J-WAVEで放送中の『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』(ナビゲーター:スガ シカオ)。その時代、その場所で、どんな音楽を聴きたいか―――時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラムだ。
12月27日(日)の放送では山崎育三郎と「1998年の東京」を空想ドライブ。ここでは、山崎が野球少年だった頃の話、変声期のこと、そしてスガが『夜空ノムコウ』の作詞について語った部分を紹介しよう。
山崎は空想ドライブの地に「1998年の東京」をリクエスト。山崎が12歳のころで、東京は出身地だ。
山崎:港区の高輪で育ったんです。
スガ:へー!
山崎:そこが地元なんです。
スガ:そうなんだ。俺は高校生のときにずっと高輪でバイトしてたよ。
山崎:本当ですか?
スガ:お弁当の仕出し。
山崎:どのあたりですか? 泉岳寺のほうなのか、品川に近いのか。
スガ:泉岳寺のほう。
山崎:あのへんが地元なんです。
スガ:そうなんだ!
山崎:そのときは小学校6年生なんですが、実は僕がデビューをした年でもあるんです。小椋 佳さんが企画されたミュージカルの全国オーディションというのが当時あったんです。それにダメ元で受けたら合格して主演に選ばれたというのがデビューのきっかけになったんです。
スガ:重要な年だったんだね。
山崎:そうですね、ここからすべてが始まったという。
スガ:でも野球少年だったんでしょ?
山崎:そうなんですよ(笑)。
スガ:(笑)。
山崎:男4人きょうだいで、ミュージカルをやっているのでよく「女きょうだいがいそう」とか言われるんですけど、ゴリゴリの体育会系で育ったんです。みんな野球をやっていて、弟は甲子園を目指して高校までやっていたぐらいなので。僕だけ小学校3年生のときから歌を習っていて、その音楽教室の先生から「ミュージカルのオーディションがあるんだけど、チャレンジしてみないか?」という流れだったんです。
ちなみに山崎の野球の実力は、全国大会でベスト8入りするほどなのだとか。
スガ:なにをやらせてもいけるね!?
山崎:そうなんです(笑)。あはは。
スガ:スゴいね! ちょっとイラっとしてきたわ(笑)。
山崎:ははは(笑)! いちおう、西武球場でピッチャーで投げたんですよ。
スガ:え、ピッチャーだったの? スゲーなあ、なるほど。
山崎:それで監督から「おまえは野球とミュージカルどっちをとるんだ、どっちかにしろ」って言われて、中学からは「ミュージカルの道に行きます」って泣く泣くやめたんです。
スガ:その流れだと普通、野球だよね、監督も「野球って言うだろうな」ってね。
山崎:ただオーディション決まっちゃって、全国ツアーみたいなので主演になったので、もうそれは覚悟を決めようと。
スガ:なかなかすごい1998年ですね。
山崎:本当に好きなんですよ。ずっと聴いていたし当たり前のように流れていた楽曲なので、98年を思い返すとやっぱり『夜空ノムコウ』なんです。
スガ:これが出たのは98年の1月なんだよね。ちょうど97年の夏から秋ぐらいにかけて作ってた。
山崎:これはSMAPのみなさんのことを想ってとか、どんなイメージだったんですか?
スガ:俺が人に曲を書いたりするときに、その人の明るい部分というよりは「影の部分」にスポットを当てるクセがあって。たぶんSMAPの当時の影の部分に俺のスポットが勝手に当たっちゃったんだと思う。
山崎:なるほど……。
スガ:だからちょっと、ほかのSMAPの曲にくらべるとちょっとダーク?なのは、俺の作詞グセなんだと思う。
山崎:確かに、SMAPのメンバーのみなさんがいつもと違う表情をしているイメージがあります、これを歌うときの顔や想いの乗せ方が。すごいな、そんなエピソードだったんですね。
スガ:そうそう。
山崎:これはもうずっと聴いてました。
スガ:ありがとうございます。
山崎:歌ってハモってました。
スガ:(笑)。
スガ:僕が98年の思い出に残っている曲は、ブラック・ビスケッツ『Timing ~タイミング~』っていう曲なんだけど。
山崎:おお、懐かしい~!
