音楽プロデューサーでベージストの亀田誠治と、King Gnuの新井和輝(Ba)が対談。亀田がベースの練習に明け暮れた時代や、東京事変への加入のこと、「ベースが印象的なナンバー」などを語った。
2人がトークを展開したのは、10月17日(火)に放送されたJ-WAVEの番組『SPARK』。注目のアーティストが曜日ごとにナビゲーターを務める番組で、火曜ナビゲーターは新井が担当している。
この日のトークは、24日28時ごろまでradikoでも再生可能だ。
新井:僕がベースキッズのときに定期購読してた『ベース・マガジン』の、亀田さんが表紙の号で。僕が『ベース・マガジン』を買い始めた3冊目くらいのもので、ずっと家に置いてあったんです。
新井:亀田さんのインタビューを読んで、「亀田さんってそうやってやってたんだ」と思って、一生懸命、練習をしてましたね。
亀田:その何年か後に、“生亀田”に会ったときはどんな感じでした?
新井:何だろうな……とにかく、いい人過ぎて(笑)。何も言えないっすよ、いい人過ぎるなって。
亀田:あはは(笑)。
新井:この本のインタビューですごく覚えていたのが、亀田さんが(若い頃に)めちゃくちゃ練習してた、みたいなことが書いてあって。そのとき付き合っていた彼女とのデートをすっぽかして、パンかじりながらベース練習してたってのを、高校生のときの僕が読んで。
亀田:同じことしちゃったの?
新井:そうなんですよ(笑)。同じくらいの歳だったので、当時の実家がマンションの4階だったんですけど、エレベーターが付いてなくて、歩いて階段を上る時間が惜しくて走って階段上って、そこで浮かせた時間を使って基礎練習して、みたいな。
亀田:すごくいい話! 僕も近いですよ。パンを食べながら練習する理由っていうのは、パンは口に放り込めばそのまま指は動かせるから。
新井:あはは(笑)。
亀田:ありとあらゆる時間をベースにつぎ込んでいた時代っていうのが、20歳くらいの頃にありましたね。そういう時期がもう1回来るんだけど。
新井:29、30歳くらいだそうですね。
亀田:アレンジャー、プロデューサーとして仕事を始めて、いろんな楽曲作りに関わって。自分でもベースを弾くんだけど、どうしても先輩のトップセッションプレイヤーに比べて自分のベースの軸が安定してなくて、悔しくて。アレンジャー、プロデューサーとして音楽全体を聴いてなきゃいけない立場なのに、気が付くとプレイバックして聴くときに自分のプレイを聴いてしまっていて、「これはいかんぞ」と。ここを乗り越えないといけないと思って、とにかく先輩たちやまわりのスタジオプレイヤーの人たちと、いつでも互角に渡り合える基礎力を付けようと思って、もう1回、同じことをした。
新井:へえ~! ちょっと、あとでこれに(雑誌に)サインもらってもいいですか?(笑)
亀田:もちろんです。恐縮です(笑)。
新井:亀田さんは、東京事変で初めてバンドを組んだじゃないですか。それって、どういうことだったんですか? 僕は今月で31歳になるんですけど……。
亀田:うちの長男と同い年ですね(笑)。
新井:ええーっ! そうなんですか!?
亀田:いやあ……なんか、生きててよかった(笑)。こういう番組に出られて。
新井:僕が10年後にバンドを始めるというのが、想像つかないんです。今組んじゃっているのもあるから当たり前ですけど、40になってからバンド組むってすごいなって。どんな感覚でしたか?
