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櫻坂46などのダンス振付けは、「奇跡の一滴を探す」ように…世界で活躍するTAKAHIROが語る、その面白さ

櫻坂46などのダンス振付けは、「奇跡の一滴を探す」ように…世界で活躍するTAKAHIROが語る、その面白さ

ダンサーで振付家のTAKAHIROさんが、アイドルグループの音楽番組に帯同する理由やツアー専属ダンサーを務めたマドンナとのエピソードについて語った。

TAKAHIROさんは1981年9月生まれの41歳。2006年に全米放送のコンテスト番組「Showtime At The Apollo」で史上最高記録となる9大会連続優勝を達成しプロデビュー。2007年にNewsweek紙の「世界が尊敬する日本人100」に選出され、2009年にはマドンナのワールドツアーに専属ダンサーとして参加するなど、輝かしい経歴の持ち主だ。近年は、櫻坂46や日向坂46のほか、矢沢永吉、藤井風、SEKAI NO OWARIなど、様々なアイドルグループおよびアーティストの振付けや演出を手掛けている。
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TAKAHIROさんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/

ダンスを始めたのは18歳の頃

TAKAHIROさんを乗せた「BMW iX1 xDrive30 M Sport」は、J-WAVEがある六本木ヒルズを出発。六本木は、彼にとって仕事場であり、クリエイティブな刺激をもらう場所だという。

TAKAHIRO:六本木は僕にとって、お仕事でよく来る場所です。テレビ朝日があり、担当しているグループが「ミュージックステーション」に出演する際には帯同することが多いです。帯同して何をするのかというと、音楽番組には「カメラ台本」というものがあります。その台本に基づき、カメラさんはメンバーたちを様々な角度から撮っていくのですが、僕はそのカメラの動きに合わせて、振付けに微調整を加え、番組に最適化された作品を作り上げているんです。
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TAKAHIROさんが現在、特に多くの振付けを担当しているのが櫻坂46。その前身にあたる欅坂46の代表曲「サイレントマジョリティ」や「不協和音」のダンスも彼が考案したものだ。

その豊かなクリエイティビティは、どのようにして育まれたのか?――TAKAHIROさんはダンスと出会った10代の頃の思い出を語り始めた。

TAKAHIRO:ダンスと出会ったのは18歳です。偶然、テレビで風見しんごさんがブレイクダンスとロボットダンスを踊っているシーンを見て、「こんな人になれたら自分は新しく変われるんじゃないか」と憧れを抱き、その日からダンスを踊るようになりました。当時は、ビデオテープを何回も再生しては巻き戻し、風見しんごさんの動きをひたすら真似していました。

大学に入学してからは体育館の端っこでよく一人で練習をしていたのですが、ある、タケヤスくんという男の子が「そのスタイル面白いね。一緒にやろうよ」と声をかけてくれて。今思えば、これが僕にとって、初めてダンスを通じてほかの人と繋がれた瞬間でした。それ以来、タケヤスくんと練習するようになり、2人で好きなように踊っているうちに面白くなってきて、ついには「このダンスを誰かに見せたい」という話になりました。そこで、東京・町田の小さなクラブハウスのイベントに出演し、初めて人前でパフォーマンスを披露したんです。

評判は、クラブハウスの方から「そのスタイル、面白いね! また次も来なよ」と言っていただくなど、なかなか上々で。なんでも、うまくはなかったけど、僕らのスタイルが物珍しかったのだと思います(笑)。このときに「自分の中で作ってきた世界は、他の人から見ても価値があるものだったんだ」と手応えを持てました。そして、今までは自分たちのためだけにダンスを創作していたところから「見てくれる人を喜ばせるために新しいものを生み出したい」というマインドに変わったように思います。
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思い出作りで挑んだ世界的大会でまさかの結果に

「自分たちがいいと思う作品を、タケヤスくんと一緒に色んな音楽をミックスしながら作っていく過程で『絶対これ面白いよ!』と、ゲラゲラ大笑いする……。大学時代のそんな時間が、すごく楽しかったですね」