スガ:懐かしいでしょ? 当時「アジア音楽祭」というのがあって、アジアからいっぱいアーティストが集まって、音楽の祭典をやるというのがあったのね。それにどういうわけか知らないけど、ブラック・ビスケッツとモーニング娘。と俺が選ばれたの。3組で上海に乗り込んでいって「アジア音楽祭」に出たんだよね。
山崎:えー!
スガ:どういう基準で俺が選ばれたのかなにもわからないんだけど(笑)。
山崎:(笑)。
スガ:機材はスゲー最新の機材なんだけど、向こうのスタッフが誰も使い方がわからないわけ。しっちゃかめっちゃかで、本当にメチャクチャなのよ。
山崎:PAとかバランスが。
スガ:バランスとかもメチャクチャで。それでなんか、俺は途中で嫌になってリハーサルを逃げたんだよね。そうしたらスッゲーみんなに白い目で見られて「あいつリハーサル逃げたぞ」みたいな(笑)。だってリハーサルやってもしょうがないんだもん。
山崎:(笑)。
スガ:そういうのが実はあって。そのときに歌ってたブラック・ビスケッツのこの曲が思い出に残ってる。
山崎:ビビアン(・スー)はかわいかったですよね。振付もあって俺もやってました。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)ですよね。
スガ:そうそうそう!
山崎:(番組内で)対決をしていたんですよね。
スガ:ポケビ(ポケット・ビスケッツ)とブラビだよ。
山崎:そうだ。僕はブラビ派だった気がします。
スガ:俺もそうだったんだよね(笑)。
山崎:(笑)。
MBUX:1998年は長野オリンピックが開催された年です。ジャンプ競技での「日の丸飛行隊」をはじめとすると日本選手の活躍に列島が歓喜の声に包まれました。夏になるとフランスで「FIFAワールドカップ」が開催され、初出場となる日本代表の中継3試合ではすべて50パーセントを超える高視聴率を記録しています。映画ではレオナルド・ディカプリオ主演作『タイタニック』、織田裕二主演作の『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大ヒットを記録。そして女性お笑いコンビ、パイレーツの「だっちゅーの」、政治家・田中眞紀子の「凡人・軍人・変人」などが流行語大賞に輝いています。
スガ:ものすごい懐かしい話ばっかりだね。
ここで番組では、山崎の紹介でKiroroの『長い間』をオンエアした。
スガ:はー懐かしい! 久しぶりにこの曲聴いたな。98年、確かにそうだね。
山崎:これ、Kiroroさんのメジャーデビューのシングルなんですね。
スガ:うんうん。
山崎:僕がデビューした98年はまだ子どもだったので、変声期前のボーイソプラノですごく声が高かったんですよ。それでこの曲をこのキーのままカラオケで必ず歌って。
スガ:いけたんだ、へー。
山崎:気持ちよく歌えて。いつもこれを選んでいた記憶がありますね。
スガ:でもさ、そこから変声期でガーン!と声が変わるじゃない。
山崎:いやあ、もうショックでした。
スガ:ちょっと恐怖でしょ?
山崎:とんでもない落ち込み方するんですよ。僕は実は遅くて、中3で声変わりしたんです。上の音が当たらなくなってきて、ちょっとずつ下がってきて、そうしたら今度は下の音が広がっていかないんですよ。
スガ:狭くなる一方なんだ。
山崎:どんどん狭くなっていって。
スガ:うわ、怖っ。
山崎:1オクターブぐらいになっちゃって。
スガ:それ、歌にならないじゃん。
山崎:なにも歌えなくなっちゃったんですよ。それこそ自分が主演をやっていた作品のオーディションに落ちたんです。
スガ:声も届かないし。
山崎:なにを受けても受からない時期に入っちゃって、ものすごく落ち込んで。「もうだめだ」と思っていたときに、あるクラシックの先生との出会いがあって「ミュージカルをやりたいんであれば、声楽を勉強しておけば絶対にプラスになるからやってみないか」ということで中3からクラシックの勉強を始めたんです。それで声楽で音大に行くことを決めて、そこで1回全部やめたんです。仕事というか事務所もやめて活動も全部ストップして、1回ちゃんと勉強をする時間を作ろうと。
スガ:そこでリセットしたんだね。
山崎:そうなんです。
スガ:そのきっかけが変声期というのはなんかすごいね。だって早い子だったら、変声期ってもっと早くくるじゃん。
山崎:早ければ(小学校)5年生でくる子もいます。
スガ:中1とかでだいたいみんなくるけど、それだったらちょっとまた人生変わっていたかもしれないね。
スガ:12歳のときにオーディションを受けてミュージカルをやろうと思うっていうのは、どういうきっかけだったの?
