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「食べられるバラ」で年商1億円達成! その歩みや“大ピンチ”からの回復を、ROSE LABO代表の田中綾華が語る

「食べられるバラ」で年商1億円達成! その歩みや“大ピンチ”からの回復を、ROSE LABO代表の田中綾華が語る

"食べられるバラ"由来の商品を製造・販売する企業「ROSE LABO(ローズ・ラボ)」創業者の田中綾華さんが、バラで起業しようと思った理由や立ち上げ当時の思い出、さらには、コロナ禍で倒産の危機に瀕しながらもV字回復した要因などについて語った。

田中さんは1993年生まれの30歳。2015年から埼玉県深谷市で農薬不使用の”食べられるバラ”の栽培と、そのバラを原料とした加工食品と化粧品の開発および販売を行い、年商1億円を売り上げるスタートアップ企業へと成長させた若手実業家だ。

田中さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

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バラは「クレオパトラが愛した花」

田中さんを乗せて走り出した「BMW X1 xDrive20i xLine」。まずは、バラと人の歴史、さらには「食べられるバラ」とはどんなものか、説明してもらった。

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田中:バラは「クレオパトラが愛した」と言われるぐらい、古来より世界中で親しまれてきたお花です。現在登録されてる品種は4万品種と、名前を覚えきれないほどたくさんのバラが世の中には存在しています。もともとバラは、咳が出たら食したり、煎じて飲んだりと、薬草のように利用されていたと言われています。その後、オイルや観賞用など、今の使われ方になっていったようです。エディブルフラワー(食用花)として人気が出たのはヨーロッパが最初とされ、デザートに使用される機会がほとんどです。その流れが日本にも来てはいるのですが、国内における食用バラの農家は10戸あるかないかで、まだまだ少ないのが現状ですね。

「ローズ・ラボ」の話で言うと、今栽培しているのが、サムライ、ルージュロワイヤル、そして、当社のオリジナル品種「24」の3品種。私がバラを好きな理由の一つは、リラックス効果があるだけではなく、やる気スイッチをオンにしてくれるところです。人々のオンとオフ両方を満たせる性質を有しているのであれば、24時間サポートしてくれるようなバラであってほしい。そんな願いを込めて、「24」という名前を付けました。

拠点を深谷市に置いた理由とは?

田中さんとバラの関係をたどると、大好きだった曽祖母がいつもバラを飾り、モチーフを身につけていたことが原風景としてあるのだとか。転機となったのは大学時代。将来進むべき道を考える中で、実際にバラに期待できる効能を知り、バラで世界中の人を幸せにしたいと思い立つ。そこで大学を中退し、大阪で食用バラを育てる農場に弟子入りしたそうだ。

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田中:私自身、バラは鑑賞用としてしか楽しんでこなかったので、栽培する方法に関しては本当に無知でした。そのため食用バラの農場へ弟子入りしたときは、バラの苗を植え、葉っぱや枝を切り、収穫するという一連の作業をゼロから学ばせていただくところから始めたんですよ。栽培方法を教わる中で驚いたのが、1日の平均温度を毎日足し算していき、1000度になった日に1輪開花するというロマンティックな性質です。「こうやって開花予測を農家さんはしているんだ」と勉強になりましたし、このほかには、バラの花びら自体に美容・栄養成分がしっかり含まれていることも知りました。こういった学びを通して、バラといえば香りや見た目の印象が強かったんですけど、なぜ昔の人たちに食べられていたのか、その理由を理解することができました。

修行を経て、田中さんは2015年にローズ・ラボの前身となる「Flowery」を設立。埼玉県深谷市で、1棟のビニールハウスからのスタートだった。

田中:バラには気温が高いほうが早く咲くという性質があります。なので、できるだけ暑い場所はないかと探した結果、日本一暑いと言われる熊谷市の横にある深谷市に辿り着きました。しかも深谷市は、ゼロから農業を始め人へ親身にサポートする体制が整っている自治体でもあったので、同市で栽培することに決めたのです。ただ、農業を若い女性が一人で始めること自体レアなケースということもあって、最初はなかなか周りの農家さんから理解を得られませんでした。後から聞いた話によると、「本当に大丈夫か」「やり続けられるのか」と不安に思われていたようです。そんな中で、積極的に挨拶をしに行くなどコミュニケーションを取っていくうちに、だんだんと仲良くなれました。

