J-WAVEで放送中の番組『SUNRISE FUNRISE』(ナビゲーター:レイチェル・チャン)のワンコーナー「FUTURE DESIGNERS」。10月28日(日)のオンエアでは、大江千里さんをお迎えして、ジャズミュージシャンとして活動を始めた経緯をお訊きしました。
大江さんは、関西学院大学在学中の1983年に、シンガーソングライターとしてデビュー。『十人十色』『格好悪いふられ方』『Rain』など数々のヒット曲を生み出しました。2008年、47歳の時にジャズミュージシャンを目指して渡米しました。
大江:15歳の時にジャズと出会って、ジャズボーカルのクリス・コナーの中古のアルバムをジャケ買いして、立て続けにアントニオ・カルロス・ジョビン、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、ウィントン・ケリーと、今までに聞いたことがないような世界がその中にあって、ジャズの理論の本を買って勉強してました。当時は、シンガーソングライターになりたいという夢もあったんですけど、ジャズにどんどんのめりこんでいきました。
■ジャズへの気持ちは心にしまって
大江:デビューが決まって、そろそろアルバムを出すという頃になると、ジャズは一度タンスにしまい込むような感じでしたね。だけど、ポップスでデビューしてどんどん加速して、作ってはコンサートをやって……という繰り返しで、楽しいけれど気の抜けない、いつも気を張った状態だったんです。
レイチェル:なるほど。
大江:実は90年代ぐらいに、4年間ほどニューヨークにアパートを借りていた時期があって、「The New School for Jazz and Contemporary Music」の前を通る時に、サクソフォンを抱えた学生とすれ違い、いつかここで学びたいという思いがあったことをある日思い出したんです。そこで、インターネットで検索したら海外から受験できることとが分かって、僕のジャズの先生に相談したら「手伝ってあげるよ。デモテープを作ろうよ」と言ってくださって。そこから一生懸命作って、自己PRの文章を英語で書いて送ったら“合格”したんです。
レイチェル:へぇー!
大江:事務所にも「ジャズへの門が少し開いたから、行きたいんだ」と言ったら、マネージャーが「そうですか! じゃあ、事務所をやめる手続きを取っておきます。このオフィスから家に帰る途中からは、ジャズの未来のことだけを考えて、全部のエネルギーをそっちに向けてくださいね。Good luck!」みたいな感じだったんです。
レイチェル:素敵なマネージャーさんですね。
大江さんは、マネージャーから引き留められると思っていたため、応援してくれたことを意外に思ったそう。
大江:ジャズをやってる友達を呼び出して合格したことを言ったら、グラスのシャンパンを2つ持ってきて「Good luck!」って。それで、もう戻れなくなっちゃって(笑)。
■まわりはみんな若くて…
レイチェル:「The New School for Jazz and Contemporary Music」の生徒の世代は幅広いですか?
大江:同期が47人ぐらいで、僕以外はほぼ全員が20歳です。最初は自分が心を閉ざしていたと思うし、肩に力が入っていたと思うけど、ジャズを演奏するうちに、そういうのはあまり関係なくなってきて。4年半かかったけど、最後のほうは僕が発表会とかでステージに立つと、友達がいっぱい応援してくれて、演奏が終わったあと「男だね!」って言ってくれて。
レイチェル:素敵!
大江:卒業式の時には、80歳を越えた親父が来てくれました。僕がアメリカにチャレンジすることを言った時に、親父は気管をとっているから器具を使ってしゃべるんだけど「最初のチャプターの人生で、やるだけやったんだから、もういいだろう。次に行って来い!」って言われて、親父とのそんなに近くなかった距離を、ジャズがくっつけてくれたんです。
■ハグされたのがきっかけで
9月にはデビュー35周年を記念したアルバム『Boys & Girls』発売しました。ポップス時代の曲を、ピアノでカバーしたアルバムです。
レイチェル:やっぱり向き合い方が違いますよね。
大江:インストであるということ。ジャズになっているということ。2つを融合させて作ったわけではないので、自分が作ったポップスの曲をモチーフにして、ジャズのスタンダードに翻訳しようという姿勢で作りました。
レイチェル:ちょっと俯瞰した目で作ったわけですね。そもそも、過去のヒットソングをアレンジしてみようと思ったのはなぜ?
大江:アメリカでコンサートをやった時に、『Rain』をアンコールで原曲のまま演奏したことがあって、それを聴いていたアメリカの方がやってきて、僕を抱きしめて「アメイジング!」って言いながら「詞をつけて、誰か歌わせたほうがいいよ!」って。僕は「ありがとう」って言いながらも、心の中では「もう歌詞が付いとるわ!」と思って(笑)。
レイチェル:確かに!