山崎:僕は野球をやっていたんですけど、人前が嫌いで人見知りが激しかったんです、喋らないし。それで母親がそれを気にしていて「なにかこの子に自信をつけたい」という想いがあったりしたんです。母親はギターを弾いたりピアノ弾いたり歌うことが好きで、それでミュージカルを家族で観に行く機会があったんです。それで帰ってから僕がその歌を1人で自分の部屋で歌ってて、それを聴いた母親が「音程がしっかりしていて声もきれいだ」と。
スガ:へー!
山崎:「そうだ、もしかしたらこの子に歌をやらせたら自分に自信を持つかもしれない」というので、僕を音楽教室に連れていったんです。
スガ:それは歌の音楽教室。
山崎:はい。そこで童謡を歌ったりして、全国童謡コンクールで審査員賞をいただいたりしたんです。「かーらーすーなぜなくのー♪」って歌ったんです。ちょっとずつ「歌うことは特別なものだ」みたいなのがあって。ただ歌手として、自分として歌うというのはやっぱり恥ずかしいんです。
スガ:そうなんだ。
山崎:そうなんです。その「恥ずかしい自分」はまだそこにいて。でもミュージカルで自分ではなくて役として歌ったりお芝居をした瞬間が、なにかを開放した瞬間だったんです。けっこう役者さんでシャイな方が多かったりする理由がそこにあると思っているんです。
スガ:「俺は役をやっているんだ」と。
山崎:そうです、自分じゃないんだと。そういうところで歌ったときにバンッと歌えたことがすごく快感で「自分の居場所はここだ」みたいなのが、ミュージカルがどうこうというよりは「役として歌う」というのにすごくシビれた瞬間が12歳のときにあったんです。
スガ:12歳でそんなこと考えるんだ、スゴいね。
山崎:稽古も大変だったんです。それこそ怒られて怒鳴られて「おまえの代わりなんていくらでもいる」って。僕はなにもできなかったんですがそれを乗り越えて、初めてお客様の前に立ってバーッと拍手をもらったときの感動が忘れられないというか。
スガ:なるほどねえ……。
山崎:始めはそれがきっかけみたいなところはありましたけどね。
スガ:そこから入っていったんだね。
スガ:これ俺もよく聴いてたなあ。
山崎:これも「98年と言えば」って言ってもいいぐらい、ずっと流れてました。
スガ:「98年と言えば」だねえ、聴いてたなあ。
山崎:ギターの伊藤さんが「いっくん」て呼ばれているじゃないですか。僕も子どものころから「いっくん」て呼ばれるんですよ。
スガ:なるほど、育三郎だから。
山崎:僕は「いっくん」て呼ばれる男性に会ったことがなくて。テレビで「いっくん」て呼ばれるじゃないですか、それにものすごく反応してました(笑)。
スガ:(笑)。
山崎:「いや、俺がいっくんなんだけど」と思いながら。
スガ:いやいやいや(笑)、べつにどっちも「いっくん」でいいでしょ!
山崎:(笑)。本当に90年代はヒット曲が多いというか、トップ10は全部歌えるみたいな。
スガ:たくさん100万枚が出てたからねえ、ちょっと見てて怖かったもん。こういう売れてる人たちが出せばバーン!ってすぐに100万枚売れるから「音楽ってこんなに売れるもんなの?」みたいな感じだったね。
山崎:スゴかったですよね。
スガ:どうするの?
山崎:やるしかないんですよ(笑)。
スガ:やるしかないけどさ(笑)、そりゃそうだろうけど。もちろんずっと絶好調でもっていけないわけじゃない?