そんなふうに、青春時代を懐かしそうに振り返るTAKAHIROさん。しかし、楽しい時間は瞬く間に過ぎ去っていき、気付けば大学生活も残りわずか。卒業が間近に迫る中、教師になるために準備を進めるタケヤスくんを横目に、TAKAHIROさんはダンスの道を諦めきれずにいたという。一度は就職活動に向き合うものの、生まれて初めて自分の意思で選んで続けたダンスに対して、23歳でとった行動とは。

TAKAHIRO:僕の中で「やめるための最終ページを作らなければならないんだ」という思いがありました。これまで熱く、ダンスという物語を紡いできたのに、「なんとなくやめました」という結末にはしたくなかったんです。だから、思いっきりぶつかろうと。最終ページは派手なページにしようと考えて、アメリカ・ニューヨークのアポロ・シアターで毎週開催されるイベント「アマチュアナイト」に挑戦することを決めたんです。そこで結果が散々でも相手がここまで大きければ笑ってダンスを辞められるし、将来おじいちゃんになったときに「若い頃、ダンスが大好きで世界で一番有名な大会に出場するためにアメリカまで行っちゃったんだよ。大会の結果は散々だったけど、チャレンジしたんだ」と語れるから。

でも実際にエントリーしたら、その大会で優勝しちゃったんです。その後、次の大会でも優勝し、今度は全米放送のコンテスト番組「Showtime At The Apollo」でも優勝することができた。結果的に8回防衛し、9回目の防衛後には「あなたはここでレジェンドチャンピオンだ」ということになり、殿堂入りを果たしました。気付けば自分はアメリカの大きな大会の看板を背負うようになり、ニューヨークの街を歩けば見ず知らずの人から声をかけられるようになっていて。なんだか、急にお神輿の上に乗っているような感覚になったことを覚えています。
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マドンナのツアー専属ダンサーに抜擢された経緯

アポロシアターの「アマチュアナイト」といえば、1934年から続くプロへの登竜門。過去には、ビリー・ホリデイ、ジェームス・ブラウン、ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、スティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリンなど、名だたるスターを輩出している。そんな伝統あるイベントで一躍脚光を浴びたTAKAHIROさんだが、その後マドンナの目に留まるまで、何もかもすべて順風満帆……というわけでもなかったようだ。

TAKAHIRO:2006年に「Showtime At The Apollo」で優勝してから、いろいろなお仕事をいただけるようになりました。そうなると自然と鼻も高くなり、意気揚々と現場へ行くわけです。ある日、テレビ番組でとあるアーティストのバックダンサーを務めることになったのですが、振付師の先生の振りが踊れませんでした。すると、みんなが「え?」と目を丸くしながら僕を見て、先生からは「君は『Showtime At The Apollo』のチャンピオンだよね? これは基礎ステップだよ」と言われました。僕は独学でダンスを学んできたから、基礎を知らなかったんです。「これが僕のスタイルだから」と押し通そうとしても、「いやいや、それじゃダメだよ。君のスタイルはわかるけど、みんなと共有できるものがないとやりようがないから」と諭され、帰されてしまいました。

このときに痛感しました。「プロとしてやっていくためにスペシャルな力はもちろん大事。だけど、みんなと共有できるジェネラルな能力も必要なんだ」と。僕はそのジェネラルな能力が足りないと気が付き、ダンスのスクールに必死で通いました。学校では、バレエ・ジャズ・ヒップホップなど様々なダンスを3年間学び、卒業する頃にはジェネラルなスキルと自分らしい動き、両方が満足いくレベルになっていました。

ちょうどそのタイミングで開催されたのが、マドンナのオーディションです。オーディションの第一審査は「あなたらしさを加えず、この振付を全く同じように再現してください」というもの。「これはすごくいいチャンスだ。自分のスペシャルじゃなくジェネラルな部分を試せる」と思い、オーディションに参加したところ、第一審査を通過しました。そこから審査が進んでいき、最終的には「あなたらしさを見せてください」という審査にも合格して、2009年にマドンナのワールドツアー「Sticky & Sweet Tour」へ参加することになったんです。
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マドンナは「すごくチームを大事にする人」

スペシャルとジェネラル。2つの側面から能力に磨きをかけた結果、マドンナのワールドツアー専属バックダンサーの座を勝ち取ったTAKAHIROさん。世界各国をともに旅する中で見えてきた、“クイーン・オブ・ポップ”の素顔とは?

