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借金1000万円の“路上の画家”は、いかにして注目の現代アーティストになったか? 激動の人生を長坂真護が語る

借金1000万円の“路上の画家”は、いかにして注目の現代アーティストになったか? 激動の人生を長坂真護が語る

ガーナのスラム街に捨てられた電子機器で現代アートを作る美術家の長坂真護さんが、東京・新宿で“路上の画家”として筆を振るった下積み時代や、現在の活動に至ったきっかけについて語った。

長坂さんは、1984年生まれの38歳。先進国がガーナのスラム街に廃棄した電子機器を再利用したアート作品を制作し、その売り上げから生まれた資金を様々な形で還元するなど、スラム街をサステナブルタウンへするための活動を展開している。

そんな長坂さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。

このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。

・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/

「手を動かす表現」が好きだと気づいたきっかけ

長坂さんを乗せて出発した「BMW i4 M50」。思い出が詰まった街・新宿を目指して走るなか、自身のルーツについて語り始めた。

幼少期より絵を好んで描いていたという長坂さんだが、「プロになって食べていけるとは全く思っていなかった」とのこと。しかし高校卒業後、地元・福井県から歌手を目指して上京したのをきっかけに、自分が本当に情熱を注げるものは何なのか、知ることになる。

長坂:もともと、東京でバンド活動をするための口実として、どこでも良いから専門学校に入りたいと思っていました。そこで「服が好き」という、ただそれだけの理由で、服飾の専門学校・文化服装学院へ入学したんです。そしたら、バンド活動はせずに、モノを作ることに没頭してしまい、服ばかり作っていたんですね。そのときに僕は声や歌で表現するのではなく、手を動かして表現することが好きなんだと気付きました。

ホストとして数千万円貯めるも、事業失敗で借金1000万円

そうこうしているうちに新宿へ到着。長坂さんにとって夢を抱き、そして挫折を味わった街だ。

長坂:文化服装学院卒業後、既製服を作ったり、会社に就職する気はなく、むしろ、海外に行ってチャレンジしたいとか、いろいろな野心を抱いていました。もちろん、そのためにはお金が必要。ということで、実は新宿歌舞伎町のホストクラブで2年弱ほど働いていたんです。結果的に数千万円の貯金を作ることに成功し、そのお金を元手に留学をするか、起業をするかと考えたときに、僕は後者を選んで、アパレルの会社を立ち上げることにしました。しかし、あの頃はアパレル業界との繋がりがなく、おまけに、僕自身若くて判断能力が欠如していた。そのため、あっという間に資金が底をついてしまい、気付いたら1000万円ほどの負債を背負ってしまいました。

もう、右も左も動けない状態。「自分はダメだ……」とふさぎ込んでいたとき、服作りは、仕入れをしたり、一度に何百着も発注しなければならなかったりとリスクがあるけど、昔から描いている絵であれば、企画・生産・販売、全部ひとりでできるし、画用紙一枚あれば始められる。そう気付いて、新宿の路上に立って絵を売る“路上の画家”として2009年から活動をスタートしたんです。

甲州街道高架下を潜って、辿り着いたのは新宿東南口のすぐそばに建つ商業施設「新宿フラッグス」。長坂さんは、同ビルのオーロラビジョン下を指し「この前でよく描いてましたね」と言い、“路上の画家”として試行錯誤していた在りし日の自分に思いを馳せる。

長坂:その当時は美人画とか、恐竜を水墨画で描いてました。海外の路上でも描いた経験があるのですが、日本のほうが立ち止まってくれる人は圧倒的に少なくて。でも、「君、何やってんの?」と話しかけてくれる人もいました。なかなか絵を買ってくれる人はいなかったんですけど、歌舞伎町でお金を集めて、会社を興して失敗した自分の過ちに懺悔する気持ちから、黒いスーツで正装して絵を描いていましたね。あのときは24歳ぐらいで、とにかく必死でした。それくらいしか表現する場所もなかったですし。

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井上雄彦「最後のマンガ展」で覚えた、感動と悔しさ

苦難の時代を乗り越え、その後、現代アートの世界で成功を収めた長坂さん。2016年には新宿フラッグスの大型ビジョンCMに自身の作品が起用され、2019年には再び同じ場所で絵を描くパフォーマンスを行っている。今でも画材を買うのは「世界堂 新宿本店」と決めている彼にとって、新宿は「一生通い続ける街」なのだとか。

そんな新宿を離れ、次にやってきたのは上野公園。敷地内に佇む上野美術館もまた、特別な感情が沸く場所だという。

長坂:文化服装学院卒業後の2008年、上野の森美術館で開催されていた井上雄彦先生の「最後のマンガ展」に行ったんです。当時、僕は路上の絵描きになる一年前。もちろん、アートには興味があったけど、まったく芽が出ていなかった。そんなときに井上先生の絵を見て、「なんで同じ人間なのに、こんなに力強い絵を描けるんだろう」と感動もしたんですけど、「なんでこんなに差があるんだ」と悔しくもあったんですよ。

