、スポンサーを付けるためにはある程度名前が知られている山のほうがいい。そこで、コーヒーで有名なキリマンジャロを一発目に挑む山として選びました。
山本:モンブランの空撮時は、フランスの街・パッシーにある標高1000m程度のパラグライダーエリアから許可を得て、モーターパラグライダーで山頂に向かって飛びました。モンブランの標高は今4810mと言われています。そのときは最終的に5200mぐらいまで飛んで空撮したのですが、アルプス山脈を上から見下ろし、まるで氷河を削ったような素晴らしい景観を目にすることができました。まさに地球を感じるような絶景でしたね。
ちなみに厳密に言うと、現在のヨーロッパ大陸最高峰はロシアのエルブルス。東西冷戦の終結後にモンブランからヨーロッパ最高峰の座を奪ったが、コーカサス山脈にあるエルブルスは文化的にはアジアに近い地域だとして、欧州の最高峰に当たらないのでは?との意見もある。また、現実的には緊張が続くウクライナから近いエリアということで、安全面を考慮してモンブランを空撮することにしたそうだ。そんな世界を股にかけた挑戦を続ける山本さんへ、自身にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
山本:今はプロジェクトの第四弾として、南米大陸最高峰アルゼンチンのアコンカグアを空撮する準備を進めています。その山を空撮するためには7000mぐらいまで飛ぶ必要があり、エンジンの調整作業などに時間をかけているところです。また今回のプロジェクトでは、自分の足で山頂まで行かなければなりません。もちろん、ガイドさんに案内してもらうのですが、ある程度、体力や登山技術が求められるのです。僕自身は登山に関してはほとんど素人なので、登山トレーニングをしているのですが、これにかなり苦労しています。七大陸最高峰プロジェクトは達成すればたしかに世界初となります。しかし僕にとって世界初のことを達成して栄誉を手に入れようという思いは全くありません。たまたま僕がやりたかったことが世界初というだけです。記録を作ることが目的なのではなく、七大陸最高峰のさらに上空を飛ぶことで、地球を感じたい。それが僕にとっての最大の喜びになると考えています。
(構成=小島浩平)
山本さんは1978年東京生まれ。世界七大陸最高峰をモーターパラグライダーで空撮する世界初の挑戦「Above the Seven Summits Project」に取り組んでいる人物だ。
山本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページ
「空を飛ぶ夢」をコントロールできた中学生時代
山本さんを乗せた「BMW X2 xDrive20i M Sport」は六本木ヒルズを出発。山本さんはエンジンを搭載したモーターパラグライダーで大空を駆け巡り、「地球を感じる写真」をテーマとした作品作りを行っている。その活動の原点は、子どもの頃に見た夢にあった。山本:僕は物心つく頃から空を飛ぶ夢を毎日のように見ていました。一番古い記憶は幼稚園のとき。夢の中でウルトラマンに変身して空を飛び、もう少し大きくなると、今度はドラえもんのタケコプターで飛行していました。今思えば、特撮やアニメに影響されていたのでしょうね。その後、中学生くらいになると、空を飛ぶ夢をコントロールできるようになりました。部屋のベッドに仰向けになりながら薄目で天井を見上げ、「飛びたい」と念じていると身体がフッと軽くなる。まるで魂が抜けるような感覚です。その状態で部屋からベランダへと躍り出て、空中を飛び回っていく……。そんな夢を見ていました。この話をすると「幽体離脱じゃないか?」とよく言われるんですけど、僕の中ではそうではなくて。ものすごくリアルな夢だったんです。こうした夢を毎日のように見ていたので、漠然と将来は空を飛ぶ仕事に就くのではないかと中学生ぐらいから考えていました。

