画家・絵本作家のはらだたけひでさんが以前勤めていた岩波ホールの思い出や、自身が主宰する「ジョージア映画祭2022」への思いを語った。
はらださんが登場したのはJ-WAVEで1月24日(月)に放送された『GOOD NEIGHBORS』(ナビゲーター:クリス智子)のワンコーナー「TALK TO NEIGHBORS」だ。
クリス:コロナの状況も受けてご決断というニュースでした。はらださんも驚かれたと思います。
はらだ:大変無念なことで、正直言っていまもまだやるせない想いがいっぱいあります。
クリス:はらださんはどういうご縁で入社されたんですか?
はらだ:もう亡くなりましたが、総支配人の高野悦子という人がいて。高野の友人から「人が足りないので助けてくれないか」と声をかけられたのが20歳のころです。1970年代初頭というのは社会も文化も活性化していた時期ではあるんだけれど、僕自身はいわゆるドロップアウトというか、「自分探し」のような想いで日々を送っていました。そこへ突然岩波ホールの映画館、劇場の世界に入っていったんです。
絵本作家としても活躍するはらださん。欧米の映画とは違う国々の映画を積極的に上映する岩波ホールで仕事をするなかで、絵を描く仕事との共通点を見出していったそう。
はらだ:その国の歴史や文化、人々の運命、願い、夢などが1本の作品に込められているということを知って。自分が携わる仕事が、非常に意義のある仕事だと感じたわけです。また、僕は絵を描くことを自分の表現だとずっと思ってましたけど、高野の下で時代や社会を考えながら1本の映画を選んで上映することも、ひとつの自己表現であると段々と気が付いていきました。ですからいまの時代にどのような映画をご紹介するか、それを辞めるまで一番大事にしましたね。
クリス:当時70年代はどのように情報を得られていたのでしょうか。
はらだ:そのころはインターネットの時代ではないので、映画関係者から寄せられる情報を元にしてプログラムを作っていました。それが70年代後半からいくつものミニシアターが設立されて、自主的に映画館の人間がカンヌとかヴェネチアとかの映画祭に足を運んで探していきました。映画においてどんどん日本は情報的に豊かな国になりましたね。
はらださんは知られていない国の映画を上映する前には、都内にその国の料理を出す店があれば食べに行ったり、その国の人に会いに行って情報を深めるなど、できる限り詳しくなることに努め、定年退職までにおよそ50か国、250本の映画を紹介した。作品がどのようにしたら日本でヒットするかについても工夫を凝らしていたそう。
はらだ:外国でヒットしているから、日本でもヒットするというわけではないんです。むしろ外国で評価されなくても日本で評価されるものもあります。外国でセットした宣伝物をそのまま日本でご紹介しても、(観客の)心には通わない。だから日本の方々、つまり自分自身に言い聞かせるんだけど、たとえば邦題にしても、宣伝にしても、この映画はどういう風にアプローチして広げていくか、ビジュアルも含めて“日本の服”を着せることによって、むしろエッセンスが伝わるところはあると思うんです。
はらだ:不思議なことに、ジョージアは周辺の国々とはまったく異なる文化なのです。言語も文字も違いますし、最近8000年の歴史があるワインの文化がよく知られています。日々の生活習慣でいえば、ジョージアの宴会というのはとてもユニークです。それに参列すると「タマダ」という宴会の長がいて、その人が非常に美しい言葉で乾杯の辞を述べるんです。参加した人たちはタマダに身を任せるように乾杯を重ねていくわけで、それが果てしなく続くというか。
クリス:そういうのにも参加されてきているわけですね。
はらだ:ある友人が言いましたけど、魔法にかけられたようになってしまうんです。特にジョージアの人たちというのは、その日そのときの生きる喜びをとても大切にする人たちなので、向こうに行くとその人たちの気持ちが、完全に僕たちもジョージア人になったようにシンクロします(笑)。