ちなみに、深谷といえばやはり「深谷ネギ」を思い浮かべる人は多いかもしれません。実際にローズ・ラボの隣の農家さんもネギを栽培されているなど、ネギの栽培は盛んなのですが、実はユリやチューリップの全国トップクラスの産地として知られ「花の街・深谷」と呼ばれたりもするんですよ。

起業当時は恵比寿ガーデンプレイスでジャムを手売り

「BMW X1 xDrive20i xLine」は、六本木から広尾を抜けて、恵比寿エリアを走行。恵比寿ガーデンプレイスが見えてくると、無我夢中だった会社立ち上げ当時の記憶がフラッシュバックする。

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田中:起業して2年目くらいの22歳~24歳の頃。ここ恵比寿ガーデンプレイスで、朝から晩までバラのジャムを手売りしていた時期がありました。屋外だから、夏は暑くて冬は寒い。特に冬の時期は、バカラのシャンデリアが綺麗で、同い年ぐらいのカップルが楽しそうに歩いている姿を羨ましく感じたことを覚えています(笑)。

当時、売っていたジャムは、飲食店で売れ残った食用バラを加工して作ったアイテムです。そのバラをビニールハウス近くの和菓子屋さんに持っていき、「これでジャム作ってください」とお願いしました。当然ながら、「いやいや、うちは和菓子屋だよ」と難色を示されたのですが、なんとか頼み込んで作っていただいたものを販売していたんです。

出店中は色々なお客様に「食べられるバラを売っています!」「一口ジャムを食べてみてください。ぜひ感想を利かせてください!」とお声がけしました。予想通り「バラって食べられるの?」と驚かれる方が多かったですが、食べられた後には「たしかにバラだ」と皆さん口を揃えておっしゃっていましたね。香り高さのほか、合成着色料未使用である点なども相まって、健康志向のお客様が共感してくれてどんどんジャムが売れていきました。そんなわけで恵比寿ガーデンプレイスは、バラの可能性を広められた思い出深い場所なんです。

年商1億円を売り上げるも…南青山で経験した挫折

恵比寿ガーデンプレイスを後にして、向かう先は南青山。都内でもひときわ華やかなこのエリアだが、田中さんにとっては辛い過去が眠る土地のようだ。

田中:このエリアは苦い思い出もある場所です。25、6歳の頃、年商1億円を超えて会社が絶好調だったときに、ここ南青山で路面店を構えるという夢を叶えることができました。南青山で出店することは、私にとってのステータスであり、目標でした。なので、今まで頑張ってきたことがようやく実を結んだこともあって本当にうれしかったのですが、ちょうど新型コロナウイルス感染拡大のタイミングと重なってしまって。当時はオンラインの通販サイトがほとんど立ち上がっていない状態で、B to Bでの営業が売り上げの大半を占めていました。そのため、結婚式がキャンセルになったり、イベントが中止になったりと食用バラの需要が激減し、売り上げの7割超が減少してしまいました。その結果、倒産寸前にまで追い込まれ、1年で憧れの南青山を撤退せざるを得なくなってしまったんです。そんなわけで、今でも何かくじけそうになったときは、ふらっと立ち寄り、あのときの悔しさやがむしゃらに取り組んでいたときのことを思い出して、自分を奮い立たせています。

六本木移転後に再起を果たす

2020年春、飲食店の営業自粛により、ローズ・ラボの無農薬栽培の食用バラは行き場を失った。その結果、会社の売上総利益は前年比75%減。試練の時間を思い出しながら、田中さんを乗せた「BMW X1 xDrive20i xLine」は、南青山から六本木へ。どん底から探り当てた光とは。

