裏千家の茶道家で株式会社TeaRoom代表の岩本涼さんが、お茶の世界に飛び込んだ経緯、起業に至った理由、今後のビジョン、さらにはおいしいお茶のいれ方などついて語った。
岩本さんは1997年生まれの現在27歳。9歳から茶の湯を学び、23歳の若さで極意を皆伝した茶人の証「宗名」を授けられた一方、大学在学中にお茶の生産・販売・事業プロデュースを手掛ける会社・TeaRoomを立ち上げて実業家としても活躍する人物だ。
岩本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページはこちら
岩本:お茶の流派は70~80あるとされており、そのなかで特に有名なものが千利休から紡がれる「三千家」と言われる流派です。三千家は表千家、裏千家、武者小路千家とあり、それぞれ利休の住まいの表門、裏門、武者小路通りに茶室があったことに由来します。なので、裏千家には裏側の世界などの意味ではありません(笑)。この三千家含む諸流派のなかでもっとも大所帯である裏千家では、旧来のパトロンが支援する仕組みのお茶というより、どちらかと言えば民衆によって支えられるお茶の姿を「茶道」と定義しています。
裏千家に入門すると、稽古は初歩から段階を踏んで進んでいくが、各段階に学ぶことを許可する「許状」が存在する。岩本さんはその最高峰といえる準教授に最年少で到達し、現在は茶道の指導を行う教授者として、茶の湯の思想を広く伝える役割を担っている。
そんな岩本さんが茶の湯を学び始めたのは9歳の頃。「あまり学校へ行くことが好きではなかった」という少年の目に、お茶の世界はどう映ったのか。
岩本:家業が茶業ではなく、実家が家元でもなかった私ですが、9歳のときにたまたまテレビで拝見して興味を持ち、茶道の道に入りました。入門後は、茶の湯の先生方がお茶菓子をたくさん与えてくれるなど、幼い私が関心を深められるよう働きかけてくださったおかげもあってお茶が大好きになり、ずっと茶室に籠ってお稽古に明け暮れていましたね。ちなみに、5歳のときには自ら志願して空手の道場に入門し、空手にも熱中していました。茶道教室も空手道場も世代の違う方々と交流でき、しっかりと“いち人間”として扱ってくれる場所でした。今振り返ってみると、このような学校ではないコミュニティを持つことが、当時の私にとってすごく重要な意味を持っていたように思います。
岩本:懐かしい景色が広がってきました。ここは早大通りといいまして、間もなく大隈講堂が見えてきます。大隈講堂といえば、早稲田大学の入学式や卒業式が行われる場所です。私はコロナ禍に卒業したため、卒業式はリモートで卒業証書は郵送で送られてきました。ただ、私は高校から早稲田に通い、大学入学以前より大隈講堂にはよく足を運んでいたので、思い出深い場所であることには変わりありません。高校から早稲田を目指した理由は、大隈重信先生をはじめ日本を作ってきた方々が卒業されている印象があり、そのイメージに惹かれたからです。あとは、幼稚園や小学校へあまり通えておらず、中学も勉強ばかりしていた関係で友達もいなくて。「だったら高校から地元を出て、早稲田に行っちゃおう」と思い、一生懸命勉強したのを覚えています。
早稲田大学では政治経済学部に所属し、経済をメインに学業に励んだ岩本さん。在学中はアメリカへ留学し、現地では「どのようにルールを変えながら新たなビジネスを創出するか」をテーマに学んでいたという。そんな異国の地で学問を収めるその傍らにも、やはり、茶の湯の道具は欠かせなかったようだ。
岩本:留学期間中は、現地に茶箱というお茶のセットが入った箱を持っていくようにしていました。アメリカで暮らす日系三世、四世のなかには、日本に興味があるものの、今まで体験の接点がなかったという方が多くいます。そういう方々にもご協力いただきながら、よく茶会を催していました。
我々は多くの場合、お茶会を空間から作ります。お茶室には「囲い」という意味があり、四方を囲えばそこがお茶室になっていくという考えがあります。なので、わざわざ空間を仕切って、狭い空間を作っていくわけです。よく日本とアメリカの比較でいわれることですが、大きな坪よりも小さな茶碗のほうが値段が高いんですよね。その理由は日本が空間主導で、小さな茶碗を愛でる価値の高い空間を作ることこそ重要であるという思想が普及したからにほかなりません。アメリカのように大きなホテルのなかに、大きな坪を置くというものではなく、小さなお茶室のなかで小さな茶碗を置く。そんな引き算の美学として、茶の湯は広まっていきました。