そこから14年後、2022年9月から11月にかけて上野の森美術館で、僕にとっての美術館での初個展「Still A “BLACK” STAR 長坂真護展」が実現しました。あのときの自分に言いたいですよ。「お前も14年後やるぞ。だから頑張れよ」と。美術館の近くの街頭には、僕の描いたガーナの子どもの絵がプリントされた「長坂真護展」の垂れ幕がズラーっと掲げられていて……。信じられない気持ちでいっぱいでした。路上の絵描きとしてずっと貧乏で、世界中を旅してガーナのスラムで絶望を感じて。そのなかでも頑張ってめげずに作品を発表していたら、多くの人が評価してくれるようになったんですよね。

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ガーナを訪れたきっかけとは

「長坂真護展」のキービジュアルに使用されたのは、キャンバスに埋め込まれた電子機器と、その中心に描かれたガーナの子どもが印象的な長坂さんの代表作「真実の湖」。同作をはじめとした独創的なアート作品が生まれるきっかけとなった場所が、ガーナの首都・アクラにあるスラム街「アグボグブロシー」だ。世界最大の電子廃棄物処理場として知られるこの地に、彼を駆り立てたものがいったい何だったのか。

長坂:路上の絵描き時代、世界15か国を回り、新宿と同じように絵を描いていたのですが、当時は軍資金をバイヤー業で捻出していました。たとえば、アメリカではiPadを買って、それを日本で売ると。こうして得たお金を元手に、先進国の主要都市を巡っていたんです。でも、そんな活動をしていたあるときに目にしたニュースで、ガスを吸って肺の病気になったり、若くして死んでしまうガーナのスラム街「アグボグブロシー」に廃棄されている電子機器は、日本を含む先進国から送られたものだと知りました。自分が買い付けして売っているものが、人を苦しめる要因になっているかもしれない。そう考えると、自分も加害者のように思え、居てもたってもいられなくなり、初めて行く発展途上国としてガーナのアグボグブロシーを訪れました。

実際に現地に到着すると、20年前くらいに流行っていた当時の電子機器の最新モデルがたくさんスラムの大地に散乱していて。面積にして東京ドーム32個分。資本主義・大量消費社会の裏側を見てしまい、ものすごく大きな衝撃を受けたました。

スラム街を見て降ってきた、友人からのある言葉

アグボグブロシーの青年に案内されて訪れた焼き場の光景を「資本主義のしわ寄せのすべてを見せてくれた」と振り返る長坂さん。先進国が享受する豊かさのツケを払わされるガーナの現状に絶望しそうになる中、一筋の光となったのは、今や広く一般に知られるようになったあの概念だった。

長坂:幸いにも、フランスにバイヤーとして買い付けに行った際、“サステナブル”という概念を学んでいたんですよ。パリで知り合った友人の女性から「サステナブルビジネスをやっている」と聞いたことがきっかけでした。彼女から「オーガニック化粧品、ヘルシークラブのコミュニティーを作ってプロダクトを発表している。それが売れれば売れるほど、有機農園が増えるため、地球上から農薬に汚染された土地が減る。プロダクトを売って地球がきれいになる仕組みを考えるのが、サステナブルという概念なんだ」と教えられ、衝撃が走ったのを覚えています。「モノを作って地球がきれいになる仕組みを考えればいい」。このアシュリーの一言がガーナのスラム街を見ているときに、降りてきたんです。だったら僕がこの地を掃除して、この地のゴミを使った作品を発表すればするほど、物質的にゴミは減る。そんなふうに、サステナブルの概念と僕が今まで世界中を旅してきた経験がすべてマッチして、今の作品群が生まれていった……というわけです。

そもそも家電って、一流デザイナーがデザインしているんですよ。なぜなら、何十万個も売らなければいけないから。だから、ゴミになろうが、ヒビが入ろうが、デザイナーたちが頑張った跡がしっかりと残っている。僕はそのシナジー、クリエイティビティを活かした作品作りをしているんですよね。彼らデザイナーの力も利用して、リ・デザインしているので、僕の持っていたアートよりも何倍も、世間に発するメッセージ性が強くなっているんですよね。

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「スラムの撲滅をやってみたい」

アグボグブロシーでは、1日わずか500円の日当で先進国が捨てた電子機器を燃やして生計を立て、その代償として大量のガスを吸い、命を落とす若者が大勢いる。そんなスラム街で働く人々を延命するべく、長坂さんはこれまでにガスマスク1000個以上を届けている。それだけでなく、アートで得た売り上げを元手に、リサイクル工場、オーガニックファーム、EVバイクの開発事業、スラム街でのフリースクールなども展開。さらに、登用しているスタッフの中には、25名のガーナ労働者もおり、現地での雇用創出にも一役買っているようだ。

そんな長坂さんにとって未来への挑戦とは?

長坂:前人未到の今まで誰もできなかったことなんですけど、スラムの撲滅。これをマジでやってみたくて。アグボグブロシーには3万人が暮らしているとされているんですけど、現地のガーナ人を1万人雇用すれば、スラムに安心・安全な仕事を提供し、スラム撲滅に近い状況になるのではないかと考えて、今そこを目指しています。現在25名を雇用していることを考えると、達成率は0.25%。まだまだです。2030年までに1万人へ増やしていくにあたって、農業農地、リサイクル工場、EV事業、アート事業、すべてを拡大していきたい。やはり、資本主義社会において事業を成長させなければ、雇用は生まれないので。

『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。

(構成=小島浩平)

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