山崎:そうですよね。
スガ:落ちる日もあるし「調子悪いな」とかさ。
山崎:3時間の舞台をときには2ステージのときもあるし、毎日「2000人が待ってる」と思って5か月すごすので、ちょっとアスリートみたいになります。規則正しい生活と同じリズムでやって。声の出し方とかもそのぶんすごく研究をするというか、やっぱりちゃんとした発声じゃないと1発でやられたりするんです。声の出し方もですが怪我をしないようにストレッチとかも。
スガ:そうなっちゃうと本当にアスリートだね。
山崎:その感覚があります、やっぱりミュージカルの役者は終演後に「よっしゃ、飲みに行くぞ」とかあんまりないんです。
スガ:そりゃそうだよね。
山崎:明日もあるので。しかも歌があるとそうはいかないので、わりとみんなストイックになっちゃいますね。たとえば市村正親さんは、『モーツァルト!』で僕のお父さん役で、ずっと一緒にやっているんですけど、誰よりもストイックなんです。誰よりも早く劇場入りして、サウナスーツとか着てずっとバレエの練習やストレッチをして汗だくになって温めて。
スガ:体を温めているんだ。
山崎:そういう先輩たちの姿勢をずっと見てきているので。
スガ:いやあ……すごいストイックな世界だなあ。
ミュージカルは基本的に毎回オーディションでキャストが決まるため、知名度や年齢は関係ないのだそう。自分を知らない海外スタッフに「役にハマるかどうか」をジャッジされるため、自然とストイックな生活を送るようになるので鍛えられるのだとか。
スガ:スゲーなあ……。じゃあ逆にオフの日なんてぶっ壊れちゃうんじゃないの?
山崎:どうなんですかね? 僕は基本的に自分のテンションの波がなくて、ずっとフラットな感じなんです。だからあんまり「オラー!」となったりもしないんです。でも大阪公演でずっと本番があって、ここがやっとオフだというときに、市村さんが「おいイク、明日ゴルフに行くぞ」って言うんですよ。「え? ゴルフですか……はい、行きましょう」って言うんですけど、もうね(笑)。タフすぎる先輩がいるので。
スガ:(笑)。
山崎:だってゴルフをしてそこに泊まって、次の日、早朝に起きてそのまま劇場に入って昼公演を一緒にやるっていう。
スガ:貴重なオフが(笑)。
山崎:それはそれで楽しいんですけどね。
スガは番組の最後にMBUXに「俺が頑張っている感じの曲」とリクエストして、12月4日に開催された『Hitori Sugar Tour 2020-セトリ再現ライブ‐Supported by J-WAVE Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』から、『アストライド』のライブ音源がオンエアされた。
【radikoで聴く】https://radiko.jp/share/?sid=FMJ&t=20201227214500(2021年1月3日28時59分まで)
12月31日(木)までは、「Hitori Sugar Tour」の過去秘蔵ライブ映像や撮り下ろしインタビュー、当日のドキュメンタリーなども観られる「プレミアムアーカイブ」が配信されている。
・「プレミアムアーカイブ」の詳細
http://www.sugashikao.jp/hitorisugar_2020sl/
山崎が主演を務めるミュージカル『モーツァルト!』が2021年4月8日(木)から5月6日(木)まで帝国劇場にて上演予定。その他の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
スガが空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。
12月27日(日)の放送では山崎育三郎と「1998年の東京」を空想ドライブ。ここでは、山崎が野球少年だった頃の話、変声期のこと、そしてスガが『夜空ノムコウ』の作詞について語った部分を紹介しよう。
野球少年からミュージカル俳優の道へ
スガと山崎は初対面。スガが「いつもテレビで観ている人が……」と語りかけると、「本当ですか? 僕も子どもの頃から見てきているので、恐縮します」と丁寧にトークは始まった。山崎は空想ドライブの地に「1998年の東京」をリクエスト。山崎が12歳のころで、東京は出身地だ。
山崎:港区の高輪で育ったんです。
スガ:へー!
山崎:そこが地元なんです。
スガ:そうなんだ。俺は高校生のときにずっと高輪でバイトしてたよ。
山崎:本当ですか?
