J-WAVEがいま注目するさまざまなトピックをお届けする日曜夜の番組『J-WAVE SELECTION』。毎月第3日曜は、震災復興プログラム『Hitachi Systems HEART TO HEART』(ナビゲーター:GAKU-MC)をお届けしている。
4月19日(日)のオンエアでは、4月からこの番組のナビゲーターを務めるラッパーのGAKU-MCが、ゲストの湘南乃風のメンバー・若旦那ことミュージシャンの新羅慎二とともに、震災の経験をどう生かすべきかを考えた。
■復興支援はもうひとつの職業
新羅は、災害復興を支援する活動「LOVE FOR HAITI」「LOVE FOR NIPPON」などを続けている。活動を続ける理由を「いっぱい考えた結果」だと話す。
新羅:復興支援をやるなかで、意義や取り組み方、それをやっている理由は日々変化します。僕は東北の震災だけでなく、その前から難病支援やハイチ地震などの支援もおこなってきました。それをやっていくなかで「なぜ自分はそれをやっているのか?」と自問自答し、いま自分はその答えを「復興支援がもうひとつの職業だから」だとしています。ミュージシャンは歌を作って、それを発表して、音楽で経済活動をする。そして、音楽で社会に貢献していく経済基盤ではないカタチで音楽を届けるのも、ミュージシャンとしてのひとつの仕事なのだと思います。
GAKU-MC:確かに。影響力などを清く正しく使っていくのも大事なことですよね。
■津波が来たら逃げろ。逃げた結果、何でもなかったらそれでいい
GAKU-MCは今回、東日本大震災の被災地であり、昨年10月に台風19号で大きな被害を出し、再び被災地となった福島県いわき市を取材した。昨年の台風19号による夏井川の氾濫で浸水した、いわき市小川町高萩で衣料品販売店を営んでいた碇川 寛さんに話を訊いた。
台風が直撃する直前、碇川さんの近所に住んでいた高齢の夫婦が避難をためらっていたという。しかし、碇川さんは反対を押し切ってふたりを避難所に移動させ、命を救った。碇川さんの生まれ故郷は、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた岩手県上閉伊郡大槌町。震災後に変わり果てた故郷での経験が碇川さんを突き動かした。
碇川:私は東日本大震災の発生から2、3週間経ってから、故郷の大槌町に行ってみました。言葉には表せない酷いものでした。自分の実家がどこにあるかわからなかった。
目印となる電柱や建物は流され、残ったのは建物の基礎だけだったという。
碇川:(あまりの状況に)手の施しようがなく、自分に何ができるだろうと考えても、検討がつきませんでした。癒すような言葉が浮かんでも、逆にとんでもないように解釈されるかもしれない。だから、ただただ通りすがりの人に頭を下げるだけでした。
碇川さんは岩手県釜石に伝わる「津波てんでんこ」という言葉を教えてくれた。この言葉は、「津波が起きたら、てんでばらばらに一刻も早く非難して自分の命を守れ」という意味が込められている。
碇川:津波が来たら早く逃げろ。逃げた結果、何でもなかったらそれでいい。とにかく逃げることが、悲惨な事故を起こらないようにするひとつの方法です。昨年の台風19号のときも、そういう気持ちがありました。だから、高齢者夫婦に「大丈夫です」と言われたけど、「まず逃げましょう」「逃げた結果、何ともなかったらそれでいいから」と伝えました。
■まさかの事態が起こる前に、日頃からできることを
碇川さんの話を聞いた新羅は、碇川さんと同時期に東日本大震災の被災地を訪れた、と話す。
新羅:当時の被災地は目印も何もなく、こんなところに船が転がっているんだとか、そこに1本だけ桜が咲いていた光景は、今でも頭から離れないですね。それを思い出しました。そして碇川さんの「とにかく逃げろ。逃げて何もなければいい」という言葉は、僕も大事にしている言葉です。本当に苦しいことがあったときは、「逃げるな」と世の中の人はよく言うけれど、「逃げてもいいんだよ」っていう隙間を与えてあげることが大切なんです。震災だけではなく、自分が壊れる前にとにかく逃げろって。
GAKU-MC:身体、命が一番大事だってことですよね。
新羅:そう、それは震災の逃げるっていうことと、人生でどうしようもなくなったときに逃げるっていうことが、いろんな経験で重なり合うものだからだと思います。
GAKU-MC:碇川さんは、いろいろな経験がアドバイスに繋がったんですね。
新羅:その経験をまた誰かに伝えて、繋いでほしいですよね。
そして新羅は、まさかの事態が起こったときは、日頃から自分のいるポジションを捉えることが重要、だと語る。
新羅:自分はどういう地形のなかで生きているのか、何かあったときに家族と大事な人たちとどこで会うか、自分がどういう行動を取るべきなのかイメージをしています。