TAKAHIRO:マドンナはすごくチームを大事にしてくださる方です。たとえば、ツアーでイギリスへ訪れたときにはみんなを自宅に招いてホームパーティーをしたこともありますし、ノルウェーでは船を借りてみんなでフィヨルドを見学したこともあります。また、ニューヨークの自宅でトレーニングを一緒に考えたこともあったりして、交流は多かったです。それに、彼女はとにかく人思いでした。彼女は当時ビーガンでしたが、ダンサーチームは食いしん坊の集まり。なので、お家に招いてくださったには僕らの希望を汲んで、ピザを注文してくれたこともありました。そんなふうに、上司と部下というより“ファミリー”という感覚で接してくれている印象を受けました。

さらに、マドンナと仕事をした中で特にうれしかった思い出について、TAKAHIROさんはこう述懐する。

TAKAHIRO:2009年にリリースされたベストアルバム「Celebration」に収録された楽曲「Revolver」の日本におけるプロモーションの振付と演出を僕が任されたんです。その映像を観た彼女がすごく喜んでくれて、後日インタビューで僕のことを「ダンサーとしてもいいし、振付師としてすごくいいと思う」と評価してくれたんです。その言葉をきっかけに「振付けもやってみよう」と思うようになったんです。

自分で踊ることと振付けを考えることの違い

マドンナの言葉をきっかけに、振付家として辣腕を振るうようになったTAKAHIROさん。自分で踊るダンスと人のために考える振付け、そのアプローチには、どんな違いがあるのだろうか?

TAKAHIRO:自分で踊るときは限界値が明確にわかるんですけど、振付けは新しい人の新しい能力を見つけられるというか。その人が持っている能力に僕の能力を付与することによって、その人が出せる以上の力を引き出すことができるんです。失敗すると引き算になっちゃう。でもうまくいくと“化学反応”と言われるように、掛け算にさえもっていける。そこが非常に面白いところです。

振付けをつくる上では、いろいろな要素を踏まえなければなりません。対象となるアーティストの身体的能力、その人が今できること・やりたいこと、その方自身のストーリー、ファンの方々が観たい動き、ファンの方々に見せたい動き……。それに、楽曲のメロディや歌詞、作曲家・作詞家さんの思い、レーベル・事務所さんの思惑もある。そういったいろいろな要素を一つのミキサーに混ぜて、その中から奇跡の一滴を探すことが、ものすごく楽しいんです。

数々の名振付けが生まれる「頭の中の劇場」

振付けが生まれるプロセスについて語るとき、TAKAHIROさんは持ち前の独特な感性を覗かせる。

TAKAHIRO:僕の頭の中には“劇場”があって。曲をもらった後は、その舞台上で想像したアバターにリハーサルをしてもらうんです。この劇場を僕は、クレーンカメラのように多角的な視点で見ることができる。そのアバターに何度も踊ってもらい、しっくりこなければリテイクを繰り返しながら、ベストな振付けのかたちを探していくわけです。思い描いているのは、あくまで自分。なのに「これだ! すごすぎる! これをみんなに伝えなきゃいけない!」と感動して、泣いてしまうくらいのシーンに出会うこともあり、それを現実のものとして形にしていくんです。そんなふうに振付けを作るときは、どちらかといえば、自分がやっているというよりは頭の中で見えたものをただ伝えるだけという感覚に近いのかもしれません。

このように、飽くなき情熱を持ってダンスと向き合い続けるTKAHIROさんにとって、「未来への挑戦=FORWARDISM」とは?

TAKAHIRO:今、日本を舞台に活動していますが、やはり海外の人に伝えることが本当に大事なことだと思います。僕はアメリカで10年ほど活動をしてきたことを日本に伝えてきた。今度は日本で作ったエンターテイメントを世界の人に届けていきたい。それが僕のFORWARDISMです。
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『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を 聞 く 。 オ ン エ ア は 毎 週 土 曜 11:00-11:30 。 公 式 サ イ ト は こ ち ら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。

(構成=小島浩平)

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