スガ:お弁当の仕出し。
山崎:どのあたりですか? 泉岳寺のほうなのか、品川に近いのか。
スガ:泉岳寺のほう。
山崎:あのへんが地元なんです。
スガ:そうなんだ!
山崎:そのときは小学校6年生なんですが、実は僕がデビューをした年でもあるんです。小椋 佳さんが企画されたミュージカルの全国オーディションというのが当時あったんです。それにダメ元で受けたら合格して主演に選ばれたというのがデビューのきっかけになったんです。
スガ:重要な年だったんだね。
山崎:そうですね、ここからすべてが始まったという。
スガ:でも野球少年だったんでしょ?
山崎:そうなんですよ(笑)。
スガ:(笑)。
山崎:男4人きょうだいで、ミュージカルをやっているのでよく「女きょうだいがいそう」とか言われるんですけど、ゴリゴリの体育会系で育ったんです。みんな野球をやっていて、弟は甲子園を目指して高校までやっていたぐらいなので。僕だけ小学校3年生のときから歌を習っていて、その音楽教室の先生から「ミュージカルのオーディションがあるんだけど、チャレンジしてみないか?」という流れだったんです。
ちなみに山崎の野球の実力は、全国大会でベスト8入りするほどなのだとか。
スガ:なにをやらせてもいけるね!?
山崎:そうなんです(笑)。あはは。
スガ:スゴいね! ちょっとイラっとしてきたわ(笑)。
山崎:ははは(笑)! いちおう、西武球場でピッチャーで投げたんですよ。
スガ:え、ピッチャーだったの? スゲーなあ、なるほど。
山崎:それで監督から「おまえは野球とミュージカルどっちをとるんだ、どっちかにしろ」って言われて、中学からは「ミュージカルの道に行きます」って泣く泣くやめたんです。
スガ:その流れだと普通、野球だよね、監督も「野球って言うだろうな」ってね。
山崎:ただオーディション決まっちゃって、全国ツアーみたいなので主演になったので、もうそれは覚悟を決めようと。
スガ:なかなかすごい1998年ですね。
『夜空ノムコウ』作詞の秘話
山崎が空想ドライブの1曲目に選んだのはスガが作詞をしたSMAPの『夜空ノムコウ』。山崎もよく聴き、歌っていたのだそう。スガは作詞時のエピソードを明かした。山崎:本当に好きなんですよ。ずっと聴いていたし当たり前のように流れていた楽曲なので、98年を思い返すとやっぱり『夜空ノムコウ』なんです。
スガ:これが出たのは98年の1月なんだよね。ちょうど97年の夏から秋ぐらいにかけて作ってた。
山崎:これはSMAPのみなさんのことを想ってとか、どんなイメージだったんですか?
スガ:俺が人に曲を書いたりするときに、その人の明るい部分というよりは「影の部分」にスポットを当てるクセがあって。たぶんSMAPの当時の影の部分に俺のスポットが勝手に当たっちゃったんだと思う。
山崎:なるほど……。
スガ:だからちょっと、ほかのSMAPの曲にくらべるとちょっとダーク?なのは、俺の作詞グセなんだと思う。
山崎:確かに、SMAPのメンバーのみなさんがいつもと違う表情をしているイメージがあります、これを歌うときの顔や想いの乗せ方が。すごいな、そんなエピソードだったんですね。
スガ:そうそう。
山崎:これはもうずっと聴いてました。
スガ:ありがとうございます。
山崎:歌ってハモってました。
スガ:(笑)。
スガ、ブラビ&モー娘。と「アジア音楽祭」へ行ったら…
スガが選んだ98年の思い出の曲は、ブラック・ビスケッツの『Timing ~タイミング~』。当時、大変な思いをしたのだそう。スガ:僕が98年の思い出に残っている曲は、ブラック・ビスケッツ『Timing ~タイミング~』っていう曲なんだけど。
山崎:おお、懐かしい~!
スガ:懐かしいでしょ? 当時「アジア音楽祭」というのがあって、アジアからいっぱいアーティストが集まって、音楽の祭典をやるというのがあったのね。それにどういうわけか知らないけど、ブラック・ビスケッツとモーニング娘。と俺が選ばれたの。3組で上海に乗り込んでいって「アジア音楽祭」に出たんだよね。
山崎:えー!