なので私は、アメリカにおいて巨大なスペースで茶会を催さず、小さなスペースをあえて作り、そこで一椀一椀お茶を共有していくことの繰り返しにより、思想を伝えるよう努めました。ちなみに私はコロラドに入学していたのですが、コロラドにはネイティブアメリカンの方々が数多くいらっしゃいます。なので、その方々が使用していた羽を羽箒の代わりにしたリもしました。こういった形で、現地の物をどう取り込んでお茶の様式に当て嵌めながら日本の思想を伝えていくかということに注力していたのです。
岩本:茶道の精神性を世界中に伝えたいと思ったときに、抹茶ラテのようなマスに開かれたお茶の接点が広がることによって、お茶の思想を取り込む人や、お稽古をする人が増えるのではないかという仮説が、私のなかにあって。現在、アメリカにあるカフェの多くに抹茶ラテが導入されていますが、「抹茶」という言語が海外に広がったことで、抹茶に興味を持つ人が世界中に増えています。その方々が来日された際「Matcha Japan Experience」と検索をかければ、基本的にはお茶会が出てくるわけです。ということで、まずは抹茶ラテを愛飲されている方々に、お茶会に来ていただき、お道具を買っていただく。お道具を持ってさらに関心を深めたら、お稽古に通う。そのお稽古に通った方々がエバンジェリストとして世界中にお茶の思想を広げてくだされば、文化と関わる接点が増えるのではないかと思うのです。
その一方、お茶を作る方々がいなくなってきているという現状があります。農林水産省の統計によれば、毎年900ヘクタールの茶畑が減少し、農業従事者の平均年齢はゆうに60歳を超えているとされています。世界中に文化の接点を開いていきたいにもかかわらず、そのツールとなるお茶が作られなくなってきてしまうのは由々しき事態です。そんな危機感から、私たちは農業も自らやることにしています。さまざまな土地に工場と茶畑を承継してそこに若手の人材を送り、「地域から文化を変えていくんだ」という覚悟のもと事業活動を展開しているんです。
海外において抹茶テイストが定着し、マインドフルネスや禅(ZEN)という言葉とともにGreen Teaが広まるなどお茶文化に興味を持つ人が増える一方、日本国内の生産地には厳しい現実がある。そんななか、文化と産業両方を知る岩本さんは「文化の方々は産業についての知識、産業の方々は文化についての意識が、それぞれ足りていないのではないか」と着想する。この両者を繋げ、理想的な状態を作ることが起業の目的となったという。
岩本:何をもって「おいしいお茶」とするかは人それぞれですが、一番簡単にお伝えすると「お茶も生き物」と捉えることが肝要です。100度のお湯をかければ熱いに決まっています。雑味やえぐみが出てきてしまいます。また、お茶を抽出した後に冷蔵庫で長い時間保管すると酸化が進み、酸味も増えていく。そこでおすすめなのが、お湯の温度を100度未満にすることです。まずは沸騰したお湯を5分程度置いて、80度~90度に冷ます。次にそのお湯を注ぎ、じっくり茶葉が開くまで待つ。そして葉が開いたくらいが抽出完了の合図です。ティーバッグを取り出して、お召し上がりください。
加えて、ティーバッグを入れるときに「お茶からいれるか、お湯からいれるか」も実はかなり重要です。お茶をいれて、その上からお湯を注ぐと衝撃が追加されるので、雑味やえぐみの原因になりかねません。一方、先に注いだお湯の上にティーバッグを浮かべて自然に沈むのを待ってあげると、軽やかな味わいがします。なので心を落ち着けてお湯からいれ、ティーバッグを浮かべて1~2分で沈むのを待てば、おいしいお茶がいただけるはずです。
お茶の世界に魅了され、さまざまな形でその魅力を伝え続ける岩本さん。最後に、自身にとっての「未来への挑戦=FORWARDISM」とは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
岩本:私たちは「対立をなくすこと」を理念に掲げています。世界から一刻も早くお茶を通じて対立を解消する手段を世界に広げていきたいというのが第一のミッションです。お茶を飲むという行為が「信頼すること」と同義なのは歴史が証明しています。食べ物は咀嚼して毒が入っていたら吐き出せますが、飲み物はそうはいきません。相手から出されたものを飲む行為は全世界共通で、普遍的に相手を信頼することと同義であると言われています。なので、自分がお出ししたお茶を相手が飲んでくださるということは、相手が自分を信頼しているということですし、提供された飲み物を飲むことが相手への信頼を示す行為だと思うんです。お茶をいれ合いながら全世界がお茶を通して繋がっていく。そんな世界線を目指し、これからもお茶の魅力を真摯に伝えていければと思います。
