J-WAVEで放送中の番組『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』(ナビゲーター:グローバー)。5月26日(土)のオンエアでは、ミッツ・マングローブさん、音楽ライター・新谷洋子さんをゲストにお迎えし、カイリー・ミノーグの魅力を語りました。
■ふたりがカイリーにハマったきっかけ
1968年5月28日、オーストラリア・メルボルン生まれのカイリー・ミノーグ。子役として活動し、1987年に『The Loco-motion(邦題:ロコモーション)』が本国で大ヒット。世界デビュー曲となる『I Should Be So Lucky(邦題:ラッキーラブ)』が世界中で大ヒット。ユーロビートブームの中、彼女はトップスターとして走り続けます。90年代に低迷期を迎えるものの、最新のダンスミュージックを取り入れ、2000年代に再び脚光を浴びます。2005年に乳がんが発覚しましたが、闘病生活から復活。2011年3月11日に東日本大震災の影響でさまざまな来日公演が中止になる中、カイリーは予定通りライブを開催してくれました。
「世代的にドンピシャ。初めて買ったレコードがカイリー」というミッツさん。おふたりがカイリーを知ったきっかけを話してくれました。
ミッツ:1987年の『ロコモーション』でカイリーがデビューしたとき、ちょうどイギリスに住んでたんです。PWLっていうプロデューサーチームの筆頭大スターだった。思春期にそういうアイドル歌謡にどハマリ。
新谷:私は、カイリーとほぼ同世代なんです。実は暗い音楽ばかり聴いてたので、最初は全然ハマらなかったんです。その後、INXSのマイケル・ハッチェンスとカイリーが付き合いはじめて、INXSが好きだったので、そのあとからすごく気になる存在になりました。
■マイケル・ハッチェンスの存在
話題は、カイリーに大きな影響を与えたかつての恋人・マイケルに移ります。
ミッツ:マイケル・ハッチェンスってすごい男なんですよ。
グローバー:INXSのフロントマンですよね。亡くなってしまったけど。
新谷:80年代のロックゴッドのひとりですね。
ミッツ:火野正平みたいなもんです。そういう色男で、音楽と別の部分でシンボル的な男なんですね。
グローバー:それと付き合ったということで、新谷さんは興味が出てきたんですね。
新谷:マイケルと会ってから、自分で書いたり、音楽性も変わっていったじゃないですか。
ミッツ:いい男なのよ、マイケル・ハッチェンスは。そこにカイリーが突っ込んでいったわけですよ。ちょっと売れなくなっている時代。若干、バブルが陰りを見せている頃です。「さぁカイリー、次どうすんだ?」と思ったら、マイケル・ハッチェンスにいった。しかも、マイケルも受け入れちゃうんだと。それでどんどん暗くなっちゃって(笑)。
グローバー:マイケル・ハッチェンスの持っているちょっとダウナーなところに影響を受けるんですね。
新谷:自分にないところに惹かれたのがすごくわかります。
■カイリーがアイドルから脱却!
カイリーの「アイドルからの脱却」を語る中で、新谷さんが「アイドルから抜けたかった気持ちがめちゃめちゃ伝わってきます」と挙げたのが、1994年のアルバム『Kylie Minogue』です。
新谷:制作陣もガラッと変わりましたし、自分でガッツリ書いています。これは90年代頭なので、アシッドハウスを受けて作ったアルバムです。このあとに『Impossible Princess』というのがあるんですけど、それはビッグビートとかブリットポップとか、その辺の90年代のイギリスで起こっていたことを受けて作っているので、トレンドを彼女なりに処理して90年代は生きているんです。
続いて、ビジュアル面での彼女の変化に寄与した人物について、新谷さんが解説しました。
新谷:ウィリアム・ベイカーさんというアートディレクターがキーパーソンですよね。カイリーが「ゲイ・ハズバンド」と呼んでいて、『Impossible Princess』でコケたあとぐらいに会いました。そのあと、彼がビジュアルのディレクションをやってるんです。その出会いが大きいですよね。
ミッツ:ウィリアムが「カイリー、腹をくくれ。一生食っていけるから」と言ってくれたんですよ。
ミッツさんは、「その大転機になった感動的シーンがあったんですよ。カイリーが2000年代に突入する頃」と含みを持たせつつ、とっておきの話を次週(6月2日土曜)に持ち越しました。90年代の低迷期から、遂に2000年代に大復活を遂げるカイリー・ミノーグ。お話はさらに続きます。お楽しみに!