スガ:どういう基準で俺が選ばれたのかなにもわからないんだけど(笑)。
山崎:(笑)。
スガ:機材はスゲー最新の機材なんだけど、向こうのスタッフが誰も使い方がわからないわけ。しっちゃかめっちゃかで、本当にメチャクチャなのよ。
山崎:PAとかバランスが。
スガ:バランスとかもメチャクチャで。それでなんか、俺は途中で嫌になってリハーサルを逃げたんだよね。そうしたらスッゲーみんなに白い目で見られて「あいつリハーサル逃げたぞ」みたいな(笑)。だってリハーサルやってもしょうがないんだもん。
山崎:(笑)。
スガ:そういうのが実はあって。そのときに歌ってたブラック・ビスケッツのこの曲が思い出に残ってる。
山崎:ビビアン(・スー)はかわいかったですよね。振付もあって俺もやってました。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)ですよね。
スガ:そうそうそう!
山崎:(番組内で)対決をしていたんですよね。
スガ:ポケビ(ポケット・ビスケッツ)とブラビだよ。
山崎:そうだ。僕はブラビ派だった気がします。
スガ:俺もそうだったんだよね(笑)。
山崎:(笑)。
変声期が自身をリセットするきっかけに
1998年はどのような年だったのか、スガは「Hi, Mercedes」と話しかけるだけで起動する対話型インフォテイメント・システム「MBUX」に尋ねた。MBUX:1998年は長野オリンピックが開催された年です。ジャンプ競技での「日の丸飛行隊」をはじめとすると日本選手の活躍に列島が歓喜の声に包まれました。夏になるとフランスで「FIFAワールドカップ」が開催され、初出場となる日本代表の中継3試合ではすべて50パーセントを超える高視聴率を記録しています。映画ではレオナルド・ディカプリオ主演作『タイタニック』、織田裕二主演作の『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大ヒットを記録。そして女性お笑いコンビ、パイレーツの「だっちゅーの」、政治家・田中眞紀子の「凡人・軍人・変人」などが流行語大賞に輝いています。
スガ:ものすごい懐かしい話ばっかりだね。
ここで番組では、山崎の紹介でKiroroの『長い間』をオンエアした。
スガ:はー懐かしい! 久しぶりにこの曲聴いたな。98年、確かにそうだね。
山崎:これ、Kiroroさんのメジャーデビューのシングルなんですね。
スガ:うんうん。
山崎:僕がデビューした98年はまだ子どもだったので、変声期前のボーイソプラノですごく声が高かったんですよ。それでこの曲をこのキーのままカラオケで必ず歌って。
スガ:いけたんだ、へー。
山崎:気持ちよく歌えて。いつもこれを選んでいた記憶がありますね。
スガ:でもさ、そこから変声期でガーン!と声が変わるじゃない。
山崎:いやあ、もうショックでした。
スガ:ちょっと恐怖でしょ?
山崎:とんでもない落ち込み方するんですよ。僕は実は遅くて、中3で声変わりしたんです。上の音が当たらなくなってきて、ちょっとずつ下がってきて、そうしたら今度は下の音が広がっていかないんですよ。
スガ:狭くなる一方なんだ。
山崎:どんどん狭くなっていって。
スガ:うわ、怖っ。
山崎:1オクターブぐらいになっちゃって。
スガ:それ、歌にならないじゃん。
山崎:なにも歌えなくなっちゃったんですよ。それこそ自分が主演をやっていた作品のオーディションに落ちたんです。
スガ:声も届かないし。
山崎:なにを受けても受からない時期に入っちゃって、ものすごく落ち込んで。「もうだめだ」と思っていたときに、あるクラシックの先生との出会いがあって「ミュージカルをやりたいんであれば、声楽を勉強しておけば絶対にプラスになるからやってみないか」ということで中3からクラシックの勉強を始めたんです。それで声楽で音大に行くことを決めて、そこで1回全部やめたんです。仕事というか事務所もやめて活動も全部ストップして、1回ちゃんと勉強をする時間を作ろうと。
スガ:そこでリセットしたんだね。
山崎:そうなんです。
スガ:そのきっかけが変声期というのはなんかすごいね。だって早い子だったら、変声期ってもっと早くくるじゃん。
山崎:早ければ(小学校)5年生でくる子もいます。
スガ:中1とかでだいたいみんなくるけど、それだったらちょっとまた人生変わっていたかもしれないね。
人見知りを直すために習い始めた歌
スガは2012年の8月に上演された、森山未來がメインキャストを務めたロックミュージカル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の訳詞を担当した。それまではミュージカルに興味を持ってこなかったというスガは、山崎がなぜ12歳でその道に進む判断をしたのかを問いかけた。スガ:12歳のときにオーディションを受けてミュージカルをやろうと思うっていうのは、どういうきっかけだったの?