岩本さんは1997年生まれの現在27歳。9歳から茶の湯を学び、23歳の若さで極意を皆伝した茶人の証「宗名」を授けられた一方、大学在学中にお茶の生産・販売・事業プロデュースを手掛ける会社・TeaRoomを立ち上げて実業家としても活躍する人物だ。
岩本さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
・ポッドキャストページはこちら
少年時代は茶室に籠って稽古に没頭
そもそも裏千家とは何なのか?東京都心を走り出した「BMW XM」の車中にて、岩本さんに説明してもらった。岩本:お茶の流派は70~80あるとされており、そのなかで特に有名なものが千利休から紡がれる「三千家」と言われる流派です。三千家は表千家、裏千家、武者小路千家とあり、それぞれ利休の住まいの表門、裏門、武者小路通りに茶室があったことに由来します。なので、裏千家には裏側の世界などの意味ではありません(笑)。この三千家含む諸流派のなかでもっとも大所帯である裏千家では、旧来のパトロンが支援する仕組みのお茶というより、どちらかと言えば民衆によって支えられるお茶の姿を「茶道」と定義しています。
そんな岩本さんが茶の湯を学び始めたのは9歳の頃。「あまり学校へ行くことが好きではなかった」という少年の目に、お茶の世界はどう映ったのか。
岩本:家業が茶業ではなく、実家が家元でもなかった私ですが、9歳のときにたまたまテレビで拝見して興味を持ち、茶道の道に入りました。入門後は、茶の湯の先生方がお茶菓子をたくさん与えてくれるなど、幼い私が関心を深められるよう働きかけてくださったおかげもあってお茶が大好きになり、ずっと茶室に籠ってお稽古に明け暮れていましたね。ちなみに、5歳のときには自ら志願して空手の道場に入門し、空手にも熱中していました。茶道教室も空手道場も世代の違う方々と交流でき、しっかりと“いち人間”として扱ってくれる場所でした。今振り返ってみると、このような学校ではないコミュニティを持つことが、当時の私にとってすごく重要な意味を持っていたように思います。
留学先のアメリカでお茶会を開催
そんな話をしているうちに「BMW XM」は今回の目的地に迫る。窓ガラスに映る思い出の詰まった風景を目にすれば、饒舌にならずにはいられない。岩本:懐かしい景色が広がってきました。ここは早大通りといいまして、間もなく大隈講堂が見えてきます。大隈講堂といえば、早稲田大学の入学式や卒業式が行われる場所です。私はコロナ禍に卒業したため、卒業式はリモートで卒業証書は郵送で送られてきました。ただ、私は高校から早稲田に通い、大学入学以前より大隈講堂にはよく足を運んでいたので、思い出深い場所であることには変わりありません。高校から早稲田を目指した理由は、大隈重信先生をはじめ日本を作ってきた方々が卒業されている印象があり、そのイメージに惹かれたからです。あとは、幼稚園や小学校へあまり通えておらず、中学も勉強ばかりしていた関係で友達もいなくて。「だったら高校から地元を出て、早稲田に行っちゃおう」と思い、一生懸命勉強したのを覚えています。
岩本:留学期間中は、現地に茶箱というお茶のセットが入った箱を持っていくようにしていました。アメリカで暮らす日系三世、四世のなかには、日本に興味があるものの、今まで体験の接点がなかったという方が多くいます。そういう方々にもご協力いただきながら、よく茶会を催していました。
我々は多くの場合、お茶会を空間から作ります。お茶室には「囲い」という意味があり、四方を囲えばそこがお茶室になっていくという考えがあります。なので、わざわざ空間を仕切って、狭い空間を作っていくわけです。よく日本とアメリカの比較でいわれることですが、大きな坪よりも小さな茶碗のほうが値段が高いんですよね。その理由は日本が空間主導で、小さな茶碗を愛でる価値の高い空間を作ることこそ重要であるという思想が普及したからにほかなりません。アメリカのように大きなホテルのなかに、大きな坪を置くというものではなく、小さなお茶室のなかで小さな茶碗を置く。そんな引き算の美学として、茶の湯は広まっていきました。
なので私は、アメリカにおいて巨大なスペースで茶会を催さず、小さなスペースをあえて作り、そこで一椀一椀お茶を共有していくことの繰り返しにより、思想を伝えるよう努めました。ちなみに私はコロラドに入学していたのですが、コロラドにはネイティブアメリカンの方々が数多くいらっしゃいます。なので、その方々が使用していた羽を羽箒の代わりにしたリもしました。こういった形で、現地の物をどう取り込んでお茶の様式に当て嵌めながら日本の思想を伝えていくかということに注力していたのです。
お茶を世界に広める鍵は抹茶ラテ?