亀田:40になるより前に、林檎さんの『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』を出してたし、スピッツも取りかかってたし、平井 堅さんとか、いわゆるJ-POPのほうの僕の顔も出来上がっていたんですけど、自分が40のときに林檎さんが「バンドをやりたい」って言って。その一言が大きかったんだと思う。林檎さんの2枚のアルバムを作ったあと2、3年は、彼女は自分のソロのプロデュースで作っていたんだよね。もう1回声がかかるのがうれしくて、とにかく音楽をやってることを実感できるので。ただ僕のような立場でアレンジとかプロデュースする人は、若い時代にバンドを1回デビューしてたりとか、そういう経験があったりするわけですよ。
新井:そうですね。
亀田:でも僕は、そういう経験なしで初めから作編曲、裏方みたいなかたちでやってきたので、「これお給料とかどうなるんだろう?」って。
新井:今、お話を伺ってて、僕らは売れる前にバンドを始めたんですけど、もともとはサポートミュージシャンとかを目指していたんです。でも、それで食えなかったからバンドに100パーセントフォーカスできたという側面が、僕の場合はあるんです。亀田さんは逆に、売れまくってたときにバンドに終始しなきゃいけないのって、けっこう覚悟がいるというか。
東京事変に誘われた亀田は、まず家族会議を開いたと明かす。
亀田:妻も子どもたちも食卓に呼んで「林檎さんからパパに、バンドに入ってもらえないかってお誘いがあったんだけど、これからバンドやってもいいかな?」「もしかしたら、今までよりもお給料が減るかもしれない」って話したら、みんなが「わあ! 林檎さんとだったらやればいいよ!」って。
新井:そういう経緯があったんですね。プロデュースワークができるとはいえ、時間配分も考えなきゃいけなかったり。
亀田:大幅に東京事変に使う時間が増えていったり。ツアーとかもあるので。バンドに加入したらこれが本当に面白かったですね。クリック使わずに一発録りみたいな。『教育』ってアルバムは3日くらいでオケが全部録れてるんですよ。
新井:ええ!
亀田:1日3曲ずつくらい上がっていっちゃうの。その前にプリプロリハはするんだけど、せーの、どんで録るから。
亀田:新井さんのスタイルは、シンセベースも弾く、エレキベースも弾く。さまざまなかたちで、まずは音源として作品にめちゃくちゃ貢献しつつ、ライブでは視覚的にも(楽しませる)。あとは、重低音のような──僕はいつも音楽は波動だっていうんですけど、波動でオーディエンスをノックアウトできる本当に素晴らしいバンド、素晴らしいベーシストだと思っていて。新井さんのプレイは全部好きなんだけど、ときどき、どこまでがシンベでどこまでが生か見抜けてない楽曲もあったりするんですが、『Teenager Forever』は明らかに“和輝グルーヴ”が炸裂してると。
新井:あはは(笑)。
亀田:曲の最初から最後までベースがグルーヴをリードしていて、こんなに血湧き肉躍る曲はないという。
新井:いやあ……うれしいなあ……。
亀田:まさかのフォーキーな展開かと思えば、そこから広がる血湧き肉躍るこのグルーヴを、みなさん聴いてください。
新井は「この曲は東京事変なんです」と口にする。
新井:後半、速くなるじゃないですか。それは完全に東京事変の展開のオマージュなんですよ。それこそイントロでのドゥーンドゥーンっていうのは僕の中の亀田さんなんです。
亀田:いわゆる、横移動の亀ね。
新井:僕なりのイメージで亀田さんをおろしてきて弾いてるというか。この曲は、ベース的にもそうだし、アレンジ的にもそうだし、かなり東京事変を意識してますね。
亀田:そこで通じ合うものがあったのかな。新井さんのベースのグルーヴがドラムにも寄ってるような気もするし、新井さん自身でも発信してる感じもあって。単純に音符で分割したら普通の場所にいないような音もいっぱい入ってるような気がして。
新井:そうです……!
亀田:そこがうねりを出している。これが音楽ですよ、みなさん! いわゆるスケールやマスの目の中の物差しの中に入らない部分で、お互いが響き合うところにバンドや音楽の本当の喜びがあるんじゃないのかなって。
新井:本当にそう思います。この曲をベース単体で聴いたら、けっこう変な音符というか、あんまり成り立ってない感じに聴こえる部分もあると思うんですけど、それがドラムと合わさってギターと合わさって全体で聴くとそういう風に成り立つというか。そういうことってあるよなって日々思っているので、この曲はそういうのがかなり出てる曲だとは思っていますね。
亀田は11月4日(土)、今年100周年を迎える東京・日比谷野外大音楽堂でスペシャルイベント「祝・日比谷野音100周年 J-WAVE & Night Tempo present ザ・ナイトテン・4」にMCとして出演。J-WAVEとNight Tempoがタッグを組み、松本伊代、早見 優、野宮真貴、渡辺満里奈をゲストに昭和を象徴する音楽番組を一夜限りで再現する。
・「祝・日比谷野音100周年 J-WAVE & Night Tempo present ザ・ナイトテン・4」公式サイト
2人がトークを展開したのは、10月17日(火)に放送されたJ-WAVEの番組『SPARK』。注目のアーティストが曜日ごとにナビゲーターを務める番組で、火曜ナビゲーターは新井が担当している。
この日のトークは、24日28時ごろまでradikoでも再生可能だ。
再生は24日28時ごろまで
ありとあらゆる時間をベースの演奏につぎ込んでいた時代
2人は2018年開催のJ-WAVEのイベント「TOKYO M.A.P.S YOSHIKI MIZUNO EDITION」で初対面。そこから親交を続けている。新井は「見せたいものがある」と亀田に1冊の雑誌を差し出した。2009年発行の『ベース・マガジン』だ。新井は当時、定期購読しており、「隅から隅まで読んでた」と語る。新井:僕がベースキッズのときに定期購読してた『ベース・マガジン』の、亀田さんが表紙の号で。僕が『ベース・マガジン』を買い始めた3冊目くらいのもので、ずっと家に置いてあったんです。
新井:亀田さんのインタビューを読んで、「亀田さんってそうやってやってたんだ」と思って、一生懸命、練習をしてましたね。
亀田:その何年か後に、“生亀田”に会ったときはどんな感じでした?