山崎:僕は野球をやっていたんですけど、人前が嫌いで人見知りが激しかったんです、喋らないし。それで母親がそれを気にしていて「なにかこの子に自信をつけたい」という想いがあったりしたんです。母親はギターを弾いたりピアノ弾いたり歌うことが好きで、それでミュージカルを家族で観に行く機会があったんです。それで帰ってから僕がその歌を1人で自分の部屋で歌ってて、それを聴いた母親が「音程がしっかりしていて声もきれいだ」と。
スガ:へー!
山崎:「そうだ、もしかしたらこの子に歌をやらせたら自分に自信を持つかもしれない」というので、僕を音楽教室に連れていったんです。
スガ:それは歌の音楽教室。
山崎:はい。そこで童謡を歌ったりして、全国童謡コンクールで審査員賞をいただいたりしたんです。「かーらーすーなぜなくのー♪」って歌ったんです。ちょっとずつ「歌うことは特別なものだ」みたいなのがあって。ただ歌手として、自分として歌うというのはやっぱり恥ずかしいんです。
スガ:そうなんだ。
山崎:そうなんです。その「恥ずかしい自分」はまだそこにいて。でもミュージカルで自分ではなくて役として歌ったりお芝居をした瞬間が、なにかを開放した瞬間だったんです。けっこう役者さんでシャイな方が多かったりする理由がそこにあると思っているんです。
スガ:「俺は役をやっているんだ」と。
山崎:そうです、自分じゃないんだと。そういうところで歌ったときにバンッと歌えたことがすごく快感で「自分の居場所はここだ」みたいなのが、ミュージカルがどうこうというよりは「役として歌う」というのにすごくシビれた瞬間が12歳のときにあったんです。
スガ:12歳でそんなこと考えるんだ、スゴいね。
山崎:稽古も大変だったんです。それこそ怒られて怒鳴られて「おまえの代わりなんていくらでもいる」って。僕はなにもできなかったんですがそれを乗り越えて、初めてお客様の前に立ってバーッと拍手をもらったときの感動が忘れられないというか。
スガ:なるほどねえ……。
山崎:始めはそれがきっかけみたいなところはありましたけどね。
スガ:そこから入っていったんだね。
「いっくん」は誰のもの?
山崎は1998年の空想ドライブの曲の最後にEvery Little Thingの『Time Goes By』をセレクト。ELTのギター・伊藤一朗とのある共通点について語った。スガ:これ俺もよく聴いてたなあ。
山崎:これも「98年と言えば」って言ってもいいぐらい、ずっと流れてました。
スガ:「98年と言えば」だねえ、聴いてたなあ。
山崎:ギターの伊藤さんが「いっくん」て呼ばれているじゃないですか。僕も子どものころから「いっくん」て呼ばれるんですよ。
スガ:なるほど、育三郎だから。
山崎:僕は「いっくん」て呼ばれる男性に会ったことがなくて。テレビで「いっくん」て呼ばれるじゃないですか、それにものすごく反応してました(笑)。
スガ:(笑)。
山崎:「いや、俺がいっくんなんだけど」と思いながら。
スガ:いやいやいや(笑)、べつにどっちも「いっくん」でいいでしょ!