大江:「これは面白いなぁ。新鮮に聞こえてるのか」と思って、それだったら自分で作った曲を自分でピアノにするのは面白いなと思ったんです。
大江さんは、現在はニューヨークのジャズクラブ「Tomi Jazz」で毎月最終週の木曜に演奏しているほか、アメリカ各地を訪れています。最後に今後の展望をお訊きしました。
大江:今、世界中で一つの放送を聞いたり、ニュースが伝わったりするから、そういうことをうまく音楽に生かして、空はボーダレスで繋がってるという意識になっていくといいなと思います。
今後の活躍からも目が離せませんね。
【番組情報】
番組名:『SUNRISE FUNRISE』
放送日時:毎週日曜6時ー9時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sunrise/
大江さんは、関西学院大学在学中の1983年に、シンガーソングライターとしてデビュー。『十人十色』『格好悪いふられ方』『Rain』など数々のヒット曲を生み出しました。2008年、47歳の時にジャズミュージシャンを目指して渡米しました。
大江:15歳の時にジャズと出会って、ジャズボーカルのクリス・コナーの中古のアルバムをジャケ買いして、立て続けにアントニオ・カルロス・ジョビン、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、ウィントン・ケリーと、今までに聞いたことがないような世界がその中にあって、ジャズの理論の本を買って勉強してました。当時は、シンガーソングライターになりたいという夢もあったんですけど、ジャズにどんどんのめりこんでいきました。
■ジャズへの気持ちは心にしまって
大江:デビューが決まって、そろそろアルバムを出すという頃になると、ジャズは一度タンスにしまい込むような感じでしたね。だけど、ポップスでデビューしてどんどん加速して、作ってはコンサートをやって……という繰り返しで、楽しいけれど気の抜けない、いつも気を張った状態だったんです。
レイチェル:なるほど。
大江:実は90年代ぐらいに、4年間ほどニューヨークにアパートを借りていた時期があって、「The New School for Jazz and Contemporary Music」の前を通る時に、サクソフォンを抱えた学生とすれ違い、いつかここで学びたいという思いがあったことをある日思い出したんです。そこで、インターネットで検索したら海外から受験できることとが分かって、僕のジャズの先生に相談したら「手伝ってあげるよ。デモテープを作ろうよ」と言ってくださって。そこから一生懸命作って、自己PRの文章を英語で書いて送ったら“合格”したんです。
レイチェル:へぇー!
大江:事務所にも「ジャズへの門が少し開いたから、行きたいんだ」と言ったら、マネージャーが「そうですか! じゃあ、事務所をやめる手続きを取っておきます。このオフィスから家に帰る途中からは、ジャズの未来のことだけを考えて、全部のエネルギーをそっちに向けてくださいね。Good luck!」みたいな感じだったんです。
レイチェル:素敵なマネージャーさんですね。
大江さんは、マネージャーから引き留められると思っていたため、応援してくれたことを意外に思ったそう。
大江:ジャズをやってる友達を呼び出して合格したことを言ったら、グラスのシャンパンを2つ持ってきて「Good luck!」って。それで、もう戻れなくなっちゃって(笑)。
■まわりはみんな若くて…
レイチェル:「The New School for Jazz and Contemporary Music」の生徒の世代は幅広いですか?
大江:同期が47人ぐらいで、僕以外はほぼ全員が20歳です。最初は自分が心を閉ざしていたと思うし、肩に力が入っていたと思うけど、ジャズを演奏するうちに、そういうのはあまり関係なくなってきて。4年半かかったけど、最後のほうは僕が発表会とかでステージに立つと、友達がいっぱい応援してくれて、演奏が終わったあと「男だね!」って言ってくれて。
レイチェル:素敵!
大江:卒業式の時には、80歳を越えた親父が来てくれました。僕がアメリカにチャレンジすることを言った時に、親父は気管をとっているから器具を使ってしゃべるんだけど「最初のチャプターの人生で、やるだけやったんだから、もういいだろう。次に行って来い!」って言われて、親父とのそんなに近くなかった距離を、ジャズがくっつけてくれたんです。
■ハグされたのがきっかけで
9月にはデビュー35周年を記念したアルバム『Boys & Girls』発売しました。ポップス時代の曲を、ピアノでカバーしたアルバムです。
レイチェル:やっぱり向き合い方が違いますよね。
大江:インストであるということ。ジャズになっているということ。2つを融合させて作ったわけではないので、自分が作ったポップスの曲をモチーフにして、ジャズのスタンダードに翻訳しようという姿勢で作りました。
レイチェル:ちょっと俯瞰した目で作ったわけですね。そもそも、過去のヒットソングをアレンジしてみようと思ったのはなぜ?
大江:アメリカでコンサートをやった時に、『Rain』をアンコールで原曲のまま演奏したことがあって、それを聴いていたアメリカの方がやってきて、僕を抱きしめて「アメイジング!」って言いながら「詞をつけて、誰か歌わせたほうがいいよ!」って。僕は「ありがとう」って言いながらも、心の中では「もう歌詞が付いとるわ!」と思って(笑)。
レイチェル:確かに!
大江:「これは面白いなぁ。新鮮に聞こえてるのか」と思って、それだったら自分で作った曲を自分でピアノにするのは面白いなと思ったんです。
大江さんは、現在はニューヨークのジャズクラブ「Tomi Jazz」で毎月最終週の木曜に演奏しているほか、アメリカ各地を訪れています。最後に今後の展望をお訊きしました。
大江:今、世界中で一つの放送を聞いたり、ニュースが伝わったりするから、そういうことをうまく音楽に生かして、空はボーダレスで繋がってるという意識になっていくといいなと思います。
今後の活躍からも目が離せませんね。
【番組情報】
番組名:『SUNRISE FUNRISE』
放送日時:毎週日曜6時ー9時
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/sunrise/
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