新井:何だろうな……とにかく、いい人過ぎて(笑)。何も言えないっすよ、いい人過ぎるなって。
亀田:あはは(笑)。
新井:この本のインタビューですごく覚えていたのが、亀田さんが(若い頃に)めちゃくちゃ練習してた、みたいなことが書いてあって。そのとき付き合っていた彼女とのデートをすっぽかして、パンかじりながらベース練習してたってのを、高校生のときの僕が読んで。
亀田:同じことしちゃったの?
新井:そうなんですよ(笑)。同じくらいの歳だったので、当時の実家がマンションの4階だったんですけど、エレベーターが付いてなくて、歩いて階段を上る時間が惜しくて走って階段上って、そこで浮かせた時間を使って基礎練習して、みたいな。
亀田:すごくいい話! 僕も近いですよ。パンを食べながら練習する理由っていうのは、パンは口に放り込めばそのまま指は動かせるから。
新井:あはは(笑)。
亀田:ありとあらゆる時間をベースにつぎ込んでいた時代っていうのが、20歳くらいの頃にありましたね。そういう時期がもう1回来るんだけど。
新井:29、30歳くらいだそうですね。
亀田:アレンジャー、プロデューサーとして仕事を始めて、いろんな楽曲作りに関わって。自分でもベースを弾くんだけど、どうしても先輩のトップセッションプレイヤーに比べて自分のベースの軸が安定してなくて、悔しくて。アレンジャー、プロデューサーとして音楽全体を聴いてなきゃいけない立場なのに、気が付くとプレイバックして聴くときに自分のプレイを聴いてしまっていて、「これはいかんぞ」と。ここを乗り越えないといけないと思って、とにかく先輩たちやまわりのスタジオプレイヤーの人たちと、いつでも互角に渡り合える基礎力を付けようと思って、もう1回、同じことをした。
新井:へえ~! ちょっと、あとでこれに(雑誌に)サインもらってもいいですか?(笑)
亀田:もちろんです。恐縮です(笑)。
東京事変に誘われ、まずは家族会議
亀田がベースを務める東京事変は、椎名林檎を中心に2003年に結成。当時、亀田は40歳だったという。新井:亀田さんは、東京事変で初めてバンドを組んだじゃないですか。それって、どういうことだったんですか? 僕は今月で31歳になるんですけど……。
亀田:うちの長男と同い年ですね(笑)。
新井:ええーっ! そうなんですか!?
亀田:いやあ……なんか、生きててよかった(笑)。こういう番組に出られて。
新井:僕が10年後にバンドを始めるというのが、想像つかないんです。今組んじゃっているのもあるから当たり前ですけど、40になってからバンド組むってすごいなって。どんな感覚でしたか?