山崎:(笑)。本当に90年代はヒット曲が多いというか、トップ10は全部歌えるみたいな。
スガ:たくさん100万枚が出てたからねえ、ちょっと見てて怖かったもん。こういう売れてる人たちが出せばバーン!ってすぐに100万枚売れるから「音楽ってこんなに売れるもんなの?」みたいな感じだったね。
山崎:スゴかったですよね。
ストイックな日々
山崎も出演した『レ・ミゼラブル』。公演期間は5か月で、2回公演の日もありながらハードな日程をこなしていくという。そこにはおのずとストイックな自己管理が求められるそう。スガ:どうするの?
山崎:やるしかないんですよ(笑)。
スガ:やるしかないけどさ(笑)、そりゃそうだろうけど。もちろんずっと絶好調でもっていけないわけじゃない?
山崎:そうですよね。
スガ:落ちる日もあるし「調子悪いな」とかさ。
山崎:3時間の舞台をときには2ステージのときもあるし、毎日「2000人が待ってる」と思って5か月すごすので、ちょっとアスリートみたいになります。規則正しい生活と同じリズムでやって。声の出し方とかもそのぶんすごく研究をするというか、やっぱりちゃんとした発声じゃないと1発でやられたりするんです。声の出し方もですが怪我をしないようにストレッチとかも。
スガ:そうなっちゃうと本当にアスリートだね。
山崎:その感覚があります、やっぱりミュージカルの役者は終演後に「よっしゃ、飲みに行くぞ」とかあんまりないんです。
スガ:そりゃそうだよね。
山崎:明日もあるので。しかも歌があるとそうはいかないので、わりとみんなストイックになっちゃいますね。たとえば市村正親さんは、『モーツァルト!』で僕のお父さん役で、ずっと一緒にやっているんですけど、誰よりもストイックなんです。誰よりも早く劇場入りして、サウナスーツとか着てずっとバレエの練習やストレッチをして汗だくになって温めて。
スガ:体を温めているんだ。
山崎:そういう先輩たちの姿勢をずっと見てきているので。
スガ:いやあ……すごいストイックな世界だなあ。
ミュージカルは基本的に毎回オーディションでキャストが決まるため、知名度や年齢は関係ないのだそう。自分を知らない海外スタッフに「役にハマるかどうか」をジャッジされるため、自然とストイックな生活を送るようになるので鍛えられるのだとか。
スガ:スゲーなあ……。じゃあ逆にオフの日なんてぶっ壊れちゃうんじゃないの?
山崎:どうなんですかね? 僕は基本的に自分のテンションの波がなくて、ずっとフラットな感じなんです。だからあんまり「オラー!」となったりもしないんです。でも大阪公演でずっと本番があって、ここがやっとオフだというときに、市村さんが「おいイク、明日ゴルフに行くぞ」って言うんですよ。「え? ゴルフですか……はい、行きましょう」って言うんですけど、もうね(笑)。タフすぎる先輩がいるので。
スガ:(笑)。
山崎:だってゴルフをしてそこに泊まって、次の日、早朝に起きてそのまま劇場に入って昼公演を一緒にやるっていう。
スガ:貴重なオフが(笑)。
山崎:それはそれで楽しいんですけどね。
スガは番組の最後にMBUXに「俺が頑張っている感じの曲」とリクエストして、12月4日に開催された『Hitori Sugar Tour 2020-セトリ再現ライブ‐Supported by J-WAVE Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』から、『アストライド』のライブ音源がオンエアされた。
【radikoで聴く】https://radiko.jp/share/?sid=FMJ&t=20201227214500(2021年1月3日28時59分まで)
12月31日(木)までは、「Hitori Sugar Tour」の過去秘蔵ライブ映像や撮り下ろしインタビュー、当日のドキュメンタリーなども観られる「プレミアムアーカイブ」が配信されている。
・「プレミアムアーカイブ」の詳細
http://www.sugashikao.jp/hitorisugar_2020sl/
山崎が主演を務めるミュージカル『モーツァルト!』が2021年4月8日(木)から5月6日(木)まで帝国劇場にて上演予定。その他の最新情報は、公式サイトまたは、Twitterまで。
スガが空想ドライブをナビゲートする『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』のオンエアは、毎週日曜21時から。
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2021年1月3日28時59分まで
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番組情報
- Mercedes-Benz THE EXPERIENCE
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毎週日曜21:00-21:54
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スガシカオ