岩本さんは早稲田大学在学中、21歳のときに株式会社TeaRoomを創立。日本茶工場の継承や茶畑の運営、茶の湯関連の事業プロデュースなど、お茶の需要そのものを作り出す仕組みを展開している。茶の湯の世界に身を置きながら起業したその思いとは?岩本:茶道の精神性を世界中に伝えたいと思ったときに、抹茶ラテのようなマスに開かれたお茶の接点が広がることによって、お茶の思想を取り込む人や、お稽古をする人が増えるのではないかという仮説が、私のなかにあって。現在、アメリカにあるカフェの多くに抹茶ラテが導入されていますが、「抹茶」という言語が海外に広がったことで、抹茶に興味を持つ人が世界中に増えています。その方々が来日された際「Matcha Japan Experience」と検索をかければ、基本的にはお茶会が出てくるわけです。ということで、まずは抹茶ラテを愛飲されている方々に、お茶会に来ていただき、お道具を買っていただく。お道具を持ってさらに関心を深めたら、お稽古に通う。そのお稽古に通った方々がエバンジェリストとして世界中にお茶の思想を広げてくだされば、文化と関わる接点が増えるのではないかと思うのです。
その一方、お茶を作る方々がいなくなってきているという現状があります。農林水産省の統計によれば、毎年900ヘクタールの茶畑が減少し、農業従事者の平均年齢はゆうに60歳を超えているとされています。世界中に文化の接点を開いていきたいにもかかわらず、そのツールとなるお茶が作られなくなってきてしまうのは由々しき事態です。そんな危機感から、私たちは農業も自らやることにしています。さまざまな土地に工場と茶畑を承継してそこに若手の人材を送り、「地域から文化を変えていくんだ」という覚悟のもと事業活動を展開しているんです。
お茶をいれるポイントは「お湯からいれること」
そんな茶道家・経営者としてお茶を知り尽くした岩本さんに「おいしいお茶のいれ方」を聞いてみた。岩本:何をもって「おいしいお茶」とするかは人それぞれですが、一番簡単にお伝えすると「お茶も生き物」と捉えることが肝要です。100度のお湯をかければ熱いに決まっています。雑味やえぐみが出てきてしまいます。また、お茶を抽出した後に冷蔵庫で長い時間保管すると酸化が進み、酸味も増えていく。そこでおすすめなのが、お湯の温度を100度未満にすることです。まずは沸騰したお湯を5分程度置いて、80度~90度に冷ます。次にそのお湯を注ぎ、じっくり茶葉が開くまで待つ。そして葉が開いたくらいが抽出完了の合図です。ティーバッグを取り出して、お召し上がりください。
加えて、ティーバッグを入れるときに「お茶からいれるか、お湯からいれるか」も実はかなり重要です。お茶をいれて、その上からお湯を注ぐと衝撃が追加されるので、雑味やえぐみの原因になりかねません。一方、先に注いだお湯の上にティーバッグを浮かべて自然に沈むのを待ってあげると、軽やかな味わいがします。なので心を落ち着けてお湯からいれ、ティーバッグを浮かべて1~2分で沈むのを待てば、おいしいお茶がいただけるはずです。
お茶の世界に魅了され、さまざまな形でその魅力を伝え続ける岩本さん。最後に、自身にとっての「未来への挑戦=FORWARDISM」とは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
岩本:私たちは「対立をなくすこと」を理念に掲げています。世界から一刻も早くお茶を通じて対立を解消する手段を世界に広げていきたいというのが第一のミッションです。お茶を飲むという行為が「信頼すること」と同義なのは歴史が証明しています。食べ物は咀嚼して毒が入っていたら吐き出せますが、飲み物はそうはいきません。相手から出されたものを飲む行為は全世界共通で、普遍的に相手を信頼することと同義であると言われています。なので、自分がお出ししたお茶を相手が飲んでくださるということは、相手が自分を信頼しているということですし、提供された飲み物を飲むことが相手への信頼を示す行為だと思うんです。お茶をいれ合いながら全世界がお茶を通して繋がっていく。そんな世界線を目指し、これからもお茶の魅力を真摯に伝えていければと思います。
この記事の続きを読むには、
以下から登録/ログインをしてください。