また、今までは見過ごしていた、街の掲示板も意識して見るようになったという。
新羅:掲示板を見るようになったら、災害時のガイドラインなどが貼ってあって「大事なことが書いてあるんだな」って。
GAKU-MC:その意識は、いろいろなところで復興支援をされてきて、情報発信の大切さを自身の肌で感じたからですよね。
新羅:そうですね。あとは、なるべくボランティアに参加することも重要です。そうすると、いろんなパターンの災害があると勉強になります。被災地で、「ありがとう」と言われるけど「僕らの街で何かあったら来てね」と返します。助け合って行こうねって。そうやってなるべく助けてもらえる環境づくりや勉強を今のうちからしています。
GAKU-MC:東日本大震災のときに僕は被災したわけではないけど、そこでお互いに手を取り合って復興支援をしたことで、次に自分たちの身に何か起こったときの予備動作になりますよね。
新羅:当時は何もわからなかったけど、たとえば避難所の1か月後、半年後にどうなっているかがわかるから、次の打つ手も考えられる。だから、前よりも災害に対する勉強はしているんじゃないかなと思います。
■「誰かの悲しみを救えたって思えると、自分も救われた気になる」
新羅は東日本大震災の復興支援を通して、ギターを弾くようになったと明かした。
新羅:復興支援をするために、電力が使えないなかで、BRAHMANのTOSHI-LOWくんといった、ギターを手にしたミュージシャンがいました。僕は全くギターができないけど被災地に持って行って弾いたら、「ギターできないんだ」って言われて、曲の途中でみんなが去って最後はひとりぼっちになっちゃったんだけど(笑)。あの日以来、弾き続けて今ではフォークミュージックをやっています。それが由来で、本名の新羅慎二でも活動するようになりました。GAKUくんも似たような感じじゃないですか?
GAKU-MC:僕もこの震災をきっかけに、自粛ムードで何ができるかをいろいろと考えて行動して。
新羅:あのときは何かスイッチ入ったでしょ。
GAKU-MC:人と人って職業も生まれたところも違うから、どうやって繋がっていけばいいか、特にミュージシャンとお客さんじゃなかったらどうしたらいいんだろうって思っていたけど、全然そんなことはないってあの日が教えてくれたのかなと思います。
新羅は「不謹慎かもしれない」と前置きしつつ、「被災地を訪れると歌が生まれる」と言う。
新羅:東京にずっといたんじゃ、全然歌が生まれないというか。被災地の人たちと出会うと、どうしても歌を作りたくなるんです。この人たちの歌を歌いたくなるっていうか。どうしようもない悲しみを自分はもらいに行っているような感じなんです。それを歌にして、誰かが感動したって言ってくれるまでのプロセスって自分で感じてしまうじゃないですか。誰かの悲しみを救えたって思えると自分も救われた気になる。
被災地を訪れると、自分がなぜ音楽をやっているのか、なぜ被災地を訪れるのか、なぜミュージシャンをやっているのか、そういうものが全て腑に落ちるという。
新羅:だから、言っていいことなのかわからないけど、被災地は現場って感じがするんです。さっき、復興支援はもうひとつの職業と言ったけど、ミュージシャンとかジャーナリストとか表現者は、被災地に関わらないといけない職業なんだなと僕は今感じています。
GAKU-MC:すごくよくわかります。
新羅:被災地に行った人じゃないとわからないかもしれないけど。
GAKU-MC:直接的に音楽で貢献できるところもあれば、そうじゃない場面もあるけれど、人足として役に立てることもありますからね。そういう意味では被災地に行って、必要なこと、できることを清く正しくやっていくことですね。それを続けていくうちに、何か違うチャンネルにスイッチが入ることもあると思います。
番組では他にも、東日本大震災当時小学生だった高校生たちがSNSで自然発生的に集まり、被災直後の街で行ったボランティアや、被災した幼稚園を街の防災拠点としようと立ち上がった園長を取材する場面もあった。
ナビゲーターとして第1回目の放送を終えたGAKU-MCは「これからもみなさんにとって何か貢献できることを探し続けながら、番組を進めていきたい」と意気込みを語った。
【この記事の放送回をradikoで聴く】(2020年4月26日28時59分まで)
PC・スマホアプリ「radiko.jpプレミアム」(有料)なら、日本全国どこにいてもJ-WAVEが楽しめます。番組放送後1週間は「radiko.jpタイムフリー」機能で聴き直せます。
【番組情報】
番組名:『Hitachi Systems HEART TO HEART』