亀田:40になるより前に、林檎さんの『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』を出してたし、スピッツも取りかかってたし、平井 堅さんとか、いわゆるJ-POPのほうの僕の顔も出来上がっていたんですけど、自分が40のときに林檎さんが「バンドをやりたい」って言って。その一言が大きかったんだと思う。林檎さんの2枚のアルバムを作ったあと2、3年は、彼女は自分のソロのプロデュースで作っていたんだよね。もう1回声がかかるのがうれしくて、とにかく音楽をやってることを実感できるので。ただ僕のような立場でアレンジとかプロデュースする人は、若い時代にバンドを1回デビューしてたりとか、そういう経験があったりするわけですよ。
新井:そうですね。
亀田:でも僕は、そういう経験なしで初めから作編曲、裏方みたいなかたちでやってきたので、「これお給料とかどうなるんだろう?」って。
新井:今、お話を伺ってて、僕らは売れる前にバンドを始めたんですけど、もともとはサポートミュージシャンとかを目指していたんです。でも、それで食えなかったからバンドに100パーセントフォーカスできたという側面が、僕の場合はあるんです。亀田さんは逆に、売れまくってたときにバンドに終始しなきゃいけないのって、けっこう覚悟がいるというか。
東京事変に誘われた亀田は、まず家族会議を開いたと明かす。
亀田:妻も子どもたちも食卓に呼んで「林檎さんからパパに、バンドに入ってもらえないかってお誘いがあったんだけど、これからバンドやってもいいかな?」「もしかしたら、今までよりもお給料が減るかもしれない」って話したら、みんなが「わあ! 林檎さんとだったらやればいいよ!」って。
新井:そういう経緯があったんですね。プロデュースワークができるとはいえ、時間配分も考えなきゃいけなかったり。
亀田:大幅に東京事変に使う時間が増えていったり。ツアーとかもあるので。バンドに加入したらこれが本当に面白かったですね。クリック使わずに一発録りみたいな。『教育』ってアルバムは3日くらいでオケが全部録れてるんですよ。
新井:ええ!
亀田:1日3曲ずつくらい上がっていっちゃうの。その前にプリプロリハはするんだけど、せーの、どんで録るから。
ベースが印象的なナンバーは?
新井から「ベースが印象的なナンバーは?」と質問された亀田は、King Gnu『Teenager Forever』をセレクトした。亀田:新井さんのスタイルは、シンセベースも弾く、エレキベースも弾く。さまざまなかたちで、まずは音源として作品にめちゃくちゃ貢献しつつ、ライブでは視覚的にも(楽しませる)。あとは、重低音のような──僕はいつも音楽は波動だっていうんですけど、波動でオーディエンスをノックアウトできる本当に素晴らしいバンド、素晴らしいベーシストだと思っていて。新井さんのプレイは全部好きなんだけど、ときどき、どこまでがシンベでどこまでが生か見抜けてない楽曲もあったりするんですが、『Teenager Forever』は明らかに“和輝グルーヴ”が炸裂してると。
新井:あはは(笑)。
亀田:曲の最初から最後までベースがグルーヴをリードしていて、こんなに血湧き肉躍る曲はないという。
新井:いやあ……うれしいなあ……。
亀田:まさかのフォーキーな展開かと思えば、そこから広がる血湧き肉躍るこのグルーヴを、みなさん聴いてください。
新井は「この曲は東京事変なんです」と口にする。
新井:後半、速くなるじゃないですか。それは完全に東京事変の展開のオマージュなんですよ。それこそイントロでのドゥーンドゥーンっていうのは僕の中の亀田さんなんです。
亀田:いわゆる、横移動の亀ね。
新井:僕なりのイメージで亀田さんをおろしてきて弾いてるというか。この曲は、ベース的にもそうだし、アレンジ的にもそうだし、かなり東京事変を意識してますね。
亀田:そこで通じ合うものがあったのかな。新井さんのベースのグルーヴがドラムにも寄ってるような気もするし、新井さん自身でも発信してる感じもあって。単純に音符で分割したら普通の場所にいないような音もいっぱい入ってるような気がして。
新井:そうです……!
亀田:そこがうねりを出している。これが音楽ですよ、みなさん! いわゆるスケールやマスの目の中の物差しの中に入らない部分で、お互いが響き合うところにバンドや音楽の本当の喜びがあるんじゃないのかなって。
新井:本当にそう思います。この曲をベース単体で聴いたら、けっこう変な音符というか、あんまり成り立ってない感じに聴こえる部分もあると思うんですけど、それがドラムと合わさってギターと合わさって全体で聴くとそういう風に成り立つというか。そういうことってあるよなって日々思っているので、この曲はそういうのがかなり出てる曲だとは思っていますね。
亀田は11月4日(土)、今年100周年を迎える東京・日比谷野外大音楽堂でスペシャルイベント「祝・日比谷野音100周年 J-WAVE & Night Tempo present ザ・ナイトテン・4」にMCとして出演。J-WAVEとNight Tempoがタッグを組み、松本伊代、早見 優、野宮真貴、渡辺満里奈をゲストに昭和を象徴する音楽番組を一夜限りで再現する。
・「祝・日比谷野音100周年 J-WAVE & Night Tempo present ザ・ナイトテン・4」公式サイト
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2023年10月24日28時59分まで
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番組情報
- SPARK
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月・火・水・木曜24:00-25:00
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新井和輝