山本:就職活動では空を飛ぶ夢を現実のものにするために、パイロットの試験を受験しましたが受からず、卒業後はソフトウェア開発会社に就職してSEの仕事をしました。ただ、元々長く続ける気がなかったこともあって早々に退職し、次に何をしようかと模索していました。そんなときに、もともと好きだった「旅」をしながらできる仕事として思い付いたのが「写真」だったんです。学生時代、写真は撮るのも撮られるのも嫌いで全く取り組んでこなかったのですが、仕事にできるのであれば挑戦してみようと思い、初めてヤフオク!でデジタル一眼レフカメラを購入しました。ちょうど同じタイミングで、本屋で立ち読みしていたらたまたまモーターパラグライダーの存在を知って。写真とモーターパラグライダーをかけ合わせれば空を飛べて仕事にもなるし、一石二鳥だと思い、空撮写真家を目指すことにしたわけです。それが26歳のときでした。
「俺はこれをやるために生まれてきたんだ」
山本さんはすぐにアクションを起こす。まずは写真の技術を学ぶべく、当時父親が働いていたニューヨークへ渡航。幸運にもSNSを通して仲良くなった現地の友人の紹介で、ファッション雑誌VOGUEなどが利用する有名スタジオでアシスタントとして働くことになり、一流カメラマンたちの仕事ぶりから機材や照明などの知識を得たという。日本帰国後はパラグライダーの操縦技術を身につけるべく栃木県のパラグライダースクールへ。そこではじめて空へ飛び立ったとき、「空撮写真家」という仕事が自身にとっての天職であると確信したそうだ。山本:初めて飛んだのは、ニューヨークから帰国後、栃木県那須烏山市のパラグライダースクール「スカイトライアル」に通っていた27歳のときでした。50mぐらいの高さから飛んだのですが、そこに広がっていた景色が、まさにあの子どもの頃に夢で見ていた風景とリンクをしたんですね。その瞬間に「あ、これだ」と思って。「俺はこれをやるために生まれてきたんだ」とすごく感動し、空撮写真家に絶対なろうと心に決めました。

山本:当時はまだ僕の技術的にパラグライダーで仕事ができるレベルにはなかったので、シーカヤックのガイドをしながら休日にパラグライダーの練習をする日々を過ごしていました。そんなある日、MTBの番組の撮影をやっていて、とあるアーティストが知床にやって来たんですね。それでちょっと空撮をできないかという話になって。そのときに知床八景の一つに数えられる名所「オロンコ岩」にアーティストが立っている姿を空撮したのが、僕にとって初めての空撮の仕事となりました。
ドローンでは実現できない撮り方とは
こうして写真撮影の知識とモーターパラグライダーの操縦技術を習得した山本さんだが、27歳の遅咲きのデビューだったこともあり、しばらくは荷上げや夜勤の警備員などアルバイトを掛け持ちしながらの苦しい生活が続く。また、世間ではドローンによる撮影が急増したことで、競合する有人飛行による空撮の仕事が減少していった。山本:たしかにドローンが出てきて、空撮の仕事は減りました。とはいえ僕自身、実はドローンもやるんですよ。なので、ドローンに対してライバル視してるわけではありませんし、操縦していて面白さも感じています。ただ、ドローンはつまるところ、空に飛ばした機械が撮影を行うので、僕自身が地球を感じてるかと言えば、全然そういった感覚はない。ただ地上で映像を見て「綺麗だなぁ」と思うだけで、自分の作品にはならないんです。一方、モーターパラグライダーで飛ぶと、寒さや風を自分の肌で体感し、地球を感じることができる。空の上では叫んだりするなど、本当に感情的になりますし。そんな中でベストな画角で写真を撮るので、作品に人間の感情が宿っていると僕は考えています。また、飛べる時間も異なります。ドローンは40分ほど飛ぶことができますが、往復の時間を考慮すると、実際に撮影に使える時間は15~20分程度。一方のモーターパラグライダーは2時間、長くて3時間の飛行が可能です。飛んでいる最中にどんどん景色が移り変わり、雲の位置や光の加減も変化するから、自分が想定していた以上のすごい景色が目の前に広がることもある。その瞬間に感動して撮影した写真が作品になることもあるので、そういった撮り方はドローンではなかなかできないはずです。