放送日時:毎月第3日曜 22時-22時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/special/hearttoheart/
4月19日(日)のオンエアでは、4月からこの番組のナビゲーターを務めるラッパーのGAKU-MCが、ゲストの湘南乃風のメンバー・若旦那ことミュージシャンの新羅慎二とともに、震災の経験をどう生かすべきかを考えた。
■復興支援はもうひとつの職業
新羅は、災害復興を支援する活動「LOVE FOR HAITI」「LOVE FOR NIPPON」などを続けている。活動を続ける理由を「いっぱい考えた結果」だと話す。
新羅:復興支援をやるなかで、意義や取り組み方、それをやっている理由は日々変化します。僕は東北の震災だけでなく、その前から難病支援やハイチ地震などの支援もおこなってきました。それをやっていくなかで「なぜ自分はそれをやっているのか?」と自問自答し、いま自分はその答えを「復興支援がもうひとつの職業だから」だとしています。ミュージシャンは歌を作って、それを発表して、音楽で経済活動をする。そして、音楽で社会に貢献していく経済基盤ではないカタチで音楽を届けるのも、ミュージシャンとしてのひとつの仕事なのだと思います。
GAKU-MC:確かに。影響力などを清く正しく使っていくのも大事なことですよね。
■津波が来たら逃げろ。逃げた結果、何でもなかったらそれでいい
GAKU-MCは今回、東日本大震災の被災地であり、昨年10月に台風19号で大きな被害を出し、再び被災地となった福島県いわき市を取材した。昨年の台風19号による夏井川の氾濫で浸水した、いわき市小川町高萩で衣料品販売店を営んでいた碇川 寛さんに話を訊いた。
台風が直撃する直前、碇川さんの近所に住んでいた高齢の夫婦が避難をためらっていたという。しかし、碇川さんは反対を押し切ってふたりを避難所に移動させ、命を救った。碇川さんの生まれ故郷は、東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた岩手県上閉伊郡大槌町。震災後に変わり果てた故郷での経験が碇川さんを突き動かした。
碇川:私は東日本大震災の発生から2、3週間経ってから、故郷の大槌町に行ってみました。言葉には表せない酷いものでした。自分の実家がどこにあるかわからなかった。
目印となる電柱や建物は流され、残ったのは建物の基礎だけだったという。
碇川:(あまりの状況に)手の施しようがなく、自分に何ができるだろうと考えても、検討がつきませんでした。癒すような言葉が浮かんでも、逆にとんでもないように解釈されるかもしれない。だから、ただただ通りすがりの人に頭を下げるだけでした。
碇川さんは岩手県釜石に伝わる「津波てんでんこ」という言葉を教えてくれた。この言葉は、「津波が起きたら、てんでばらばらに一刻も早く非難して自分の命を守れ」という意味が込められている。
碇川:津波が来たら早く逃げろ。逃げた結果、何でもなかったらそれでいい。とにかく逃げることが、悲惨な事故を起こらないようにするひとつの方法です。昨年の台風19号のときも、そういう気持ちがありました。だから、高齢者夫婦に「大丈夫です」と言われたけど、「まず逃げましょう」「逃げた結果、何ともなかったらそれでいいから」と伝えました。
■まさかの事態が起こる前に、日頃からできることを
碇川さんの話を聞いた新羅は、碇川さんと同時期に東日本大震災の被災地を訪れた、と話す。
新羅:当時の被災地は目印も何もなく、こんなところに船が転がっているんだとか、そこに1本だけ桜が咲いていた光景は、今でも頭から離れないですね。それを思い出しました。そして碇川さんの「とにかく逃げろ。逃げて何もなければいい」という言葉は、僕も大事にしている言葉です。本当に苦しいことがあったときは、「逃げるな」と世の中の人はよく言うけれど、「逃げてもいいんだよ」っていう隙間を与えてあげることが大切なんです。震災だけではなく、自分が壊れる前にとにかく逃げろって。
GAKU-MC:身体、命が一番大事だってことですよね。
新羅:そう、それは震災の逃げるっていうことと、人生でどうしようもなくなったときに逃げるっていうことが、いろんな経験で重なり合うものだからだと思います。
GAKU-MC:碇川さんは、いろいろな経験がアドバイスに繋がったんですね。
新羅:その経験をまた誰かに伝えて、繋いでほしいですよね。
そして新羅は、まさかの事態が起こったときは、日頃から自分のいるポジションを捉えることが重要、だと語る。
新羅:自分はどういう地形のなかで生きているのか、何かあったときに家族と大事な人たちとどこで会うか、自分がどういう行動を取るべきなのかイメージをしています。
また、今までは見過ごしていた、街の掲示板も意識して見るようになったという。