はらだ:今回はソ連時代、70年間のジョージア映画の歴史を20年代のサイレントから80年代までたどるように構成しています。ソ連時代のジョージア映画というのは、アニメーションやドキュメンタリーを混ぜて3000本作られたと言われているんです。ところが作られたオリジナルのネガフィルムは多くが、ほとんどロシアのアーカイブに保管されていまして。ロシアとジョージアの関係もあんまり良好とはいえないものですから、ようやく戻ってきたほぼすべてが、今回の映画祭でかけられるんです。
クリス:ええ! すごい。
はらだ: 2018年には旧作も含め何本か上映しました。それから2、3年経って、また少しデジタル復元したりして、上映できる作品が増えたわけです。またこのコロナ禍の2年間に少しは増えていると思いますけど……。
クリス:そういう流れだったんですね。今回プログラムも10のカテゴリに分かれています。いろいろ知らないことが多くて。
はらだ:ソ連時代ですから、非常に社会的、政治的な制約を受けているわけです。検閲も厳しいのですが、3000年の戦争の歴史のなかで自分たちの独特な文化を維持したその精神が映画にも生きています。映画1本1本のなかにジョージア独特の民族文化が反映されているし、彼らの独立や自由への夢というのも、さまざまな形で潜んでいます。
クリス:それぞれの映画のなかにあるわけですね。
はらだ:それがまた、監督によって非常に個性が豊かなものですから、それぞれ本当に味わいが異なってきます。そういう面白味ですかね。欧米のいわゆる商業主義のなかで作られていく映画とはまた一線を画した、非常に作家性の強い作品も多いと思います。今回独立後に作られた作品も何本かありますけど、あくまでも旧作を理解するための参考上映のような形です。
J-WAVE『GOOD NEIGHBORS』のワンコーナー「TALK TO NEIGHBORS」は毎週月曜から木曜の14時10分ころから。
はらださんが登場したのはJ-WAVEで1月24日(月)に放送された『GOOD NEIGHBORS』(ナビゲーター:クリス智子)のワンコーナー「TALK TO NEIGHBORS」だ。
54年の歴史に幕
神田神保町にある映画館「岩波ホール」に44年間勤め、3年前に定年退職をしたはらださん。はらださんが人生の大半をすごしたという岩波ホールだが、今年に入り54年の歴史に幕を下ろすことが発表された。クリス:コロナの状況も受けてご決断というニュースでした。はらださんも驚かれたと思います。
はらだ:大変無念なことで、正直言っていまもまだやるせない想いがいっぱいあります。
クリス:はらださんはどういうご縁で入社されたんですか?
はらだ:もう亡くなりましたが、総支配人の高野悦子という人がいて。高野の友人から「人が足りないので助けてくれないか」と声をかけられたのが20歳のころです。1970年代初頭というのは社会も文化も活性化していた時期ではあるんだけれど、僕自身はいわゆるドロップアウトというか、「自分探し」のような想いで日々を送っていました。そこへ突然岩波ホールの映画館、劇場の世界に入っていったんです。
絵本作家としても活躍するはらださん。欧米の映画とは違う国々の映画を積極的に上映する岩波ホールで仕事をするなかで、絵を描く仕事との共通点を見出していったそう。
はらだ:その国の歴史や文化、人々の運命、願い、夢などが1本の作品に込められているということを知って。自分が携わる仕事が、非常に意義のある仕事だと感じたわけです。また、僕は絵を描くことを自分の表現だとずっと思ってましたけど、高野の下で時代や社会を考えながら1本の映画を選んで上映することも、ひとつの自己表現であると段々と気が付いていきました。ですからいまの時代にどのような映画をご紹介するか、それを辞めるまで一番大事にしましたね。
クリス:当時70年代はどのように情報を得られていたのでしょうか。
はらだ:そのころはインターネットの時代ではないので、映画関係者から寄せられる情報を元にしてプログラムを作っていました。それが70年代後半からいくつものミニシアターが設立されて、自主的に映画館の人間がカンヌとかヴェネチアとかの映画祭に足を運んで探していきました。映画においてどんどん日本は情報的に豊かな国になりましたね。
はらださんは知られていない国の映画を上映する前には、都内にその国の料理を出す店があれば食べに行ったり、その国の人に会いに行って情報を深めるなど、できる限り詳しくなることに努め、定年退職までにおよそ50か国、250本の映画を紹介した。作品がどのようにしたら日本でヒットするかについても工夫を凝らしていたそう。