【この記事の放送回をradikoで聴く】
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【番組情報】
番組名:『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』
放送日時:土曜 17時-17時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/musicology/
■ふたりがカイリーにハマったきっかけ
1968年5月28日、オーストラリア・メルボルン生まれのカイリー・ミノーグ。子役として活動し、1987年に『The Loco-motion(邦題:ロコモーション)』が本国で大ヒット。世界デビュー曲となる『I Should Be So Lucky(邦題:ラッキーラブ)』が世界中で大ヒット。ユーロビートブームの中、彼女はトップスターとして走り続けます。90年代に低迷期を迎えるものの、最新のダンスミュージックを取り入れ、2000年代に再び脚光を浴びます。2005年に乳がんが発覚しましたが、闘病生活から復活。2011年3月11日に東日本大震災の影響でさまざまな来日公演が中止になる中、カイリーは予定通りライブを開催してくれました。
「世代的にドンピシャ。初めて買ったレコードがカイリー」というミッツさん。おふたりがカイリーを知ったきっかけを話してくれました。
ミッツ:1987年の『ロコモーション』でカイリーがデビューしたとき、ちょうどイギリスに住んでたんです。PWLっていうプロデューサーチームの筆頭大スターだった。思春期にそういうアイドル歌謡にどハマリ。
新谷:私は、カイリーとほぼ同世代なんです。実は暗い音楽ばかり聴いてたので、最初は全然ハマらなかったんです。その後、INXSのマイケル・ハッチェンスとカイリーが付き合いはじめて、INXSが好きだったので、そのあとからすごく気になる存在になりました。
■マイケル・ハッチェンスの存在
話題は、カイリーに大きな影響を与えたかつての恋人・マイケルに移ります。
ミッツ:マイケル・ハッチェンスってすごい男なんですよ。
グローバー:INXSのフロントマンですよね。亡くなってしまったけど。
新谷:80年代のロックゴッドのひとりですね。
ミッツ:火野正平みたいなもんです。そういう色男で、音楽と別の部分でシンボル的な男なんですね。
グローバー:それと付き合ったということで、新谷さんは興味が出てきたんですね。
新谷:マイケルと会ってから、自分で書いたり、音楽性も変わっていったじゃないですか。
ミッツ:いい男なのよ、マイケル・ハッチェンスは。そこにカイリーが突っ込んでいったわけですよ。ちょっと売れなくなっている時代。若干、バブルが陰りを見せている頃です。「さぁカイリー、次どうすんだ?」と思ったら、マイケル・ハッチェンスにいった。しかも、マイケルも受け入れちゃうんだと。それでどんどん暗くなっちゃって(笑)。
グローバー:マイケル・ハッチェンスの持っているちょっとダウナーなところに影響を受けるんですね。
新谷:自分にないところに惹かれたのがすごくわかります。
■カイリーがアイドルから脱却!
カイリーの「アイドルからの脱却」を語る中で、新谷さんが「アイドルから抜けたかった気持ちがめちゃめちゃ伝わってきます」と挙げたのが、1994年のアルバム『Kylie Minogue』です。
新谷:制作陣もガラッと変わりましたし、自分でガッツリ書いています。これは90年代頭なので、アシッドハウスを受けて作ったアルバムです。このあとに『Impossible Princess』というのがあるんですけど、それはビッグビートとかブリットポップとか、その辺の90年代のイギリスで起こっていたことを受けて作っているので、トレンドを彼女なりに処理して90年代は生きているんです。
続いて、ビジュアル面での彼女の変化に寄与した人物について、新谷さんが解説しました。
新谷:ウィリアム・ベイカーさんというアートディレクターがキーパーソンですよね。カイリーが「ゲイ・ハズバンド」と呼んでいて、『Impossible Princess』でコケたあとぐらいに会いました。そのあと、彼がビジュアルのディレクションをやってるんです。その出会いが大きいですよね。
ミッツ:ウィリアムが「カイリー、腹をくくれ。一生食っていけるから」と言ってくれたんですよ。
ミッツさんは、「その大転機になった感動的シーンがあったんですよ。カイリーが2000年代に突入する頃」と含みを持たせつつ、とっておきの話を次週(6月2日土曜)に持ち越しました。90年代の低迷期から、遂に2000年代に大復活を遂げるカイリー・ミノーグ。お話はさらに続きます。お楽しみに!
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【番組情報】
番組名:『MITSUBISHI JISHO MARUNOUCHI MUSICOLOGY』
放送日時:土曜 17時-17時54分
オフィシャルサイト:https://www.j-wave.co.jp/original/musicology/
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