新羅:掲示板を見るようになったら、災害時のガイドラインなどが貼ってあって「大事なことが書いてあるんだな」って。
GAKU-MC:その意識は、いろいろなところで復興支援をされてきて、情報発信の大切さを自身の肌で感じたからですよね。
新羅:そうですね。あとは、なるべくボランティアに参加することも重要です。そうすると、いろんなパターンの災害があると勉強になります。被災地で、「ありがとう」と言われるけど「僕らの街で何かあったら来てね」と返します。助け合って行こうねって。そうやってなるべく助けてもらえる環境づくりや勉強を今のうちからしています。
GAKU-MC:東日本大震災のときに僕は被災したわけではないけど、そこでお互いに手を取り合って復興支援をしたことで、次に自分たちの身に何か起こったときの予備動作になりますよね。
新羅:当時は何もわからなかったけど、たとえば避難所の1か月後、半年後にどうなっているかがわかるから、次の打つ手も考えられる。だから、前よりも災害に対する勉強はしているんじゃないかなと思います。
■「誰かの悲しみを救えたって思えると、自分も救われた気になる」
新羅は東日本大震災の復興支援を通して、ギターを弾くようになったと明かした。
新羅:復興支援をするために、電力が使えないなかで、BRAHMANのTOSHI-LOWくんといった、ギターを手にしたミュージシャンがいました。僕は全くギターができないけど被災地に持って行って弾いたら、「ギターできないんだ」って言われて、曲の途中でみんなが去って最後はひとりぼっちになっちゃったんだけど(笑)。あの日以来、弾き続けて今ではフォークミュージックをやっています。それが由来で、本名の新羅慎二でも活動するようになりました。GAKUくんも似たような感じじゃないですか?
GAKU-MC:僕もこの震災をきっかけに、自粛ムードで何ができるかをいろいろと考えて行動して。
新羅:あのときは何かスイッチ入ったでしょ。
GAKU-MC:人と人って職業も生まれたところも違うから、どうやって繋がっていけばいいか、特にミュージシャンとお客さんじゃなかったらどうしたらいいんだろうって思っていたけど、全然そんなことはないってあの日が教えてくれたのかなと思います。
新羅は「不謹慎かもしれない」と前置きしつつ、「被災地を訪れると歌が生まれる」と言う。
新羅:東京にずっといたんじゃ、全然歌が生まれないというか。被災地の人たちと出会うと、どうしても歌を作りたくなるんです。この人たちの歌を歌いたくなるっていうか。どうしようもない悲しみを自分はもらいに行っているような感じなんです。それを歌にして、誰かが感動したって言ってくれるまでのプロセスって自分で感じてしまうじゃないですか。誰かの悲しみを救えたって思えると自分も救われた気になる。
被災地を訪れると、自分がなぜ音楽をやっているのか、なぜ被災地を訪れるのか、なぜミュージシャンをやっているのか、そういうものが全て腑に落ちるという。
新羅:だから、言っていいことなのかわからないけど、被災地は現場って感じがするんです。さっき、復興支援はもうひとつの職業と言ったけど、ミュージシャンとかジャーナリストとか表現者は、被災地に関わらないといけない職業なんだなと僕は今感じています。
GAKU-MC:すごくよくわかります。
新羅:被災地に行った人じゃないとわからないかもしれないけど。
GAKU-MC:直接的に音楽で貢献できるところもあれば、そうじゃない場面もあるけれど、人足として役に立てることもありますからね。そういう意味では被災地に行って、必要なこと、できることを清く正しくやっていくことですね。それを続けていくうちに、何か違うチャンネルにスイッチが入ることもあると思います。
番組では他にも、東日本大震災当時小学生だった高校生たちがSNSで自然発生的に集まり、被災直後の街で行ったボランティアや、被災した幼稚園を街の防災拠点としようと立ち上がった園長を取材する場面もあった。
ナビゲーターとして第1回目の放送を終えたGAKU-MCは「これからもみなさんにとって何か貢献できることを探し続けながら、番組を進めていきたい」と意気込みを語った。
【この記事の放送回をradikoで聴く】(2020年4月26日28時59分まで)
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【番組情報】
番組名:『Hitachi Systems HEART TO HEART』
放送日時:毎月第3日曜 22時-22時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/special/hearttoheart/
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