はらだ:外国でヒットしているから、日本でもヒットするというわけではないんです。むしろ外国で評価されなくても日本で評価されるものもあります。外国でセットした宣伝物をそのまま日本でご紹介しても、(観客の)心には通わない。だから日本の方々、つまり自分自身に言い聞かせるんだけど、たとえば邦題にしても、宣伝にしても、この映画はどういう風にアプローチして広げていくか、ビジュアルも含めて“日本の服”を着せることによって、むしろエッセンスが伝わるところはあると思うんです。
独自の文化を守り続けてきたジョージア
1月29日(土)から2月25日(金)まで岩波ホールで「ジョージア映画祭2022」が開催中。ジョージアはコーカサス南に位置し、1991年にソビエト連邦から独立。古来から数多くの民族が行き交うシルクロードの中心地であることから、他国からの侵略にさらされる地だったが、文字・言語など、独自の文化を守り続けてきた。はらだ:不思議なことに、ジョージアは周辺の国々とはまったく異なる文化なのです。言語も文字も違いますし、最近8000年の歴史があるワインの文化がよく知られています。日々の生活習慣でいえば、ジョージアの宴会というのはとてもユニークです。それに参列すると「タマダ」という宴会の長がいて、その人が非常に美しい言葉で乾杯の辞を述べるんです。参加した人たちはタマダに身を任せるように乾杯を重ねていくわけで、それが果てしなく続くというか。
クリス:そういうのにも参加されてきているわけですね。
はらだ:ある友人が言いましたけど、魔法にかけられたようになってしまうんです。特にジョージアの人たちというのは、その日そのときの生きる喜びをとても大切にする人たちなので、向こうに行くとその人たちの気持ちが、完全に僕たちもジョージア人になったようにシンクロします(笑)。
およそ3000本のなかからの34本を上映
ジョージア映画祭は2018年に岩波ホール創立50周年記念特別企画として開催、今回は2度目となる。はらださんは上映される全34作品がどのように選ばれたのかを解説した。はらだ:今回はソ連時代、70年間のジョージア映画の歴史を20年代のサイレントから80年代までたどるように構成しています。ソ連時代のジョージア映画というのは、アニメーションやドキュメンタリーを混ぜて3000本作られたと言われているんです。ところが作られたオリジナルのネガフィルムは多くが、ほとんどロシアのアーカイブに保管されていまして。ロシアとジョージアの関係もあんまり良好とはいえないものですから、ようやく戻ってきたほぼすべてが、今回の映画祭でかけられるんです。
クリス:ええ! すごい。
はらだ: 2018年には旧作も含め何本か上映しました。それから2、3年経って、また少しデジタル復元したりして、上映できる作品が増えたわけです。またこのコロナ禍の2年間に少しは増えていると思いますけど……。
クリス:そういう流れだったんですね。今回プログラムも10のカテゴリに分かれています。いろいろ知らないことが多くて。
はらだ:ソ連時代ですから、非常に社会的、政治的な制約を受けているわけです。検閲も厳しいのですが、3000年の戦争の歴史のなかで自分たちの独特な文化を維持したその精神が映画にも生きています。映画1本1本のなかにジョージア独特の民族文化が反映されているし、彼らの独立や自由への夢というのも、さまざまな形で潜んでいます。
クリス:それぞれの映画のなかにあるわけですね。
はらだ:それがまた、監督によって非常に個性が豊かなものですから、それぞれ本当に味わいが異なってきます。そういう面白味ですかね。欧米のいわゆる商業主義のなかで作られていく映画とはまた一線を画した、非常に作家性の強い作品も多いと思います。今回独立後に作られた作品も何本かありますけど、あくまでも旧作を理解するための参考上映のような形です。
J-WAVE『GOOD NEIGHBORS』のワンコーナー「TALK TO NEIGHBORS」は毎週月曜から木曜の14時10分ころから。
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