田中:六本木はコロナ禍で倒産寸前だったときに引っ越した場所になります。今まで南青山に自社ビルのような路面店を構えていたものの、経済的な厳しさから移動しなければいけなくなり、六本木のマンションの一室で会社の立て直しを図りました。六本木を選んだのは、「ゲン担ぎをしたい」との思いもあって。というのも、東京23区にはそれぞれの区を象徴する花が定められています。港区のシンボル花はバラ。そして港区といえば、やはり六本木となりました。家賃20万円くらいの一室に社員みんなで移動し、朝から晩までともに手を取り合いながらがむしゃらに働いた思い出深い街なんですよね。

再起に向けて私たちは「ピンチのときこそみんなで同じ方向を向こう」と考え、リモートワークをせずに全員出社としました。当時、会社を発ち直させるために何が必要か突き詰めた結果、行き着いた結論が「ECサイトの構築」。そのおかげで今、売り上げの7割がECサイトからの売り上げとなり、回復することができました。

また、あるとき、時季外れのバラが咲き、大量に余ってしまったことがありました。そこで私たちはバラを有効活用するべく、マスクの芳香スプレー「ローズバリアスプレー」を開発したんです。同商品がヒットしたことも、V字回復を成し得た要因の一つでした。このスプレーはもともと、コロナ禍で不安の中、市民のために一生懸命対応してくれる深谷市役所職員の方々に少しでもリラックスしてほしいとの願いを込めて作ったアイテムです。マスクだけではなく、枕にシュッとして安眠に導けるような用途を意識して開発したものが、口コミでどんどん広がっていったんですよね。

「バラはまだまだ可能性を秘めている」

これまでプライオリティーにしていなかったECサイトをスピーディーに構築し、また、化粧品開発で培ってきたノウハウと行き場を失った食用バラを活かしてマスクスプレーを手掛けたことにより、「ローズ・ラボ」は難局を脱することに成功した。逆境に負けず、時代の変化にも柔軟に対応して成長を続ける組織を構築するためには、どんなことが大切なのだろうか?

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田中:私が経営者として大切にしているのは、一番のムードメーカーであることです。社長という肩書が付くと、どうしても周囲は委縮したり、ご機嫌取りのようにお伺いを立てたりしてしまいます。ですが、私たちのようなベンチャー企業はスピードが命です。社員一丸となって同じ方向に進んでいくことが重要であり、そのために私が社内を盛り上げることを意識しています。

具体的な取り組みとしては、社員全員がコミュニケーションをしっかりと取れるよう、バラの栽培を行う深谷の本社と都内の営業所をオンラインで繋ぎ、毎朝必ず朝礼を行っています。みんなで行動指針を読むほか、ラジオ体操などもしていて。実際にラジオ体操をやるようになってから社内のコミュニケーションが活発になり、何か頼み事をするときには優しい一言を添えるなどの気遣いをみんながしてくれるようになりました。

今振り返ってみると、ピンチのときにターニングポイントが転がっていたように感じるんですよ。危機的状況とどう向き合うかによって、成長するのか、ダメになるのか、立ち止まるのか決まると思うんです。私たちはピンチのときほど、しっかりと物事と向き合ってきました。もちろん、現実逃避したくなったこともたくさんありましたが、問題から目を逸らさなかったからこそ、解決策が見いだせたような気がするんですよね。

経営者として会社が抱える課題や社員、そしてバラと真摯に向き合い続ける田中さん。彼女にとって「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?

田中:バラはまだまだ可能性を秘めている植物だと思います。たとえば、ドイツのリューベック大学ではバラの香りを嗅ぐと記憶力が向上するという論文が、また別の大学では抗うつ効果があるとする論文が発表されているんです。私たちも、バラ研究所を意味する「ローズ・ラボ」という社名を掲げている以上、まだ知られていないその可能性を引き出していきたいと考えていています。未来への挑戦としてまずは、バラで健康寿命を伸ばせるような新薬を作りたいです。加えて、バラは世界で認知度があるからこそ、この深谷のバラを世界に届けたいという野望もあります。今や深谷は私にとって第二の故郷です。長きにわたってお世話になっている地域の方々に、ゆくゆくは恩返しをしていきたいと思っています。

(構成=小島浩平)

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