七大陸最高峰空撮プロジェクトを始動させた理由
ドローンの隆盛がありながらも、山本さんは少しずつ仕事の幅を広げていく。たとえば、日本初のフライトシュミレーションライドとして2014年に登場した富士急ハイランドの「富士飛行社」では、彼がモーターパラグライダーで空撮した映像が確認できる。着実に実績を積み重ねる中、空撮写真家としてさらなる飛躍を遂げるために始動させたのが、七大陸の頂を狙うプロジェクトだった。山本:あれは2017年くらいでしたか。空撮で面白い仕事をたくさんして、日本国内の様々な場所を飛ぶようになって、自分的にはそれなりに満足していました。ですが、なんかこう、イマイチ写真家として成功できていないというか、名が売れていないというか……。空撮だけでは全然飯が食えている状態ではなかったので、「何かできないか」と考えて、そういえば学生時代に七大陸最高峰への登頂に憧れていたことを思い出したんです。これを今だったら空撮でできると考え、七大陸最高峰空撮プロジェクトを立ち上げました。七大陸のうちどの山から挑戦するのか、すごく悩んで。本当はオーストラリア大陸の最高峰・コジオスコが最も成功率が高いとされていたので、その山に行きたかったのですが、スポンサーを付けるためにはある程度名前が知られている山のほうがいい。そこで、コーヒーで有名なキリマンジャロを一発目に挑む山として選びました。

世界初の栄誉よりも大切なこと
世界七大陸最高峰をモーターパラグライダーで空撮する世界初の挑戦「Above the Seven Summits Project」。2022年にアフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ、2023年にオーストラリア大陸最高峰・コジオスコ、そして昨年2024年10月、ヨーロッパ最高峰モンブランの空撮に成功する。山本:モンブランの空撮時は、フランスの街・パッシーにある標高1000m程度のパラグライダーエリアから許可を得て、モーターパラグライダーで山頂に向かって飛びました。モンブランの標高は今4810mと言われています。そのときは最終的に5200mぐらいまで飛んで空撮したのですが、アルプス山脈を上から見下ろし、まるで氷河を削ったような素晴らしい景観を目にすることができました。まさに地球を感じるような絶景でしたね。
ちなみに厳密に言うと、現在のヨーロッパ大陸最高峰はロシアのエルブルス。東西冷戦の終結後にモンブランからヨーロッパ最高峰の座を奪ったが、コーカサス山脈にあるエルブルスは文化的にはアジアに近い地域だとして、欧州の最高峰に当たらないのでは?との意見もある。また、現実的には緊張が続くウクライナから近いエリアということで、安全面を考慮してモンブランを空撮することにしたそうだ。そんな世界を股にかけた挑戦を続ける山本さんへ、自身にとっての挑戦、そしてその先にあるFreude=喜びとは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
山本:今はプロジェクトの第四弾として、南米大陸最高峰アルゼンチンのアコンカグアを空撮する準備を進めています。その山を空撮するためには7000mぐらいまで飛ぶ必要があり、エンジンの調整作業などに時間をかけているところです。また今回のプロジェクトでは、自分の足で山頂まで行かなければなりません。もちろん、ガイドさんに案内してもらうのですが、ある程度、体力や登山技術が求められるのです。僕自身は登山に関してはほとんど素人なので、登山トレーニングをしているのですが、これにかなり苦労しています。七大陸最高峰プロジェクトは達成すればたしかに世界初となります。しかし僕にとって世界初のことを達成して栄誉を手に入れようという思いは全くありません。たまたま僕がやりたかったことが世界初というだけです。記録を作ることが目的なのではなく、七大陸最高峰のさらに上空を飛ぶことで、地球を感じたい。それが僕にとっての最大の喜びになると考えています。

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